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学校に対する心得

上廣哲彦

1954年(昭和29年)10月「明るい生活」より。



 学校教育の根底は、子供が家庭にあって、両親に対して抱く尊敬と思慕とを、同じく学校の先生に対していだくところにありますが、これには先ず、両親や家族が常に学校に対して全幅の信頼をささげ、子供の先生を神さまのように衷心から尊敬し、子供のことを喜んで一切お委せするのみでなく、子供の心に、その学校に学ぶことの誇りをもたせることであります。すると子供たちは、自然に先生を尊敬し、その学識、その技能、そしてその人格の一切を見事に受けつぎ、先生と同じ、否一歩すすんだ人になって来るのであります。何故かというに、人は先生について学ぶことによって、両親から受けついだ人格、知識技能の外に、さらに師の持つている学識、技能、性格の一切をそのまま受けついで、より立派な人間ができ上がるからであります。そして、その第一条件である信頼する心が、先ず家庭で子供の心に培われなければなりません。

 もともと子供は先生の力量は知らなくても、天下一の物識りであると信じて、教えられた通りを信頼し、何らの疑いもはさまないという、すぐれた素直さを持つているのでありますが、学校教育も家庭教育も根本は一つであることを知らない親の中には、学校や教師の悪口、陰口をいったり、かれこれと批評したり、不平不満に思ったりして、「去年の先生は良かったが、今年の先生は・・・・・・」などと、甚だしいのは子供の前でいったりするために、子供の心に次第に疑いの芽生えを培い、子供自身、先生をかれこれ批判するようになるのであります。

 これはまことに根本を誤ったもので、子の親たるものの、深く慎まなければならないところであります。たとえ、子供の前でいわなかったにしても、親が不平不満を思っただけで、すぐにも子供の心に影響することは、親子映照の理でも明らかな通りであり、子供の言動に細心の注意をはらいますならば、よくお解り願えるとこでありまして、その厳正、確実なことは事実を経験すれば、慄然たるものを覚えるでありましょう。
子供の欠点や習癖、態度や動作などについては、一旦お委せした以上、些かも包み隠すことなく、受持の先生に打ち明けてお頼みすると共に、できる限り学校における子供の様子も聞き、先生と父兄とが常に同じ心になって、子供を導くようにしなくてはなりません。もし誤って子供に不都合があった時などに、子供に味方して学校に反対したり、教師の言動を不快に思ったりいったりすることは、教師への、子供の信頼の念を失わせ、長じては目上を軽んじ尊敬しなくなるという、子供の将来にとって大きな悪影響をもたらすことになるのでありますから、教育を受ける子供と一つ心になって、大いに自重しなくてはなりません。

 しかし、父兄にとって不明瞭、不可解なことがあるならば、あくまでも学校に問いただして、常に正しい理解をもって、学校、教師を信頼し尊敬して、教師と父兄との問に一分の隙もないようにしていかなければなりません。
 そして一旦お委せした以上は、たとえその教育法が父兄の意にそわなくても、両親の信頼があれば、必ず子供は立派な一人前の人格をもつことができるのであるから、むやみと差し出がましい口をはさまないということが大切であります。父兄から口をはさまれる教師こそ迷惑で、自分の教育方針を妨げられては、充分の働きがなされないということを、心得なければなりません。

 さらに加えて家庭は、神の子をその天性のままに伸ばし、世のため人のために尽すべき人間を育て上げる道場と心得て、親たるものの責務の重大さを自覚し、大いに自重して、子供ともども励み合って、反省と鞭撻に奮起すべきであることをいい添えておきます。


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