天之理Ⅱ・十柱の神々



目次

国常立尊 | 面足尊 | 国狭土尊 | 月読尊 | 雲読尊 | 惶根尊 | 大食天尊 | 大戸邊尊 | 伊弉諾尊・伊弉册尊 
一世之間仏教に顕われての神様の御変化
八つのほこり | 欲しい | 惜しい | 恨み | 腹立ち | 可愛い | 憎い |  | 高慢 
二十一節の解釈 | 因縁

 

国常立尊(くにとことたちのみこと)

北水土水霊主    

 月様は御心現われて御守護下さる真実は情け水の心親心にて世界万物の親様故子を養いたい十分与えて満足させたい。又心静め澄ましてやりたい。治め方一条の神様大陰の働き大海の如く御心にて情けなり。陰より万物を生い育て下さる。

 下が可愛いと云う故に水は何所へ流るとも、下へ下へ流れて世界全体切れ目無く巡環して止まず。水は神の心也、水は六っくの本、正直なり、素直なり、源は見えぬゆえにみずと言う源とは皆の人間万物の元なり。みはいざなみ様がなお月様の世界へ人間産みわし下されたる理、水は千変万化霊妙不可思議の妙用を供え万物の元万の徳を出現?もの万物の親也。水は心なり、心は陰なり、陰は夜なり、 情けは水誠月様元々の御本心なり、此の世は水の中なり水の世界なり、水は世界の元、此の国土を始め一切万物は皆其の元水の固まりにて成れるものなり。身内にては目胴体潤い水気保ちの御守護身体は月様の清水の固まりなり。心魂は正直清浄なる神の分心なり、

 月様が体内の水気を計りて守護下さる水の潤いが働き下されて目が見え耳が聞こえ物を云う精神の働きが出来各々道具の自由用自在が叶う。世界も同じ水一切御司り水の根を御保ち下さる水にて泥固まり土塊を生成す陸地保ちの御守護元は泥海也水泥分けて陸地を造り天地を開闢せられて陸上に万物が生ずるに至る泥水を澄まして水中に魚貝の類生息するに至れり。

 宇宙の万物いわゆる森羅万象ことごとく水より生じ水にて生命を保つ。天上天下水の入込み働かざる所なし。水土合して草木生じ万物皆同じく水土無くては生ぜぬ水気を吸い雨露の潤いを受けて生長発育をなす。水に温みが添い下ろされて一体となり。息風空気生じ万物生成し化育をなす。空気は水に温みが添うて有るものなり。

 火も元素は水なり水有って火が有り火が添うて水気が働く陰有って陽有り夜有りて昼有り火の中に水あり水の中に火あり水も温みと風がなくては流れぬ。温みが添って柔らかとなる水があるから火が燃える。水中にも温みが添って有る故魚貝も育ち生殖生活が出来る水透き通り物の写るは火がある故日が有るから日光が写る水に温みが添って風となって入込み下さって人間も息を吸うて生きる風有るから鳥でも空中をたつ事が出来る皆水が本元也暖かみが添って陽気と成る水は物を固める。火は物を柔らぐ堅いは男柔らかいは女人間男女も同じ水気に温み二つ有って昼夜を生ず昼夜有って四季あり月日あって天地あり月日の根がありて十二支。十二支有って東西南北艮坤巽乾八方が定まり、天地陰陽の気にて人間万物生い育つ此の陽気は即ち月日の御心也此の陽気に合わぬ心を埃というて病生ずる天地の陽気は千古不変人間の心は誠が定まらぬゆえ変る変りやすきは人間の心変らぬは天の理也。

 天地間万物一切は月日二神水気温みの二つなり是れを守護下さる道具神様六柱人間は八社の神様寄って一つの体と成り給い組み立てで下さる故に神の八形と言う。

 月様は日夜万物に水を授け貸し下さる。日様は温み火を貸し下さる東より上がり給い日々に日を貸すゆえひがしという人間始め一切動物は水気温みの借り物身上は此の二つ入込み月日和合下されたる証拠の現物なり。粒毛草木食物に味わいの付くのも水気温み、飲み食いの出来るも立ち働きの出来るも食物の味わいの分るも皆水気温みの力より外にない。例えば朝起きれば洗面水使い御飯食物を拵える神様の真実が食物となって体内に入って下さるで生きて立ち働く事が出来る。或いは洗い物入浴、何を成すにも水無くては一切が出来ぬ。

 酒、醤油、酢、穀物、野菜、果物、塩、魚類など飲食に供する物は勿論衣類使用道具家屋に至る迄衣食住ことごとく水気温み作られたるもの也。此の世は月様のつきんと言う世界にて万物は何程人間が取っても減らすと尽きる事なし。あるいは海山野原の物材木土石穀物野菜魚貝金銀等あらゆる世界一切の物捕っても食べても尽きた事なし。海皮池沼堀天にも地にも如何な高山にも水が湧く。山にも谷にも里にも水の無い所はない。水中には魚貝の類藻苔皆水の守護を受けて育つ皆に人間の用に立つものばかり。田地山林畑の作物は勿論汽車汽船電車電燈がすの類。諸機械の運転を以って運搬製造等ことごとく水の働きによらざるなし、水の徳は有形無形に渡り説き尽くせず宇宙一切の元動力也。

 両眼は月日、目は月日と云う月日鏡ともいう目は辛なり一目と言う人間命の根、全てのものは目から出来る。此の二神一番の親命の親元なり、目程大切なるものはない物を見て楽しみが有る例えば山海の景色、人と交際家庭の快楽見物事芝居や活動を見て楽しむもすべて物を見分けて人間の楽しみを得る事が出来るもし目が見えざれば如何であるか。目は水晶と同じ明水。世界に取っては清水の湧き出ずる水は井戸川の水身体に潤わし下さる水は大海の水なり故に汗は塩からい如く大海も同じ。

 月様の水に日様の光が写って月日並びて明らかとなる其の明らかが心に写ってみえる見ると言う。

 智恵というもの力というものを神が貸し下さる月日陰陽和合の賜物なり。考える思う物事を覚え忘れぬ心に保つは月様の力なり。心に取れ水心情け深いと云う親心、人を養育する心正直、足納が素直と云う人情、仁心、同情という心広く情け心深く、大きい大量の心大海の如き人を育てる大徳。情けの深いものは目が利く、例えば親は我が子の事によく目が利く是れは我が子に対して情けが深い故よく見分けがつくが如し。見分けの出来ぬは情けのない小さい心の身欲から心が暗くなる。

 天理は素直と云うて人の云う事を用い早速な心が神の心に叶う。例えば道を守る人間が我の意見思惑我の我が有ると神に素直にない故神が道具に使いにくいが如く人は神なり。目上親神は神人の云う事を聞かず用いず我の勝手のみを用うる者は失敗すると同じ身の内に有るもの世界に有り世界有るものは身の内にあると仰せ下さるは身体だけに世界中の事は無いが心の理に皆有るなり。故に身の内の理と世界にあるものの委細の理を聞けば如何にも身体は神様であるという事が知れる。そこで神の特別顕現たる人体の構造を内観考察して神有る事も神の守護深き慈悲の程も了解が出来る。

 全て身体の病気は熱が出るというは水気の根が切れる月様の守護が薄くなる水を下さらぬ故に温熱が高くなりて苦しく身の自由食事も出来ず精神の働きも狂うに至る。日様が温熱を増すにあらず皆病気其の他一切水が元なり。

 月様の御心は水一番地の低い所/\と回りて万物を養い下さるは下が可愛い/\の情け也水程力の有るものはなし。千人の上に立てば心は千人の下に置くというは情け。親心故千人の人の心がよく見える目が利くゆえ頭になれる。高い心は下る心低い落ちきる心は上る道。水心人に情けをかけ人にしてやる骨折る低い心は徳の殖える心。

 人に貰いたい心高い心は干る心。徳のへる心しかして心の低いと云う理は即ち誠であるが如何なるものが真に心使いの低いと云うものであるか高いと云う理であるが人間上では中々分りにくい天理から見ねば分らん。苦労して来た人程同情心が強い。

 此の度の親様の理は親の心にならねば分らん。又徳を積み陰に徳を積み力を入れねば心に治らん又親不幸の埃あれば分りにくい。情けと云うのが月様元々の御心故男には情け心が強いどうかあの者に難儀をさせまいと始終心に思う心隔てなく人を育てる養う心。女は日様の分心故慈悲の方が強い食物を与えたり施したりする世話をする如く暖かい心親切。

 何からでも人を助ける人の為になろう引き立ててやろうと思う心あれば人の事に心が届く目が利く見分けがつく。情け心なくして我が人にして貰いたい欲しい方ゆえに欲で目が利かぬ見分けがつかん。水の世界と云う事が分らん故の事。神様の清い水入込み清き心にて御守護下さるに人間の汚きよごれたる心を以って身を使う故守護が出来るようになる。正直清浄な心さ使えば結構に通れる。心低くして人を容るると云う量なくては大海に成れぬ大海の水は何所からでも何からでも八方より流れ入りて大海となる如く心大量にして大海となれば広く濁らぬ万の物を養育するのは力大なり。人の心もまた同じ誠の徳を備うるものは人を感化する事大なり。小川は僅かな事でも濁る少しの物でも障る如く少量にして朝の心が夕に変わる如き心にては人の上に立ちて教える事は出来ぬ。

 古言に、豪傑涙に脆しと云う如く英雄豪傑は情が深い情けが深いから徳が付くのである情けが深い故、此の人の為には命をも惜しまんという様な家来が多いから大将が出ると軍が強い。情けは月様是れより尊きもの無し。

 いわゆる人は情けの下に住む又情けは人の為ならずと云う如く水の心を親心と云う水の心を情けと云う此の世の王なり長なり。水は万物の元万物の長万物は水より生じ水を以って養う水は宇宙間に満ちて切れ目なく如何なる高山、原野、山林谷底迄も循環して止まず万物を続ぎて養育するものなり。

 又方円の器は従うてよく其の効用を成す優しくして正直なる根元、其の力有る事無上なり優しくして如何なる巌でも通す力有るものなり。下に有りては海、河、池、沼、堀、井戸として人間を始め万の物を養い上に登りては雨となりて万物を養う気体となりて万体の原動力となる動物植物等に至る迄水の養わざるものなし。此の大徳が親の心情けなり誠なり。

 一例 酒は清水寒の水変わらん清浄のもの其の月様の清水で洗う故包む事が出来ぬ本性が現われる。物を洗うにも水で洗えば何物で汚れたと云う事又本性が分る如く人間も酒を呑んで気が違うと云う或いは怒り乱暴喜ぶ放蕩。或いは女色に溺れるなど皆本性が現われるなり。又酒は甲乙つきよみの尊の理となる心が立つ気が荒くなる。月様の御心は足納という誠なり。不足のなき心澄み切るという欲しいと云う。埃を去って心清浄に成るに従い情け心広く大きく成る万の徳は是れより出ずるものなり。

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面足尊(おもたりのみこと)

南火火霊主   

 日様は御心現われ下さる真実は慈悲。世界万物の親様故暖かき親心子を育てたき養いたき御心、温みを与えて万物を育て下さる養育一條の神様太陽の如く御心にて大慈悲也。慈悲と云う火にて明るき暖かき御守護気の働きは陽也気は火なり血なり心は水陰。

 身の内にては温み温熱しとおはだの御守護三千六百筋の血の働きを始め体内一切の血の働き体温を計り下さるつく息ひく息は月日の賜物也。世界も同じく温み一切火気照光一切明るき光は皆日様也。温みは水に添い千変万化霊妙不可思議の妙用ありて万物の徳を出す母日は万物の親也。

 月様水気に温み和合下さって万物各々生命を有して生成化育をなす此の陰陽の和合によりて風即ち空気生じ水火風三つにより自由用自在の御働き下さる宇宙間は此の水気温みの満ちきつたるで道と云う身の内と云う月日両神が親神故万物に入込み下さるにより道具神様の御働き出来。水霊火霊は万物の源有形無形一切に入込みあり火の徳は説き尽せず夜九ツ昼九ツ月日二九肉水気温みの固まり身体も肉が元なり。二苦月日二神御苦労の理世界では国と云う陸地身の内では肉と云う。

 情けと慈悲此の二つが真事誠さえ有れば結構に神が通させ下さる誠の無いものは通れぬ自分が苦労した人程人を育てる続ぐ慈悲心が強い。(例えば女なれば夫を大切にしよう親を大切にしようという真心は誠誠なれば天の守護厚きによりたとえ苦悶の境遇に在りても遂には勝ってくる。)誠一つより強き長きものはないと仰せ下さる。神言に何がたよりかよう考えて見よ水気温みの二つの理がたより此の水気温みから息が出る此のつく息(月)ひく息(日)が退いたら如何な強敵たりともし方はあるまいと仰せ下さる通り如何な強力智者といっても水気温みが狂うたら一寸に力は出ん智恵も力も神の貸し物、水気温みの二つさえ調子が狂わざれば此の宇宙間に病も障りも何もない。力も智恵も水気温みなり。

 水は横、火は竪、目口横、耳鼻は竪、手は横、足は竪、両肩は横一背骨   人体は十の字(皆十の世界なり)昼は立ち、夜横。 血の循環が心の作用にてある一部に滞り変色して病痛みの元となる例えば手足を使えば手足の血液がよる腹を立てれば顔が赤くなるが如く身の内血が固まる悪血が出来る気が勇めば血が勇むというて巡りがよくなる悪血は神が貸し下さるではない心にて拵える誠の無い悪心不浄なる心から出来る。例えば頭は天冬冷やか是れが不順して胴体下部の血液が逆上して頭に漲り脳痛む如し。又女は臺、臺は平ら六っくになくては出来ん。乗り物一切は女の理、汽車汽船軍艦舟車の類膳机等盤とか臺一切は日様の理にて上に乗るものが天となる。

 水や火を人間が拵える事は出来ぬ如く人間の熱心な者に神が入込み心に乗って働き下さるで天の秘密を漏らして智恵を貸して下さる故だん/\重宝なる事を発明して世の中が進歩する皆人間は天理天然のものを扱わして貰うものなり人間の智恵人間の働きが神の自由用働き也。人間は神の器神の一之道具なり手足なり神の現われなり目に見えぬ心より人間のものはなし。

 米は女、麦は男の理、鳥は日様の理、温暖になくては産まれぬ魚は月様の理、寒い時季に卵生む。皆穀物野菜を始め魚貝動植物鉱物等宇宙間一切の事物其の一物に付いて一々理の無きものはなし。元々無き世界より月日御造化せられたるものなれば皆一々訳柄あり。鳥類の本家は鶏、魚類の本家はふな、獣類の本家はいぬ、木類の本家は松、木の実の本家は椿、是れより上等と下等と有り。女に龍宮あり世界にも龍宮あり山は男、海は女川は続ぎ。

 天と地、月日陰陽を象りて夫婦を拵え給う之れ人間万物の根本にして男性は水、女性は火、水は下に向かい火は上に向かう天より降るものは地は受けねばならぬ如く火は水に勝つ事出来ぬ、家屋に取れば天井は月様の理にて主人、下の座敷は日様の理にて妻、周囲の物は家内子供の理、床の掛物は主人、額は妻の理、布団でも上に着るは天敷き布団は地皆人間は天地の内に寝る、ねいる、根に入る寝床という国床という。

 障子はかしこね様の理昼戸はたいしょくてん様の理故夜は此の神が守って下さるから埃さえなくば賊も這入れぬ。

 前項に月様の水の御働きを述べたる如く水気には必ず火気が添うて水の働き故水火同体故火に関する事記述を略す。

 又火気も日の気も同一おもたるの尊様の気なり水気に火気が添い給うて空気有り風を生ず。此の火気は天地に満ちいわゆる気体にして体なく手にて握る事も出来ぬものなれど其の働き偉大なり。水の体は火の気が添って現われ火の体は水の気合して現われる陰陽夫婦電気と云うも同じ此の水霊火霊にて万物を現わし之れによりて万物生育をなし又身命を保つ殊に火の霊は物の養育の大徳有りて暖かみにて万粒気草木を地上に出す。

 衣食住ことごとく火生風の賜物也、火無くしては世界は片時も立ち行かぬ日光及び温熱が無くては世は暗黒寒冷にて生物の生命有らざるなり故に万の物体は腐敗すれば水土に帰り又は火にかければ火と成って無形に帰る恰も木草、薪、石炭、石油等が火となりて人間が使用すると同じ。

 例えば昼は御光りを受けて目が見え立ち働く事が出来、夜となれが火を点じ電灯、がす、らんぷなど皆日様の働きを以って夜を照らす飲食物の拵え製造し日夜生活に関する百般の用途ことごとく火の力を受けざるものなく殊に寒冷の時季には火を以って暖めざれば一日も暮らせぬが如し。水の徳水の働きと火の徳火の働きと同じく皆此の世の万物は水と火に懸ければ種々と変化を成すもの也。有形物も無形になる無形の物も有形と現れる曲りたものも直となる如く。金属の如き堅き物も火に掛れば柔らかと成り溶解する故百般の用途を自由に満たす事を得る或いは汽車汽船軍艦鉄橋建築等。機械器具より日常使用する物品は皆火の力を以って之れを製造せざるものは殆ど稀なりもとより之れを使用する人間が温き水気の借り物なり。

 日様に御心人間に取っては慈悲深いと云う親切親に切なる心育てる心恵むという我が身を忘れての親心、慈悲という子を愛するという心大慈大悲と言う如く皆月日親様の心を云うなり。

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国狭土尊(にくさづちのみこと)

(連続一切人間万物を続ぎ下さる神)

接 続 主

 此の神様は人間始め万物を続ぎたき一條の御心にて縁を続ぎ金銭にて世界続ぎ又一の道具にて此の世を続ぎ下さる続ぐ/\と云う御心なり。元々泥海中無き人間無世界の創めに此の神様に依って人間身体続ぎ一切世界も同一続ぎ一切の理が創まりたる故有形無形の一切続ぎ事は此の神様の理にて万物を見分けせざるべからず。

 身の内は表面皮の破れぬ様総身を包み身体全部内面は骨筋肉道具節々等一切の続ぎ合わせの切れぬ様破れぬ様の御守護、又万柔らかき物及び柔らかいと云う理は皆此の神様の理にて始まる。

 世界にては一代此の世の縁を続(いで下さる、此の神様の理が無ければ)世界中の物は皆バラ/\である。一ツ二ツと物が一緒になる事なし人間も交際も交合も親子主従夫婦兄弟の縁、愛情で続がらぬものは一列世界は金銭にて続がる又人間も一人や二人だけでも立てぬ故、例えば学者だけでも百姓だけでも立たぬ商人だけでも立たぬ如く皆相寄り続がりて此の世が立つ一ツの家屋でも木も石も金も土も入る如く皆物質の異なるもの及び物体と物体とが連続して一ツの家をなす柱は立つ横に渡る桁とか梁とかは皆続ぎの理。竿でも横に渡した時は続ぎの理になる。或いは糸とか釘針金とか帯縄とか続ぐ結ぶものは皆此の神様の理。又人の世話やき媒介周旋とか皆続ぎの役で此の神様の代理を勤める理で有る御道なれば匂い掛けするも御助けも人に教えるも皆続ぎ言葉は続ぎの理。此の世は万事万物続がって保たれ完全となり円満に成立をなす。身体でも痛むと云うは続ぎ下さって居る体内の骨とか筋とか内部の続ぎが切れるから痛い不足腹立ちで続ぐべき所を人と続ぎを切った埃。

 又此の神様は世界にては掃除役の神様とも云う。掃除役と云うは全て物事は続がるから綺麗になる美しい人間も心の掃除すれば神に続がる。人に続がる人気のよい人が寄ると云う人の好くと云う心美しい綺麗なから人が続がる人間の好く者は神も好くとも仰せられる如く一切万物は此の神様の徳にて続ぎ下さる故美しい人間も美人と云うても皮を剥いたら如何であるか。見えた所の表の美しい綺麗なるは皆此の神様の御徳なり。表の神様也柔らかな優しい麗しい御心の神様故に女に其の徳がなくてはならぬ。見にくい者には人がすかぬ続がらぬも同じ。又産の時は跡をきれいに元の如くに続ぎ下さるもし続いでくださらぬねば死なねばならん。容貌の美人なるは前世に此の神様の理に叶い心美しきれいな故人を続ぎ人に好かれいやがられる道が通ってない理。(例えば恨み深くいやらしき欲深くきたない心)(此の神様の理は愛情、愛嬌、親しむ睦まじい心)

 宇宙間の万物皮続ぎ表面の美しきはことごとく此の神様の理なり。例えば人間は皮続ぎ衣装他の動物も各々美しく作られて有る。獣類鳥類昆虫魚貝類に至る迄皆綺麗に出来て居る。草木粒毛皮続ぎ破れぬ所此の神様が続ぎの守護に依って生命を保ち生育をなす。中の骨草木なれば辛はつきよみ様夫婦の理。

 建築物でも同じ家屋の表面を壁とか板とか屋根を塞ぎて綺麗に見える皆同じ続ぎの神の理器具衣類何物に限らず同じ理なり。人間の身体を包む衣服は此の神様一の骨を折り人間に入込み教え給う。昔の機の元祖と伝えらるゝ中将姫は此の神様の御化身なり。くにさつちの尊つきよみの尊二神が月日の一の道具神様故、
 此の世界の道具は金と木が一道具なり。建物使い道具皆汽車汽船軍艦橋梁農商工業ことごとく世に使うもの皆金と木が一番の道具となる。木も金木とて三期葉有るものは此の神様の理で人体ではひげ脇下の毛の理。常盤木は四季葉有りつきよみの尊の理人体では髪毛又大工はつきよみの尊の理。月様の水を臺として鍛冶屋はくにさつちの尊の理。日様の火が臺。

 金類は金銀銅鉄種々あれども此の神の理。但し鋼の切れぬ所はたいしょくてんの尊の理で切れる。道路、河川、橋、電信電話線等舟でも皆続ぎの理。家屋でも皆立つと続ぎて組合す廊下とか回り縁とか桟橋の如き全て渡る所皆同じ。

