My Library Home

元韓国空軍大佐 崔三然氏の講演より

崔三然

1928年、朝鮮半島生まれ
1943年、少年兵として大日本帝国陸軍幼年学校に入校
終戦後、半島に戻り韓国空軍に入隊
空軍大佐として退役、以後は工業関係の会社顧問などを歴任

SNS-FreeJapan『【リポート】元韓国空軍大佐 崔三然氏講演会』(2011年12月10日) http://www.sns-freejapan.jp/2012/06/01/1552/より抜粋。



(12月10日、日本会議川崎北支部主催で、元韓国空軍大佐崔三然氏の講演会が行われ、出席してまいりました。 )
<はじめに>

・日本は「シャングリラ」(桃源郷)である。

 私は昭和18年、少年兵として志願し、陸軍幼年学校に入校した。
 当時朝鮮半島から来て見ると、東京立川の様子は朝鮮半島とさほど大差は無かった。逆に言えば、当時の朝鮮半島は相当インフラ整備が進んでいた、ということである。

 戦後60年、日本は安定した成長で経済大国となった。一方、朝鮮半島には一時も静かな環境は無く、朝鮮半島の精神文化面には半島のこの不安定さが大きく影響していると思われる。
 私の娘は東京の大学を卒業し日本で20数年暮らしているが、いつも日本に関する鋭い指摘をしてくれる。私が日本と韓国を比較して、現在のインフラの差異やマナーの差異を嘆くたび、娘は「お父さんは比較できない物をわざわざ比較しては嘆いている」と言って私を笑う。

・なぜ、日本人は日本を誇りに思わないのか。

 日本人はいまだ敗戦による自虐史観等に影響されている。
 伝統文化、精神文化の発達した立派な国であると、まず自覚せよ。
 かつて、他の外国人、例えば英国人のイザベラ・バードなども、一様に日本の国民性や文化を誉めている。
 日本人の感性は世界でもずば抜けており、だからこそ物造りの匠の国となり、様々な商品を生み出しているのだ。

 昨今の円高についてであるが、日本では円高を嘆く声ばかりが聞かれる。 しかしこれは日本に対する世界の信用の現われでもあることを忘れてはならない。誇りに思うべきではないだろうか。
 ちなみに韓国のウォンなどは逆に暴落し、ウォン:円がかつては10:1だったものが、今や16:1である。私の韓国軍人年金の300万ウォンも、日本に持ってくれば30万円だったものが20万円弱となり、随分使いでが悪くなった(笑)。

・日本の法治、順法精神、社会正義

 日本には他国では見られない、法治・順法精神・社会正義を好む姿勢がある。水戸黄門のドラマなどが大人気であるのもこのためだ。
 「日本の精神文化は世界遺産に登録すべき」というのが、私の持論である。
 いつも「朝鮮半島」というと、(反日的な言動を思い浮かべて)みんな「ああ、もう結構!」と思うかもしれないが(笑)、実際には良心的な朝鮮人は日本を評価している。

 日本こそは誇りを取り戻し、復活すべき国である。

<日本と朝鮮の歴史: 日本統治時代の朝鮮、大東亜戦争、朝鮮戦争>

・戦前の半島について

 私が3歳~5歳の頃(1931年~1933年頃)、朝鮮半島では目ざましい勢いでインフラ整備がなされていった。
 漢江(かんこう・ハンガン)は従業員(労働者?)も日本人1.5万人朝鮮人5万人の計6万人、当時半島で最も活気に満ちた都市であった。

 私は日本人・朝鮮人が半々の学校に通った。現在でも同窓会が開かれている。
 そこで差別を受けて喧嘩したなどの記憶は無い。社会が非常に安定しており、これは(日本人も朝鮮人も)法的に平等であったことが大きいと思う。
 人種間の多少の感情的なものがあっても、制度上の差別が無いというのは(社会として)上等である。

 例えばインドと比較してみればよい。インドは朝鮮半島と違って、インフラ整備も遅れ、識字率も低いままだ。

 大変な金額を投じて、日本は朝鮮半島を整備したのだ。

・半島における日本の統治

 半島における日本の統治の特徴としては、
「日本には誠実な統治の姿勢があった」
「日本軍の軍紀が厳正であった」
 この2点が大きい。

 当時の世界情勢から見れば、外国人から見ても日本の統治は非常に誠実なものであった。
 また当時の軍隊の教育を受けた者は、その事を今も誇りに思っている。
 私の同期は皆、今や武士のように立派な紳士ばかりである。

