最終戦争論

石原莞爾いしわらかんじ

解説。年月日の書き方=1941年(昭和16年)1月8日

昭和の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。
「最終戦争論」は、1940年(昭和15年)5月29日、京都義方会に於ける講演内容が元になっている。



第一部 最終戦争論

■■第一章 戦争史の大観■■

●第一節 決戦戦争と持久戦争

戦争は、武力を直接使用して国家の国策を遂行する行為です。

今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を脅迫しています。

どうも日本は、米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい。
もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れない。
ひとつ脅迫してやれというので、ハワイに大艦隊を集中しています。

つまりアメリカは、彼らの対日政策を遂行するために、海軍力を盛んに使っているのですが、間接の使用ですから、まだ戦争ではありません。

戦争の特徴は、わかり切ったことでありますが、武力戦です。

しかしその武力の価値が、それ以外の戦争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、戦争に二つの傾向が起きて来ます。

武力の価値が他の手段にくらべて高いほど、戦争は男性的で力強く、太く、短くなります。
言い換えれば陽性の戦争・・・これを私は「決戦戦争」と命名しております。

ところが色々の事情によって、武力の価値がそれ以外の手段、即ち政治的手段に対して絶対的でなくなる・・・比較的価値が低くなる・・・に従って、戦争は細く長く、女性的に、即ち陰性の戦争になります。

これを「持久戦争」と言います。


戦争本来の真面目(しんめんぼく)は「決戦戦争」であるべきですが、「持久戦争」となる事情は、単一でありません。

これがために同じ時代でも、ある場合には「決戦戦争」が行なわれ、ある場合には「持久戦争」が行なわれます。

しかし両戦争に分かれる最大原因は時代の影響で、軍事上から見た世界歴史は、「決戦戦争の時代」と「持久戦争の時代」を交互に現出して参りました。


戦争のこととなりますと、あの喧嘩好きの西洋の方が本場らしいです。

ことに西洋では、似た力を持つ強国が多数、隣接していて、かつ戦場の広さも手頃ですから、決戦・持久両戦争の時代的変遷がよく現われています。

日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け」とか何とか言って始める。
戦争やらスポーツやら分かららない。

それで私は戦争の歴史を、特に戦争の本場の西洋の歴史で考えて見ようと思います。


●第二節 古代および中世

古代ギリシャ、ローマの時代は国民皆兵です。

これは必ずしも西洋だけではありません。
日本でも支那でも、原始時代は社会事情が大体に於て人間の理想的形態を取っていることが多いらしいのでして、戦争も同じことです。

ギリシャ、ローマ時代の戦術は極めて整然たる戦術です。

多くの兵が密集して方陣を作り、巧みにそれが進退して敵を圧倒する。

今日でもギリシャ、ローマ時代の戦術は依然として軍事学に於ける研究の対象たり得ます。

国民皆兵であり、整然とした戦術によって、この時代の戦争は決戦的色彩を帯びています。

アレキサンダーの戦争、シイザーの戦争などは割合に政治の掣肘(せいちゅう)を受けないで「決戦戦争」が行なわれました。

ところがローマ帝国の全盛時代になりますと、国民皆兵の制度が次第に破れて来て、傭兵(ようへい)になります。

これが原因で、決戦戦争的色彩が持久戦争的なものに変化したのです。

歴史的に考えれば、東洋でも同じことです。

お隣りの支那では漢民族の最も盛んであった唐朝の中頃から、国民皆兵の制度が乱れて傭兵に堕落する。

その時から漢民族の国家生活としての力が弛緩しております。

今日まで、その状況がずっと継続しましたが、今次日支事変の中華民国は非常に奮発をして勇敢に戦っております。

それでも、まだどうも真の国民皆兵にはなり得ない状況であります。

長年文を尊び武を卑しんで来た漢民族の悩みは非常に深刻なものですが、この事変を契機としまして何とか昔の漢民族にかえることを私は希望しています。

前にかえりますが、こうして兵制が乱れ政治力が弛緩して参りますと、折角ローマが統一した天下をヤソの坊さんに実質的に征服されたのであります。
それが中世であります。

中世にはギリシャ、ローマ時代に発達した軍事的組織が全部崩壊して、騎士の個人的戦闘になってしまいました。
一般文化も中世は見方によって暗黒時代でありますが、軍事的にも同じことであります。


●第三節 文芸復興(ルネッサンス)

それが文芸復興(ルネッサンス)の時代に入って来る。

文芸復興期には軍事的にも大きな革命がありました。
それは鉄砲が使われ始めたことです。

先祖代々武勇を誇っていた、いわゆる名門の騎士も、町人の鉄砲一発でやられてしまう。

それでお侍(さむらい)の一騎打ちの時代は、必然的に崩壊してしまい、再び昔の戦術が生まれ、これが社会的に大きな変化を招来して来るのであります。

当時は特に十字軍の影響を受けて、地中海方面やライン方面に商業が非常に発達して、いわゆる重商主義の時代でしたから、金が何より大事で、兵制は昔の国民皆兵にかえらないで、ローマ末期の傭兵にかえったのです。

ところが、新しく発展して来た国家は皆小さい国だったので、常に沢山の兵隊を養ってはいられない。

それでスイスなどで兵隊商売、即ち戦争の請負業ができて、国家が戦争をしようとしますと、その請負業者から兵隊を傭って来るようになりました。

そんな商売の兵隊では、戦争の深刻な本性が発揮できるはずがありません。
必然的に「持久戦争」に堕落したのであります。

しかし戦争がありそうだから、あそこから三百人傭って来い、あっちからも百人傭って来い、なるたけ値切って傭って来い、というような方式では頼りないので、国家の力が増大するにつれ、だんだん常備傭兵の時代になりました。
軍閥時代の支那の軍隊のようなものです。