 魚類にては蛸、烏賊、するめ又貝類一切は女一道具と同じ理で出来で居る。するめはくにさつち様、酒はつきよみ様夫婦の理故婚礼に柳樽と寿留女を使う。

 にんげんは天の続ぎが切れたら死ぬ金銭食物の続ぎが切れれば貧困に陥る穀物に縁を切られたら畜生に落ちる如し。

 又ほうき星は人間の掃除に現わすと教祖は仰せられた。続ぎが切れるから現れる恐ろしい出たかほうき星天下の騒ぎと云う様な古言が有るが間違った悪徒は天より掃除をせられる意味に悟るべきである。

 又人を続ぐ心は誠此の神様の心也互いに続ぎ合う事。親しむ助け合う心。人を続ぎたいと云う心。又硬きものでは物が続げぬ如く柔らかく優しい心で続げる又柔らかき物に味わい有り。

 此の世は皆続ぎ合いにて立ち行く八社の神様が一つの心に続がり下さって此の世の万の物は日々続がって行く。例えて申さば人間身の内でも目もある耳もある手も足もあり之れが一つに続がって一身の自由用幸福が有り有形の肉体に無形の神魂が宿って其の連絡、心と身と離れぬ如く指でも両手十本が合うて一つの仕事でも出来る如くもしそれがバラ/\で有っては身体とは云えぬ思い/\で手は足を助けず足は手の為に働かぬ時は一身の幸福が得られぬ如く肉体は小宇宙世界は大宇宙で神の一体人間が数有って社会人間も一人では何の楽しみも仕合せもない。多人数が続がって楽しみ有りそこに陽気が生ずる日々が幸福に暮らせる。人は互いに続ぎ合うと云う理が小にして、身内の保てる神様の真実の理と同じ。大にして是れを押し広げて行けば社会の全体の繁栄を保ち、陽気に暮らすと同じ理となる。

 人間は心の小さいもの故只我が身だけ我が内だけ勝手がよければ人は苦しむとも人の立たんのもかまわんという欲が深くして人を続がぬ続ぐべき所を切る甚だしきは人を倒して我が幸福を得ようとする心にて人と戦い恨み合いの埃が生ずる。其の続ぎ合い助け合い立て合いという神の御心宇宙の真理を破り反する故神に切れ身の内では皮が腐るとか皮に関する病は勿論又身の内の続ぎが切れて痛みとなり我が身が倒れるる天の続ぎが切れたれば此の世に居れぬ。又金銭は人間を続ぎ下さる世界の三の宝が金銭会計の不自由。縁談一條に関する不自由も同じ皆神も人も同じ続ぎが切れるなり。我が身も十柱の神人の身も十柱の神同じ借り物。人を続ぐは神を続ぐも同一互いに助け合う理は我が身を続ぐ幸福を得る道なり。人を切り人を苦しめて我が幸福を求めようとする心は我の身体我の幸福を破るのも同じ理になる。神に切れると同一の理なり。

神言 又一ツ一名一人の心に誠一ツの理が有ればうち/\十分六つまじいという一ツの理が治まるという。それ世界成る程という成る程の者成る程の人と云うは常に誠一ツの理で自由用と云うよく聞き取れ又一ツこれ迄運ぶと云い尽くすと云う。運ぶ尽くす中に互い助け合うと云う。互い助け合いと云うは是れは諭す理。人を助ける心は真の誠一ツの理で助ける理が助かるというよく聞き取れ。
と仰せ下さる人を助けると云う理に依って我が身が助かる。人を続ぐ心が我が身を続ぐ心人を続ぐ心は誠無くては出ぬ人を大切にする心が我が身を大切にする心也。

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月読尊(つきよみのみこと)

(人間万物を立て下さる神立つ事一切)

突張主

 此の神様は世界人間に万立ててやりたき御心にて身の立つ、会計の立つ日々無事に立つ相続続ぎの立つ所皆其の心を立てたき御神心にて万事法を立てて下さる神様也。

 (元々泥海中無き人間無き世界の時月日両神より八社の道具雛形の神様を寄せて人間を創め世界を創造せられたるものなれば身体の勢い有りて立つ事は一切世界も同一立つ事一切は此の神様に依って創まり造られたるもの故立つ事一切切る事一切吹き分け一切出入り一切と云えば人間世界万物皆同一形有る物は勿論無形の精神上の立つ事一切。此の神様なれば八方の神様皆同じく神有りて出来たる万物及び其の心魂なればなり)身の内にては大骨十二本小骨三百六十本の骨折れぬ様御守り下され突っ張る力、倒れぬ力、立つ事の自由用。

 世界にては一日立つ一年立つ一代立ったと万読み給う戌亥納めの神様。草木粒毛一切辛となり突っ張りとなり立つもの建築物一切。立って倒れぬ御守護。堅き物及び堅いと云う理は皆此の神様又万括り締りは此の神様なり。万万物突っ張る時の力は此の神様の力にて又中心と云い真っ直ぐなる倒れぬ神様なり。此の神様の理が無ければ世界中の物事は皆グジャ/\であるしゃんとしたものは一つも無い事になる。即ち人間動物骨無しでは立つ事も歩む事も出来ない。草木でも風が吹いても容易に倒れぬから花実を結ぶ。家屋建物等沢山の重荷が乗るとも挫けぬ。倒れぬ其の他立つ物一切此の神様の理で立って倒れぬのである。人間の心にも此の神様の理が無くては何事も思惑通り成立せざるなり。

 例えば人が笑うから人がどう云うからと云って、心のグラ/\と変る様な軟弱な定まらぬ心では此の世の中の役に立たぬと同じたとえ人は如何であろうとも我が心に定めた真実誠は一筋たて抜く立て通すという狂わん迷わん変わらん立ちきった心のないようなものは何事も成立成功するものではない役に立たぬ。又此の神様御心は辛を立てると云う君は君に立てる親は親に立てる。上は上に下は下に恩は忘れぬという皆天の理を立てる筋道を立てる。此の理がなくば社会メチャ/\にて立たぬ。

 例えば百戸ある内に七十戸迄は貧乏で三十戸は有福に立って居るとすれば此の七十戸は天の理を立てなんだ故に立たぬなり。親を親に上を上に天の恩人の恩を重ね全て道を立てぬから立たぬ立てるも続ぐも同じ理。人を立てるから続がる続ぐから立つ一本の木でも辛が立たねば成木せぬ辛は中に在りて皮が続がる辛を立てるから立つ。又木の類は皆此の神様の理なり。木の実結ぶ実乗り一切は此の神様の理。実のなるというも事の成る成就というも同じ理。但し木より取ってしもうたらかしこね様の理となる。成功立身者の出来たのは立ったのや先生に成ろうとして成ったら立ったのや。人を立てるというは人に満足を与えるも同じ、人の心の思惑を達せしむる事。例えば食べたい者には食を与え聞きたい者には聞かす心なり。人の心の思いを立てて行く(例えば人間が神様の指図を用い神を立てぬゆえ神は水くさい神を立てるから我が身が立つ神に続がる故人が継がる也)

 又我さえと云う心は水くさい心、人を立てぬ人を満足ささぬは水くさい。人を続がぬも同じ事。人を敬うという人を大切にするという立てる理。神の仰せを行う守って行くは神を立てる事人の云う事用いるも同一神の仰せ上の仰せを承りて立てるという。身体、目、耳鼻、口、手足、胴体、指一切の働き皆目だけも耳だけで指が一本だけでも立たぬ皆助け合いで立つ如く人間世界は皆助け合い立て合いなり宇宙間の万物一切は皆互い助け合い立て合いで此の世が立ち行く也。何かよろずの助け合い胸の内より思案せよと仰せの通りなり。

 此の神様は腹立ちは御嫌いなれど踏ん張るという立つというのが御心なり力の神秋の神。人間も心張りのなきものは、身体も強う成れぬが如く例えば着物でも糊を付けシャンとしたら強い如く心立つ誠を立て抜く挫けぬ踏ん張るという心。人の為に我が身を捨てても片肌ぬいでも助けよう男立てというが如く其の真実誠の強き心が此の神の御心に叶う。人間の埃は誠を立てず人は倒しても社会を害しても我さえ立てばと云う悪に強いから反対となる。人を踏み倒し圧倒して自分のみを立てようとするは神の世界神の身体を倒すも同一なる故必ず我が身が倒れる立たぬのである。

 又物事を成就さすには艱難苦労又我が心の埃を切り抜き全てたゆまず屈せぬ其の強き熱心を立て貫く心なくては例えば七八分迄仕上げて一二分の所で挫けるが如く全て事に接して変わる挫ける心が此の神様の徳を失いたる前世よりの性質から苦労の極点に達したる時心を倒れては花も咲かぬ実も乗らぬが如く、全て仕上げる心なくば心に骨の無きが如し。

 又理を立て誠を立てる故此の神様の入込み守護にて立つなり。
 例えば親は根なり親は幹なり親と云う字は立ち木を見ると書くが如く親有りて子が有り神様の御言葉に「親となり子となるは因縁事情から成ったもの、其の親に孝行をせず親と云う理を忘れ親に不行すればこんどの世は何になるとも分りがたない此の理話に伝えて置こう」と仰る通り皆前世の因縁にて親子兄弟主従君臣の定まりは天命天の定まりなればなり。

 国に取っては両陛下が一国の親様即ち神様の御名代なり。下が立ち行くよう天下が泰平に治まるよう御苦労下さる其の親様に忠義を尽くして立ててこそ国が立つ治まる神を立てると同一也。

 一家に取っても如何程我が身が発明で出世するともたとえ親が愚痴であっても親有りて我が身の今日有るものなれば親と云う恩を忘れ親という理を立てて行く心がなくば我が身の理が立たぬは天の理なり。例えて申さば如何に高慢なる下駄でも頭に被るべきにあらず足に履くもの僅か廉価の帽子でも足に履くものに非ずして頭にかぶる如し。

 天の理を立て人を立て誠を立てて行けばつきよみの尊は破軍星と云うて向かって来る悪がことごとく負けてしまうなれど此の神様の理を立てぬから立つものが立たん。

 人体では骨が枯れたり腐ったり全て突っ張れぬという身が立ち行かんのである。暮らしが立たぬ思いが立たぬ物事成功出来ぬは皆此の神の得を失うたものである。之れに反して此の神様の心に叶うたる人を立てるというは情け誠なり依って何事も成就する。

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雲読尊(くもよみのみこと)

(人間万物養い下さる神飲み食い一切)

雨水昇降主

 此の神様は人間万物に飲ませたい食わせたい御心にて身を養い下さる人間可愛い飲ませ食わせ下さる神様なり。しかして有形無形心の養いは無形のものを食わして養育理を食うて成長し太くなる。分け隔て無き可愛い御心。人間で云えば此の人に好き此の人に嫌いという隔てのなき人を可愛がる心也。世界全体水の降り昇り飲み食い一切の自由用は此の神様の理なれば見分けすべし。身の内にては食物の味を八万四千の毛穴より天に昇る其の味を受け取り下さって草木粒毛一切に味を授け給う実乗り一切宇宙間に生命を保つもの一切に飲み食いをさし養いを付け下さる。又人間二便通じ分けに付いては大用十六小用十三回り御働きなり。一家にては食物拵え等内で働く又小児の二便の世話をする婦人は此の神様と同一の理にて家の内にて使用する道具は此の神様の理也。或いは膳椀櫃鍋釜女道具等皆同じ。

 世界にては草木に水の昇る養いを付け下さる。例えば物を洗いたる悪水は地に入り肥となり良水気は御預かり下さって雨と降らし給う如し。雨はあはくにさつちの尊めは命人間の命を続ぐために草木を養う。食物雨露水気の昇降は此の神様此の神様が無くては万物は身を養う食う事が出来ぬ。又食べたものの粕は下げ養いは入れ草木でも根から養水を吸い上げて葉まで昇る如く体内に水気養分が入り又出でするのが此の神様の通力働きなり。草木も夜は露潤いで養い人間も食物が進まず咽を越さねば何程に思っても此の神様入込まなければ食べられぬ。食物の道が止まり飲み込めぬ時は身を養う事が出来ぬ。又飲み食いの粕を出す道が止まれば身が持てぬ。

 又子供生れ落ちるや誰教えねど乳を吸う力乳の如き慈悲なるものの出るも皆神が人間可愛い々々の真実の甘露である。又例えば子供が腹を減らして帰って来る親は其の時刻を計って食べ物を拵えている如きなもので、それが親の役親の慈悲。子供は腹がへるまでは分らんようなもの。人間が何程可愛い我が子が渇えて苦しんでも乳が出ぬか又食べさす物がなき時は仕方がない、食物がもし世界に出来ぬ時は一日も生き物は生まれぬ。

 又物を干すにも水気蒸発して上るから乾く水気地が骨の中まで潤し、体内器械部を養う此の巡る液が或る一部に滞りて変色し粕や不用物の出るべき物が出ず悪水が溜まるで患い痛みの元因となる。水は月様なるが此の水の働き或いは雨となり露となり昇り降りするは或いは使用する器に入れる汲み上げたなら此の神様の理となる。或いは気体と成って蒸発し流動体と成って巡り固結の状体と成り其の妙用無量也。人体始めとし一切の動物食物水気昇降して身を養うものなり。

 人に飲ませたい食わせたいという恵みの心慈悲此の心の無き人間は人に味わいが無い。御道に取れば教理を施すも食べさす理。無形の物を食べさすから心に満足を与える人の心を養う育てる。此の可愛いと云う心は人間に最も麗しき心で諸徳の本であるが可愛い埃と云うは我が身身欲から隔て有りて間違いとなりいわゆる邪愛とか偏愛とか云う如く皆埃が有る故変る。罪埃が出来る埃のはなれた誠の可愛いは変らんあたかも親が子の可愛い心は変らん如く真の親心、誠の可愛い心は神の御心と一つなり。わが身勝手身引きより起る可愛いは欲なり故に憎みと変ずる。

 月様の水を昇り降り出入りをする水の働き一切人間始め動物が使わして貰う。日々水を使用するはくもよみの尊の理で自由自在に使わして貰えるものなり。水は上に昇りては或いは雲となり霞霧もやとなり雨露となり雪氷霜雹となりて妙用を成し下に在りては泉水河水井水谷川溜め池堀等を使用する。或いは食物の煮炊き湯茶入浴洗濯物等を干せば水気が乾きて昇る。降った水が何時迄も乾かぬ時は困難なるが早速蒸発して昇る故地上も乾く如く或いは溝畔、水管、水車、水道、等設けて自由自在に水を使用する事の出来るはことごとく此の神様の守護に依りて叶うものなり。

 もし是れが人間の自由になるものとせば天候不順で日照り打ち続き或いは長雨降り続き等にて飢饉となり日照りのために水不自由或いは俄かに地中より水湧き出て降雨と共に大洪水等にて困難する必要なき筈のものとなる訳なり。それが皆人間の左右に出来ぬものなれば全く此の世は人間の自由に非ずして神の支配なり。身の内に在っては飲み食いの出来ぬ股二便通じに関する器官の腐敗障りは勿論身の養い心の養いに不自由となる糧食の不自由作物不作等は一切此の神様の御意見。又人が可愛いと云う食わせたい飲ませたいと云う心は誠にて親の心慈悲なり。

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惶根尊(かしこねのみこと)

(風一切物を云はせて下さる神)

風吹分主

 此の神様は人間に息吹き分け物を云わせて陽気の話し面白く喜ばせたい楽しませたいに御心にて満足を与え下さる神様なり。(息と風に関する事は宇宙間の万物一切此の神様の理なれば見分けせざるべからず。)

 目耳鼻口の四より入り喉を通り肺より口に通じ口舌にて呼吸を働かしあやちの吹き分けする其の工面をするは九曜星。故に何事を聞いても喜ぶは此の神様の心なり言葉の自由耳に聞けるは風の働きなり。此の神様の働き有りて世界に空気の流通風が起り肉体に於いては言葉物が云える聞ける。又鳴り物が出来、皆陽気に暮らさす為なり。空気の働きが弧の神風。水と火陰陽の気也三宝大荒神音声は月日の御恩、風は天地親様の息、風がなくては万物一日も生きて働く事が出来ぬ。人間創め動物一切の息をする草木に至る迄呼吸をなし空気の流通即ち風によって万物生育繁茂し草木の花咲き実乗るも露潤いの降るも水気蒸発して乾く雨となり降るも皆此の陰陽の気。風にて道具神様が御働き下さる。人間も物を云う事も聞く事も出来ざれば人は万物の霊長と云う其の働きが出来ん。何の陽気も楽しみもない。

 空気も息も同じ息をして居るだけでは分らん風が吹かねば分らん人間も物を云わねば分らん。心の真実が分からん風が無くては月日陰陽の真実が働かす事が出来ん故神の真が現れぬ分らん(世界に)空気が有るだけで流通する風がなければ空気窒息死する。水中に棲息する魚でも空気が通わねば死す。例えば夏日暑さ激しくして風なき時は苦しい如く全く風なき時は生きる事が出来ない。空気が自由用に変わって流通下さるで清き新しき空気を吸いて動植物の身が養え精神爽快に陽気を生ず。宇宙の陽気も人体小宇宙の陽気も同じ風によって養い汽車汽船軍艦とか諸器械の運転ことごとく水火より生ず風即ち蒸気の力なり。飛行機等虫鳥類も同じく風の力で飛行する何千石の積荷をする帆前船も風の力で運搬す。電信電話を以って何百里隔たり居て話が出来或いは無線電話とか皆風の働きなり。耳の聞こゆるのも、風のため入れば納まる言葉で助けると云う助けるというも治めるというも同一の理なり。云うも神聞くも神云う其の時の心が神の守護耳に入るのも神聞いた神の真実の理が心に治まったら神が心に宿って下されたものである。

 例えば神様の理を教え仕込むのも神がさして御座るのである人間で出来るものではない。尋ねるのも神聞かすのも神、病人でも皆神の守護で懺悔が聞ける云わにゃ分らんで神が聞かせ給うなり。

 声の優れてよき人は前世より余程天の理に叶うた心が使うてあるなり。心にきれいな所が有るなり。かしこね様の理に1ツも不足なきものなりし因縁言葉の優劣も此の神様。(美声の徳弁舌話子の達者上手。)又木の実は実と云うて果物は此の神様の理、其の他実を結ぶと云う理は同じ風の働きなり。勿論未申酉戌亥子此の北西は男神陰にて水の気風も寒冷。丑寅卯辰巳午此の東南は女神。陽故火の気風も温暖春夏に生育する粒気草木は女の理。昼陽秋冬に生育するものは男の理にて陰夜の理。陰陽の風交じりて粒気草木育ち実を結ぶ春夏に生長するものは秋の気。秋風及び北西の風にて実乗り秋冬に生育するものは春の気春風東南の暖風によりて実入る如く皆陰陽男女の理なり。

 かしこねの尊は六物六臺六くは即ち誠である真実なり。月日陰陽和合の気なり風なり言葉なり六臺始まり六く睦まじき風六臺とは木火土金水風火と水が合うて風が出る息は風なり火水風よりほかに神はないと仰せ下さる。水気温み風三つにて宇宙の万物は自由用自在の働きが叶うゆえ三つの宝大の荒神也。人間始め一切の動物も息が通って五体が生きる息が切れたら死す即ち神が退くゆえ心魂がぬけてしもう。三つにて三千大世界という人間の心魂をみたまと云う。鳴り物一切は此の神様の理にて出来たるなり人間陽気に勇む道具楽しむ喜ぶために月日両神より此の神様を道具として心和らぎ天地の陽気に合うよう御守護下さる
 音声一切音のするもの皆此の神様の理。

 月日には人間創めかけたのは陽気ゆうさん見たいゆえから世界には此の真実を知らんから皆どこ迄もいずむばかりや。又いつ迄信神したとても陽気ずくめであるほどにと仰せある之れは世界が澄み切ってからの事ようき遊びようき勤めをする事なり。陽気遊散を見ようとて人間を拵え下された神様の御心神楽勤め鳴り物入れて勇む、元々の十柱の神様の御姿を形取りつとめる。鳴り物を入れて御勤めするは八方の神様に人間の心の調子を合わして通るなら心きれいに悪気の欲が切れるから勇む理。

 神は人間の心を楽しみ給う。人間勇めば神勇む心一つより神様に勤めるものはない。一切のもの身体は神のもの人間は神様の一の宝一の道具也。水気と温みが和合して風が起る智恵も同じ。智恵は夏の理、誠は冬の理、誠が表に現れて智恵裏表。前世に誠が強かりし今世に智恵が有る理なれどもし誠が無くして智を働く場合には大なる悪事となる。

 誠が有って智恵を働かす人は総理大臣にでも成る如く智恵の使い方、誠を失いたれば悪風となりて人を害し社会の平和を乱し遂には我が身を滅ぼす言葉息に関する器官聞分けに関する器官の病一切の障り皆此の神様御意見なり。人間は思う心と行いと同じではなくてはならぬ。云う事と行う事が合わぬ様では何にもならん。人に云う事は必ず行う自分の行わぬ事は人にも教えぬ云わぬ人に云う程の事は己が行う守らん事は人にも云わん言う事と心の行いと同じでなくては天理には一切外れる也。人を喜ばしむる人に満足を与えるというは人を助ける心にして人を治むる心なり。六くは誠にして陽気に勇むは神の御心に叶うものなり。

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大食天尊(たいしょくてんのみこと)

(見分け聞分け 切る事一切、思い切り善悪の切り分けさして下さる神)

切断主

 此の神様は人間に付き見分けさせたい聞分けさせたい又悪因縁を切らして善き因縁に続ぎたい思い切らしたい御心なり。日々切る事一切の守護下さる神様なり切る事分ける事は万物一切此の神様の理故見分けする事身の内にては産まれ出る時親子肉縁を切り分け下さる日々にては朝人間目の明ける前目切りの守護かぎ分ける噛み分ける見分け聞分け善悪の仕分けを下さる分けると云うは皆此の神様の御働きなり心定める心のきまり、物の区域、心の捌け、心の発散、思い切り、諦めスッパリとした心、判定する智の働き決断力歯で切る爪で切る。

 腹袋の消化仕分けの御守護。此の神様の理が無ければ世界中の物は切り分ける事が出来ない。一つにひっついて居ては使う事も出来ない。例えば山よりは物を採って使い海よりは魚介類原野からは物を取って食う衣食住皆其の位置から切り離して身に付ける如し。  世界にては刃物一切切る事の御守護下さる又善悪の決断粒毛草木種物一切芽切り一年にては節分にて節分は一年の節中の初まり悪事の芽切りたる時は心の火で煎るすれば鬼は外、福は内という人間朝目切り粒気草木芽切り是れ初めなり。日様が温みを入れて下さって此の神芽切り下さる。

