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加藤嘉明のエピソード

Wikipediaより

加藤 嘉明(かとう よしあき)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。



・嘉明は「真の勇士とは責任感が強く律儀な人間である」と発言している。力が弱かったとしても、団結力と連携を活かせば恐るべき抵抗力を発揮するから、との理由である。逆に豪傑肌の人間は「勝っているときは調子がいいが、危機には平気で仲間を見捨てる」と手厳しい。塙直之との確執も、この人間観に起因している部分が大きい。

・嘉明の家中では槍の柄は、長短いずれであっても可とされたが、槍穂の長さは4寸(約12センチ)と定められていた。つまり短すぎると、甲冑・具足を貫くことができても身体にまで届かぬことがあるため「己を慎む者に失敗は無い。何事にも馴れたつもりで功者ぶる者は必ず仕損ずる者である」と嘉明は常に言っていたという。加藤家は平素からの躾を大切にすることが、一旦急の場合でもまごつかず失敗せぬものとされていた(山鹿素行の『武家事紀』)。

・寛大な一面もあった。嘉明は南蛮渡来の焼物を多く持っており、その中に虫喰南蛮という小皿10枚の秘蔵の逸品があった。ある日、客を饗応する準備の最中に、嘉明の近習が誤って1枚を割ってしまった。それを聞いた嘉明は、近習を叱るどころか、残り9枚の小皿をことごとく打ち砕いた。そして言うには「9枚残りあるうちは、1枚誰が粗相したかといつまでも士の名を残す。家人は我が四肢であり、如何に逸品であろうとも家来には代えられぬ。およそ着物・草木・鳥類を愛でる者はそのためにかえって家人を失う。主たる者の心得るべきことである」と述べている(真田増誉の『明良洪範』)。

・あるとき、小姓らが主君の不在をよいことに、囲炉裏端で火箸を火の中で焼いて遊んでいた。そこに嘉明がやってきたので、小姓らは慌てて火箸を灰の中に取り落とした。それを見て嘉明は、素手で囲炉裏に落ちていた火箸を拾い、顔色一つ変えず静かに灰の中に突き立てたという(真田増誉の『明良洪範』)。


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