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竹島 (島根県)

Wikipediaより

2012年Wikipedia



1905年(明治38年)1月28日、日本政府は島根県隠岐島司の所管の竹島と閣議決定し、以降、竹島は行政区画では島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地であり、正式に日本の領土となった。
日本が放棄する地域に竹島を入れるようにとの連合国への韓国の要求は、かつて朝鮮の一部として取り扱われたことも領有権の主張がなされたことも決してないとして拒否され、サンフランシスコ講和条約発効直前の1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国大統領李承晩は李承晩ラインを一方的に設定して竹島を占領した。1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国により、このラインを越えたことを理由に日本漁船328隻が拿捕、日本人44人が死傷(うち5人が死亡)、3,929人が抑留された。韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび、16隻が攻撃された。
1954年から2012年現在に至るまで韓国が武力によって実効支配している。国際法上、50年実効支配を続けると支配していた国の領土となるため、日本は毎年韓国に対して不法な支配であるとの口上書を提出している。そのため日本と韓国の間で領土問題が起きている。

【地理・自然」

竹島は、北緯37度14分30秒、東経131度52分に位置する。
女島(東島)、男島(西島)と呼ばれる2つの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.23km2で、東京の日比谷公園の1.4倍、東京ドーム五つ程の島である。最頂部は男島が海抜168m、女島が海抜98m。周囲は断崖絶壁で、飲料水に乏しく、通常は人の住むことができる環境ではない。
日本領・隠岐と竹島の距離は両島の一番近いところで約157km、韓国領・鬱陵島と竹島の距離は両島の一番近いところで約87kmである。

竹島周辺の海域は対馬暖流と北からのリマン海流の接点であり、魚介藻類が豊富な好漁場である。
竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ(Zalophus californianus japonicus)の主要な繁殖地の一つであったが、1975年の目撃を最後にそれ以降の目撃例は報告されておらず、ほぼ絶滅したと考えられている。韓国によって竹島が要塞化されたことが絶滅要因のひとつとして指摘されている。

【領土問題】

日本・韓国・北朝鮮が領有権を主張している。

・日本の行政区画は島根県隠岐郡隠岐の島町。
・韓国、北朝鮮側では独島(獨島、トクト、トクド、Dokdo)と呼称し、行政区画では慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑獨島里。

現在海洋警察庁を傘下にもつ大韓民国海洋水産部の管理下にあり、韓国・北朝鮮は自国の最東端の領土であるとしている。
非当事者である他の国では中立的立場から、1849年にフランス人が名付けたリアンクール岩礁 (Liancourt Rocks) と称することが多い。

1951年に韓国政府はアメリカ政府に対して日本が全ての権利・権原及び請求権を放棄する地域に竹島を明記するよう要求した。これに対してアメリカ政府は「竹島は朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から島根県隠岐庁の管轄下にあり、この島はかつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとはみなせない」として韓国の要求を却下する。
1952年1月18日に韓国政府によって李承晩ラインが一方的に引かれたあと、日本政府は同月28日に「公海上の線引きに抗議するとともに、竹島に領土権を主張しているかのように見えるがそのような僭称または要求をみとめない」と述べた。この時点では韓国が本当に領土権を主張しているのかどうか不確実であったが、2月12日韓国は反論を提示し、以降、両国間で文書を交換するようになった。

竹島領有権問題に関して、これまで日本政府は何度も国際司法裁判所(ICJ)に付託してはどうか韓国側に提案してきたが、いずれも韓国側は拒否し続けている。

国際司法裁判所(ICJ)への付託は、紛争当事国の一方が拒否すれば審判を行うことができず、つまり強制管轄権はない。したがって、韓国政府が同意しない以上竹島領有権紛争をICJで解決できない。しかしながら、領土問題をICJで解決した事例は16件に上る。

【国際司法判例からみた領土の権原】

領土権を主張する根拠(権原)として、譲渡、売買、交換、割譲、先占などがあるが、国際領土紛争では、「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原を基準に判定される場合が多い(韓国の軍事占領は「平穏」には該当しない)。

これまでのICJ国際判例から次の様な規則が得られる。

・中世の事件に依拠した間接的な推定でなく、対象となる土地に直接関係のある証拠が優位。中世の権原は近代的な他の権原に置き換えられるべき(マンキエ・エクレオ諸島事件ICJ判例)。
・紛争が発生した後の行為は実効的占有の証拠とならない。
・国は、相手国に向かって行った発言と異なる主張はできない。
・相手国の領有宣言行為または行政権行使を重ねるなどの行動に適時に抗議しないと領有権を認めたことになる。

これらの国際司法判例を竹島領有権問題に照合すると、以下の通り。

日本の領土権原
・歴史的な権原において江戸幕府は竹島を領土とみなしており、日本に領土権原が存する。
・ただし、歴史的な権原は近代的な権原に置き換えられる方が好ましい。
・1905年の竹島編入以降の日本政府の措置は、まさに国家権能の表示の証拠であり、「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原も認められる。これは近代的な権原である。

韓国の領土権原
・17世紀末に民間の朝鮮人(安龍福)が 日本における「竹島・松島」の知識を朝鮮古来の「鬱陵島・于山島」に当てはめ、松島は于山であるという認識を持ったとしても(以来、朝鮮文献に松島=于山と記述)、その活動は国家を代表して行われたものでない。
・18世紀以降朝鮮の官撰史書等に松島=于山と記載されたとしても朝鮮は竹島の実地の知見すらない(逆に、于山島が別の島竹嶼を示す史料もある)。仮に地図記載が領有意識の表示としても、それは観念上の領有意識にすぎず、実在の島へ訪れた記録も存在しない。
・したがって韓国には歴史的な権原というべきものがない。
・1900年に大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の行政管轄権に入れた。しかし石島は竹島ではない(韓国は石島が独島と主張)

いずれも一国の領土権の確立に不充分で、無主地の要件は満たされる。
なお、日本が日露戦争中に独島を侵奪したという韓国側の反論があるが、奪ったという議論は、竹島が韓国の領土であったことが証明されない限り成り立たない。

【日本社会における状況】
日本では政府が韓国の行動に対し抗議を行っているものの、一部の右翼団体による街宣活動を除き、国民の関心度も低かった。しかし韓国による猛烈な抗議が、マスコミで取り上げられたため、日本国民の竹島問題に対する関心が高まった。日本政府は韓国の猛反発を抑え、問題を客観的に議論しようとすることに終始している。これらの傾向は、日本側が国際司法裁判所に提訴を提案しているにも拘らず、韓国側が領土問題は存在しないとして、議論にさえ応じないところに如実に現れている。

Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)


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