 金物はくにさつちの尊なれども刃物に成ったらたいしょくてんの尊で切れる身の内も世界万事万物切れては続がり/\続がったものが切れ/\して日日が立って居るなり。例えば口でもつむぐは続ぐ開くは切る皆同じ。万物事成す間は続ぎの理。一切りすれば切る理。心の切り目例えば此の事からあの事に移る。心の働き決断力物のよく分る智恵の働き万物体も精神も切り目ありて続がり続ぎあって切り目有り目でもあけたら切る入れ物でも蓋をあけたら切る今此の所から立つのも切る言葉でも表はかしこね様なれどたいしょくてん様御添い下さって切り下さらねば物が云えん又物の切り分けのよくつく者を賢いと云う智恵は表裏は切り分け。

 皆裏表は一体の理故此の理を腹に入れて置かねば悟り諭しは出来ん。欲しいから惜しい腹立ちから恨み可愛いから高慢欲から憎み。 此の神様の理がなくては続く事が出来ん。例えば一つの家を作るにも材木材料を切って引き出し或いは気や鉄や竹とか石とか土とか一旦切り分けて使うてそれを続ぎ合わせて1つの家が建つ如く全ての道具でも同じ事一旦切らねば続ぎ合わせて1つの物にする事が出来ん万事万物一切同じ事也衣食住使用する物食物料理衣類薪炭皆同じ事人間も胎内より切って下さらねば引き出し下さる事が出来ぬ切って下さるから生まれて出るそれで続がる家も立つ万物一切同じ事草木でも芽切り下されて生え出る切る事が此の世の働きの初めなり。

 人間も思い切らなば人を立てる事出来ぬ。我が身欲をはなれねば人を助けるとか社会の為に働けざる如し。悪しき心の埃を思い切りて忘れてしもう切る故神の心に続がる善に続がる。人間の心にも宇宙万物も切り分ける事が出来ざれば此の世が立たぬ何事も出来ぬ。又全ての縁切りの守護故心が合わぬから切って下さる。其の他手や足を切る切り傷等も此の神様の御意見。元々無き人間無き世界の創めより月日両神の御心によりて此の神様切る事一切の道具として入込み人間造化成し下さるに依りて人間にも切り分けるという力が有る也故に見分け聞分け智恵の働き心の定め区域いわゆる決断力の欠乏するは此の神様の入込み徳を失うたもの也。全て八社の神様の御守護皆此の通り也。

 又死ぬる時の縁切り冥途行きと云うて目が第一番に胸に帰るから見えぬようになる。次は鼻で考える思う事が出来ぬようになる。次は口が云えんようになる次に耳が聞こえぬようになる。そこで死んだ/\と云う内にたいしょくてんの尊が息を切りなさる。寝て居る時は三つ一つの違いなり。人間日々に死んで生まれると同じ雛形なり。又昔から二月、十月、各八日山の神様と云って祭るはたいしょくてんの尊切れ物八つの山道具を祭るなり。刃物は皆此の神の御心の現われにて切るなり。

 牛も未も八の字の角ある夜八つは鎗昼八つは飯を入れるオハチかしこね様牛は突く事に強い又引く力の強いはおおとのべ様。馬は乗せる事に強いはつきよみ様の力。牛馬は人間五体だけの理首より下の理が働かん故に見分け聞分け考え物云う事出来ざるときは牛馬と同じ理。

竹に虎を書く理は竹はくにさつち、虎はたいしょくてん、毎日世界の万事万物は切れては続がり切れては続がりして日々が立つ。又牡丹に唐獅子は月日暖かみ水気の理。松は男の理。つきよみ、竹は女くにさつち様梅は両方和合、夫婦にて子の授かる理。

 又此の神様は思い切りのよきスッパリとしたきれいな定まった心を好み給うきれいな心とは心捌けて掃除が出来た事、人の助かると云うは病根を明らかにする見分けが付くからでそれは自分の心の掃除が出来たら皆明らかに写る見分けがつく。濁り水の中に物を入れて置く如く探らねば分らん。心澄ましたらそれが明らかに分る。自分の心を掃除せねば其の諭しが出来ぬ。

又何程聞いても分らん。心に治まらん。又世界中の事が天理故如何なる事も皆分り知るが天理。又神の道具。世の中には犬の椀か猫の椀見た様なきたない欲の深い心を持って通って居る者がある。そんな小さいきたない心で天理は分らん人の性質心の内の垢が見える筈がない故人が助かりそうな筈はない。天理の道具月日の取次ぎと云う事は出来ない筈。例えば鯛の浜焼きでも猫や、犬の椀に入れては食べる事が出来ぬ如く心の掃除せねば金の玉を綾錦に包んだ様な明らかな御教祖の尊い話、陽気に勇む結構な天理の話が保たぬ。

 心が小そうては役に立たぬ間に合わぬ人の為国の為になる様な者でなくては人間は何にもならんがそれは心を磨きて心を届かせねばならん。たとえ塵芥に至る迄ことごとく天理の世界のものなれば是れは是れだけ是れの理と皆々見分けて学んでよく気をつけて心広く届いた心で理を考える如き心にならねば見分けが出来ん。我の勝手な事ばかり考え我が田に水を引く様な事ばかり考えて居ては天理は分らん。

 心の届いた目先の利く目先の早い者は同じ物を食べ同じ体を使うても価値が違うと同じ。又心の思い切りの悪しき心定まらぬ者は身上が事情に迫ってにっちもさっちも進退決まらねば心の定まらん其の時になったら定まる人が沢山有り。御教祖は心の定まらん者。聞いて心に定めの付かん者は幽霊やそんな者に元気を入れて聞かせるには及ばんぜと仰せられた。到底天理の道具には成れんと仰せられた。

 我が心が我れの自由に行かんと云う様な心は間違う心は我れの自由である。我れが自由にせずして誰が自由にする、如何なる事も我れの自由なれば心を定めねばならぬ。

 吾の心我れの自由それを因縁であるから生れ付きだからと云うてしまえばそれだけのものどうでもこうでも我れの心は我れの自由人様が助かる事は吾も助かる因縁々々と思うて心にて拵えて深入りをして負けて居る故何時迄も切れぬ。因縁だ自由に成らんと云う様なたよりない心なれば天理の話を聞くに及ばぬ事になる。心の定まらぬ者は天理の話を聞いても真の意味が分らん。ゴチャ/\に成ってしまうて心に納まらぬ。

 神様は知らぬ者は仕方がない故後回し知った者からしか掃除なされぬ。知って行わぬ者は神の顔汚しと仰せられたのは世界に悪しき雛形を出すからなり。又前世因縁が心替えさす因縁から心定まらん迷うもの故其の因縁を切る道を踏まねばならぬ。

 又心を定めると云う事は物事を思い切って足納をしてしまう事で有る。例えばあの人は思い切り思い諦めのよい人やなあと云うが如くこんなつまらん事を思って居っては神様に済まん身の為に成らぬと思ったなら直ぐに思い切って足納して心定めてしまうそれが心の定まったので有る。悪いと思いながらグチ/\して万事に定めのきちっとした事に無いのが心定まらんと云う。家を建てても楔を打ったら止まる。動いてはならん戸でもきちっと立てて詰めたらもうあかんと同じ事心一決して定めたら変らん迷わん動かん是れが此の神様の御心にて真実御働き下さる故人間も思い切りのよき心を御喜び下さるなり。

 又一例を引けば酒を飲んでも是れでよいと云うたらそれきりそれでしまい。たとえ如何程が勧めても飲むは飲むけれどよいと云うたらそれでしまい。珍しい変った物ならばもう一杯食べて見ようかと云う様な卑しいきたない心は定まったとは云えぬ如し。全て何事に限らず心の定まり綺麗にして今と云ったら今、今日と云うたら今日其の万事に心がきちっと定まらん様では見分けが付いて人の胸の内を見抜くとか見ず知らずの人の何年前に何の間違いと云う様な全て鮮やかな事が見えん。たいしょくてんの尊は見分けの神様身の内世界御守護の御心を知る事是れ見分けの奥意を悟る所。皆神の心に叶う故実が利く也。欲を切って心澄ますというは誠月日の心天地明らかにして万物鮮やかに目に写る如く心の曇りを去れば明鏡に物の写ると同じことなり。

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大戸邊尊(おおとのべのみこと)

(導きの神引出し引伸ばし一切進退伸び縮みをさして下さる神)

引導主

 此の神様は人間に万事引き与えたきが一條の御心にして人間手足に付き添い働き働き一切金銭食物其の他一切の万物を引出し引伸ばして下さるは即ち与えるが為各々自由を満足に与えるが為也。

身の内にては産まれ出る時引き出しの守護日々は成人させて引伸ばし下さる又身体伸び縮み自由自在をさせて下さる働き一切身の内にては三千六百筋の切れぬよう力を以って働かせ、筋伸び縮み力の守護働きさして下さる神様なり。引出す事は一切万物此の神様故(勿論有形無形共)見分けする事世界にて草木粒毛万引出しの守護全て衣食住に供するものは皆地より引出されたるもの也。山よりは金銭の出るも商売にては売り先得意買い手を引出し手先布教すれば御助け先信ずる者、皆万事相手引出しの守護。
 世の中に引出すもの引出す道具又引くものはことごとく此の神様の理にて出来たるもの也。

 百姓なれば鋤鍬鎌等皆働きに使う道具外に出る道具は皆引出しの道具故に此の神様の理なり。山よりは金銀銅鉄を始めとし材木薪炭鉱石石炭の類。海よりは魚貝海草苔の類、地よりは五穀野菜を始め一切人間の用に立つもの引出し下さる。

 此の神様の理が有って世界中の物が勢い有りて出て来る力伸びる登る力が有るなり。引く力も同じ草木粒毛に限らず有形無形引出す理は皆同じ事。此の神様の御働きによりて万物が伸びる登る。伸びざれば何物も用に立たぬ草木でも地について居たら花も咲かず実も乗らぬ如く人間も此の世に引出し伸ばし成人さして下さるで人間の働きが出来る。万物を引出して与えて下さるで衣食住は勿論見て楽しみ使って楽しむ。

 身体も伸び縮み自由が叶う故思うまゝに動く事が出来る動物一切の働き伸び縮み身の内器官の働き自由自在の運転、全て何物でも引く力は一切此の神様の力なり。物を引出す理は何が引出して有っても皆此の神様の理、例えば何程御助けしたいと思うても此の神が引出して下さらねば出来ん。人が相手に成らねば何事も出来ん。商売でもすべて皆同じこと。

 或いは文字書書等の上手手筋のよいとは此の神様の理にて前世で文字に付いて埃が無かりしもの徳が積んで有る理。又心に賢い所があるなり。手の器用等も同じくつまり高慢なき心の理。出世神と云う人に与える心、例えば御道なれば聞きたい者には十分聞かす。全て我が身の欲高慢を去って惜しまず時間も惜しまず満足さす。与えるという此の心に成るから力が何程にても出来る人を出世さす引出す心が我が身の出世来る心にて天より与わるなりもの我が身引きにて惜しみ全て高慢にて人に与えぬ心は出世の出来ぬ心也。又苦労と失敗と艱難の境遇に多く接して来た人程行き届く心広くなる故出世が出来る、又身体伸びぬは草木も肥が足らねば伸びぬ太らんと同一人間も人の事に尽くすという肥が足らん前世より徳を積まず我が身引き身欲の事ばかり心をよせる小さいこすい心。種は神の分心故大きくなるべきものなれど心小さくして種に勢力のなきと同じ。一人前より低きは人に徳を取られたる理高慢にて心小さく行き届かん心低いものは徳を積んで高くなる。高慢と云うは心の小さいものなり届かん心。

 例えば草木の根にゴモクを沢山施せば肥となりて定外の太きものに伸びる如く人間もゴモクをかぶる事が嫌いで有ったゆえ心が少量にて或いは人の云う事が気に障り過ぎ腹立ち負け惜しみ高慢で身を惜しみゴモクをかぶって肥となす事を知らぬ理から太らんが如し。伸びるは其の道に徳を積む理。伸びぬは同じく前世より心の埃にておおとのべの尊の道を止めて居る故伸びるべきものが伸びん。又つる類一切は此の神様の理つるになる実も同じ事つる類は沢山有り全て粒毛草木山にも野にも穀物野菜豆類等有る如く皆此の神様の理に依って成長成木して花実を結ぶ皆人間万物に与えるが為に御働き下さるなり。

 身体筋伸び縮み自由筋が全身に行き渡りて一分の不足なき御守護下さる通り此の神様は隅から隅迄行き届く、抜け目の無い御心故よく人を教え導く実力を以って人に満足を与えるという。

 神様なれば高慢や我慢や自慢が嫌い也。例えば我々が精神を磨く上に付いても神様が御守護下さったら神様が知らしてくれたらと云う様な心が即ち間違った心で高慢である。自分が十分に精神を凝らして行くから其の真実の心に乗って其の度胸を見て神が如何なる事も成して下さるものである。いわゆる実践躬行で行うて我が心を練り試して真に実行して磨く心なれば必ず神の守護にて物事熟達進歩して引き出して下さる。此の神様は高慢が大の嫌いなり。身体伸び縮みの不自由筋に係る病気は勿論引出し引き与えに関する有形無形の不自由はことごとく此の神の御意見なり。世の中の物何に限らず出て来るもの出て来る事一切此の神様の理にて始まるもの故草木粒毛がヅン/\と伸び出て昇るのみならず動物も同じ事全て舟車汽車電車何に限らず引出す理は此の神様の理なれば心の理も同じ出る理。引出す理は同じ事なり。

 此の神様の心は心低くしてよく働く人を引出す導く心、人に教える人に与える心、引き立てる引き連れる人を世に出す押して出すという心、手引くという心低い広くして人に満足を与えるという心は親心、情けなれば最も尊き心にして我が身に徳が付くもの故実力備わりて出世成功する心なり。

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伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)

 此の二神は月日に添い給う又つきよみの尊、くにさつちの尊に添い給う時と有り。此の二神は人間身の内では種苗代(交合)の外は別に御守護所とてはない月日二神に添い下さる元々月日両神の代理と成って下された神故九と十が此の神様。

 男一人女一人では子が出来ない元々無き人間世界の時に此の二神が人間の雛形と成って下さった今は人間に種も苗代も有る。 此の二神人間にては夫婦父母なりまた男子と女子が此の二神なり。身の内にては色情の時だけ夫婦と成ったら男はいざなぎ様女はいざなみ様。世界にては種物一切と種を蒔く田畑(苗代)一切の御守護なり。
 月日二神が神いざなぎいざなみ二神が親あと六柱の神が道具神月日両神の手足となって御働き下さる。

 いざなぎいざなみ二神が種と苗代人間男は種女は苗代の理にして是れを御道に取っては理を心に治めたるものが種なり。理を教えるのは種を蒔く也。種は心の有りて口で蒔く其の種を受ける蒔き付けるには是れ迄の土を掘り返しスッキリ改革して苗代を作りて種を下ろすなり。是れと同じく前世より因縁に錆たる心を改めて真実を定めて然る上理を聞き込む仕込んで頂くと云うのが此の度のいざなみ様の話で有る。この蒔いたる種を修理肥をして作り上げぬ時は其の種を失うてしまう。他の時物に心を触れて心の理を失うて無くなってしまう。

 神様は種なくしては実乗らうまいと仰せ下さる。又やしきは神の田地やで蒔いたる種は皆生える。天理を神の田地に蒔き付けて置く事田地は何ぼうでも有る即ち人間は何程でもあるけれど種が無くては蒔けぬ事なり。人間色情の間違いがいざなぎいざなみ二神へ対して一番の不幸に当る。

 色情の間違いが一番思い故是れの間違いは人間の形が崩れる。異変って来る片輪という目が潰れるとか鼻が落ちるとかいざりとかちんばとかかくの如きものは段々進んで行けば牛馬にでも成って行く。見えん所に出る病気は多く欲人に見せて恥ずかしい身上は皆色情不具一切色情の理、色情が人間雛形故色情で人間が出来るもの故なり。

 甚だしきは兄弟が夫婦になったり親子が夫婦になったりするものさえある如く色々色情間違いの堕落が生まれ変わると片輪になる。見せともない、見られて恥ずかしい、すべて子供にでも(不具)理が出るのは其の人の来世を神は知らせて居って下さる理なれど仕方がない。人間の堕落は神も仕様がないと仰せ下さる。此の男女の道、正しいが天の理也。故に此の道が綺麗に有れば神の八形としての人間の雛形は立派に形造られるものなり。

神言
ダン/\と何事にても此の世は神のからだや思案して見よ。
人間は皆々神の貸し物や神の自由用是れを知らんか。
メイ/\に身の内よりの借り物を知らずにいては何も分らん。
人間は皆々神の貸し物や何と思うて使うて居るやら。

 此の世の万物一切はことごとく全智全能至妙絶大なる神の守護支配せらるゝものにして是れに依りて発生養育し活動進歩しつゝあるものなり。有形無形の一切の現象が正しき位置を保ち絶えず生成化育して止まず。

 何万年立っても立つ物は立って居る続がるものは続がって居る引出されるものは出て居る。此の理が神である誠は神なり。八方の神様は皆其の御心の理が其の御働きいわゆる御通力である。故に人間も八社の神の御心に添うから皆其の通力が与わるなり。皆メイ/\の心次第なり神も目に見えぬ人間の心も目に見えぬもの同じ事人間の勝手心が強いと神の御働きを止める。神より悪が強いから守護出来ぬゆえ病が生ずる。身の内に病異変の生ずるは其の受持ち御居住まい下さる神様の御心に合わんゆえ御守護が薄くなる薄くなると共に其の得がへるなり。何故なれば人間は神の御徳で立って居るもの。神様が社や厨子の内に居らるゝものでなくして此の人体に御座る事なれば尚更其の心を保ち行うより外はない。神様には心一つより勤めるものはない。

 神の御守護は心を辛として心を臺として御働き下さるもの故、働く時は神の御守護と同一にして身を働かざる中は心が働きて居る身を働くより心を働く間が多い。其の使う心がどういう心を使うたらよいかという事を知らにゃならん。  

 神は身の内に在る親である子と関係、人間の身体は神を祭る所である。神と人間とは相離れられぬ関係を有するもの。身体が生きて居るは神が生きて居らるゝ神が離れたら身は生きられぬ。あたかも息が切れたら心魂はぬけてしまうから体は腐る如し。

 牛馬畜性とて目も見え手足自由用叶う温み水気の借り物には違いなけれど心に誠という神に近く神の心に合いたる心がなくば牛馬犬猫に違いなからん。

 例えば人間でも心の合わぬ嫌いな者と暮らすのと心の合うた好きな者と暮らすのと如何であるか。

 こう云う心を使うては神様に済まん身の為に成らんという心が日々に湧いて何時も神様に心が勤まるようになったら神に続がるダン/\心が澄んで凡人とは違うようになる。神が心に宿り給うから神の力が入ってくる世界が明るうなる誠という理の働き神の道は胸三寸心一つの道。一刻の間即ち二時間真の誠の心使えば一昼夜助かる。一昼夜の間少しも埃の心を使わず真の誠の心を使えば一ト月助かる道が生ずる一ト月の間真の誠の心使い通せば一ヶ年助かる心の道が生ずる。遂には一年中誠の心が使える様に成る。是れ一粒万倍の理。又古諺にも百日の説法へ1ツと云う如く百日の誠の心を貫いても一度の腹立ちで心濁すとすればそれが為百日の誠が後の戻る理。是れは神様に心を勤める理にて心の底に保つ話也。

 又八百屋に借りがあれば八百屋から催促する。呉服屋に関係あれば呉服屋の帳面に記入する如く皆心の間違いの埃も性質の異なる心の色合いの変る所、受持ち守護の神様の理で色々異なり現れる。八百屋は八百屋の看板が出ていると同じ。諺に看板に偽りなしというが如く其の看板は天理によって読む。御諭しは只病気だけの事だけで諭せるものではない。世界万物の理を知りて見分けがつく悟り諭す。

 八社の神様は皆御役が違うだけ御心御神徳が違う受持ちがある。是れを一家の普請に例えて申さば一家屋全体は月日様で其の内部を調べれば柱あれば屋根もあり建具もあれば畳もある如く大工も石工も建具屋も間飾りも入るから柱の痛むは大工壁の落ちたは左官屋根が傷めば屋根屋を頼む如し。月日様は親神故に月日が入込み給わねば全ての御働きが出来ない。心も誠と云えば一つで月日様の御心なれど分解すれば皆八通り此の世は皆八通り此の神の御心を知らして頂きて我が心神に叶う故神が心に宿って下さる。何でも神様に入込んで貰わねばどうもならん。神の御心に人間の心が合して真の幸福真の陽気生活、いわゆる安心立命、神人合一の地点に達する事なり。

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一世之間仏教に顕われての神様の御変化

国常立尊  観世音菩薩 釈迦如来 千手観音(伝教大師 (天台宗開祖)

面足尊   勢至菩薩 三尊佛 阿弥陀如来 観音

国狭土尊  普賢菩薩 弁財天 黄檗(達磨大師(禅宗開祖) 金神 結之神

月読尊   八幡大菩薩 聖徳太子 地蔵尊

雲読尊   文殊菩薩 龍王 神農 薬師如来 水神 善女 八大龍王
       (顕真大師 (一向宗開祖 親鸞上人) 本願寺)

惶根尊   大日如来 (円光大師(浄土宗開祖 法然上人) 知恩院)

大食天尊  虚空臓菩薩 妙見菩薩 鬼子母神 橋詰 縣様 二月堂 聖天      
       神 儒来様 (日蓮大師 法華宗開祖  日蓮上人)毘沙門天 鬼門 暗剣殺

大戸邊尊  不動明王 役行者 (弘法大師 真言宗開祖 空海上人)

 以上世界八方八柱神より御変化まします神仏数量りがたく是れを神道にては八百万神と云う仏法にては無量諸仏というなり。
 観音という観音は皆月日と仰せられ一世の間色々と御変化下されて神とも仏ともなり木仏金仏にまで入込んで善を勧め悪を戒め種々と霊験を現わして人間を教え導き育て下されたり。又昔より高山には大社を祭り詣り場所として助け下されたり或いは紀州高野山とか山城比叡山、甲州身延山、飛騨の高山、越中館山、加賀の白山、肥後の阿蘇山等殆んど数えがたく皆高山には大社あり。