常備傭兵になりますと戦術が高度に技術化するのです。

くろうとの戦いになると巧妙な駆引の戦術が発達して来ます。
けれども、やはり金で傭って来るので、当時の社会統制の原理であった専制が戦術にもそのまま利用されました。

その形式が今でも日本の軍隊にも残っております。
日本の軍隊は西洋流を学んだのですから自然の結果です。

たとえば号令をかけるときに剣を抜いて「気を付け」とやります。
「言うことを聞かないと切るぞ」と、おどしをかける。

もちろん誰もそんな考えで剣を抜いているのではありませんが、この指揮の形式は西洋の傭兵時代に生まれたものです。

刀を抜いて親愛なる部下に号令をかけるというのは日本流ではない。

日本では、まあ必要があれば采配を振るのです。
敬礼の際「頭右(かしらみぎ)」と号令をかけ、指揮官は刀を前に投げ出します。
それは武器を投ずる動作です。

刀を投げ捨てて「貴方にはかないません」という意味を示した遺風であろうと思われます。

また歩調を取って歩くのは、専制時代の傭兵に、弾雨の下を臆病心を押えつけて敵に向って前進させるための訓練方法だったのです。

金で備われて来る兵士に対しては、どうしても専制的にやって行かねばならぬ。
兵の自由を許すことはできない。

そういう関係から、鉄砲が発達して来ますと、射撃をし易くするためにも、味方の損害を減ずるためにも、隊形がだんだん横広くなって深さを減ずるようになりました。

まだ専制時代であったので、横隊戦術から散兵戦術に飛躍することが困難だったのです。

横隊戦術は高度の専門化であり、従って非常に熟練を要するものです。

何万という兵隊を横隊に並べる。
われわれも若いときに歩兵中隊の横隊分列をやるのに苦心したものです。

何百個中隊、何十個大隊が横隊に並んで、それが敵前で動くことは非常な熟練を要することです。

戦術が煩瑣(はんさ)なものになって専門化したことは恐るべき堕落であります。

それで戦闘が思う通りにできないのです。
ちょっとした地形の障害でもあれば、それを克服することができない。
そんな関係で戦場に於ける決戦は容易に行なわれない。

また長年養って商売化した兵隊は非常に高価なものであります。
それを濫費することは、君主としては惜しいので、なるべく斬り合いはやりたくない。
そういうような考えから持久戦争の傾向が次第に徹底して来るのです。

三十年戦争や、この時代の末期に出て来た「持久戦争」の最大名手であるフリードリヒ大王の七年戦争などは、その代表的なものです。

持久戦争では会戦、つまり斬り合いで勝負をつけるか、あるいは会戦をなるべくやらないで機動によって敵の背後に迫り、犠牲を少なくしつつ敵の領土を蚕食する。

この二つの手段が主として採用されるのであります。

フリードリヒ大王は、最初は当時の風潮に反して会戦を相当に使ったのでありますが、さすがのフリードリヒ大王も、多く血を見る会戦では戦争の運命を決定しかね、遂に機動主義に傾いて来たのです。

フリードリヒ大王を尊敬し、大王の機動演習の見学を許されたこともあったフランスのある有名な軍事学者は、1789年、次の如く言っております。

「大戦争は今後起らないだろうし、もはや会戦を見ることはないだろう」

将来は大きな戦争は起きまい。また戦争が起きても会戦などという血なまぐさいことはやらないで、主として機動によりなるべく兵の血を流さないで戦争をやるようになるだろうという意味です。

即ち女性的陰性の持久戦争の思想に徹底したのです。

しかし世の中は、あることに徹底したときが革命の時なんです。

皮肉にも、この軍事学者がそういう発表をしている1789年はフランス革命勃発の年です。

そういうふうに「持久戦争」の徹底したときにフランス革命が起りました。


●第四節 フランス革命

フランス革命当時は、フランスでも戦争には傭兵を使うのがよいと思われていました。

ところが多数の兵を傭うには非常に金がかかる。
しかるに残念ながら当時、世界を敵とした貧乏国フランスには、とてもそんな金がありません。
何とも仕様がない。

国の滅亡に直面して、革命の意気に燃えたフランスは、とうとう民衆の反対があったのを押し切り、徴兵制度を強行したのです。

そのために暴動まで起きたのでありますが、活気あるフランスは、それを弾圧して、とにかく百万と称する大軍――実質はそれだけなかったと言われておりますが――を集めて、四方からフランスに殺到して来る熟練した職業軍人の連合軍に対抗したのです。

その頃の戦術は先に申しました横隊です。

横隊が余り窮屈なものですから、横隊より縦隊がよいとの意見も出ていたのですが、軍事界では横隊論者が依然として絶対優勢な位置を占めていました。


ところが横隊戦術は、熟練の上にも熟練を要するので、急に狩り集めて来た百姓に、そんな高級な戦術が、できっこないのです。

善いも悪いもない。
いけないと思いながら縦隊戦術を採ったのです。
散兵戦術を採用したのです。

縦隊では射撃はできませんから、前に散兵を出して射撃をさせ、その後方に運動の容易な縦隊を運用しました。

横隊戦術から散兵戦術へ変化したのであります。

決してよいと思ってやったのではありません。
やむを得ずやったのです。

ところがそれが時代の性格に最も良く合っていたのです。
革命の時代は大体そういうものだと思われます。

古くからの横隊戦術が、非常に価値あるもの高級なものと常識で信じられていたときに、新しい時代が来ていたのです。
それに移るのがよいと思って移ったのではない。

これは低級なものだと思いながら、やむを得ず、やらざるを得なくなって、やったのです。

それが、地形の束縛に原因する決戦強制の困難を克服しまして、用兵上の非常な自由を獲得したのみならず、散兵戦術は自由にあこがれたフランス国民の性格によく適合しました。

