八つのほこり

天理教道友社

2011年(平成23年)6月3日発刊。



人間の身体からだは、親神様からのかりもので、心だけが自分のものであります。身体をはじめ、身の周りの一切は銘々めいめいの心通りに御守護下さいます。 親神様の思召しに沿わない、自分中心の心遣いを「ほこり」と仰せられます。ささいな「ほこり」の心遣いも積もり重なると、ついには十分な御守護を頂けなくなります。そこで親神様の教えをほうきとして、たえず胸の掃除に努めるとともに、人には「ほこり」を積まさぬよう心を配らねばなりません。 ほこりの心遣いを掃除する手掛かりとして、「おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」という「八つのほこり」をお教え頂いています。

おしい とは、心の働き、身の働きを惜しみ、税金など納めるべき物を出し惜しみ、世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、借りたる物を返すのを惜しみ、嫌な事は人にさせて、自分は楽をしたいという心。すベて、天理にかなわぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いはほこりであります。

ほしい とは、心も尽くさず、身も働かずし、て金銭を欲しがり、不相応ふそうおうに良き物を着たがり、食ベたがり、また、あるが上にも欲しがるような心。何事もたんのうの心を治めるのが肝心であります。

にくい とは、自分のためを思って言ってくれる人に、かえって気を悪くして反感を持ち、あるいは、自分の気に入らない、しゃくさわると人を毛嫌いし、陰口を言って、そしり笑うような心。また、銘々の身勝手から夫婦、親子など身内同士が、いがみ合うのもほこりであります。

かわい とは、わが身さえ良ければ人はどうでもよいという心。わが子を甘やかして食べ物、着る物の好き嫌いを言わし、仕込むベき事も仕込まず、間違った事も意見せず、気ままにさせておくのは、よろしくありません。また、わが身を思って、人を悪く言うのもほこり。わが身わが子が可愛かわいければ、人の事も思い、人の子も可愛がらねばなりません。

うらみ とは、顔をつぶされたとて人を恨み、望みを妨げられたとて人を恨み、誰がどう言ったとて人を恨み、に持ち、銘々、知恵・力の足りないことや、徳のないことを思わず、人を恨むのはほこりであります。人を恨む前に、わが身をかえりみることが大切であります。

はらだち とは、腹が立つのは気ままからであります。心が澄まぬからであります。人が悪いことを言ったとて腹を立て、誰がどうしたとて腹を立て、自分の主張を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないから、腹が立つのであります。これからは腹を立てず、天の理を立てるようにするがよろしい。短気や癇癪かんしゃくは、自分の徳を落とすだけでなく、命を損なうことがあります。

よく とは、人より多く身に付けたい、何が何でも取れるだけ取りたいという心。人の目を盗んで数量をごまかし、人の物を取り込み、あるいは、無理な儲けを図り、暴利をむさぼる。なにによらず、あたいを出さずわがものにするのは強欲。また、色情に溺れるのは色欲であります。

こうまん とは、思い上がってうぬぼれ、威張り、富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけにするような心。また、目上にび、弱い者をいじめ、あるいは、頭の良いのを鼻にかけて、人をあなどり、知ったかぶりし、人の欠点ばかり探す、これはこうまんのほこりであります。


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