 又仏教にて教えられたる行も種々有りて普通よく知る所のもの四五種あり。
 虚無僧は禅宗より出る不忠不孝で迫った者の行として教えてある不忠不孝が一番罪が重いなり、但し不忠不孝は其のしられる者にもそれだけの理が有るのである。

 君に不忠親に不孝、立てづき立て言をついた理で物云わぬよう又手を出す事出来ん理で扇で米を貰って一つも喋る事出来ん理で笛で物を云う理にしてあるゆえ禅宗は笛の問答と云うが如く笛を聞分けねばならんが如し。
 尺八という一尺八寸は十八日、観世音菩薩表に4ツの穴は目耳鼻口、裏に2ツは大小便二つの穴、竹はくにさつちの尊の理。

 六部 浄土宗の色情の間違い、色情の堕落、此の道で迫った者の行。全て不自由して懺悔及び其の形を踏む也。
 六十六部日本国中鐘を敲いて巡る。皆人の門に立って乞食をする。

 巡礼 天台宗 親子兄弟の順をはずした者礼を失い恩を忘れ恩に迫る者の行として人の門に立って乞食をして業をさらす。

 遍路 真言宗 食物不足、食物のヘンジョコンゴテ云うた理、故に人の門に立ってヘンジョウコンゴウ云うて業を晒す理。天の冥加を知らす為也。
 又八十八夜は米の理にて米と云う字は八十八と書くが如く一年の四分の一也。
 八十八ヶ所。弘法大師は粒毛引出しの神おおとのべの尊の御変化なり。

 千箇寺 日蓮宗 人と続ぎ切っては恨まれ八方恨みを受けた理、千ヶ寺という意味で千ヶ寺を南無妙法蓮華経唱え都合よう巡って行をしたれば癩病でも助かった。

 乞食は第一食物を粗末にした理、食物でも捨てる腐らすなど、冥加に尽きた理、天恩を無にしたもの故食物粗末の理が一番重い迫る。(食物及び物を粗末にせぬ徳を冥加と云う)

 親神様の大恩昼夜御心尽くしの真実を無にする。人間上法律上では咎める事は出来んが軽くとも天の理では是れが一番罪が重い。

 木や石に入込んで其の形をするだけで助け、穀に離れて牛馬道に落ちる所をそれだけの行をさして来世は人間に出す。其の道を付けて導き助け下されたが、一世年限至りて人間も神の話を聞分ける迄に成人が出来たる故世界人類を助けるが為に此の度は天理王尊として神が表に現れ下された故是れ迄の昔のものが段々無くなる。本尊は抜けて御座る故段々衰える。

 ようこそこゝまでついて来た実の助けはこれからやとは此の事魂が畜性に落ちきらぬ様ようこそついてきたと、是れまでの事と又是れから先の本道のつく刻限至る神の思惑たる珍しき助けの至る事と両方の事珍しき助けとは是れ迄昔より未だ例のなき助けの事也病助け位なれば神が珍しとは云い給わぬ。真に珍しき陽気づくめの神世が今に立ち至るのである神が表に現れるとは人体と現れ出で神が直接人間に話して下さる事也。

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八つのほこり

八つの埃

神言 人間に病と云うて無けれども心違いの道があるゆえ。此の道は凡夫心に八つあり、ほしいおしいとかわいにくいと。うらめしとはらだちよくとこうまんとこれが八つの心違いや。此の埃つもりかさなるそれゆえに病悩みも愁い災難も。何もかも身の内守護の神様の心直しのいけんりっぷく埃さえ速やかあろうた事なれば病の根は切れてしもうで。

 是れ迄にどんな理も聞かしてあるどんな差図もしてあるよう、思案して見よ神が云う事うそはあるまい、神が云う事うそなら六十二年以前よりの此の道今日迄続きはせまい。今迄云うた事に何違うた事はない皆見えてあるよう思案してみようか/\きょろ/\してはいられようまい早く誠を定めて真実の理を納めてくれにゃならんもうどうでこうせは云わんで六十二年前よりの道の事如何なる道も通りたであろう、如何なる理も分りたであろう。なれどたしか分りた者はない思案する者もない。もうどうせいこうせいの指図はせんでこれからは心次第。云うてもあかんでサァめい/\の心次第や六十年前より聞かした理心に誠と云う理の思案が有ろう、実と云う所の理が有ろう心の事情分かりあるのかないのかよく思案して早く心を定めてくれにゃならん。此の道は胸次第心次第の道で有るから心のとく心出来る迄は尋ね返すがよい。心一ツの道であるから理の働きがなうてはどうもならん。誠と云う理の働きさえあれば天の親よりも実が有るで実と云うは分ろうまい。

 火水風と云う此の恩理が分れば一切の恩理が知れる。是れ知れば衣食住の三点は火水風の賜物と云う理が知れる此の理が分れば神の守護と云う理が知れる。此の理が治まれば神の誠と云う理が明らか知れるなれど教えの理を取り違えると云うは是れ迄の心の理が忘れられんから目に見えたものに惜しみをかけて身上の大敵と云う事を知らず欲しい惜しいの心の理が離れられんから真実と云う理が治まらん。早く思案をしてくれ世上の難はどういう所から身に受けるは八ツのヶ條を何と思うて諭して居る。 」中略

 八つの埃は八方八柱の神様の御心から出るなれど人間の心から見ては中々其の有無区域が分らん。天理から見ねば分らん深く心の底に立ち入って見ねば如何なるものが真に我が身可愛いというものであるから高慢というものなるか欲と云うものであるかと云う事が容易に分らん。

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欲しい

ほしい

 欲しいは月様の水気を御入込み下さるで水の性を受けて物を殖やそうとする心が湧く、水にかければ皆物がふえる夜は殖える宇宙間万物の殖えて居るは月様の御心。見るからして欲しいと云う心が起る。見ん恋は起らんというて何でも目に見えるもの欲しいと思う心。 月様は御心現れて守護下さるは情けが情が陽に現れば慈悲、情けは水、正直誠。生ずる殖ゆる。誠は物の殖えるよう生ずる理。欲しいは丹誠して物を殖やすは月様の理に叶う。其の理を踏んで行けばひとり殖える1ツ/\皆殖える。我が身働いてその値を求むる。

 尽くすべき丹誠尽くさずして我れが働くのがうるさいから働かずに欲しくなる其の理を踏まず勤めずして殖やそう欲しい故埃となる身を怠け惰りてあれが欲しいこれがほしい人の目人の心をかすめるくらまし或いは貪る偽り、或いは人の倉にでも這入る遂には強盗となる如くすべて非道の欲しい。人を痛め、人を倒しても我が身に欲しい。人に対する所こうして貰いたい。あして欲しいこうもしてくれそうなものなるほどこうと見て貰いたい全て貰いたい心は皆欲しいなり。

 人間は人に情け心を持つべきものであるが其の反対で人に貰いたい人の情けを受けたい心故欲しい。心が小さくなる我が方へ引き付ける方は皆狭くなる。人を尊い敬うより我れが人に敬うて貰いたいという欲しい心高い心は価値は低い落ちる心低い心は高い上る心。いわゆる胸が狭い故心高く。心の小さいは月様の御心に添わん。欲しい心を去って心清らかに成るに従い情け心広く大きく成る也。埃と云うは皆神の真実を無にする心にて神の道を御働きを止めるもの故に其の神様の得を失い遂には身を滅ぼすに至る。

 欲しいと云うても人徳の希望欲する心は人間の天性で神が入込み下さって、神より分け与えられたる神魂の自由用の理の正の方面に動いているものである故人間も又他の動物も生存上無くてはならん。此の心が有って活動し目的に進み向上の道をたどりて楽しみ喜び生活の道を求めるのであるが其の心の自由が正を失いて邪に入り間違い即ち心得違いとなって来るゆえ埃となって迷い苦しみ煩悶を求める事になる。

 例えば御道の熱心なるものが天理の真理、奥意を悟り人を助ける神妙の理を胸に得たい心の財産を求めたいと思う心は神の心に叶う心で。なくてはならん此の心なきようなものは道の為にも社会の為にも将来有功の見込みはない。其の幽冥の故を胸に治めるには御教祖の永の御苦労下された御心を雛形とし御教祖より教えられたる天啓の理を研究して人を助ける事に働くから1ツ/\其の理が胸に治まって心の財産が殖えて行く。

 其の道を踏まず、勤めずして殖える筈はない、例えばここに肺病患者を三人位助けて見たら肺の専門家に成れる全ての病が其の如く実地助けて見ねば聞いただけで分るものでもなく又こうだと教える事も出来んもので皆云うに云えん所が有るもの也それと同じ事で皆其の理を踏まねばならん。月様の御心で万生じ殖える其の月様の理を無にして其の殖える道即ち誠を踏まずして物を殖やそうとするのが埃ゆえ殖えず与わらず苦しまにゃならん。たとえてみれば子供が人の物でも無暗に欲しがりて取るようなもので成長すると其の我れに求める与わる道がわきまえがつくようなもので人間も神様より見給えばそんなものでこわきあぶなき道を通って、神の目にはいじらしいと仰せられてある。成人が出来ねば神の心を知って其の徳を貰う道が聞き分けがつかん。 

 月様は誠水の心、足納が水の心正直素直、誠なり足納の理が治まらねば不足欲しいの埃となりて八埃は皆不足より生ずる。

神言 「それ人間と云う身の内というは神の貸し物借り物心一つが我がの理心の理というは日々という常という日々常にどういう事情どういう理幾重事情どんな理どんな理でも日々に皆受け取る受け取る中に唯一ツ自由用という一ツの理自由用という理はどこに有るとは思うなよ只めん/\精神一ツの理に有る日々という常という日々常に誠一ツという誠と云えば一寸には弱いように皆思うなれど誠より堅き永きものはない誠一ツが天の理天の理なれば直ぐと受け取る直ぐと返やすが一ツの理よく聞分け。

 又、自由用の理は結構と思いながら自由用の理が分らん又、身上有って楽しみ身上有っての道である是れ一ツ聞分けてくれ。」

 目に見えぬ心一つより人間のものはない心というは神の分魂にて本体は神、神の守護故に日々と云う日々常にと仰せ下さる日々に心使う理が人間のもの故心は人間の自由に使える身上始め宇宙間一切のものは神のものゆえ神が自由決して人間の心の自由ではないのである。もし人間の自由に成るものなれば難儀や不自由や病み煩いするものはない。人間は心一ツの理によって即ち前生より今生日々の心使い因縁によりて身体を始め一切がいわゆる我れの境遇が貸し与えられて居るもの心の徳心の価値だけの価値がある。
 誠という心の理が自由用の理なり。

 神の本体より神は人間身上を造化し天理より人間と現わして此の世に生み出し給い世界一切のものは人間の為に作り給う故天地開闢の目的は人間の幸福にあり。

 身体が自由用に使えると同じく其の人間に対する一切の事物を心の自由用に与えて下さる理は誠神は誠、分魂たる人間の心の誠人間の衣食住一切財産金銀にせよ縁談にせよ一切の自由用是れが誠をかき間違うから埃となるゆえ其の自由用が出来ぬ与わらぬ身上始め心の望む一切が不自由となりて困難し迷う故に心の希望欲しいという人間の幸福を向上増進して満足する道は天理即ち誠の心の道を通るより外に道はない。即ち心一ツの理を向上進歩して踏まねばならぬ。

 心一ツの理前世因縁心の道に依って身上始め一切の現在の境遇が現れて居る事が分らず天命を知らず皆前世より誠をかぎ足納の理が治まらずして不足々々に通り天恩人の恩が重なりて不自由難儀となって居る。其の心を持ち越し不自由なれば益々不足を積み人を不足にし或いは不正の欲望を逞しうて誠を失う。しかして人の欲望には限りなきもので足納の心が治まらぬ。

 神の大恩人の大恩が分らず結構を結構と思わず、日々我が身の境遇を不足に思い、足る事を知らず上を眺めて何を見ても欲しい/\足納が出来ぬ故、心は日々に不足不平がみなぎり平和なる事が出来ぬ我が身の分限身分をわきまえずいたずらに人の身の上境遇を羨み、或いは我が身我が家ばかりの利益を計るために人を害し人を偽り人の目を掠めるが如く卑しき寂しき行いをするようになり非道の欲望を貪り罪悪を犯すようになる。

 埃の始まりは欲しい物の始まりも同じこれより八埃が生ずる故神魂の誠を失い天の理にそむき一身の健康も一家の円満も保てず社会の安寧秩序も害するようになる。例えば商売しても性質薄情にして高売りをする或いは酒を売れば水を売る如く升目量り目でも人の目を掠める様な色々狡猾な智恵を巡らし只自分の利欲だけを考えて人に同情の無い先案じの小さい心の者と又一方は正直に不当の口銭を貪らず成るべく親切にして人の需用に応じ人の便利を計り人に満足を与える心低くして人を丁重に取り扱う者とどちらが商売が繁盛するか。論ずるに至らん事である其の人を大切にするという人に情けある心が誠であるから人気がよる金が殖える金は誠なり続ぎなり人の誠がよる誠の無い心の小さい目先のきたないものは商売も栄えん如く誠の心には神の守護が厚いで人の引き立て信用仕合せを得て正直の頭には神宿ると格言にもある通りで善き方へ/\と智恵も回りていわゆる運は天に在ると申す如く成功する。

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惜しい

おしい

 惜しいは日様の性を受けるに依って火の性は物が減る無くなる消滅するの理ゆえ人間も物の無くなる事を惜しむという心が生ずる。

 例えば火を焚いても薪が一ツ/\なくなるから湯が沸いたらもう薪を焚かん之れは惜しむ日様にかければ物がへるから惜しいと云う心が生ずる。

 日様は慈悲という暖かみで万物が育ち実を結び、慈悲で物をへらして下さる神、人間始め生物身を養い、食えばへるたべる昼ひるまひる、衣食住一切の物は使用するだけ減る費える消える理、陽万物殖やして下さるは太る月様、陰、夜、よる理。

 人間は其の日様の慈悲で物が無くなるのが惜しくなる、減るのが惜しい。人に慈悲慈愛を施すべき事をせぬのが惜しみ、惜しむは物を大切時間を大切惜しんでよく働き万事不益に費やす事を惜しむ、是れは日様の理に叶う誠の惜しみなり。

 腐る物でもくさらぬよう廃るものでもすたれぬよう全て不用の事をおしむ、たとえ菜の葉一枚でも宇宙間のものはことごとく神様の誠から出来たるもの故粗末にしてはならんという心がけは天の大恩を知る心にて不益の事にへる事は人間も惜しむ心が無かったら物がすたるから此の心なくてはならん。

 いわゆる勤倹、節検等此の心は無論世の中の平和幸福の基となるべき心故神の心に叶う。人に出すべきもの出し惜しむ減るべき物を減り惜しみ身惜しみ骨惜しみ貰うたら貰いどく恩を受けても恩を返すが惜しい人に与うべき事を惜しみ人の事に互いに働く尽力する骨折りするが惜しい人を育てる教える人の事にひまを惜しむなど又負け惜しみ/\をして却って我が価値を落とし人に笑わるゝ事になる。天の理では負ける如く人に親心を持ち気長く慈悲人に勝たす心のなき負けん気負けても負けん負けともないから喧嘩争い意見の衝突から腹立ち合い人と心合わすべき所も合わさず、云い合い恨み憎みとなる如し物の消滅するのは日様故惜しいそれ故に惜しい心を十分使うて行きたなれば物がへる無くなってしまう。惜しい心を去りて心明らか清くなるに従って慈悲心が広く大きくなる也。

 先を案じる心は神をうたごう理なり神は人間安心さす為に世界中に万物を作り与え下さる。例えば今年から種を蒔かせて来年の用意をさせて下さる如し。何程財産が沢山有っても結局は我が身に付くだけが我が物はない其の他は皆世界のもの人のもの例えば生まれる時は裸体で出て死ぬる時は手ぶら天理の宝は持って死ぬ事は出来ん。此の宇宙間の物は身体を始め一切が神の物生きて居る間の借り物なり。

 人間の物は形の無い心一ツよりない其の目に見えぬ心魂の前生より今生に日々という日々常に働く理に依って身上始め一切の物を貸し与え使わして下さるものである。なれども此の心一ツと云う理が中々分りにくいもので、人間は身体始め財産一切は我れのものと思い只有形の物に心を捕らわれて心の理が軽くなりやすく目に見えた物に惜しみばかりで欲しい惜しいの埃が離れ難いのである。それゆえ心小さくきたなく惜しみの心を生じ出すべき事でも出さぬ或いは義理をかき身を惜しみ人を助くべき場合でも助けぬ。人は苦しんでも何も構わぬ如く或いは身分相応の社会公共な為国の為にも尽くすべき事尽くさず救済又は貧民慈善の為とか云う事全て惜しんで成すべき事を成さぬようになるのが埃と仰せ下さる。神は世界中に万物を作り給い又人間に貸し与え下さるものなれば使うて価値が有り又神の思し召しに添うのであるがもし使わぬものなれば神が御苦労下さって作り上げ人間に与え下さる必要もない事になる。

 是れを一々惜しんで使わんというは神様の大恩日夜御働きの真実を無にする神の働きを止める理になる。神は人間が衣食住すべて一切の物を使うて喜んで陽気に暮らすを目的に楽しんで万の物を守護して与えて下さる。

 人間は神の八形を貸れて女は女神様と同じ事、男は男神様と同じ事をして居る皆神様と同じ徳を受け神様の代理神様の御心を現わす訳である故に神の御心即ち天の理に添うて誠という心の働き有れば人は互いに助け合い慈悲心厚く人の世話する為には惜しまぬ真実の心は神様の代理故心通り天より与わって幸福を全うする。

 惜しむ心は天より惜しまるゝと同じ理になって神は人間の心の理に依っては与える事が出来んのであるから、天の理に反し誠が無くして例えば人に辛働さして自分が食うて楽をせよ何かよき手段が有れば人をしぼっても身に付けよ何でも人より貰う事や人の慈悲を受けたいというような卑しい心なれば神は正直皆心通りの守護がないゆえ一代その卑しい心の境遇に居らねばならんが理なり。

 又人間形の上から見れば、算盤上では人に出しただけは損取り込んだだけは徳というような算用だが天理は違う故無理な取り込みすれば理に理が増し倍にしても吐き出さにゃならん又人を助けた理は一粒万倍の天の理で我れに与わるのである。前世を一貫して前々よりの心の理に依って身上及び財産一切は貸し与え下さるものなり。例えば十銭の代物でも八銭に買いたいと云う人は損してもかまわんダン/\心きたなく通った理で金銭の不自由せにゃならんと云う如く壮健の身体又沢山の財産すべて有福の境遇にある人は前世の徳に依って神より十分借れて居る少ないものは少しか借れて居ないので心の理心の徳であるから其のメイ/\心から現れて居る境遇一切即ち身分だけ力だけの働きが出来ないのである。

 例えば山を稼ぎ田を作り汗脂を流して儲けた金は中々綺麗には使えん之れは当然の理である。

 財産が多く有り又は地位が高くて収入の金が多ければ楽な金だからきれいに出せる使える、入るに綺麗なれば出すに綺麗に出せるというは此の事きれいに出せばきれいにはいると同じあたかも井戸水でも惜しまず汲み出せばきれいな水が這入る惜しみて出さねば這入らぬ水がくさる如し。そこで世の中は下等社会に暮らす者はつまりきたなくなるは当然の理と成るので有る辛働して汗水垂らして少しずつしか与えが貰えんものが綺麗には使えん使う事が出来ん。

 神様は身分相応力相応と仰せられた心、一ツの理よりない。
 昔の諺にも長者の万燈貧の一燈と云うてある如くで神は心の誠真実を受け取って下さるなり。下等社会に生まれ出るも貧困の身分で暮らすのも皆前世に通った心の理に与わる境遇では全て不足々々足納出来ず誠の無き心で自分の欲深く或いは人は難儀してもかまわん不正の道を通り人の為とか社会公共の為とか云う様な事は少しも顧みず人の事に成す事や出す事をきらい只我が身我が欲わがままし或いは金持ち財産家で有りながら欲を深く人を痛め人をしぼり苦しめるとかすべて天の恩人の恩を着て其の種を蒔いて今生に出る誠のない心の小さい因縁で今生の境遇が心通りに与わる故やはり心小さくきたなく通らにゃならん。皆心の徳心の力だけの働きが出来ん。不自由難儀になるのは恩に恩が重なった故也。

 全ての病は血液の不調から起るがことに血のめぐり悪しき温みの無い病血の狂い等一切は皆誠の無い人を助ける育てるというような心なく我が身の事ばかりに心苦しめて居る慈悲のない心小さい気短い悪心が取れぬ理から悪血が出来る。神が貸し下さる筈はない心で拵える欲しい惜しいの埃が取れたら心は清浄になる八埃は此の二ツが根本。

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恨み

うらみ

 恨みはくにさづちの尊は万続ぎ一條金銭縁談は続がる全て続がるものが切れたら恨み。此の世は万続がって保たれ物が完成し用成し円満に成り立つ美しいので有る人間真実誠に依って互いに睦まじく親しむ続ぎ合う故美しく陽気に幸福に通れる。

 恨み妬み悋気嫉妬は皆人と続ぎを切った埃。又人と続がらぬ続ぎを切る心なり。
 続ぎを切るから続ぐべき所を続がぬ故恨みの理となる此の神様の御恩を無にする心、続ぎたい一條の御心故恨みそねみの嫌いなる神様なり。

 我が身を恨めて人を恨まぬが此の神様の御心に添う。
 人を恨めば切れる我が身を恨んで通る故我が身がきれいに成る人と続がる徳が進む出世する我が身を恨むと云う心が続がる理也天に続がる綺麗な美しい心なり不足が有って恨み合いの理が即ち続ぎが切れる理我が身恨みて居れば世界中でも続がるが人を恨めば夫婦親子でも切れる。

 我が身を恨むという理を知らざれば我が身の徳は出来ぬ心は作れぬ進まぬ。我が身の懺悔も出来ぬゆえ只人を恨んで居たら何時迄たっても悪因縁を切らして貰う事が出来ん理である欲が深い故心が暗い曇る晴れん明るないから陽気がない。我れの欠点が分らん人の欠点だけ人が悪い人が届かん無理とのみ思い人を恨むえぐい心人を続がぬ人を続がぬ故薄情人が続がらぬ欲から高慢になる。