これに加えて、傭兵の時代とちがい、ただで兵隊を狩り集めて来るのですから、大将は国王の財政的顧慮などにしばられず、思い切った作戦をなし得ることとなったのです。


こういう関係から、十八世紀の「持久戦争」でなければならなかった理由は、自然に解消してしまいました。

ところが、そのように変っても、敵の大将はむろんのこと新しい軍隊を指揮したフランスの大将も、依然として十八世紀の古い戦略をそのまま使っていたのです。

土地を攻防の目標とし、広い正面に兵力を分散し、極めて慎重に戦いをやって行く方式をとっていたのです。

このとき、フランス革命によって生じた軍制上、戦術上の変化を達観して、その直感力により新しい戦略を発見し、果敢に運用したのが不世出の軍略家ナポレオンです。

即ちナポレオンは、当時の用兵術を無視して、要点に兵力を集めて敵線を突破し、突破が成功すれば逃げる敵をどこまでも追っかけて行って徹底的にやっつける。

敵の軍隊を撃滅すれば戦争の目的は達成され、土地を作戦目標とする必要などは、なくなります。

敵の大将は、ナポレオンが一点に兵を集めて、しゃにむに突進して来ると、そんなことは無理じゃないか、乱暴な話だ、彼は兵法を知らぬなどと言っている間に、自分はやられてしまった。

だからナポレオンの戦争の勝利は対等のことをやっていたのではありません。在来と全く変った戦略を巧みに活用したのです。

ナポレオンは敵の意表に出て敵軍の精神に一大電撃を加え、遂に戦争の神様になってしまった。

白い馬に乗って戦場に出て来る。それだけで敵は精神的にやられてしまった。
猫ににらまれた鼠のように、立ちすくんでしまいまった。

それまでは三十年戦争、七年戦争など長い戦争が当り前であったのに、数週間か数カ月で大きな戦争の運命を一挙に決定する「決戦戦争」の時代になったのです。

ですから、フランス革命がナポレオンを生み、ナポレオンがフランス革命を完成したと言うべきです。

特に皆さんに注意していただきたいのは、フランス革命に於ける軍事上の変化の直接原因は兵器の進歩ではなかったことです。

中世暗黒時代から文芸復興へ移るときに軍事上の革命が起ったのは、鉄砲の発明という兵器の関係でした。

けれども、フランス革命で「横隊戦術」から「散兵戦術」に、「持久戦争」から「決戦戦争」に移った直接の動機は、兵器の進歩ではありません。

フリードリヒ大王の使った鉄砲とナポレオンの使ったものとは大差がないのです。

社会制度の変化が軍事上の革命を来たした直接の原因です。

このあいだ、帝大の教授がたが、このことについて

「何か新兵器があったでしょう」と言われますから

「新兵器はなかったのです」と言って頑張りますと、

「そんなら兵器の製造能力に革命があったのでしょうか」と申されます。
「しかし、そんなこともありませんでした」と答えぎるを得ないのです。

兵器の進歩によってフランス革命を来たしたことにしなければ、学者には都合が悪いらしいのですが、都合が悪くても現実は致し方ないのです。

ただし兵器の進歩は既に散兵の時代となりつつあったのに、社会制度がフランス革命まで、これを阻止していたと見ることができます。

プロイセン軍はフリードリヒ大王の偉業にうぬぼれていたのでしたが、1806年、イエーナでナポレオンに徹底的にやられてから、はじめて夢からさめ、科学的性格を活かしてナポレオンの用兵を研究し、ナポレオンの戦術をまねし出しました。

さあそうなると、殊にモスコー敗戦後は、遺憾ながらナポレオンはドイツの兵隊に容易には勝てなくなってしまいました。

世の中では末期のナポレオンは淋病で活動が鈍ったとか、用兵の能力が低下したとか、いい加減なことを言いますけれども、ナポレオンの軍事的才能は年とともに発達したのです。

しかし相手もナポレオンのやることを覚えてしまったのです。

人間はそんなに違うものではありません。
皆さんの中にも、秀才と秀才でない人がありましょう。
けれども大した違いではありません。

ナポレオンの大成功は、大革命の時代に世に率先して新しい時代の用兵術の根本義をとらえた結果であります。

天才ナポレオンも、もう二十年後に生まれたなら、コルシカの砲兵隊長ぐらいで死んでしまっただろうと思います。

諸君のように大きな変化の時代に生まれた人は非常に幸福であります。
この幸福を感謝せねばなりません。
ヒットラーやナポレオン以上になれる特別な機会に生まれたのです。

フリードリヒ大王とナポレオンの用兵術を徹底的に研究したクラウゼウィッツというドイツの軍人が、近代用兵学を組織化しました。

それから以後、ドイツが西洋軍事学の主流になります。

そうしてモルトケのオーストリアとの戦争(1866年)、フランスとの戦争(1870~71年)など、すばらしい「決戦戦争」が行なわれました。

その後シュリーフェンという参謀総長が長年、ドイツの参謀本部を牛耳っておりまして、ハンニバルのカンネ会戦を模範とし、敵の両翼を包囲し騎兵をその背後に進め敵の主力を包囲殲滅(せんめつ)すべきことを強調し、「決戦戦争」の思想に徹底して、欧州戦争に向ったのであります。



●第五節 第一次欧州大戦

シュリーフェンは1913年、欧州戦争の前に死んでおります。
つまり第一次欧州大戦は決戦戦争発達の頂点に於て勃発したのです。

誰も彼も戦争は至短期間に解決するのだと思って、欧州戦争を迎えたのです。

ぼんくらまで、そう思ったときには、もう世の中は変っているのです。
あらゆる人間の予想に反して四年半の持久戦争になりました。

しかし今日、静かに研究して見ると、第一次欧州大戦前に、持久戦争に対する予感が潜在し始めていたことがわかります。

ドイツでは戦前すでに「経済動員の必要」が論ぜられておりました。
またシュリーフェンが参謀総長として立案した最後の対仏作戦計画である1905年12月案には、アルザス・ロートリンゲン地方の兵力を極端に減少して、ベルダン以西に主力を用い、パリを大兵力をもって攻囲した上、更に七軍団(十四師団)の強大な兵団をもってパリ西南方から遠く迂回し、敵主力の背後を攻撃するという、真に雄大なものでありました。

