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世界一の織機

文部省

底本:文部省『初等科國語 六』



「機ばかりいじつてゐて、をかしなやつだ。男のくせに。」
  豐田(とよだ)佐吉は、村の人々から、かういつてあざけられた。佐吉は、父の大工の仕事を助けて働いてゐたが、ひまさへあれば、織機のことを調べ續けてゐたのである。
「いよいよ、あれは氣違ひだ。」
 村中にこんなうはさがひろがると、父も、だまつてはゐなかつた。
「おまへは大工のせがれだ。ほかのことを考へないで、みつしり仕事をやつてくれ。」
とさとしたが、佐吉のもえるやうな研究熱は、どうすることもできなかつた。父は、とうとう佐吉をよその大工の家にあづけてしまつた。
 この間に立つて、佐吉を勵ましたり、慰めたりしてくれたのは、母であつた。佐吉は、「今にきつと成功してみせます。しばらくお許しください。」と、心の中で深く兩親にわびた。
 佐吉の考へは、かうであつた。人間の衣食住といふものは、みんな大切なものであるから、布を織る仕事も、決してゆるがせにしてはおかれない。今のやうな仕方では、みんながきつと困る時が來るに違ひない。それには、どうしても、織機をもつともつと進歩させなければならないといふのである。
 佐吉が、最初目をつけたのは、布を織る時、たて糸の間を縫つて行くよこ糸であつた。よこ糸は、杼(ひ)によつて、右から左、左から右へと往復するのであるが、これを人の手によらず、機械の力で動かすやうに工夫したかつた。機械で動かせば、もつと早く往復するやうな仕組みになるだらう。更に進んでは、ひとりでに、布がずんずん織られて行くやうにもなるであらう。次から次へと、佐吉の考へは高まつて行つたが、わづか小學校を出ただけのかれには、ややもすれば、手のとどきさうもない空想になりがちであつた。
 たまたま、そのころ東京に博覧會が開かれた。佐吉は上京して、目をかがやかしながら、その機械館へ毎日通つた。銀色に光つたたくさんの機械は、まるで生き物のやうに動いてゐた。かれは、その精巧な機械を見て感心するとともに、何ともいへない肩身のせまい思ひがした。機械は、どれ一つとして、わが日本製のものでなかつたからである。
「こんなことでいいのか。日本の將來をどうするのだ。」
 佐吉は、もうじつとしてゐられなくなつた。
 せめて自分のめざしてゐる織機を仕あげて、いつかは、外國を見返してやらうと固く決心した。
 それからは、ほとんど晝も夜もなかつた。設計圖を引いては、組み立てた。組み立てては、それを動かしてみた。だが、思ふやうに動くものは、なかなか生まれて來なかつた。佐吉は、一軒の納屋に閉ぢこもつて、一心に考へぬき、これならといふ一臺の織機を作りあげたが、これもまんまと失敗であつた。世間からは、ますます笑はれて、だれ一人相手にさへしなくなる。貧しさは、ひしひしと身にせまつて來る。しかし、佐吉は、「このくらゐのことで弱るものか。」と、新しい勇氣をふるつて立ちあがつた。
 鐵材を使ふことができなかつたために、すべて木材によつて、こまかなところまで作り直して行つた。今までの失敗の原因を、みんな取り除いて、面目を一新した設計圖ができあがつた。さつそく、その組み立てに取りかかり、苦心の末、やつと思ひ通りの織機ができあがつた。驗してみると、はたしてよく動いた。
 この織機を、村の人々の前で、試運轉する日がやつて來た。黑山のやうに集つた人たちは、布をみごとに織つて行くふしぎな機械に目を見張つた。
「よくやつた。えらいものだ。」
 みんなは、かういつてほめたたへた。この日、佐吉の織機を操つて、りつぱに布を織つてみせた人こそ、佐吉の母であつた。明治二十三年、佐吉が二十四歳のことである。

 翌年、特許を得た。豐田式人力織機は、盛んに國内に使用されるやうになつた。しかも、かれはこれに滿足せず、すぐ動力機械の製造にとりかかつた。人の力から、機械の力に移すといふ、多年の夢(ゆめ)を實現しようといふのである。そこで、更に七年間の工夫が續けられ、みごと佐吉の自動織機が完成された。これが、日本における自動織機の始祖である。
 明治三十八年は、佐吉にとつて忘れることのできない年である。そのころ、わが國で使はれてゐた外國製の自動織機と、左吉の自動織機と、どちらがすぐれてゐるかを驗すことになつたのが、この年であつた。いはば、日本と外國との腕比べである。英國製のものを五十臺、米國製のものを十臺、佐吉のものを五十臺すゑつけて、一年にわたる嚴しい比較試驗が行はれた。だが、その結果は、惜しいことに佐吉の負けであつた。かれは、愛機の敗因を根氣よく調べ、更に新しい工夫をこらして行つた。
 それから四年め、再び外國製のものと腕比べをする日が來た。努力はつひに報いられた。何千本といふたて糸のうち、一本でも切れると織機はおのづから止り、よこ糸がなくなれば、新しい杼が代つてとび出して行くなど、まことに簡にして巧みなものであつた。機械の取扱ひがたやすく、故障が少く、絶えず正確に動くことにおいて、佐吉のものに及ぶものはなかつた。
 押しも押されもしない「世界一の織機」といふ光榮が、かれの上にかがやいた。この自動織機の出現によつて、日本は、あつぱれ綿布工業國として、世界に乘り出すやうになつた。
 何千臺といふ自動織機が勢ぞろひをして、いつせいに活動し、すばらしい速さで織り出す光景は、見るからに壯觀である。流れ出る綿布を見てゐると、あたかも豐田佐吉の愛國的熱情が、ほとばしつてゐるやうにさへ感じられる。


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