 例えば人より侮られ恥辱を受け我が身不仕合せの事や思う様に成らん事全て我れに恨むべき事情が我が身に係り来るは皆我れの因縁であると静かに我れを顧み心をしらべて見れば必ず我れに其の理由種あり天命を悟りて我れの不丹精不勉強力の足らぬ届かん所徳の足らぬ所我れを恨みて我れが低うなって人を悪いと人に非難を入れず我が身が一層奮励努力勉強して向上する徳を積んで行く人と続がる天に続がる故何事も完全に上達し一層有徳の人に進む事が出来る人を羨み人を敵とするものは日々に徳を落とす。

 難儀するのも心から我が身恨みであるほどにと仰せ下されて有る通り皆我が身に係るは我れの因縁懺悔の道で有る足納して切れる道我れの悪質欠点を知りて我が身の完全に進む道が分る理なれば人を恨むは全く天理に添わぬ故神に切れ人に切れ神にも人にも嫌われる人間の美徳を落とす。恨みより腹立ち憎みとなって我が身を害し社会を害する事になる。

 皆我が身を恨み我れを顧みて心進むものは徳が出来、人を恨むものは徳を落とし罪悪を作る。我が身から出た錆とは知らず人を恨むは小人の常と云うて昔より僅かの事を遺恨にして無暗に人を憎み或いは人を殺害し人を滅ぼし一生涯をあやまり汚名を後世迄残したる例話も沢山ある如し。

 進む事を知って退く事を知らず前の敵は受けても後の敵は受けられんという例えの如く人間は日々過去を顧み我が身を顧みてダン/\改良して行く故、失敗は成功の基となり完全になるが只向う行き計りで心一歩退いて我が身をしらべる事を知らざる時は失敗が多い。あたかも足の踵は後に退く理で畜性には踵がない如く畜性は向う行きが強がばかりで負ける事を知らぬものなり人間には踵と云うものがある。あとを見て通るから踏み違いがない例えば人の穴、欠点を見て不足する我れの欠点を見ぬ只人を恨む我が身の因縁を顧みて日々人に負けて通るから徳がつく御教祖は世界にどんな雛形もある人のふり見て我がふり直せとも仰せられた見るも聞くも我れが因縁有り此の世は神の世界天理世界中の事が皆天理神の御心が現れて居る我れの心より我れに係り来る理はない。又人を殴った者は迫らずに殴られた者が迫るという事が有る。人を殴った者は誤ったとつつしみ改良でもする如し。殴られた者はアイツ/\と恨み日々心発散せず埃を積むから病の本を作り迫るが如く天の理は形より心の理が重い。

 例えば色情の因縁有る者はりん気心も強い全て色情のみならず何事にも其の道に好きな熱心な者がりん気好きな道故心が寄る酒にせよ女にせよ好きなもので埃を作り怪我をする之れが因縁、因縁と因縁が寄るから益々因縁を深くする切れん因縁は心心の道と仰せられた埃をきるから神に続がる何事も切らねば続ぐ事は出来ぬ。

 例えば夫が間女房をするとせば妻は夫を恨まず我れを恨んで是れは我れの因縁である前世に夫を粗末にして貞女をかぎたる理があって今生日々に心が合わん夫に対する行き届かん徳がないのであると一層夫を大切にして我が心の懺悔する心なれば足納は前世因縁の懺悔で我が心ダン/\綺麗に成るで埃が切れるから、我が身に徳が出来ると共に悪因縁が切れて神の守護で夫が遂に感心して改良して以前より一層円満になって来るが理。

 もし妻が之れに反して只夫が悪い/\と只人を恨む一方にて我が身の行き届かぬ性質欠点も我が身を顧みる事なくして夫に不足腹立ちの欠点や穴ばかり挙げて反対するとせば、我が身の懺悔も出来ず我が身の徳が落ちるばかり故心は乱れ家庭が治まらんのみならず益々夫に嫌われて切れ一家の乱れるが如し。

 ダン/\激しく恨み残念の心重なれば或いは気が違って我れの恥を世間に晒すような者もある如く全て我れが恨み残念腹立ち憎む悪性質の者は必ず人にも恨み残念腹立ち憎みを与える性質故に迫るなり皆心得違いゆえ心が違うなり。

 乱心とも云う五臓の連絡始め精神の働きは神が続いで心が働く其の連絡が人間の埃が強い為切れ乱るから心魂の働きが出来ぬ神が切れる。

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腹立ち

はらだち

 腹立ちは立つという御守護はつきよみの尊故人間も立つ御守護の理を受けるで立つと云う性が出来てくる。
骨が立つ足 一道具 身体が立つ 腹が立つ

 人を立てぬ立てる心が無いから腹立つ。
 堪忍すれば人が立つ故、天理の叶う両方は埃立たぬから堪忍せねば喧嘩口論となる腹立ちより憎みになる。
 腹立ちは不足から気の短い疳と云う癇癪疳敵、腹立ちは心が敵になるから此の神様の理を無にする故身が立たぬように成る。
 人間は立てねばならぬ所を立てぬ故腹立ちの埃が生ずる也。
 我れが思いだけ我れを立てる心ゆえ腹立ち。

 例えば神様に頭を下げて神の教えを守るのは神を立てるなり目上の云う事すべて人の云う事を聞分けて用いて従えば人を立てる故人と続がる我れの徳がつく進歩発達する心なり又人が我れを大切にする如し人を立てる心が我が身立つ理。

 人を立てる心なれば腹は立たぬ。例えばあの人が云うのももっともであると思うたら腹は立たぬ。如何程腹の立つ事が我が身に係るとも我が身の因縁たる事を顧み我れの埃我れの行き届かぬ点を悟りて足納の理を治めて堪忍辛抱して神様は人が何事云おう共神が見ている気を静めと仰せ下さる通り皆其の内に我が身の助かる道が有るなれば気を長く人を切らず我が心を澄ます心が神の御心に叶う。
 心懺悔が出来れば腹立ちの事情が必ず無くなる。

 此の神様は何でも人間を立てる人の心の立つよう思いの立つよう/\の御心故、短気腹立ちて人を踏み付け踏み倒し踏みつぶし人はどうでもかまわず腹立てても我れの思い我れの勝手だけ立て通そうとする心が御嫌いである人間の心の悪の方が神より強いから神を無にする神の理を止める入込めぬ故御意見となる。

 人を立てば吾が身が立つ人を助けて我が身助かるとは天の理即ち神の心を立てるから吾が身立つのである人間に対する間違い人を立てんというのが神は天理身は天理の借り物人間には神入込む故神を立てんと同一である人を立て理を立てゝ吾が身立つ理が此の神様の心なり。

 高慢の心より人を届かんもの無理なるものと思うて人を不足腹立てすいい一点の味我れの欠点は顧みず我れが偉いと思い人を見下げて行くだん/\高慢心が高じるからつきよみ様の人を立てんという埃になる黄がこゆくなって柑色となる理自慢我慢心は此の内に在る。

 思い切らねば立たぬ。吾が身吾が家の我欲を思い切って行かねば人を立てる人を助けるという誠にならぬ。
 例えばたいしょくてんの尊が胎内から切って下さるから生まれ出るそれで家が立つ世界が立つすべて此の神様の切り分けが此の世の働き誠の初まりなり切るから続がる。

 例えば人に憎まれ悪口云われ侮辱あざけられ或いは人が反対し我れの意見を用いぬとて怒り腹立つ時、よく/\我が身を顧み我れの欠点因縁を悟りて心を穏やかにして気長く前後を考慮して心を沈め我れに欠点有るから神が知らせて下さる前世因縁懺悔をさして下さるのである。我れに欠点あるから人が云う人は神なり我れが綺麗に成ったら人も云わぬ腹立ちの事情も無くなる我が心が濁るべきものでない我れに泥があるから心が濁る澄まんと堪忍し足納する心は誠人を続ぐ天の理に続がる吾が身の立つ理ゆえ我れの心が作れる徳が進む如し。

 腹立ちは心が濁るため誠を失い平安ならず人を憎み喧嘩苦舌を好み一家一村社会の平和を破る。激しきものに精神上の錯乱を来たしあたかも晴天にわかに掻き曇り夕立の起るが如く如何なる智者学でも是れが為に前後の思慮分別をかき失敗を招き甚だしきに至りては一身一生を誤り或いは人を殺害し一家一国をも滅亡するようになる恐るべきは人の心なり。

 昔より一時の腹立ち怒りのために一身一家一国を滅ぼしたる実例は沢山有るが如く疳は欲から起り疳の下には刃有りと云うて七なり刀なり切れる疳の起った時は危ない如何な事でも成す人間は勿論獣類に至るまで恐ろしい(腹立ちの恨み悲しみの肉体に大害をなす事は無論なり。)

 それ故に人間は堪忍と云う事が大切なり誠なり、誠なくては堪忍が出来ん堪忍は耐え忍ぶ忍は刃に心。
 いわゆる成る堪忍は誰もする成らぬ堪忍するが堪忍という如し。
 木の短きは無学同然と仰せられた如く全て見学聞き学学問をするは事物の理を知り心を広くするべきものなれば物事をよくわきまえた人程堪忍するが至当である。

 天の理を治めよく物の分った欲の切れた即ち情の有る心で人の心をよく見分ける方から人に負けて堪忍するから身に徳が付くか分らん者の堪忍足納出来ぬは理の当然ゆえ親心ある方から堪忍するべきなり其の徳に人が感化して敬い我を立てゝ来るから不足腹立てる必要がなくなる誠程強いものはない。
 誠は月日なり月日に勝つ事は出来ぬ。
 此の心は忍耐寛仁寛大寛容とも書く如く人間の最も美徳なり。

 骨に係る病は皆腹立ちと云う理が有る。
 骨の病の懺悔は人の身人の心を立てにゃならんと云う心になりて人の心に骨折る心を尽くす。家でも柱は内に有り骨は内に有り見えぬ所に有る如くで陰の徳を積む見えぬ所の働き人を立てる理の必要あり埃を作った心使いも此の利から。
 口に出たら憎みの埃となる。

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可愛い

かわい

 可愛はくもよみの尊様入込んで飲み食いが自由用に出来るもの故飲み食いからして可愛と云う心が生ずる。
 我が身に付けたい我が身が可愛くなる。
 我が口に入れたいだけで人を可愛がらぬ我が口だけ可愛い汚い心。
 全ての食物のみならず万事自分が欲しい食べたい得たいと思うだけで人に食わせたい満足さしたい可愛い慈悲の無い心。

 地所山林建物等の財産の欲をするのも皆人間は飲み食い我が身可愛が元なり。
 我が身我が子我が家大事と思うは世界一列同じ事なり。
 我が身我が家が大切ならば人の身人の家も大切我が身我が子が可愛くば人の心になれば誰も同じ事也。可愛がらねばならぬ。
 人の難儀災難有れば互いに及ぶ限りは助け合わねばならんと云う心なくてはならん。

 しかるに人間は心小さい身欲から我が身は可愛いが人は憎いと云う我が子は可愛いが人の子は憎いという様な心になりやすく我が身人の身我が子人の子と可愛憎いの隔て多く身引き身勝手身内兄弟他所他人と分け隔ての心我が身だけ可愛くて人はどうでも人は倒しても我れさえゆければ好いという心、或いは我が子可愛余りに教育を誤り怠るゆるがせにする、わがままに育てる如きは大なる埃で皆身引き我が子の非は理と思い人の子の事は理でも理と思わぬ如く人を可愛がらねばならん事を可愛がらんのは我が身可愛い心から心から起る。我が身の事が大切ならば人の身の事も同じ大切に思うて同情哀れみ助ける親切も同じ事に思うて尽力してやる心我が子が大切なると同じ人の子も大切。同じ眼を以って教育する世話する分け隔てのなき心が真の情也。

 御道の上から人を教育しても同じ事此の分け隔てという身引き身欲我が身に付ける我が田へ水を引く小さい心が凡人皆欲なり其の欲が取れたら心大きい広くなったので有る故心に神が入込みなさるで神の自由用が現れる人の心中が見分けがつく。親子、主従、夫婦、兄弟、朋友すべて互いに可愛助け合い家を愛する国を愛する此の心が有って人間社会の幸福平和が保てる事なるが。我が身が可愛だけで一家を忘れ国を忘れて人道を外れたる行為悪事を働き或いは人を偽りて我れの腹を肥やさんとし人に迷惑害をかける事なれば一家社会の円満平和を乱す大なる犯罪なり。

 例えば一家の内に在りて只我れ一身だけ可愛くて他の家族を可愛い心が無いとしたら其の家庭は乱れて幸福繁栄を見る事が出来ぬ。
 世の中には明日の米代が無くても我が一人酒を飲んで分限不相応な贅沢をし十分飲み食いして金を使うてしまう家内や子供は着物も食うものもない難儀をさす様な者もある。我が口だけ可愛い。そう成るとだん/\魂が落ち切るで善き事も我が身の助かる話しが聞けぬ様になる。

 勅語に博愛衆に及ぼしと仰せられてある通りで人間だけでなく禽獣に至る迄此の世に出て勤めて居るもの故粗末にしてはならんと云うのが万物の霊長たる人間の守るべき道である。

 又我が家が大切だけで一村一群一国の事はどうなってもかまわんと云う自分一家の身欲だけで国家社会の損害も顧みんという事になれば、一個人一家が集まっての一国なればそんな者が段々殖える事になれば国は乱れて滅びる様になる。そう云う事になって如何して人間の幸福安心に通る事が出来ようか一家も一国もつまり同一でめい/\の事である。我が身が可愛から人を憎み人を搾り人を倒す或いは我れの利益思いを遂げるために人を苦しめ社会に害毒を及ぼす様になる可愛い埃はくもよみの尊を無にする故此の神様の徳を失い苦しまねばならん。

 或いは天のじきもつ食物が食えぬ様な身上悩みとなり或いは貧困に落ちびれて食えぬ様になり乞食非人とかだん/\迫れば穀に離されて畜性餓飢道に落ちて人間に使われ人の為に犠牲となって其の恩報じをせねばならん事になる。

神言 ダン/\と恩が重なる其の上は牛馬と見ゆる道が有るなり。

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憎い

にくい

 憎みはかしこねの尊が入込んで下さって自由用に口が利くもの故憎みの埃を生ずる。
 憎みとは言葉の使い間違いそこないが憎み喜ばぬ心口に出して云うのが憎み也。
 言葉で人の心を痛め人を倒し人の害をなす風を吹かす悪口仲言笑いそしり。
 陰口人を憎しみ悪気の息口に出し手を出すが憎みの埃。

 例え如何なる場合でも或いは迷惑、損害、失敗人に見下げられ侮辱せられても或いはバット腹立つ場合でも一旦我が心を沈静にして十分我れを顧み我れの心と行い我が身の因縁天の理を悟る時は必ずその欠点原因運命あり。

 我れの欠点我が子の欠点行き届かぬ事失敗を恨み憎みて人を憎まぬは誠なり我が身を恨むも同じ。之れに依りて我が心が一段進歩向上し徳が出来る。失敗は成功の基というが如く艱難と失敗に多く接した人程出世をする人に揉まれ人に打たれ人より我れの欠点を云われ笑われそしられ又注意忠告せられて我れが一層進んで行くなり。

 又罪を惜しんで人を憎まぬは理に叶う埃罪悪は憎まねばならん治まらん。
 故に現今聖代の御政事は罪人でも其の罪其の心を憎んで戒め改心さす為で身体は憎まぬ理なり。沢山の罪人がたとえ何十年幾回も罪を犯し重刑の用意ならざる厄介者でも殺さずに養い人間は粗末にせず大事にしてある。

 我が身を憎むべき事を人を憎む我れの埃や行き届かぬ事は棚に上げて置いて人の穴を指さし人が一ツ云えば五ツも云い返す人に満足与えにゃならん事を満足与えぬ心。
 人に足納させねばならぬ場合に却って人に不足を積ます行き届かぬ心我れが同情心慈悲心の無き少量なる所から即ち誠の無き心から悪気の言葉冷やかな暖か味なき薄情の口を以って悪口口騒がしく人の感情を害し心を乱し腹立たす口論喧嘩。

 全て人間は我が身が可愛が為に身欲身引きから人を憎む心が起りやすく同じく身びいき身勝手の分け隔ての我が身可愛の前世よりの因縁に依って即ち性質からして人に好き嫌い物を嫌う埃が生じツマリ前世に慈悲情けと云う親心例えば多くの人の親方となり大き心の人は分け隔て少なく人を可愛がる育てる心有ると同じく心の小さい身引きの因縁から人を嫌い人を敵にするようになり因縁の者が寄り又食物に迄好き嫌いの心が現れる。

 例えば昔から今に至る迄奸臣が忠臣を憎んで汚名を後世迄残し或いは我が身の因縁と云う事をわきまえずして継母が継子を憎むとか姑が嫁を憎み嫁が姑を憎む或いは猜疑嫉妬により無暗に人を憎むとか、全て人を憎む嫌うと云う身欲の狭い心で誠の無い心で有る故たとえ人が善心を以ってする事云う事でも悪い方に受け取り或いは恩人を仇にしたり或いは其の人の少しの過失とか欠点を見れば大きく吹きまわす功労が有っても賞せず人の喜びを妨害し誤りばかりを挙げ様とするが如く此の心位人心を害する平和を破るものはない人間の価値を落とす。

 又人に冷遇せられ恥辱を受けたる場合でも我れを反省して我れに受くべき理ありて我が身に係る事は皆我れの因縁である。又欠点有りて天に口なし人を以って戒むるの諺の如く人は神なり神が助ける為に進まず為に云わせ下さるのやと。
 足納して我れの懺悔改良一層の勉強する如く。
 此の心有りて我れが段々完全無欠に発達して行くのであるなれど心小さく自重心のない所から心たよりなく人を羨ましく思うとか到底我れの力は及ばぬとか出来ないとか、人の云う事を気のかけ不快の感情を催し我れが進む事を知らず喜ぶ事を知らざる心から陰気になって只人が悪いと恨む心からさびしい卑しい心を使うようになる。

 我が身を憎むと云う理は我が身を恨むとか同じ意味でいたずらに人を憎まぬという理堪忍の徳足納智恵なり。
 腹立ちても其のまま言葉に出さず静かに内省し前後を思わんばかり物の治まる様善き方/\と風を吹かすから人に満足を与える度量の広い心誠なり誠があるから人に不足積まさぬのである益々徳が付く故人が感化する。

 口に出して悪しき事云うからかしこね様の御恩御働きを無にする口に出さぬ内は腹立ちや恨みであるなれど心に恨み腹立ちあれば言葉は心が現れるものなれば自然と言葉に現れるから憎みの埃となる。

 かしこね様は六っく誠の神様故人間を陽気に勇ますために人間に入込み世界に鳴り物其の他色々と面白き言葉の自由御苦労下さって居る。
 しかるにかしこね様を使うて悪気悪風を吹かし人心をいずまず悩ます人を倒す神様が満足出来る筈がない。

 例えば憎みても/\も心思い切れず人の家に火を放つとか人を殺すとかして是れは其の憎みの絶頂に達したるものにして之れは吾が云う事出来ん吾が心に思いて一代通る云うに云われぬという因縁が有る如く憎みの理が十分迫ったら物が云えん様になる物が云えなければ憎み様がない。

 例えば其の者に対しては上手口を云うて陰では人の悪口を云う心から互いに腹立ち憎み合いとなる如く褒められて我れ賢しと思うなよ誠で褒める人は少なしと云う如く巧み有り欲から吹きまわす道を治めたる者は其の人に対しては其の者の欠点を注意してやるその者の悪しき事知れば云うて聞かす短所を補うてやる其の者の為になる心助ける為には或いは強い言葉の入る場合も有る如くとにかく其の者の身の為になる真実から出る言葉、陰では其の者の長所を指して賞するから人を向上さす為になる如し是れは誠有る心なり。

 人間には皆長所短所が有る例えば容貌の悪しき者には何か心に賢い所があるとか何か善き所無くては人体を借れて人間と現れる事出来ぬ故必ず一人一名に長所は有る。

 その善き所を見て行く一家族夫婦の間柄でも同じ其の長所を見て下を眺めて我れの分限我れの因縁天命を知って足納する心が六っく睦まじく円満に治まる心人間は多く増長するもので互いに不足から面白ない憎みが出るようになる欲に切りない泥水と仰せられた道を知った者から六まじくして行けば必ず家族皆臺に乗るで睦まじくなる一人一名の心に誠あれば内々睦まじいという世界成る程と云うと仰せ下さる通り此の世は六臺始まり六っくという世界六っくは誠なり元々六柱の神が御揃い下されて人間始めた理により六尺四方を一坪三百坪を一反六尺が一間六十間一町六六三十六町一里六十分が一時間一日二六二刻六六三百六十日一年皆六が臺南無阿弥陀仏と云うも同じく此の六ツが南無と云うて1ツあみと云うて1ツだぶと云うて1ツ御夫婦三ツみちと云う水火風と云う三ツの理が揃わねば何事も出来ん。

 六っく睦まじくなくては此の世は何事も思う様に成らぬ睦まじき心がはずれては一切成功せぬのが宇宙の原理原則也睦まじく誠なくては此の世は通れぬ。

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よく

 欲はたいしょくてんの尊の性を受けて居るで欲と云う心が生ずる。
 切るという御守護に人間は切らんと云う心が生ずるが埃切り分けの神様。

 続ぎの神様に対しては切る切る神様には切る事を切らん皆人間は神様の反対になる欲もなくてはならんが例えば千円得れば万円欲しい切りのない心が欲正しき欲は生存上なくてはならぬ之れにて活動もなし進んで行く訳だが重欲強欲色欲等。物事の区域切り目あきらめ思い切りの悪い心捌きをする仕分け心定めきまる足納の心はあきらめ心定め切れの悪い万事定まらぬきまりのわるいが此の神の嫌い切らにゃならん事諦めにゃならん事を諦めぬから此の神様に叶わん人間切らにゃならん事を切らんは欲。欲はどれ程結構でも結構と思えぬ不足あるのが泥水思い切りなき心は泥。欲しいと云うは何でも目に見えるもの欲しいと思う心欲とは思い切りの悪い心を云う何ぼ有っても足らん/\と溜める心。大いに違うもの也。