ところが一九〇六年に参謀総長に就任したモルトケ大将の第一次欧州大戦初頭に於ける対仏作戦は、御承知の通り開戦初期は破竹の勢いを以てベルギー、北フランスを席捲して長駆マルヌ河畔に進出し、一時はドイツの大勝利を思わせたのですが、ドイツ軍配置の重点はシュリーフェン案に比して甚だしく東方に移り、その右翼はパリにも達せず、敵のパリ方面よりする反撃に遇うと、もろくも敗れて後退のやむなきに至り、遂に「持久戦争」となりました。

この点についてモルトケ大将は、大いに批難されているのであります。

たしかにモルトケ大将の案は、決戦戦争を企図したドイツの作戦計画としては、甚だ不徹底なものと言わねはなりません。

シュリーフェン案を決行する鉄石の意志と、これに対する十分な準備があったならば、第一次欧州大戦も「決戦戦争」となって、ドイツの勝利となる公算が、必ずしも絶無でなかったと思われます。

しかし私は、この計画変更にも「持久戦争」に対する予感が無意識のうちに力強く作用していたことを認めます。

すなわち、シュリーフェン時代にはフランス軍は守勢をとると判断されたのに、その後、フランス軍はドイツの重要産業地帯であるザール地方への攻勢をとるものと判断されるに至ったことが、この方面への兵力増加の原因です。

また大規模な迂回作戦を不徹底ならしめたのは、モルトケ大将が、シュリーフェン元帥の計画では重大条件であったオランダの中立侵犯を断念したことが、最も有力な原因となっているものと私は確信します。

ザール鉱工業地帯の掩護(えんご)、特にオランダの中立尊重は、戦争持久のための経済的考慮によったのです。

すなわち、決戦を絶叫しっつあったドイツ参謀本部首脳部の胸の中に、彼らがはっきり自覚しない間に、「持久戦争」的考慮が加わりつつあったことは甚だ興味深いものと思います。

四年半は三十年戦争や七年戦争に比べて短いようですが、緊張が違う。

昔の戦争は三十年戦争などと申しましても中間に長い休みがあります。

七年戦争でも、冬になれば傭兵を永く寒い所に置くと皆逃げてしまいますから、お互に休むのです。

ところが第一次欧州戦争には徹底した緊張が四年半も続きました。

なぜ持久戦争になったかと申しますと、第一に兵器が非常に進歩しました。

殊に自動火器――機関銃は極めて防禦に適当な兵器であります――だから、簡単には正面が抜けない。

第二にフランス革命の頃は、国民皆兵でも兵数は大して多くなかったのですが、第一次欧州戦争では、健康な男は全部、戦争に出る。

歴史で未だかつてなかったところの大兵力となったのです。

それで正面が抜けない。

といって敵の背後に迂回しようとすると、戦線は兵力の増加によってスイスから北海までのびているので迂回することもできない。
突破もできなければ、迂回もできない。
それで持久戦争になったのです。

フランス革命のときは社会の革命が戦術に変化を及ばして、戦争の性質が「持久戦争」から「決戦戦争」になったのでしたが、第一次欧州大戦では兵器の進歩と兵力の増加によって、「決戦戦争」から「持久戦争」に変ったのです。

四年余の「持久戦争」でしたが、十八世紀頃の「持久戦争」のように会戦を避けることはなく決戦が連続して行なわれ、その間に自然に新兵器による新戦術が生まれました。

砲兵力の進歩が敵散兵線の突破を容易にするので、防者は数段に敵の攻撃を支えることとなり、いわゆる数線陣地となりましたが、それでは結局、敵から各個に撃破される危険があるため、逐次抵抗の数線陣地の思想から、自然に面式の縦深防禦の新方式が出てきました。


すなわち自動火器を中心とする一分隊ぐらいの兵力が大間隔に陣地を占め、さらにこれを縦深に配置するのです。

このような兵力の分散により敵の砲兵火力の効力を減殺するのみならず、この縦深に配置された兵力は互に巧妙に助け合うことによって、攻者は単に正面からだけでなく前後左右から不規則に不意の射撃を受ける結果、攻撃を著しく困難にします。

こうなると攻撃する方も在来のような線の敵兵では大損害を受けますから、十分縦深に疎開し、やはり面の戦力を発揮することにつとめます。

横隊戦術は、前に申しましたように専制をその指導精神としたのに対し、散兵戦術は各兵、各部隊に十分な自由を与え、その自主的活動を奨励する自由主義の戦術です。

しかるに面式の防禦をしている敵を攻撃するに、各兵、各部隊の自由にまかせて置いては大きな混乱に陥るから、指揮官の明確な統制が必要となりました。
面式防禦をするのには、一貫した方針に基づく統制が必要であります。

すなわち今日の戦術の指導精神は「統制」です。

しかし横隊戦術のように強権をもって各兵の自由意志を押えて盲従させるものとは根本に於て相違し、各部隊、各兵の自主的、積極的、独断的活動を可能にするために明確な目標を指示し、混雑と重複を避けるに必要な統制を加えるのです。
自由を抑制するための統制ではなく、自由活動を助長するためであると申すべきです。

