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渡部陽一のエピソード

Wikipediaより

2012年



・イスラム圏で取材を行うため、現地の慣習に合わせてヒゲを生やしている。

・グレーのベレー帽は「13~14年前に妹からもらったもので、この帽子をかぶっていくと取材が成功する可能性が高いんです。」と述べている(2010年)。

・ポケットがたくさんついているカメラマンベストは「細かい持ち物はすべてポケットに収納して、どんなときでも両手をあけて、不測の事態に対応しているんです。小さなカメラ、バッテリー、フィルム、ノート、ペン…、どれをどのポケットに入れるかすべて決まっていて、真っ暗な中でもバッテリーやフィルム交換をできるように訓練しています。」と述べている。

・襟なしのシャツをよく着ている。「昔から、ワイシャツを着て、ネクタイを締めるという生活をしたことがなかったので、襟があるとなんだか気になって、疲れてしまうんですね。」と述べている。

・使用しているカメラはCanon EOS-1D MarkIV。カメラに太陽光が反射するとそれが銃だと間違われて、射撃されることがあるため、レンズ以外の部分を黒いテープ(パーマセルテープ)で覆っている。最近の作品はデジタルカメラで撮影し、パソコンを使ってデータ管理している。1990年代終わり頃まではフィルムで撮影をする事が基本であった。また安全のために防弾チョッキを着用して取材を行っているが、幸いなことに銃弾を受けたことは1度もない。

・重さ7kgもある大型日記帳は耐久性強化のためにレンガを付着している。

・手土産に山崎製パンの「ダブルソフト」を持っていく。やわらかい食感が好評で、また来るときはリクエストされるという。

・低い声でゆっくりと話す柔らかい口調と、シリアスな話題でも聞く側を重苦しくさせない話術が特徴である。『ウチくる!?』に出演した富士高時代の友人たちは、彼の話し方やカラオケでの歌い方などは、学生時代から変わっていないと証言している。別の知人の証言によると、渡部は、妹の結婚に際しておこなわれた親族の顔合わせでも、父親から「お前は喋り方が変だから、何もいうな。」と「厳命された。」という。なお、常にゆっくり話すわけではなく、時に早口で話すこともある。

・「小さいころから友人に『渡部は話し方が変だ。』と言われました。外国に行くようになり、言葉が通じない国で単語を正確にゆっくり伝えると、理解してもらえるんです。そんな生活を続けて、もともとの話し方から、さらにゆっくりになったんだと思います。」と述べている。

・アフリカや中東の取材で、しゃべる言葉について「僕は99パーセントは英語で話します。日本語、アラビア語でコミュニケーションを取る場合もありますが、ほとんどが英語ですね。必要に応じて、それを現地語に通訳してもらいます。」、「ゆっくりでも、単語単語をつなげていくと、相手が理解してくれます。特に英語が公用語になっていない地域の国々では、僕と同じようなテンポで英語を話しますので、お互いリズムがかみ合い、取材はしやすいですね。」と述べている。

・定期的に出演していたバラエティ番組『笑撃!ワンフレーズ』での発言は、番組司会者の千原ジュニアの判断で、そのつど着ボイス化されている。あまりにゆっくり喋るため、生放送の番組に出演した際は司会者が苦労することが多い。

・「危険だという瞬間を写真で押さえるのも、カメラマンの大事な仕事ですが、たどり着く前に事件が終わっていることもありますね。」と述べている。

・「取材で気をつけていることは、日本人のライフスタイルや慣習を、取材先の地域には持ち込まないこと。」と述べている。

・戦場カメラマンとして力を入れている一つが「戦渦の子供達を撮影すること」で、「戦争の一番の犠牲者が子供達であるということをたくさんの人に知ってもらいたい。」と述べている。今まで武器を携えている少年兵や危険に晒された通学路を通いながらも笑顔を見せる子供たちを撮影してきた。いきなり写真を撮っても警戒され笑顔を見せてくれないため、「アイアム、ブルース・リー」といって気を引く。ブルース・リーを選んだ理由は、外国の子供が良く知っている東洋人であるためである。

・「恐怖により取材の挫折・帰国を繰り返したが、刺激のない日本にいると気分が塞いでしまうため戦場に向かう」との旨を著書で述べている。植村直己の「冒険とは生きて帰ることである」という言葉に感銘を受け、自身は「戦場カメラマンとは生きて帰ること」を信条としている。

・「将来、何十年先かもしれないが、世界から戦争がなくなり、戦場カメラマンの仕事がなくなって、学校カメラマンになること。世界中の学校を撮影し、写真集やドキュメンタリー番組などで、伝えていきたい。」と述べている。

・バラエティー番組などのテレビ出演には葛藤もあったというが、バラエティー番組に出演したことは、今では良かったと思っている。「子供から年配の方にまで、イラク、アフガニスタン、レバノン、パレスチナ、スーダンといった世界のことを伝えられ、少しでも『アフガニスタンって、どんな国なの?』と思ってもらえるようになるのが、一番うれしい。」と述べている。

・本人はテレビに出演するのも全て、戦場カメラマンとして活動するためだという。自分に関心を持ってもらい、撮影した写真をたくさんの人に見てもらいたい。戦争の悲惨さ・命の大切さをたくさんの人に知ってもらいたい。そして、長期間、海外に滞在して仕事をするので、その活動費を稼ぐため。戦場カメラマンとしての収入は不安定なものなので、バナナの積み込みなどをして、活動費を補ったりしてきた。

・好きな言葉は「死して屍、拾うものなし」。

・好きな音楽はジャパニーズポップス関連では、矢沢永吉の『SOMEBODY'S NIGHT』、SPEEDの『White Love』、西田ひかるの『ときめいて』、絢香の『三日月』など。戦場で必ず聴くという楽曲が絢香の『三日月』で、「『三日月』を聴くと現地で平常心を取り戻すことが出来る。」と述べている。またEMINEMの『Lose Yourself』は戦場へ向かう時に聴き、自らを奮いたたせるために聴く曲である。


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