 例えば歯で噛み切るも切り今此処を立って行くも思い切り仕事を止めて人の頼みに応ずるも思い切り是れが切れ味と云う歯で切り分けて味分ける心で切り分けて切れ味全て万事善悪正邪等の切り分け切れのよいスッパリとした心此の心に成れんのは欲なり此の神様は欲が大の嫌い。此の神様は俗に云うスッパリとした御心の綺麗な心定め諦めのよき神様なり。

 又柔らかきものでは物は切れぬ堅き強い心で悪しき埃を切る悪因縁を切る切れる欲深き故万事心移り変わり易く定めた心崩れやすく心の定まらん性質は欲の因縁しぶい心。物事の万理分け見分けの出来ぬ心の捌けぬ定まらぬという人の心の見えぬ物の訳の分らぬ心の切り分けの出来ぬは此の神様の入込み薄き故此の神の徳をかげるものなり即ち欲の埃より耳の聞こえぬのも聞分けの出来んと云う目の物を見る如く一度耳に入る事は聞分け明らかに出来るが当然なり。

 人間味分相応の衣食住と義理応保の四つの苦は理に叶う例えば人に恩を受けて恩を返す事とに働く欲。

 此の世の苦是れだけは如何なる高位高官の人でもなくては立たぬ通させて貰わねばならん心それ以上何程有りても足る事足納知らず切りのなき心にて人は倒しても害しても人をしぼりても我れに取り込む心が埃。

 例えば大人物となる人は悪を知り一度誤りたる事は二度と思わぬ成さぬ一々思い切りて段々心が進むから心が広く太く修養出来る如く小人の心は悪と知った事も思い切らず何時迄も心が其所に居て進まぬ如し何事も一々学び修めて進むで上達する。

 八埃は皆欲なり。御言葉に我が身捨てゝもと云う心の理に授け置こう云々とある通り身上を捨てるのではないが人間は我が身を思う為に埃が生ずる一切の欲を去って人を思う神の心に一致する誠の美しき心にならねば神の道具に使えぬと云う意味なり。
 欲に切りない泥水や心すみ切れ極楽や。

 欲と云うても理に叶う方と埃になる方と有るので前述の通り至当の正しき欲望は人間として止むを得ぬ所であって又此の欲が有って楽しみて生活し向上する訳で同じく社会も進歩し発展を見る訳であるから神の心に反するのでないが人間は欲に限りない切りないものでそれが為不正に陥りやすく皆我れという自分の為のみを思う心からして人は如何でもかまわん非道の欲しいも惜しみも恨みも腹立ち分け隔ての身引きも人を憎むも高慢も遂に欲に固まってしもうて一層高じて強欲重欲足る事を知らず人を倒しても我れが取り込む天理人道をないがしろにし人の困難する事も人の立ち行かぬ事も社会に害を及ぼす事も顧みず只我れさえ肥やせばよいと云うような事になり。

 我が一身一家を肥やす為に国家を害する様な貪欲。
 人の為とか社会の為とか云う事は少しも顧みんと云う様な事になるのである。国家の安寧秩序平和も保つ事の出来ぬ心使いにて之れ即ち悪因縁の根元罪悪を犯す之れより大なるはない。

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高慢

こうまん

 高慢はおおとのべの尊は引出し伸びる理を受けて居る故人間も人より伸び出ようとする心が生ずる。多くの人の長に成ろうとか人より上に出ようとする心は此の神様の性を受けて居るから生ずる。長はながい。

 出ようと思うたら自分が十分勉強し実践躬行して力さえ拵えさえすれば自分が出ようとせいでも神が出して下さる。価値さえ有れば如何しても神が引出して下さる。

 登る神引出しの神で有るのに人間は人を伸び出さず登らす引き出す引き与えにゃならん所を引き出さん人を押さえる心、与えん心、人を押さえて我が身が登ろうとする心人を見下しつき崩し人の切つ先を止める人を誹さす言いつぶす自慢我慢高慢此の神様は引出し下さるは即ち万事人間に引き与え下さる満足与え下さる導きの神出世の神とも云う力の神なり。

 人間も人に引き与える人に満足を与える我が身が低うなって人を引き出す導く引き連れる我れが知りたる事は人の教え与えて導く人を伸び出さす心は此の神様の御心なり故に此の神の御心に添えば力が出来る。

 高慢は人を見下げ自分の長所と人の短所と見えて段々人を見下げる様になる故我が身の徳をだん/\落として行く心を使う。徳を得る人出世する人は之れと反対自分の短所と人の長所が日々に見える高慢無き低い心の者は日々に徳が出来る故我が身が上る。高慢や我慢では真の力の備わるものでない低い心で万事行き届く抜け目のなき我れが十分守り行う。我が行うた事は高慢に非ず我れの行わぬ事は嘘になるから高慢なり四つのものを知っても十も知った様な顔して人に見せかける嘘を云う小さい事でも大きく云う知らぬ事を知り顔。

 人を引き出し与えにゃならぬ所を与えん引き出さんは皆高慢我慢也人に満足を与える事が出来ぬ。高慢がしたいから惜しむ心。
 例えば御道の大切なる理を人に教うるを惜しんで教えぬが如し。

 人に与えぬ心引き出さぬ心惜しんで人に全ての事を満足与えぬ心人を抑えて我れが上ろうとする心。
 是れが身びいきから高慢神様の御心に反する心故我が身の徳我れの力が出来ぬ故上れぬ出世の出来ぬ心なり。

 我が身働くを惜しみ人を働かし人を使い見惜しみをし高慢我れ働かずして人の働き人の骨折りで儲けよう徳を得よう人を踏み臺にして我れが上ろう出世せようという如く高い所で物を拾おうと云う様な心。

 高慢は智恵の行きつまりと云う自ら昂ぶり我れが偉いと思い心使い高い気の高いいわゆる慢心する己惚れ。
 人間は身引き身欲から心が暗くなり理非が明らかならぬ事になり自分のする事はよい違わぬ我れはよく物が分って居る知っていると云う風で我れのする事は非でも理と思うが如く。全て人間は人の事は分りよく見えるもの互いに我が身の事は分り難いもの故に我れの欠点を顧みず又欠点が分り難い、人の欠点がよく分るから人を見下げる。

 人のする事は理でも非と思い人が間違う人が行き届かぬ分らん様に感じて恨み腹立ち憎み等の埃を作り我が身の下る道を作る我れの徳智識の進む事を得ぬ。

 高慢は人の云う事が聞けぬ聞き分けが出来ぬ人の思いを達せしむるとか人に満足さすとか人も意見を入れるとか人の忠告目上の意見忠告も用い難く人を立てる心なき向こう行き強く我が心を反省する心なき故我れが思う事する事は良いと計り思い切るゆえ失敗誤りが多く出来るのである。

 高慢は人に成る程と見せかけて貰いたき心は欲しいに当るというて我が身人より偉いと思う心は高慢にして身引きの理という。全て自慢我慢からして負け惜しみ負けても負けぬ人を勝たすと云う様な寛容な情け有る心も謙遜とか従順とか優しいとか云う様な美徳を失うもので我れの価値を落とす殊に婦人などは尚更なり。負け惜しみをして価値を落とす笑われる。

 人に見せかけて我れが高い所に居りたい人に尊敬して貰いたい心から知らぬ事でも知り顔し外見を飾る見栄を立派そうに装う人より偉そうにしたいと云うようなもので其の内実は実力でない故心は苦しい。皆埃は欲しいから苦い高慢から惜しみ。

 人に敬うて貰いたいと云う欲しい心が埃にて高い心故気が昇る気兼ね皆力の出来ぬ心なり人の云う事で心がグラつく変る定まらぬ心干る細る理心を落として低い水の心うぶという誠の心心太る理。

 笑う人には笑うて貰う見下げる人には見下げて貰う吾が定めた真実は狂わぬ人の云う事で心が濁らぬ動せぬ丈夫な心誠を定めば実力が備わるで我が身が上ってくる低い心で人に負けて働くから我が身に徳が出来る。

 高慢は人を大切立てるという礼譲誠をかくもの故人に嫌われてつまり見下げられる事になる。

神言
 如何な人でもこんな者でも日々通る所に高い低いの区域付ける理はない身上は神様よりの借り物で有るから高山から谷底迄も人間に高い低いは無いけれど心の理は数限りない高い低い有る。そこで人を見下ろす事は埃となる財産が多くあるとて人に分けるでなし智恵才智有り賢ううまれていると云うても人にやるじゃなし分けるじゃなし皆其の人の徳じゃから高慢するに至らん、又道の上でも同じ事二十年勤めた者も十年でも五年でも今々出て勤めている人にも同じ理長く勤めた人は長いだけの理短く勤めた人は短いだけの理である。高い低いの区域付けるは神の道にはスッキリ外れてしまう……と仰せられて有る。

 神様は近道も欲も高慢無き様にと仰せられ又欲が有るならやめてくれ神の受け取り出来んからと仰せられてある。

 皆人間の埃が強いから神を止める神が入込めぬ守護が出来ぬ故八無八迷い病となる神様身の内世界真実御働きを無にする心神の道を止めるもの故皮が腐るとか破れるとか骨が痛むとか枯れたり種々変じて来る。

 欲しいも惜しいも可愛いも皆御神心故理に叶う様に出来れば神心と一致するなれど神の御心には合わん欲しいや惜しいや可愛いになる故埃となりて身の害をなす。

 八埃は皆神様に対するもので神を無にする神を憎む神を立てぬから八無病となる人間に対して万事成すなれども人間が神の借り物神の八方故只心だけが人間の物故なり。

 神様と身内と別々に思うて居ては天理は分らぬ神は身の内に御座るなり身内と神様を一つに考えざれば悟り諭しは分らん身の内借り物が分れば何かの事も鮮やかと仰せられる世界に分らん事はないと御教祖は仰せられてある。

神言
 一粒万倍種より生えて来る天の理にもたれてする事なら怖き危なき道はない八ツ聞いて八ツ説くだけでは如何もならん襖に書いたる絵の様なもの八ツと云う理が心に治まらにゃ如何もならん白いものやと云うて売っても黒かったらどうする無理の理でも通すと云うは人間凡夫の理である。

 又病気御諭しも人間は一人毎に顔の異なる如く心も同じからず其の人に依って見分けが肝要である。臺は極まってある八方の神様の御心より出る八埃より外には無いけれど八埃が千筋あると仰せらる通り一つの病にても例えば欲しいから起るのもあれば恨みから出るもあり高慢から出る人もあれば憎みから出るのもあると云う如く一つの埃が八ツに分れ又同じ埃でも其の人によりて事情が異なる如くのもの故神の守護身の内の組み立ての根元世界万物の理を知りて臺が心に治まってあれば皆その人/\の見分けも自然に分り来るものとなり。

 諭しは枝末なり悟りと云うものが出来て始めて諭し方が分る本書に記載する所は天の理と云う悟りの臺故是れから細々の所は見分け聞分けによりて又病理を参考に記したるものも同じ事故此の書き記したる其の理と云うものを悟りて是れから応用御研究を願うのであります病の元は心病の性質が分らん様な事では病の根は切れん。

   又自分から其の根を切らん事には人の病の根を切ると云う事は難しいと仰せ下さるなり例えば自己が罪人にて入牢の身なれば他の入牢の者を助ける事難しいが如し自己に其の病の性質を抜くから他の同病の人が助かる神が其の力を与え給う。

 故に神様は因縁をよせて守護下さるはめい/\の心を作らせ下さる故に人のふり見て我がふり直せと仰せられた通り助け一條に当っては吾が心に感じて吾が心の錆埃を知りて改良する我が心を磨く見るも聞くも同因縁有り病人を与えらる人助けの道に苦労すれば悪質が取れる。

 何でも人を助けようという心は誠故その暖かき慈悲の心なるが故吾が心が成人成育する。
 明らかな御教祖の教えを聞いて我が心が磨けるだけ人の心が写る我が心が鏡になれば皆写る我れの性質が抜けたら人の性質が分る心を澄まさねば写らぬ濁り水に物を入れても分らん如し。

 天理の教師とは天の定規サシガネを以って普請をする大工と同じサシガネが一分狂えば家全体が狂う一分八間の例え其の定規は御教祖の天の御言葉。(天啓)

 又定規無しに物を削って居る様な事では道は何年通っても心の普請は出来ん即ち心が作れん大きくならん心を大きくする道を知らねば神様の普請の役に立たぬ。むしょうやたらにせきこむなむねのうちよくしやんせよ。

 神様の御順と四季刻限の順と有る。一二は月日親様三は続ぎ四は立つ五は飲み食い六は六く風七は切り八は引出し八埃がほしい、おしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よくこうまんと神様の順に云うて御説明がして無いのは此の神様は此の埃と云う事が成人次第に見えて来る様にふたがしてある意味もある。

 我が心の磨けぬ作れぬものが易や八罫見た様な事を云うて高慢のしたいのが凡人の常であるから心の磨けぬ間は明らかな事は分らん故却って人を迷わし害になる。

 例えば子供に正宗の名刀を持たせた様なもので却って我が身を傷つけ滅ぼす人を害する危ない名刀を使うだけの腕前が出来ねば名刀たる切れ味が分らんと同じ神がその力を与えん。我が心を磨く道を知らざれば我が身に生涯末代の徳を貰う事が出来ぬ我が身が助からん例えば易を習うて人の事を判ずる如し。

 此の度の道は万委細の元を知り是れ迄に世に教えられたる本病の本一切の元を知らし心を磨かせ其の身に永遠末代の天徳を授けて助け下さる道天啓即ち神の言葉を聞かして貰うのが天の徳なり是れが心に治まれば神が心に宿って下さるのである。

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二十一節の解釈

 あしきをはらうてたすけたまへ天理王命二十一遍唱える理は人間には二十一の悪しき節が有る故に此の二十一節をとる為に悪しき払いを二十一遍唱える理也。

 非道の欲しい出し惜しみ、身惜しみ、骨惜しみ、恨み、そねみ、りんき、嫉妬、かんしゃく、かんてき、我が身と人との隔て、我が子とひとの子の隔て、悪口、仲言、笑い、そしり、強欲、重欲、自慢、我慢、高慢。

 以上二十一の悪しき節也よくよくつつしむべく恐るべく、払うべき也慎み恐れて払わざる時は病気、病難、怪我、過失にて身体を損ない、はなはだしきに至っては身体を滅ぼすなり又不事災難等にて家財をなくし又蕩尽すよくよく恐るべく慎むべきなり。

 非道の欲しいと云うは我が身丹誠を尽くしてまとまるべきをまとめずして身を怠りあれが欲しいこれが欲しいと思い人の目をかすめたりくらましたり人の目を盗む心を非道の欲と云う。

 出し惜しみと云うは人より物を貰いて身分相応の返礼すべきを返礼せず又借りて返す時に惜しみたり返さざるが如き心を出し惜しみと云う。

 身惜しみと云うは我が身にてすべき事を言葉にて人を使う心を身惜しみと云う。

 骨惜しみと云うは我が骨折ってすべき事を人に骨を折らし例えば五人に五十のすべき事の当りたる時我が身にて五つ位をしてあとの五つを外四人の者に差せるが如き事を骨惜しみと云う也。

 恨みと云うは金銭縁談を無理非道にてすべてツナギ連続を切り恨まれるを恨みと云うなり。

 そねみと云うは人の出世勉強或いは繁盛する事を忌々しいと思い又人の善き事をよいと思わざる心をそねみと云うなり。

 りんきと云うは男女互いに色情の事を疑うが如き心をりんきと云うなり。

 嫉妬と云うは多く妻妾の間に起る心にて全て人と互いに妬み合う事を嫉妬と云うなり。

 かんしゃくと云うは全て身上に腹を立てる事にてその場にては左程に無く陰にて怒る心をかんしゃくと云う。

 かんてきと云うは身下の者に表にて怒る事にて全て妻子弟妹或いは召使い等の者に腹を立てる心を云うなり。

 我が身と人との隔てと云うは我が身程可愛者はない。それほどに可愛者なれば人の身も同じく思えばよい成れどもそれほどに思わず。例えば美味しい物は我が身が食べ不味い物は人に食わそうとするが如き心を云う也。

 我が子と人の子の隔てと云うは我が子程可愛者はない人の心になれば誰も同じ事也。しかるにそれを思わず人の子の理を理と思わず我が子の非を理と思い例えば又我が子と人の子と一所に居る所にて人の子に隠して我が子に物品を与える如き心を隔てと云うなり。

 悪口と云うは其の人に対しては悪いと云う事を知りて云わず其の人の居らぬ所にて他の人に聞かす如き事を悪口と云うなり。

 仲事と云うは或い一人の悪しき事を聞き其の言われたる人に我が身が気に入る為に告げるが如き事を仲言と云うなり。

 笑いと云うは人の遣り損ない人の失策の穴を見たり聞いたりして気の毒な不憫と思わず却っておかしがる心を笑いと云うなり。

 そしりと云うは我が身に関係無き事でも人の欠点人の失策の穴を探して人に話し合う事をそしりと云うなり。

 強欲と云うは人間は衣食住の三ツの苦と義理応保と云う此の四ツの苦は至当の事にて成さねばならぬ事也。なれども何ぼ足りても足る事を知らず我さえよくば人はどうでも倒れてもかまわん我が身に付けよ取り込む事を強欲と云うなり。

 重欲と云うは例えば人に払うべき金銭或いは遣るべき金銭を出さず払わずして其の金を人に貸して利子を我が身に取る如き心を重欲と云うなり。

 自慢と云うは我が身が人に偉い者やと思わす為に我れのして来た事の中で手柄らしき事を並べそれに上手成る嘘を交えて偉そうな顔をするが如き心を自慢と云うなり。

 我慢と云うは我が身を強い者や達者な者やと思わそ見せようとの心にて無理に気張るを我慢と云う例えば人に対して話の中に我れの六分を十分にし人の十分を六分にする為に強情張るが如き心を我慢と云うなり。

 高慢と云うは人を抑制して我が身が昇階として知らぬ事を知ったらしいしたり身分不相応なる美服をまとうたり人が丁寧に頭を下げてくれるを我が身誇りて頭をさげざるが如き心を高慢と云うなり。

 人間たる者右の二十一の悪しき節無き者はなしなれども親神様の大恩を報ずるには是非払うべきなり此の節を慎みたるを誠の神心と云うなり二十一の悪しき埃にて前世より今世へ生まれ出で如何なる不仕合せも一身の置き所なき者も不具も片輪も独り身も妬も難儀も不自由も皆我が心にて本元潔白成る魂魄を埃にて染め込みしたる結界なり恐るべし恐るべし。

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因縁

神言  因縁と云うは心の道と云う。と仰せられる悪因縁、白因縁、神因縁の別が有る故に善き因縁は八ツの誠の徳にして悪因縁とは八ツの埃の現われを云う又天理とは神の御心を云う皆人間一名一人毎に面面の心、性質が因縁なる故に前世に使うた心は性質と成り、今世に有る其の心通り即ち心の道が神の御守護を受けて善悪共有形に顕現される現在の境遇肉体及び其の他に現るる状態は即ち善果悪果の現象なり。

 日々に例えば昨日が前世今日が今世明日が来世也。一日も一代も同一の理にて人間は日々に死して生まれて出る其の雛形を通って居る理のもの也。又親が前世我れが今世我が子が来世の理と同じ意味になるものなり。例えて申さば昨夜に腹を立てて寝たる時は今朝起きても忘れて居らぬ故に其の心を使う又其の心を区域を付けて思い切ってしもたら腹立ちの心使いが一と切りとなって心他に移るが如く日々にうつり変り進んで行く故死しても生まれても善も悪も皆其の日々に使うが性質と成りて魂にしみ込んで居るから其の心が働く心が身を使う人間は僅か五十年か六十年の一代の事より分らないが神は何百年も一ト目に見て御座る前々世を通じて如何なる事も現世に心の鏡となって現われるよって其の証拠は其の身に現れる事と其の心としらぶれば明らかなるものなり。

 天は精神を照らし給うが故上手ひそみて蒔いたる種程鮮やか明らかに現われるのである。我れが種蒔いて我れが収穫すると同じ前世に於いて種々の善悪共に種子を蒔き其のまゝ今世に持ち越し来る日々の心使いが肥となり花咲き果実となりて現われる心魂は不滅なる故人世は現世のみでなく永き未来が有りて今世に成した全てが未来に関連される心一ツの理は神と共に生き通して有る故其の徳及び其の責任を有するものなり。

 人間は月日両神の子で有り男は月様の分心女は日様の分心その二神の御心によりて八社の神御苦労の徳によりて世界の万物一切が此の世に現われ人間という姿を現わして居るもの神の御心の現われなり。

神言
 人間は皆々神の貸し物や何と思うて使うているやら。此の世の一列は皆月日なり人間は皆月日貸し物。それよりもダン/\使う道具はな皆月日より貸し物なるぞ。

 人間は神の八形として神の宿り給う人間の身体は神を祭る所で有る。其の八方八神の御性徳が入込み下されて人体が出来日々其の御守護を受けて居る故に其の心も八通りに働く神様の性を受けて其の心が働く是れが誠で有る。

 身上は神の借り物故人間の我が物ではない神の物心一つより人間のものはないその心の働く中に埃が生ずるものなり。

 例えて申さばここに一ツの桶がある此の桶が酒樽の板と醤油桶の板と酢の桶の板と合わせて拵えたる時は酒の匂いもする醤油の匂いもすると同じ又其の原料の力だけしか力が無いようなもので宇宙万物同じ事神様有って人間万物有り皆神の力よりなし。

 又人間の心は八社の神様の御心が一身一心にて使う事が出来る故其の神様の御心に叶うだけ其の徳を受け其の徳を現わす。

 其の万物の中に於いて人間は神の宿り所として神の姿を借れ八社の神様が一ツになって現われ下されたものが人体なり他の万物は一方の徳が備わってない人間だけは八神の御徳を皆一身に供備して居る故に如何なる事も自由自在が叶う是れ神の八形と云う所以なり。