右のような新戦術は、第一次欧州大戦中に自然に発生し、戦後は特にソ連の積極的研究が大きな進歩の動機となりました。

欧州大戦の犠牲をまぬがれた日本は一番遅れて新戦術を採用し、今日、熱心にその研究訓練に邁進しております。

第一次欧州大戦中には、「戦争持久の原因は西洋人の精神力の薄弱に基づくもので大和魂をもってせば即戦即決が可能である」という勇ましい議論も盛んでした。

しかし真相が明らかになり、数年来は、戦争は長期戦争・総力戦で、武力のみでは戦争の決がつかないというのが常識になっています。

第二次欧州大戦の初期にも誰もが「持久戦争」になるだろうと考えていましたが、最近はドイツ軍の大成功により大きな疑問を生じて参りました。


●第六節 第二次欧州大戦

第二次欧州大戦では、ドイツのいわゆる電撃作戦がポーランド、ノールウェ―のような弱小国に対し迅速に決戦戦争を強行し得たことは、もちろん異とするに足りません。

しかし仏英軍との間には、恐らくマジノ、ジークフリートの線で相対峙し、お互にその突破が至難で「持久戦争」になるものと考えたのです。

ドイツがオランダ、ベルギーに侵入しても、それは英国に対する作戦基地を得るためという目的だけで、連合軍の主力との間に真の大決戦が行なわれることな、まずありえないと考えられていたのです。

ところが、五月十日以来のドイツの猛撃は瞬時にオランダ、ベルギーを屈伏させ、難攻と信じられていたマジノ延長線は、あっさりと突破され、ドイツ軍はベルギーに進出した仏英の背後に迫ってたちまちこれを撃滅し、更に矛(ほこ)を転じてマジノ線以西の地区からパリに迫ってこれを抜いています。

ドイツ軍は、オランダ侵入からわずか5週間で強敵フランスに停戦を乞わしめるに至っています。

ドイツは、世界史上未曽有の大戦果を挙げ、フランスに対しても見事な決戦戦争を遂行したのです。

では、果してこれが今日の戦争の本質であるかと申せば、私は、あえて「否」と答えます。

第一次欧州大戦に於ては、ドイツの武力は連合軍に比し多くの点で極めて優秀でしたが、兵力は遥かに劣勢であり、戦意は双方相譲らない有様で、大体互角の勝負です。

ところがヒットラーがドイツを支配して以来、ドイツは真に挙国一致、全力を挙げて軍備の大拡充に努力したのに対し、自由主義の仏英は漫然これを見送ったために、空軍は質量共に断然ドイツが優勢であることは世界がひとしく認めていたのです。

そして今度いよいよ戦争の幕をあけて見ると、ドイツ機械化兵団が極めて精鋭且つ優勢であるのみならず、一般師団の数も仏英側に対し、ドイツは恐らく三分の一以上も優勢を保持しているらしいのです。

しかもヒットラーによって全国力が完全に統一運用されているのに対し、フランスはベルサイユ条約に基づいてドイツに一撃を加えることを主張したのに対して、英国は反対。
その後も作戦計画について、事あるごとに意見の一致を見なかった。

フランスの戦意は、こんな関係で第一次欧州大戦のようではなく、マジノ延長線も計画に止まり、ほとんど構築されていなかったのです。

戦力の著しく劣勢なフランスは、国境で守勢をとるべきだったと思われます。
恐らく軍当局はこれを欲したのでしょうが、政略に制せられてベルギーに前進し、この有力なベルギー派遣軍がドイツの電撃作戦に遇(あ)って徹底的打撃を受け、英軍は本国へ逃げかえりました。

英国が本気でやる気なら、本国などは海軍に一任し、全陸軍はフランスで作戦すべきです。

英仏の感情は恐らく極めて不良となったことと考えられます。

かくてドイツが南下するや、仏軍は遂に抵抗の実力なく、名将ペタン将軍を首相としてドイツに降伏しました。

このように考えますと、今次の戦争は全く互格の勝負ではなく、連合側の物心両面に於ける甚だしい劣勢が必然的にこの結果を招いたのです。

そもそも「持久戦争」は、大体互格の戦争力を有する相手の間に於てのみ行なわれるものです。

第一次欧州大戦では開戦初期の作戦はドイツの全勝を思わせたのでしたが、マルヌで仏軍の反撃に敗れ、また最後の1918年のルーデンドルフの大攻勢では、北フランスに於ける戦場付近で仏英軍に大打撃を与え、一時は全く敵を中断して戦争の運命を決し得るのではないかとさえ見えたのでしたが、遂に失敗に終りました。

両軍は大体互格で「持久戦争」となり、ドイツは主として経済戦に敗れて、遂に降伏したのです。

フィンランドはソ連に屈伏はしたものの、極めて劣勢の兵力で長時日ソ連の猛撃を支え、今日の兵器に対しても防禦威力の如何に大なるかを示しました。

またベルギー戦線でも、まだ詳細は判りませんが、ブリュッセル方面から敵の正面を攻めたドイツ軍は大きな抵抗に遇い、容易には敵線を突破できなかった様子です。

現在は第一次欧州大戦に比べると、空軍の大進歩、戦車の進歩などがありますが、十分の戦備と決心を以て戦う敵線の突破は、今日も依然として至難で、戦争持久に陥る公算が多く、まだ持久戦争の時代であると観察されます。


■■第二章 最終戦争■■

われわれは第一次欧州大戦以後、戦術から言えば戦闘群の戦術、戦争から言えば「持久戦争」の時代に呼吸しています。

第二次欧州戦争で所々に「決戦戦争」が行なわれても、時代の本質はまだ「持久戦争」の時代であることは前に申した通りですが、やがて次の決戦戦争の時代に移ることは、今までお話した歴史的観察によって疑いのないところです。


その決戦戦争がどんな戦争であるだろうか。これを今までのことから推測して考えましょう。

まず兵数を見ますと今日では男という男は全部戦争に参加するのでありますが、この次の戦争では男ばかりではなく女も、更に徹底すれば老若男女全部、戦争に参加することになります。

戦術の変化を見ますと、密集隊形の方陣から横隊になり散兵になり戦闘群になったのであります。

これを幾何学的に観察すれば、方陣は点であり横隊は実線であり散兵は点線であり、戦闘群の戦法は面の戦術であります。
点線から面に来たのです。
この次の戦争は体(三次元)の戦法であると想像されます。