 リットン調査団が、報告書を作るのに大変苦労したという逸話がある。調べてみると、日本の植民地統治が完璧であったので、慌てたのだ。

 当時、白人国家の植民地統治とは、殺人・略奪・強制的混血による民族「浄化」といった野蛮なもの。白人は、日本の完璧で誠実な統治を恐れたのである。

☆しかし、日本人が自虐史観に陥れば、共産主義がそこに付け入ってくる。アメリカが敢えてその状況を許していることを忘れてはならない。

・大東亜戦争

 私は少年兵として終戦を迎えた。
 戦争末期には、アメリカの物量作戦に対抗するため、日本は空襲があっても戦力温存のためにただ飛行機を別の飛行場に退避させるだけ、という事も続いた。
 水戸にいる時、1000機の艦載機が飛来した。東京大空襲だった。

 戦時中、昭和12年から、朝鮮半島でも志願の士官学校制度が始まった。400名の募集に対し、20倍の志願があった。自分は学校で募集を聞くや否や、真っ先に手を挙げた。日本人にさえ先駆けて最初に志願した朝鮮人の2人の内の一人で、それがとても自慢だった。

 当時、半島も本土も、間違いなく一体だったのである。

 戦後マッカーサーが、「日本の戦争は自衛戦争であった」と言ったが、この証言に尽きる。資源の無い国日本が、封鎖されてやむを得ずの戦争だったのだ。

 現在日本では、2億トンもの原油を輸入し、5千万トンを備蓄している。
 昭和16年当時、日本には850万トンの原油備蓄があり、その中から1年で750万トンを消費した。
 終戦時はどうであったか。日本にはわずか36万トンの備蓄しか残されていなかったのである。
 日本がどれだけ困窮した中で戦っていたかがわかるだろう。

☆しかし、日本は戦争では負けたが、地球上の陸地の85%にも及んでいた植民地支配を終わらせた。白人優位社会の世界から、有色人種を無視できない世界へと変わったのだ。
 アフリカとアジアを比較すれば、アジアは日本があったからこそ向上したのだとわかる。

 私が戦時中を思い出して心が痛むのは、軍人のみならず一般人の犠牲者が非常に多かったことである。
 終戦時、35万人もの日本人が居住していたが、その10%にあたる3万5千人が引き揚げ時に被害にあったとされている。
 特に……ロシア兵による略奪強姦被害など、本当に心が痛む。

・従軍慰安婦問題

 韓国の日本大使館の前に、慰安婦の石像を建てる話などが持ち上がっている。(※講演時、未完成)

 とんでもない、慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。(※この言い回しが、崔氏と同い年の実家の父と全く同じで、何だか驚いた)

 もしも皆さんが、中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐殺や従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。
 彼らはわかって言っているのだ。そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。日本はそんな手に乗ってしまってはいけない。
 日本人はあまりにも良心的で素直過ぎる。

---以下はこの講演レポートを書いた記者の父による証言---
(※参考までに、崔氏と同い年の実家の父の証言も。

「従軍慰安婦の碑?何言ってんだか…。あの女性たちは、大変結構なお給料をいただいておってだねえ、当時は日本からもその筋の女性たちが大挙して働きに行ったんだよ?朝鮮で、嫌だと言う女性をぎりぎり(無理やり)捕まえる必要なんか、全然無かったんだから。 そもそも当時は同じ日本で、日本国民で、同じ法律ですよ?そんな事をしたら大騒ぎになるだろうが(笑)」

「ただ、当時の本土と同様、親のために泣く泣く売られていった娘もいただろうし、女衒(ぜげん)に騙された女性もいただろう。そういう話は聞いた事がある。そういう女性は大変気の毒だとは思うが、日本が国としてそういうことをやったか、と言えば、それは絶対無い。これは断言できる」

今は韓国人と日本人。しかし育った場所に半島と本土の違いはあっても、生まれてから10代まで同じ日本人として日本の教育を受けた、84歳同い年の二人の男性の証言である。)


Page Top | My Library Home