 例えば月日の親神様でもかしこね様の働きを以って人体によって御言葉を出して下さる如く又道具神様には皆一方利きの御自由用御通力よりない。人間だけは八社の神様の御自由用を一身にて叶うものかくのごとく重宝なる身体を御造化下されたるものが人間也。故に人間の精神は自由自在が叶うもの也飲み食い出入りをなす時はくもよみの尊の御働き突っ張る時はつきよみの尊の御働きを現わし言葉を使う時はかしこね様の御働きが現われる皆神のいわゆる通力を現わして居る也。

 故に神に優った人間と仰せ下さる神の心を使う為に神の自由用八形を借れて居る。神言に甘露臺と云う理何と思うて居るか其の明かりで照って有る此の世へ出た人間というは何程の理というや分らせんでこれをよくつたえてやってくれ此の理おさまれば何よの事も皆分る。と仰せ下されて有る通りで此の世は生まれ出た人間には皆甘露臺と云う理が有ると云う事を仰せられて有るもの也。

 元々紋型の更に無き時人間を作る為に八方八柱の神を集めていざなみ様を雛型として其の身の内に仕込み下され創めて人間と現わして此の世に体を産み出し御現わしなされた理が甘露臺と云う理也。故に甘露臺は人間一名一人に有る此の身体の構造が甘露臺の理なり。甘露臺と云うは人間と云う理なり人体組み立てと云う理で有る。

 一列澄まして甘露臺とは我が胸の内一家の一列を澄まして胸三寸に甘露臺を建設し作らん事には甘露は受けれぬ。

 身体に皆名がある身体に神は御住まい有り身の内八社の神の御守護と云うのが即ち一人一名の神様で有るなり身の内に神は在るものなれば其の神の心を使うより他はない。

 身はやしろ神は心に有るものをほかを尋ねる人ぞおかしき

 又神言此の道はどう云う事に思うかな甘露臺一條の事此の臺をどう云う事に思うている之れは日本の一の宝やと有り。

 故に神様が宝と仰せ下さるは人間より宝は此の世にないものなり万物の霊長と云う神の御恩が分るものは人間よりない神様を勇まし奉る第一のものは人間よりない故に人間成人の暁には親子互いに物語と仰せ下さる。神歌に何でも真実神様の交わりさして貰いたいと有り。

 又百十五歳定命迄病まず弱らず十八の心で通る霊魂不滅行き通しの状態が鮮明に我れに見分るように成り前世二代三代の事も分る様になる神世となるは前途に有り。

 男は月様の分魂女は日様の分魂で有るから八社の神様が使われて下さるあたかも月日両神に八社の神様御付き添い下さると同じ其の分け下さりたる心魂に御付き添い下さる此の大恩を知らねばならぬ。それ故に恩に尽きれば牛馬とも落ちる勝手な事に神様を使うから迫る也。使わして下さる使われて下さる人間が我が子かわいも同じ人の本心は神の分心ゆえ信神信心精神安神など云うなり。

 八社の御徳性を一身に具備し心の自由用叶う故心使いにより八通りの心の埃が生ずる男神の入込み下さる男には大きな口荒い憎み腹立ち高慢などの埃が多い女神の入込み下さる女にはこまい埃が多い此の埃が神の働きを無にする止めるもの故変体となりて病み愁い難儀不自由など生ずるものにして八埃さえ無くば人間は神の心と分通するものである。

 神言 それ人間と云う身の内と云うは神の貸し物借り物心一ツが吾がの理心の理と云うは日々と云う常という日々常にどう云う事情どう云う理幾重事情どんな理どんな理でも日々に皆受け取る受け取る中に唯一ツ自由用と云う一ツの理自由用と云う理はどこに有るとは思うなよ只メン/\精神一ツの理に有る日々と云う常と云う日々常に誠一ツと云う誠の心と云えば一寸には弱いようにみな思うなれど誠より堅き長きものはない誠一つが天の理天の理なれば直ぐと受け取る直ぐと返すが一ツの理よく聞分けと仰せられてある。

 又一列は皆メイ/\の胸次第どんな事でも叶わんでなし月日は何叶わんと云わんでな心次第にどんな事でも法やとて誰がするとは思うなよ此の世創めた神のなす事。人間はあざないものであるからに珍し事を法などという。又身の内借り物の理さえ分れば何かの理も鮮やかと云うと仰せ世界に暗い事はない心次第誠次第にて神は如何なる力も与え下さるもの故その徳は一名一人/\によりて違いが出来る神は心一ツの理に肉体を始めて一切の事一切の物は人間に貸し与えると仰せ下さるなり熱心なる者に神が入込み智恵を貸し下さる故に天の秘密を漏らして人間に知らせ下さるで社会がダン/\と重宝に進歩して行く。

 又身体の生きて居るは神が生きて居る故なり人間が生きて居るのは神様が生きて御座るので有る神の大恩は広大無辺にして余り厚過ぎる故分らん天地の間親様の体内に住み居りて親の乳を飲み肉を食べて暮らし親の懐の中に生死しながらその恩が分らんのである自然に馴れ当り前として遂には神の有無を疑い或いは神は無きものゝように思い神は人間の死した魂を神と崇めるだけで或いは神というは勧善懲悪のために人間が拵えてあるものだとか無神論を唱うようなものさえあるようになった。

 例えば乳飲み子が親の辛苦も恩も世の中の事も分らぬようなもので成人して親の心も恩も分り又親としては成人せねば何云うても思惑を語りても分らんゆえ成長に応じて教育し或いはおどろかしたりたらかして成人を待つ如く神様も人間成人の年限至りて天下り天啓即ち天の言葉によりて教祖は如何な賢い人でも人間では絶対に分らぬ事を教えられたそれで初めて確かに神の存在其の大恩が分り身内世界一切は神の絶大なる守護なる事。神の真実親心神人の関係因縁の理法をダン/\知るに至った。故に世界は神の世界。神の守護にて日々に進歩しつゝあり人智の発達と共に自然に真理が分る様になり神の思惑たる順序に進んで居るのである。

 我々が是れ迄考えて居たる如く肉体は本来人間の自由のもので我が物であれば人間が望む通り思うまゝに何事も出来得る筈である。

 しかるに肉体を始め一切の事は決して人間の気まま勝手になるものでない。身体が自由に使える故我が物と思うて居たるなれど人間の心は神の分心にて肉体に宿り此の微妙極まりなき天地間に各々生命を受けて生活をなし神の支配と所分を受けて神の守護神の心依りて肉体始め一切がいわゆる生成し化育するものなれば実際は人間の自由用でなくして神の自由用神に支配されてあるものなり。月日を神と知らず水火風宇宙の森羅万象人間万物の状態を眺め考えても神と思わぬから只自然に成るものとし神有る事が分らぬ神は何所に有るものやら何見ても神は分らん無きものと信ずる。

 又神は心に有るもの故無いと思うものには心にないからない有ると信ずるものには心にあるから有る故神はないと云えばない有るという理になる又人間の思うまゝになるなれば世の中に不自由難儀するものはない病み煩い愁い災難で苦しむを好むものはない。誰でも健康な立派な身体を望み幸福に通りたいと思うても自由にならん死するも生きるも勝手にならぬ。何か万の事世の中はまゝに成らぬのである。

 神の教えに「成ろうと思うても成らんが人間心の埃成ろうまいと思うても成って来るのが天の理」又「成るも神成らんも神不思議/\は神」

 日月の旋転四季の循環何千年経っても其の位置を変えず水は流れ山は瘠せず毅然として立つ万物位置を替えざる状態或いは善因縁果悪因悪果陰徳あれば陽報あるの処置或いは種を蒔いて成木花実を結ぶ其の原因結果を成す所以是れは神無くして何物が成すであるか。此の世の中にその成すものがなくして心なくしてかく整然と乱れざる筈のなきものなり。例えて申せば人間が生まれよと思うて自由に生まれる事が出来、我が子が自由な子生む事が出来たり夜昼同じく目が利けば都合がよいからとて目を直して見る事が出来たり或いは時々は鳥の如く空中を飛んで高い所に上って落ちぬように羽を拵えるとか或いは時々は海や水中に生息がして見たいと云うて出来るとか或いは今日は晴天が都合がよい風は入らない雨は入らない又一年中はあまり寒さ暑さのないように何時も春三四月弥生の花盛りの時候で暮らすようにしたいとて自由になるとか或いは山間僻地に海辺に都会に田舎に生まれ出る事も或いは富貴の家に貧乏の家に生まれ出る等縁談事金銭事業希望等全て一切の事が自由自在が叶うて人間の思うままに出来れば人間の自由と云えるなれど我が身体を始めとし何事も世界のものは神の心天地に定まった理法に従うて働き又是れを成さん事には何物も扱う事が出来ん自由にならんものであるなり。

 我々人間が希望する所無上の幸福を求めるには誠と云う心即ち神の理法に従うて其の道を踏んで勤めて行かねば之れを勝手に求める事が出来ない其の誠という道と云うは人力にて左右変更する事出来ぬ神の御心であって是れに従ばねば人間としての自由用が全う出来ん。

 神の霊妙不可思議全智全能なる本体から人間は一定の制限ある心霊と肉体を分け与え制度ある自由用を与えられて居るものでそれ以外の自由は叶わんのである。しかして神の思惑以外の自由用を与えられても決して幸福なるものではない神が天地創造の目的は人間の幸福に在りて陽気遊山の重宝なる人間を御造化下さるために永き年限の間御苦労の結果此の人間世界が今日に及んで居るものなればなり。

 しかして人間の霊魂は不滅のものである事は無形なる宇宙の大霊永劫不滅なる神の分魂なる故にして形有る肉体は生滅するとも心魂は滅すべきものでない事は天啓によりて身の内借り物の理を委細了解するによりて知る事を得る又人智の発達によりても人間の智識心身の状態を研究すれば必ず確信する事が出来るものなり。
 神は人間の死して生まれる事を出直しと教えられた。

御教祖の作神歌の内に

「人間は死に行くなどと云うけれど死にゆくやない借り物返す。
 返すのは身の内埃積もる故身の内神はとりてきなさる。此の事を着物にたとえ話する心の汚れはらさぬものは。洗わねば着てることが出来ぬなり何ばうしてもぬぎすてるなり。きものでもなんぼ汚れてあるとても水で洗わざればきて気がよろし。人間も心の汚れ洗たなら神も喜び守護下さる。人間死ぬるというは着てるものぬぎすてるのも同じ事なり。神様は話ばかりで人間の心の汚れあらいなさるで。此の話水と神様同じ事汚れたるもの洗い澄まする。助かるも心次第や一列に早く心を澄ますことなり」と仰せ有り神魂が汚れるから神が退きぬぎかえられる結構な魂がよごれるから出直しさしなさるのや。身上が無かったら魂のよごし方が無い。

 身上借り物と云う大恩が心に了解悟得すれば人間は神の八方という八代という世の中を社会という。
 男見れば男神女見れば女神と思えと教えらるゝ通り社会の人は皆神なり。
 子の為には親が神親の為には子が神。妻の為には夫が神夫の為には妻が神。
 此の理が分りて此の心に成らねば真の敬神と云う尊王と云う事に成らぬそこから愛国と云うものが起る。

 万物は神の御心の顕現なれば尊重大切に扱う社会は皆兄弟同胞神言に世界中皆一列は兄弟や他人と云うは更に無いぞやとある。
 男一人女一人でも立たぬ社会は皆合い寄り合い助け互いに立て合いの真実を悟り宇宙間の物はことごとく互いに助け合いもたれ合いて此の世に存在し生を有するものであると云う理を知り神が人間を創造せられたる目的人体本然の陽気生活を全うする事を知り。
 親心忠孝仁義霊智信犠牲の精神等即ち誠一切の徳を全うする事が出来るのである。

 即ち我が皇上は神の御化身として神に代わりて国土を愛撫投冶し給う。
 我が神国は万世一系の神統を継がせ給うは神力を以って立たせ給う天地と共に極まり無く天定の真君主に在らせられ神は皇上に現われ国土を治め下さるものなれば皇上は神と同一なり四海兄弟同胞の親様にして是れを以って国家は泰平安寧に治め下さる大恩を知り忠義を尽くすは神に忠義と同一なり。不忠は神に不忠と同一上は神入込みて治め下さるものなれば上を仇にするという之れ程天の理に重い罪はないのである。

 又一家に在りては両親は神に代わりて我が身を養育せられたるものなれば之れに孝を尽くすは神に孝と同一是れより人は互いに敬愛するは神の思召しを立てる現成するもので此の人間の美徳を保ち以って人世は最も美化する事を得るものなり。

 人間も心と云うものは目に見えぬ神と同じ事宇宙全体が神で有るがさて其の神が直接人間に物云うとか直接に国を治める事は出来ぬ人間が神の心の現われたるもの人間に入込み働き下さるものなれば人体と現われ下さるのが神様故に上は神と仰せられた通り上に立って下さるものが神の代理なり我が神国にては万世一系の皇室が即ち神様なり故に君に不忠親に不孝は天の理を踏みつぶす理なれば小にしては一心我が身大にして国体の立つべき筈のないもの一身乱れて病、国乱れて国家立ち行かぬ八方の神は一身同体と成り給うて人体世界が成立完成せられ日々が立って居る神様でさえ一神にては此の世が立たぬまして人間は尚更の事是れ立ち合い助け合いの理は宇宙の根本にて神が雛形で人間万物作られ大宇宙は神の大なる一体にて人体は小宇宙と同じ事人と云う字の如く人間は互いもたれ合い立ち合いて社会は立ち行く人を立てず繋がず人を倒し、我れの立つ筈のないもの。

 身体の構造天地間一切の事物を眺め世の中の組織を見ても動植物の生存の状態を見ても皆其の理を研究して見れば一切の万物はことごとく相関連して世に存在し相寄り相助け長短相補いつまり互いの助け合いによりて生活し幸福あり意義あるもので只単独で生存するものは此の世には無いのである。

 社会は人と人とのいわゆる団体を形成し共同生活にて存在し之れによって幸福あり進歩を見らるゝのである。
 例えば農家、工業家、商業家皆その職務を精励して世の中が立って居る如く世の中のすべてはことごとく自然の助け合いによりて其の位置を保ち生存繁殖して行くもので此の互い助け合いは神の思召しを現成せるもので人間此の精神をかく場合には社会の団体的共同生活は安全に出来ないのである。

 一家は親子夫婦兄弟相互の助け合いによりて立つ家庭が円満に形造られ国家は組織する国民の相互扶助によりて国家の安寧が保たれるのである一会社一工場等に於いても同じく全て此の助け合い立て合いの天理誠によりて世の中に真の平和幸福が保ち得られるのである。

 しかるに人間は我が身さえよければ人はどうでもかまわぬという薄情な心が起り勝ちのもので遂には高じて人を倒してまでも我れを立て我れの利欲を得ようとする人が多いが。
 此の心は畜性道にまだ近い心であって神の屋形としての成人の至らぬ心故神が人間を立てて下さる天地の真実誠を破る神に反逆する心ゆえ神の世界神の屋形人間としての幸福は得られない心であるから我が身の苦しみとなりて貧困に落ちる心の道で立ち行かぬ事になるのである。

 神言に身上は神よりの借り物であるから高山から谷底迄も人間に高い低いは無けれど心の理は数限りない高い低い有る。又心一ツの理心の道に依りてはどんな難渋な道も通らにゃならん。又メイ/\にするにする事ばかり是非がないそこでじっくり見ているのやで。

と仰せ下さる心は神より分け与え下されて身上と離れぬものゆえ本体は神の守護なれど日々と云う日々常にと仰せの通り日々に心使う其の使う理が人間のものであるから心に人間の自由に使える心と云うものは目に見えるかといえば見えん形のないもの其の見えん物一ツより人間の物はない無形の物故無いかと云えば有る世の中の事は皆人間の心が成して居る神と云う物も同じ宇宙は神の心で整理が出来る人間の心と神と同じ物。

 尊いも心卑しいも心難儀するのも結構に栄えて行くのも病んで苦しむのも皆心一ツより外にない。

 人間の堕落するのは神でも仕方がない人間の心は仕様がないと神様仰せ下さる教えをするより外はない。人間身体の初まりは両親の心を定規として十ヵ月胎内の間に作り給う其の身は前世因縁に依って親の理と同じ皆心使いが因縁にて現われる故もし畜性の心なれば畜性の腹を借れねばならん因縁が出来る。

 又心に貸して下されたる身の内なれば、心通りに働ける故政治家は政事商業家は商業農家は農業教育家は教育それぞれ人間の心に神が乗って御守護下さる故自由用自在が出来て発達をする悪人でも発達が出来る。

 身上は一列にかわりないがこころというもの一ツにて種々の徳分を異にし高低大小の階級が分かれて各々其の役目が異なりて天の守護の相違あるは数限りなしなどの様な上の人でも下の者でも身の内に変わりた事はないそれに貴き人や卑しき人と万人の為に成る徳望な人や身の置き所無い者や段別の付くのは何故なるや是れは前世より今世今日迄の心の使い方が種と成っても善も悪も此の世の鏡と成ったので有る。

 一国思えば一国の長一村思えば一村の長一国の事を計り一国の事に勤め働くものは一国をはかる力出来、我が身一身だけに心苦しむ小さいものは小さいだけの守護世の中の為に勤めて苦労する心は大きい心ゆえ大きい守護。

 人間は神の器で有り心は神の宿る所である水は方円の器に従う如く神は正直心通りの守護がない故大きな器には神の理も大きく這入る。

 大臣は国家全体の事に心配せられ日本と外国と内外の事を勤めて心一ぱい辛苦を勤めて計られる県知事は一県の事につとめ心労せられ小人の我々は只我れの食う事我欲だけを計りて人の妨害も顧みぬという風で皆心は一人/\に上下有り昔より国家の為を計り天下万人の為に苦労尽くされた御方は万人の上に立たれ衆人の尊敬を受けられる忠君国の為我が身を犠牲にして命を捧げて尽くされたる御方は其の精神は神であるゆえ直ちに其の神魂は此の世に生まれ現われて無上の幸運を得らるゝのみならず国家の水上に立つべき徳を以って生まれられてその役目備わる是れ天命なり。

 我々では自身だけの事を考え心使うて少しでも自分の損の行かぬ様に色々狡猾の智恵を使い心の小さい理であるからいつまでも人の下に居らねばならん社会の為に成るなれぬ。皆天は心通りが守護がない。

 神様魂は入れ物通り入れてやろうと仰せ下さる例えば火鉢には火を入れる肥壷には肥を入れる如し人間の魂も其の通り神がより分け下さる。

 白因縁と悪因縁の者と一所に入れられる訳はない牛は牛連れ馬は馬連れ類を以って集まるのたとえ衣服でも絹物には絹を合わせ羅紗には羅紗を縫い合わせねば合わぬ如し。
 一人の煩いは一家の煩いととなる如く其の因縁に連なる人々は皆前世より心使いが因縁にて親子となり夫婦となり年限の間積もりて現われる。

 天理は明らかにして如何なる事も種通り現われるなり故に誠は誠だけ埃積もれば悪因縁と現われる種というものは小さいもの二貫目の大根でも種は小さい松でも杉でも種は小さいものが大木になる一日に一分の埃を作っても百日積もれば一尺となる。

 心が不足/\なれば結構が見えそうな筈は無い足納の理を治めて結構/\なれば結構が見え喜ぶ心なれば喜ぶ道が見える。
 東海道を通って居って中仙道を見る事は出来ぬ中仙道を通って居れば中仙道が見えるそれが道。天理は正直心通り心に乗って神は守護御働き下さる悪しき事を忘れて善き事に心を使うて居る時は善因縁を作って居る心悪しき事を考え居る時は悪因縁を作って居る心の道。

 悪因縁を切るのはその悪性を思い切り忘れて思わぬ心に無くするが切り替えの第一善の方へ種を蒔きダン/\成木さすにより善の方へ力の入るに従いて悪の雑草の方が枯れるもっとも成木さすには修理肥という草を取る労力が入る如し。

 心から心のなわにからめられ心よりほかに解くものはない。

 人を助けて我が身助かる人を倒そうという心あれば我が身が倒れるが理人に損を掛けたら我が身に損せにゃならん事が出来てくるのが理人をつぶせば我が身つぶれる人を立てたら我が身が立つが理人をかけようと云う心なれば我が身がかゝる。人を苦しめ人の心を痛めただけは我が身が苦しみ痛まにゃならん皆此の世のものは裏と表のないものはない。

 夏至の裏には冬至大暑の裏には大寒夜有れば昼が有る夜が長き時は昼が短い昼が長ければ夜が短い一方が九十度位も温度が上るからその裏は三百四十度位其の裏表を一ツにすれば同じ百二百三十度位の温度。

 苦労したら楽しみ有り例えば今日成すべき仕事を怠れば明日は余分に働かねばならん今日働いたらそれだけ明日は楽な昼食を食べ過ごしたら夕食は少ししかたべれん如し。

 例えば二円の日当を取って一円五十銭の働きをするとすれば五十銭は天理の借りとなる又一円の価値あるものを無理に五十銭に取って我れの利益になったと思うても又其の裏がある。

 又前世で八分九分の理を作ってあれば今世に一二分の理を作っても大病に迫るものあり前世に徳を積んで居るものは前の肥のきいている間は今世で八分九分迄埃を積むまでは迫らぬものもあり。

 例えば前世は女を粗末にして我がまま気まま過ごした埃が有るとたとえ如何程選むとも立派な自分の思うままの妻は貰えぬのが因縁。女であれば前世に夫を見下げ踏み付けて来た理あればどうしても立派な夫には添えんやはり見下げるような夫にか添えん故益々因縁を深くするようになる又如何な立派な夫で有っても心が分かったら立派に見えんようになる高慢の高い心あれば我れの長所と夫の短所と見えてダン/\見下げるようになる故我が身の徳をダン/\落として行くから種々の悪因縁を作って或いは子宮の病とか途中折れ生別死別とか云う風で人と続ぎが切れる如し。

 たとえ如何な見ともない夫でも因縁なれば添わねばならんものゆえ我が身の因縁を知りて足納してさんげせねばならん。其の悪しき因縁の切れぬ内はたとえ他に再縁しても又同じ。夫婦に成るのは前世幾度も一緒になった魂なり皆縁談は神の結び給う事故人間で自由になるものに非ず。定まってあるものゆえたとえば一方が徳を積めば一方の方にも神が入り込んで綺麗にして置かれるのが天理。