それでは戦闘の指揮単位はどういうふうに変化したかと言うと、必ずしも公式の通りではなかったのですが、理屈としては密集隊形の指揮単位は大隊です。

今のように拡声器が発達すれば「前へ進め」と三千名の連隊を一斉に動かし得るかも知れませんが、肉声では声のよい人でも大隊が単位です。

われわれの若いときに盛んにこの大隊密集教練をやったものです。

横隊になると大隊ではどんな声のよい人でも号令が通りません。

指揮単位は中隊です。

次の散兵となると、中隊長ではとても号令は通らないので、小隊長が号令を掛けねばいけません。

それで指揮単位は小隊になったのであります。

戦闘群の戦術では明瞭に分隊――通常は軽機一挺と鉄砲十何挺を持っている分隊が単位であります。

大隊、中隊、小隊、分隊と逐次小さくなって来た指揮単位は、この次は個人になると考えるのが至当であろうと思います。

単位は個人で、量は全国民ということは、国民の持っている戦争力を全部最大限に使うことです。

そうして、その戦争のやり方は体の戦法即ち空中戦を中心としたものでありましょう。

われわれは体以上のもの、即ち四次元の世界は分からないのです。
そういうものがあるならは、それは恐らく霊界とか、幽霊などの世界でしょう。
われわれ普通の人間には分からないことです。

要するに、この次の決戦戦争は戦争発達の極限に達するのであります。

戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。

人間の闘争心は無くなりません。
闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。
国家の対立が無くなる――即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。

これまでの私の説明は突飛だと思う方があるかも知れませんが、私は理論的に正しいものであることを確信いたします。

戦争発達の極限が戦争を不可能にする。

例えば戦国時代の終りに日本が統一したのは軍事、主として兵器の進歩の結果であります。

即ち戦国時代の末に信長、秀吉、家康という世界歴史でも最も優れた三人の偉人が一緒に日本に生まれて来ました。
三人の協同作業です。

信長が、あの天才的な閃(ひらめ)きで、大革新を妨げる堅固な殻を打ち割りました。

割った後もあまり天才振りを発揮されると困ります。
それで明智光秀が信長を殺した。

信長が死んだのは用事が終ったからであります。

それで秀吉が荒削りに日本の統一を完成し、朝鮮征伐までやって統一した日本の力を示しました。

そこに家康が出て来て、うるさい婆さんのように万事キチンと整頓してしまった。

徳川が信長や秀吉の考えたような皇室中心主義を実行しなかったのは遺憾千万ですが、この三人で、ともかく日本を統一したのであります。

なぜ統一が可能であったかと言えば、種子島へ鉄砲が来たためです。

いくら信長や秀吉が偉くても鉄砲がなくて、槍と弓だけであったならば旨く行きません。

信長は時代を達観して尊皇の大義を唱え、日本統一の中心点を明らかにしましたが、彼は更に今の堺から鉄砲を大量に買い求めて統一の基礎作業を完成しました。

今の世の中でも、もしもピストル以上の飛び道具を全部なくしたならば、選挙のときには恐らく政党は演壇に立って言論戦なんかやりません。

言論では勝負が遅い。
必ず腕力を用いることになります。

しかし警察はピストルを持っている。
兵隊さんは機関銃を持っている。
いかに剣道、柔道の大家でも、これではダメだ。

だから甚だ迂遠な方法であるが、言論戦で選挙を争っているのです。
兵器の発達が世の中を泰平にしているのです。

この次の、すごい決戦戦争で、人類はもうとても戦争をやることはできないということになる。

そこで初めて世界の人類が長くあこがれていた本当の平和に到着するのであります。

要するに世界の一地方を根拠とする武力が、全世界の至るところに対し迅速にその威力を発揮し、抵抗するものを屈伏し得るようになれば、世界は自然に統一することとなります。

しからばその決戦戦争はどういう形を取るかを想像して見ます。

戦争には老若男女全部、参加する。
老若男女だけではない。
山川草木全部、戦争の渦中に入るのです。

しかし女や子供まで全部が、満州国やシベリヤ、または南洋に行って戦争をやるのではありません。
戦争には二つのことが大事です。

一つは敵を撃つこと――損害を与えること。
もう一つは損害に対して我慢することです。

即ち敵に最大の損害を与え、自分の損害に堪え忍ぶことであります。

この見地からすると、次の決戦戦争では敵を撃つものは少数の優れた軍隊でありますが、我慢しなければならないものは全国民となるのです。

今日の欧州大戦でも空軍による「決戦戦争」の自信力がありませんから、無防禦の都市は爆撃しない、軍事施設を爆撃したとか言っておりますけれども、いよいよ真の決戦戦争の場合には、忠君愛国の精神で死を決心している軍隊などは有利な目標でありません。

最も弱い人々、最も大事な国家の施設が攻撃目標となります。

工業都市や政治の中心を徹底的にやるのです。

でありますから老若男女、山川草木、豚も鶏も同じにやられるのです。

かくて空軍による真に徹底した殲滅戦争となります。
国民はこの惨状に堪え得る鉄石の意志を鍛錬しなければなりません。

また今日の建築は危険極まりないことは周知の事実であります。
国民の徹底した自覚により国家は遅くも二十年を目途とし、主要都市の根本的防空対策を断行すべきことを強く提案致します。

官憲の大整理、都市に於ける中等学校以上の全廃(教育制度の根本革新)、工業の地方分散等により都市人口の大整理を行ない、必要な部分は市街の大改築を強行せねばなりません。

今日のように陸海軍などが存在しているあいだは、最後の決戦戦争にはならないのです。

それ動員だ、輸送だなどと間ぬるいことではダメであります。
軍艦のように太平洋をのろのろと十日も二十日もかかっては問題になりません。

それかと言って今の空軍ではとてもダメです。
また仮に飛行機の発達により今、ドイツがロンドンを大空襲して空中戦で戦争の決をつけ得るとしても、恐らくドイツとロシヤの間では困難であります。