 全て如何なる事も皆前々世よりの我れが作った因縁なれば其の悪しき因縁の切れぬ内はたとえ如何に我れが思うようになすとても又同様の埃を見にゃならん。

 見るも因縁聞くも因縁我が身に係り来る事は一切我れの因縁より外にはないもの故如何なる事も足納して我が身を顧み我れの欠点を改良ざんげして行くより神様から我が身に徳を貰う道はない又我が身の助かる道はないものなり。神様は親子でも夫婦の中も兄弟も皆一名一人限りやでと仰せ下さる皆前世の因縁に依って親子兄弟となり夫婦と成って居るものなれど神様より授かる徳は一人一名限りのものである故に我れが成した理勤めた理は皆一人一名限り我が身に帰るものなり難儀するのも心から我が身恨みで有る程に。

 又一例を引けば夫婦中でも離縁がしたいけれど或いは豪家であるとか又親類も有るし媒人も有るに中々思う様に行かないとか分かれたい/\と日々心の切れる心を使って積もり/\るとなる帰る/\と云って居たらツイ/\本当に成って生き別れとなる。又心の内に以って表面に出さず切れた心の理は死に別れる迄には容易ならんもとでが入って居る容易ならぬ事情がある。

 又因縁なれば通らにゃなん通さにゃならん通って果たさにゃならんと仰せ下さる。

 又人の埃が見えるのは自分はそれと同じ埃が有るからの事也。己に埃が無くなれば人の埃で我が心が濁るとか腹が立たぬようになる腹立ち不足の事情も無くなるもの也。

 親神様は可愛い一條である故皆メイ/\は助けたい一ぱいから魂の落ちきらぬ様に前世の懺悔をさして下さる。例えば前々の徳に依り不自由なきに増長しておごり栄華を極めて遂には天恩に尽き人の恩が重なれば天のみょうがにつきるもし同じ境遇に長く二代も続けるとせば牛馬にても落ちねばならぬから又不自由な身分に出して働かせて徳を落とさぬよう前世の裏を通らせる様なもので又一例をひけば唖は前世に物が云える聞ける欲が元にて十分罪悪を作ったもの物が云えざれば憎みようがないようなもので皆前世の懺悔なり。

 又助けたい一條から因縁よせて守護下さるので有る或いは人に粗末にせられ人に不足を云われて自己の前世よりの借りが払える自己の前世より使った心と同じ埃の有る者が寄りて種々の埃が立つのも我れの作った埃の現われ故それを見て我が心の埃が分かる改良すべき点が分かる自分の心に同じ性質がある故に人が埃を立てる又人の埃の為に我が心が濁るのであるからそれを我が心の鏡として不足にせず堪忍して我が心の懺悔するから心が磨ける進んで行く故前世の埃が切れる其の同じ因縁の中より我が心を足納して作って行くから我れが助かる。

 かくして悪因縁を切って頂くのである。例えば我が子が云う事聞かぬは我れが親の云う事を聞かざりし種が有るに依って子供に有る故に子供を直すには自分の懺悔をして来たら独り子供は直る如く身の内に手入れをなし又可愛い子供に手入れをして親の心を直して下さる。

 我が身の因縁と云う事を悟り天の定まりと知って何事も足納して心静めば我が心が綺麗になるだけ結構が見える足納の理が分からねば我が悪因縁を益々深くする心の徳を失うて行くなり故に足納は前世因縁の懺悔と仰せ下さるは我が心で因縁が切れる事なり前世因縁は我れの現在我が身に係り来る事より無い故不足不自由成らん中を堪忍足納人を敵とせず不足とせず我が心磨く故切れる也。

 物が結構であって足納は当たり前なり成らん中不自由な中を足納結構とあきらめ心をすますどんな所も其の場現在を不足にせず辛抱が真の足納誠なり正直也。何となれば自分の現在の境遇一切が自分の前世の因縁也。過去の我れが有った故現在の我れが現われたる也現在の我れが有れば必ず未来の我れが現われる也。

 故に前々世よりの因縁は現世の我が身一心にまつわって有るものなれば現世の心を明らかにして天の定規にはまれば悪因縁は無きものである因縁は心故なれども前世よりの錆付きの根が深いと容易に切れぬから人を助ける人を助けた功能の理によりて神より心に徳を頂きて切れる善因縁と切り替える渋柿も甘柿に接続して甘き実を結ぶ如し。

 前世/\の因縁は現在の我れの一身に宿る心を見れば分かる我が心に湧く事心に有る事それよりない。されば現在の心を明かすれば悪因縁は切れぬなり。

 神言に因縁/\と云うてしまえばそれだけのもの。又何でもと云う心なくては何事も出来やせんと仰せ下さる因縁と云うものは別にない心である心で日々に拵えて深入りをしていると仰せらる。堅き心の刃物で埃を切らねば切れん切るから誠に続がる。其の悪質をどうでも切らねばならんと云う熱心に親神様が入り込んで守護下さるに依って霊救の恩寵を被る事が出来る。例えば御道上御助けと云うても必ず人間が助けるのやない神が助け下さるもの其の助けようと思う真心に神が入り込んで下さる也。

 又心の懺悔理の懺悔身の懺悔とも云う心の運び身の運びと云う心尽くし運びという。

 又恩報じの理が重病助けの肝要である悪因縁は皆誠の無き心からして人を痛め天の借りとなりて迫るものなれば其の通り返しなし返しの為誠の心を天に供える心を直したと云う証拠がなくては只直そうと思うただけでは其の証拠が神に見えん真実真心を天に供え受け取って頂く事人を助けるという我欲を離れた心の誠を神に受け取って頂かねばならん。

 又思い病人になると懺悔改良をようせぬで助からん。

 是れは助けの肝要なれどそれを真実心を神様に受け取って頂ける所の実行の心になるのが容易でなく又そこ迄仕込が容易でない。又心を造るという道も修理肥と云う理がなくては心が成長せぬ聞いた理が治まらんから使えぬ実を以って実を買うと仰せらるる理が大切なり。  御道は何でも心を作る事を考えねばならん殊に神様の道具に使うて頂くには心が作れねば間に合わんあたかも大根を蒔いて二ツ葉の時から大きなものに作る事を十分考える。段々薄い肥を度々かけて成長すると同じ一時に肥をかけてもならん如く其の旬々に肥をする故大根でも大きくなると同じ仕込んで貰う親に心尽くすという貢ぐと云う聞いた理に心の辛に肥をするの理が肝心是れは尊い事善い事を聞かせて頂いた是れを覚え心に治めにゃならん話の理を忘れぬ保つ様に逃がしてはならんと思うた其の旬々に例えば御礼でもなすが如く。

 肥をせねば止まらん治まらん故行おうと云うても行えぬ又彼岸過ぎての麦の肥と云う如く其の旬をはずさず肥をするから大きくなる故大き働きする様になるかの財産を一時に果しなどしても心の理を作らねば何にもならん理が心に治まらにゃ何にも役に立たぬ十分心を成長さして太く作らねば人を助け人を導く社会の為に働かざれば役に立たぬ。

 又前世やの因縁よせて守護すると仰せらるゝ通り人を助け社会の為に働く神の道具とする見込みある者は神が手入れ試し苦労さして作り上げて下さる事は重々仰せられてある。前世/\からの魂の汚れを磨く為に苦労の道を踏んで先で立派な花実を結ぶ人間に作って下さるものなり。

 先で大きな重荷を持つ役柱に使わねばならん故今苦労させて心を練り上げて作って下さる。

 反対は道の肥やしと仰せられてあるが例えば槌が無くては名刀は出来ん打った槌は名刀にはならぬが打たれた刀は名刀に成る如く又といだ砥石はやせるけれどとがれた刀は光が出るよく切れる如く人に打たれて負けて/\行かねば我が身の徳は出来ん。

 皆何でもたやすく出来ては力が出来ん成らん中から何でも/\と苦労するから心に真の力が出来る神が力をつけて下さる。

神 言
 身の内借り物五十年以前一ツの道筋助け一條一ト事の話何にも余の事を云うはいらん案じる事はいらん通れん道を通るが是れが道やで悪も善もスッキリ分けるのやで何ぼ云うても一ト言で分けるのや。どんな事するも神のする事やで人を敵にするのやないよう聞分け云々と仰せられた御言葉もある。

 草木でも風にもまれ雨にたたかれ或いは雪に押さえられして茎や幹が固まり力が入り苦労年限を経て大木と成り花実を結ぶが如く苦労の少ない一年で一人前に成る草の類や竹の如きものは柱にも使えん如く年数を経た桧、杉、松、けやき等は大木に成って永久の柱に成る如くすべて道なれば如何なる境遇も足納して進まねばならぬ。又人間も苦労なし不自由知らずでは真の情け親心という人に同情と云う親神様の心を味わう事が出来ん。

 物が沢山有り結構であっても足納は当たり前成らん中貧困苦労の中を結構と足納心澄ますが真の足納にて非凡の大木なり。

 御教祖は尊き因縁のあらせらるゝ御魂で有りながら貧のどん底に落とされた。落ち給うた此の意味を味わうて神の深き思召しが分かるのであるが此の理は中々深き親神様の胸中に在る思惑であって人間心では容易に分らん所で有る人間は僅か一代の事が分らんのである神は前世何千年も一ツで有る故前世/\誠を働いた魂を使い給うものには違いなけれど十分磨き上げぬ事には使えぬ也。

 谷底に用木が有ると仰せらるゝ意味を深く神意を悟らねばならぬ所也。

 神言 メン/\今さえよくばよきことゝ思う心はみなちがうでな。
 出かけから如何な大道通りでも末の細道見えてないから。人間はあざないものであるからに末の道すじさらにわからん。  今の事何も云うではない程に先の大かん道が見えるで。今の道如何な道でもなげくなよ先の本道楽しんでいよ。真実に助け一條の心なら何云わいでもしかと受け取る。口先のついしょばかりは入らんもの真の心に誠あるなら。

神 言
 そうじにかゝりたら道具がいる/\。(中略)
 人の云う事を腹を立て聞いては腹を立てするのは心澄んだとはいわぬ。人が何を云うても腹が立たぬそれが心澄んだや今迄に教えて置いたる聞かしてあるは腹も立たぬ様何も心かけぬよう心すみ切る教えやで。(中略)
 今迄の修理肥でつくり上げたる米百石貰うたら百石だけ有る間は食うてもいられる食うてしもうたらそれでしまいや。こんどない世界をはじめかけたる親にもたれていればしょうがいまつ代の授けやで是れを米にたとえてのちょと話しておく。

 又其の身が悩む位なれば其のような心の埃あれば其の家にも天徳を授ける事が出来ん其の身に天徳を授かる事が出来ん人間の働き位は小さい。天地陰陽神の働き即ち天の徳は大なり。天は誠の心の者に与えたいが為に世界中に万物を作り拵え給う。

 又身体も心に貸したとなれば心の自由であるが借り物を前世に気ままに使い過ごし痛めて返すから今度は完全なものを貸さぬと同一で自由に使えん行えぬ様に止めて御座る。例えば前世に借りが有れば自分は不自由して人様に尽くさにゃならんという気持ちが自然にそう思えると云う様なもので又例を引けば自分が道楽をして家も倉も使い果たすとするかこんどはそう立派なものが建てゝもらえぬようやく人から材木やわら等の貰い集め位のもので建てゝ小さいものに這入らにゃならん様なもの。

 前世の因縁にて身に障り有る者は前世に十分気まゝして迫って居る故に心には何事に限らず好んでも出来ん天の借りがあるから心が細りて勢力がないから何となく人に気兼ねえんりょの心にて思うてもよう云わぬ人をよう使わぬ又例えば女房に嫌いな人でも夫に嫌いな人でも我が身前世の因縁であるからこういう心を以っては神の心に反する夫に済まん妻に済まんと云う理を知り懺悔すれば或いは女であれば子宮が直るとか男であれば或いは腎臓が直るとか云う風になるから心も直って好きになる如く全て何物でも初めは嫌いな物でも使い道具でも使いよくなると好きになるようなものなり。

 又世界の万事万物誠で出来たるもの正当の理で備えたるものは神が守って下さる故焼ける事も失う事も賊に盗まれる事もない皆神がそれ/\万物守り下さるゆえなり埃で拵えたものや埃が有れば人に盗まれたり失うは天の守りがないからの事なり。

 天の龍頭が切れたら人間程弱いものはない天の龍頭が切れなんだらどんな危ない所でも大丈夫通れる。例えばあられの如く飛び来る弾丸の中でもあたる理がなければ当らぬ昔の豊臣太閤でも徳川家康でも天が守って御座るから殺されず天下が取れた皆宇宙間は同じ事也。

神 言 抜 書
 あちらにもこちらにも難を見こちらにも不思議を見あちらにもこういう事が有ったらこちらにもこう云う事が有った我が身に取りて思案する事はせず人の事や他所の事の様に思うている心が違うでどんな事を聞いても見てもよその事や人の身に有る事は我が身にも有ると云う理を必ず心に知らにゃならん此の理を心に知れば教えと云う理と道を日々心に忘れん様守りて通らねばならんすれば他所に大難受けても守る人達は無難と成るが理である此の道は見える事を云うじゃない有った事を云うは世界の道此の道は今ここに現われてない先の事を知らして下さる道である因縁罪埃と云うものは土の中に埋めてある様なもので旬刻限が来たならば生えて来るそこで生えん先から知らして下さるのであるから理を聞分けて日々教えの道を守りて先に何事も無い様無難に通さして貰う様心を助けて貰うようと云う理を心に知らにゃならん是れ知れば神一條の理を我が心に定規として日々何を云うにも行うにも天の定規にはずれん様に守らねばならん此の道は誠一つよりない心に曲がりの道はない神の道は胸三寸の道世界の道はどんな事しても居ても目にさえ見えねば道理で通れぬなれど一寸先はどんな道が有るやらなんぼ賢い人でも智者でも学者でも人間が我が身の行く先を知りたる者はないもの故先の知れん暗がりの道を明るい人間の世界の様に思うて心の闇で行く事は知らず私が/\で暮している早く思案をするよう人間はあざないもので今何事も無ければ何時迄も大丈夫の様に思うているなれど心が違うで確かそうでも不思議怪しきものである何がたよりかよう考えて見よ水気温みの二つの理がたより此の水気温みから息が出る此の突く息引く息が退いたら如何な強敵たりとも仕方はあるまい今有って後の分らんたよりない身を持って五年も十年も先の掛け引きをして心配して居る心がいじらしいてならん。

 神の道は胸三寸心の歪みは身に係ると云う事を心に知らにゃならん道が二つ有る世界の道胸の道世界の道にはどんな穴が有るやら知れん又怪我があるやら知れん神の道は胸三寸の道であるから人間心を持って通ろうと思うても通られはせん此の理さえ充分説き聞かせばどんな理も治まらにゃならん心に理が無くては種を蒔いても種の蒔き方に依って生える生えんがある石の上に種を蒔いても何にもならん石の上では根を下ろす事も芽を出す事も出来ん風が吹けば飛んでしまう鳥のために拾われてしまうどうでも生えはせん。心から真実蒔いたる種は土の中を掘って入れて有る様なものくわで掘り返してもそこで生えねばほかで生える誠の種は何所でも生える消える事はないそこで誠誠の理さえ積んで置いたら一粒万倍と云う理は重々聞かしてある誠とは天然自然と云う理を楽しみて尽くすという運ぶと云う真実の心の理は天に受け取りて有る此の理が分かれば何も思う事も云う事もない日々楽しみばかり開く大かん道が通れるなれど人間心では通る事出来にくい、可愛から云うて聞かす蒔いたる種は腐らぬ様早く一つの理を見る様と国々の理を計る様どうでも理の働きが肝心である海山越えてはるばると遠い所より来る子供なと云っても寄り来るが一つの理来いと云うても来るものやなかろうか因縁と云う道と云う理と云う何でもかでも尽くした理は建たにゃならん/\が一つの理。(中略)

 善き事の理は心に納めて悪しき事は見のがし聞きのがしにして悪しき理は互い互いに話し合い語り合いして行くより我が身の助かる道もなし人に写る道もなし懺悔の道もない。(中略)
 日々の事に互い互いに心を立て合い真実の兄弟と云う理を以って互い互いに心をうちとけどんな事でも話し合い語り合いして心の発散して心を濁さん様汚さん様おこらさん様日々掃除が出来た事ならば是れより結構はない是れが迷い道筋の掃除と云う前世の懺悔となる万事理を治めて真の心に成る程と云うて心に感心理を治めてくれにゃならん此の道は実が有るから皆成る程と云ってつき来るのや何事も物と云うものは聞き様取り様一つで有る治まる事でも聞き様取り様に依って治まらん様にもなる治まらん事でも聞き様取り様で鮮やかに取れば鮮やかとなる誠の理は立つのが当たり前立たん理を道の上から建てるのが理である。(中略)

 親の云う事には悲しまにゃならん様な道はない難渋艱難苦労の理が一粒万倍の種で有る此の理が分かれば先は楽しばかり。(中略)
 どれだけ賢いと云うても人間の智恵力で付けた道やなかろうどれだけ弁者智者でも人間の話しで付いた道やあるまい此の道の元と云うはあちらこちらへ逃げあるき只心一つで通りた道で有る教祖四十才の時より神の申し付けを守りて長い年限の間神様の話を人間にするばかりでなくした所が誰一人として聞く者はなし心に治ゆて心一つの理で年限待って来た其の理が世界へ写るいつともなしに所々へ匂いが掛り元々はあそこに一人かしこに一人と云う所々から道が付きかけたもの種から隠れ忍んであちらこちらと匂い掛け陰話陰真実の様な事から成り立る只今の道で有るなれど年限立てば元々の難儀苦労の道の理を忘れては只表だけの理に成ってしもうて世界道理上に流れてしもうて神一條の道の理を失うてしもう神の守護と修理が分らん。

 教祖五十年の中にはどんな難渋な道も有りた此の理が分らいでは人間心の道と云うより外はない此の道は人間の道やないほんのほのかの理より成り立った其の最初はふわ/\とした様なものであってあちらでは取り払われ思惑通りさして置く六十三年以前から年限の理で踏み固めたる道であるよう心に道を思案してくれにゃならんどうでもこうでも差図の理より道は無いから人間心の理は用うる事入らん筈や人間心の理で造りた道や無いから人間心はすっきりいらん。そこでそれぞれ理の治まった理の合うた者同士から心を運んでくれにゃならん世界は治まらん差図一條と云う理から持っていたら一つ心に集まるから理が治まる理が治まるから身上が治まる一戸の内でもよう思案して見よ家内がそもぞもで日々苦情ありては繁昌とは云えん内輪乱れにゃならんが理であるまして此の道元々外の理より集めて一つの理が今の道人間がどれだけ其の場さえ通りてはね返りても治まりそうな事はない一つで一つの心で云うて有て一人の心も万人の心も地場に一つの理があるのやと教えと云う道と云う理の以ってくれば一人も万人も世界中一つで一つの心に成らねばならんなれど兄弟の心が合うの合わんのと云う様な事では道の理はすっきりほかしてしもうたも同じ事道を守るとは云えん早く心を取り替えてしっかり定めてくれねばならん一日でも早くはいりた者から聞いた理は伝えねばならん聞いたばかりでは人を育てる理が無くば聞き流しも同じ事日々取次ぎの中にどんな理も悟してあるなれど取次ぎの人から云わにゃならん理を悟らず云わいでもよい事云ってならん早く云うて一つの理に定めてくれにゃならん思い/\勝手の理が有っては道の理が欠けてしもう。(中略)

 此の道は人間の心から成り立る道やない神の理から成り立った皆人間の道なれば人間の心の理で通れるなれど神の道は人間心で通る事出来ん人間心はすっきりいらん教え一つの道を通れば道と云うそれ天の理可愛と云う助けにゃならん/\理が有るで育てる道から治めるなら皆治まる。(中略)

 差図は神の理神の理から治めたらどんな事でも治まらんと云う事はない是れ迄にどんな差図もしてどんな深いさしずも聞かして有るこれうっかりはしていられんで理の分らん事はゆめにも伝えてない又さしず知らしてない理は一人限りによう聞分けて思案せにゃならん理が守れたら世界の理では分らん容易ならん理で有る。(中略)

 月日にはどんな所に居る者も心の内をばしかと見ている胸の内月日の心に叶うたら何時迄なりとしかとふんばる此の先はどの様な道が有るとても人を恨むな皆我が身恨みや此の話どこの事とも云わんでな高山にても谷底迄も人を育てるはむつかしい万人の上に立って治め方がむつかしい人間の心ではむつかしいなれど道の理を思うて治めたら何もむつかしい事はない皆めい/\の事と思うてすればむつかしい事はないむつかしいが道の理と思うて理を集めたら第一の理の楽しみである。(中略)

 人間のしたる道やない差図の道より道は無いから神一條の理をよく思案せよ差図の道は聞き様治め様に依ってころりと理が変わる理が変れば差図にならん治め違いの無い様に取り違い有ってはならん理の治め方に依っては重い理も軽くなる神の守護と云う理が心に分かりた事ならば道の理は容易ならん重い理なれど。(中略)

 神の理が心に分かれば日々道をはずさん様守らねばならん理と道とを守れば身の内にせつなみはない埃が無くば不事災難に係る理がない。(中略)
 身上せつなみ有ってから改めりゃどんな事も改められるなれど神が守護して見せても其の時だけは覚えて居るなれど一日立ち十日立ち三十日立てばころりと忘れてしもうそこで日々の小さい埃でも積もり/\れば因縁因果となる。
 そこで神がちり埃を払うてしもうたら世話がないもう一ぺんどうしようと思うても仕方が有るまいそこで身上有る内にすっきりしてしまわにゃならんほんにあれでこそ誠の人やと云われる様に成らねばならん埃が有っては大風大雨で吹き流されてしもうも同じ事何ぼう悔やんでも仕方がない。(中略)

 一列兄弟の理を知っているやろう一屋敷も同じ事理と道を聞分け容易ならん兄弟の中兄弟の理で有ろう其の兄弟の理でありながら口に出さず心に持ってはならん此の事すっきり洗い切ってしまわにゃならん分からず/\の理は神が帳消しをする是れ心得てくれたらきれいなものや取り消して是れからどんな事あろうとも真実さえ有れば神が引き受ける/\自由用の理は結構と思いながら自由用の理が分らん誰にもかれにもねたみも受けずそねみも受けず日々理を守りて埃が無くば身にせつなみもない。

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