ロシヤと日本の間もまた困難。

更に太平洋をへだてたところの日本とアメリカが飛行機で決戦するのはまだまだ遠い先のことであります。

一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行なわれる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります。

即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。

それから破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだ問題になりません。

もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねはなりません。

飛行機は無着陸で世界をクルグル廻る。
しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。

その代り大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。
すべてが吹き飛んでしまう……。
それぐらいの破壊力のものであろうと思います。

そうなると戦争は短期間に終る。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最終戦争は来ない。

そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。

この次の決戦戦争では降ると見て笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。

このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。


■■第三章 世界の統一■■

西洋歴史を大観すれば、古代は国家の対立からロ―マが統一したのであります。

それから中世はそれをキリスト教の坊さんが引受けて、彼らが威力を失いますと、次には新しい国家が発生してまいりました。

国家主義がだんだん発展して来て、フランス革命のときは一時、世界主義が唱導されました。

ゲーテやナポレオンは本当に世界主義を理想としたのでありますが、結局それは目的を達しないで、国家主義の全盛時代になって第一次欧州戦争を迎えました。

欧州戦争の深刻な破壊の体験によって、再び世界主義である国際連盟の実験が行なわれることとなりました。

けれども急に理想までは達しかねて、国際連盟は空文になったのです。

しかし世界は欧州戦争前の国家主義全盛の時代までは逆転しないで、国家連合の時代になったと私どもは言っているのであります。
大体、世界は四つになるようであります。

第一はソビエト連邦。これは社会主義国家の連合体であります。
マルクス主義に対する世界の魅力は失われましたが、二十年来の経験に基づき、特に第二次欧州戦争に乗じ、独特の活躍をなしつつあるソ連の実力は絶対に軽視できません。

第二は米州であります。
合衆国を中心とし、南北アメリカを一体にしようとしつつあります。
中南米の民族的関係もあり、合衆国よりもむしろヨーロッパ方面と経済上の関係が濃厚な南米の諸国に於ては、合衆国を中心とする米州の連合に反対する運動は相当強いのですけれども、しかし大勢は着々として米州の連合に進んでおります。

次にヨーロッパです。
第一次欧州戦争の結果たるベルサイユ体制は、反動的で非常に無理があったものですから遂に今日の破局を来たしました。

今度の戦争が起ると、
「われわれは戦争に勝ったならば断じてベルサイユの体制に還すのではない。ナチは打倒しなければならぬ。ああいう独裁者は人類の平和のために打倒して、われわれの方針である自由主義の信条に基づく新しいヨーロッパの連合体制を採ろう」というのが、英国の知識階級の世論だと言われています。

ドイツ側はどうでありましたか。
たしか去年の秋のことでした。

トルコ駐在のドイツ大使フォン・パーペンがドイツに帰る途中、イスタンブールで新聞記者にドイツの戦争目的如何という質問を受けた。

ナチでないのでありますから、比較的慎重な態度を採らなけれはならぬパーペンが、言下に、

「ドイツが勝ったならばヨーロッパ連盟を作るのだ」と申しました。

ナチスの世界観である「運命協同体」を指導原理とするヨーロッパ連盟を作るのが、ヒットラーの理想であるだろうと思います。

フランスの屈伏後に於けるドイツの態度から見ても、このことは間違いないと信ぜられます。

第一次欧州戦争が終りましてから、オーストリアのクーデンホーフが汎ヨーロッパということを唱導しまして、フランスのブリアン、ドイツのストレーゼマンという政治家も、その実現に熱意を見せたのでありますが、とうとうそこまで行かないでウヤムヤになったのです。

今度の大破局に当ってヨーロッパの連合体を作るということが、再びヨーロッパ人の真剣な気持になりつつあるものと思われます。

最後に東亜であります。

目下、日本と支那は東洋では未だかつてなかった大戦争を継続しております。
しかしこの戦争も結局は日支両国が本当に提携するための悩みなのです。

日本はおぼろ気ながら近衛声明以来それを認識しております。
近衛声明以来ではありません。
開戦当初から聖戦と唱えられたのがそれであります。

如何なる犠牲を払っても、われわれは代償を求めるのではない、本当に日支の新しい提携の方針を確立すればそれでよろしいということは、今や日本の信念になりつつあります。

明治維新後、民族国家を完成しようとして、他民族を軽視する傾向を強めたことは否定できません。

台湾、朝鮮、満州、支那に於て遺憾ながら他民族の心をつかみ得なかった最大原因は、ここにあることを深く反省するのが事変処理、昭和維新、東亜連盟結成の基礎条件であります。

中華民国でも三民主義の民族主義は孫文時代のままではなく、今度の事変を契機として新しい世界の趨勢に即応したものに進展することを信ずるものであります。

今日の世界的形勢に於て、科学文明に立ち遅れた東亜の諸民族が西洋人と太刀打ちしようとするならば、われわれは精神力、道義力によって提携するのが最も重要な点でありますから、聡明な日本民族も漢民族も、もう間もなく大勢を達観して、心から諒解するようになるだろうと思います。

もう一つ大英帝国というブロックが現実にはあるのであります。カナダ、アフリカ、インド、オーストラリア、南洋の広い地域を支配しています。

しかし私は、これは問題にならないと見ております。
あれは十九世紀で終ったのです。

強大な実力を有する国家がヨーロッパにしかない時代に、英国は制海権を確保してヨーロッパから植民地に行く道を独占し、更にヨーロッパの強国同士を絶えず喧嘩させて、自分の安全性を高めて世界を支配していたのです。

ところが十九世紀の末から既に大英帝国の鼎(かなえ)の軽重は問われつつあった。

殊にドイツが大海軍の建設をはじめただけでなく、三B政策によって陸路ベルリンからバグダッド、エジプトの方に進んで行こうとするに至って、英国は制海権のみによってはドイツを屈伏させることが怪しくなって来たのです。

それが第一次欧州大戦の根本原因であります。

幸いにドイツをやっつけました。

数百年前、世界政策に乗り出して以来、スペイン、ポルトガル、オランダを破り、次いでナポレオンを中心とするフランスに打ち克って、一世紀の間、世界の覇者となっていた英国は、最後にドイツ民族との決勝戦を迎えたのであります。

英国は第一次欧州戦争の勝利により、欧州諸国家の争覇戦に於ける全勝の名誉を獲得しました。しかしこの名誉を得たときが実は、おしまいであったのです。

まあ、やれやれと思ったときに東洋の一角では日本が相当なものになってしまった。

それから合衆国が新大陸に威張っている。

もう今日は英帝国の領土は日本やアメリカの自己抑制のおかげで保持しているのです。
英国自身の実力によって保持しているのではありません。

カナダをはじめ南北アメリカの英国の領土は、合衆国の力に対して絶対に保持できません。
シンガポール以東、オーストラリアや南洋は、英国の力をもってしては、日本の威力に対して断じて保持できない。

インドでもソビエトか日本の力が英国の力以上であります。

本当に英国の、いわゆる無敵海軍をもって確保できるのは、せいぜいアフリカの植民地だけです。

大英帝国はもうベルギー、オランダなみに歴史的惰性と外交的駆引によって、自分の領土を保持しているところの老獪極まる古狸です。

二十世紀の前半期は英帝国の崩壊史だろうと私どもも言っておったのですが、今次欧州大戦では、驚異的に復興したドイツのために、その本幹に電撃を与えられ、大英帝国もいよいよ歴史的存在となりつつあります。

この国家連合の時代には、英帝国のような分散した状態ではいけないので、どうしても地域的に相接触したものが一つの連合体になることが、世界歴史の運命だと考えます。

そして私は第一次欧州大戦以後の国家連合の時代は、この次の最終戦争のための準決勝戦時代だと観察しているのです。

先に話しました四つの集団が第二次欧州大戦以後は恐らく日、独、伊即ち東亜と欧州の連合と米州との対立となり、ソ連は巧みに両者の間に立ちつつも、大体は米州に多く傾くように判断されます。

われわれの常識から見れば結局、二つの代表的勢力となるものと考えられるのであります。

どれが準決勝で優勝戦に残るかと言えば、私の想像では東亜と米州だろうと思います。

人類の歴史を、学問的ではありませんが、しろうと考えで考えて見ると、アジアの西部地方に起った人類の文明が東西両方に分かれて進み、数千年後に太平洋という世界最大の海を境にして今、顔を合わせたのです。

この二つが最後の決勝戦をやる運命にあるのではないでしょうか。
軍事的にも最も決勝戦争の困難なのは太平洋を挟んだ両集団であります。

軍事的見地から言っても、恐らくこの二つの集団が準決勝に残るのではないかと私は考えます。

そういう見当で想像して見ますと、ソ連は非常に勉強して、自由主義から統制主義に飛躍する時代に、率先して幾多の犠牲を払い幾百万の血を流して、今でも国民に驚くべき大犠牲を強制しつつ、スターリンは全力を尽しておりますけれども、どうもこれは瀬戸物のようではないか。堅いけれども落とすと割れそうだ。

スターリンに、もしものことがあるならば、内部から崩壊してしまうのではなかろうか。非常にお気の毒ではありますけれども。

それからヨーロッパの組はドイツ、イギリス、それにフランスなど、みな相当なものです。

とにかく偉い民族の集まりです。
しかし偉くても場所が悪い。
確かに偉いけれどもそれが隣り合わせている。

いくら運命協同体を作ろう、自由主義連合体を作ろうと言ったところで、考えはよろしいが、どうも喧嘩はヨーロッパが本家本元であります。

その本能が何と言っても承知しない、なぐり合いを始める。
因業な話で共倒れになるのじゃないか。

ヒットラーの下に有史以来未曽有の大活躍をしているドイツに対しては、誠に失礼な言い方と思いますが、何となくこのように考えられます。

ヨーロッパ諸民族は特に反省することが肝要と思います。
そうなって来ると、どうも、ぐうたらのような東亜のわれわれの組と、それから成金のようでキザだけれども若々しい米州、この二つが大体、決勝に残るのではないか。

この両者が太平洋を挟んだ人類の最後の大決戦、極端な大戦争をやります。

その戦争は長くは続きません。

至短期間でバタバタと片が付く。そうして天皇が世界の天皇で在らせらるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという人類の最も重大な運命が決定するであろうと思うのです。

即ち東洋の王道と西洋の覇道の、いずれが世界統一の指導原理たるべきかが決定するのであります。

悠久の昔から東方道義の道統を伝持遊ばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の天皇と仰がれることは、われわれの堅い信仰であります。

今日、特に日本人に注意して頂きたいのは、日本の国力が増進するにつれ、国民は特に謙譲の徳を守り、最大の犠牲を甘受して、東亜諸民族が心から天皇の御位置を信仰するに至ることを妨げぬよう心掛けねばならぬことです。

天皇が東亜諸民族から盟主と仰がれる日こそ、即ち東亜連盟が真に完成した日であります。

しかし八紘一宇の御精神を拝すれば、天皇が東亜連盟の盟主、世界の天皇と仰がれるに至っても日本国は盟主ではありません。

しからば最終戦争はいつ来るか。
これも、まあ占いのようなもので科学的だとは申しませんが、全くの空想でもありません。

再三申しました通り、西洋の歴史を見ますと、戦争術の大きな変転の時期が、同時に一般の文化史の重大な変化の時期であります。

この見地に立って年数を考えますと、中世は約一千年くらい、それに続いてルネッサンスからフランス革命までは、まあ三百年乃至四百年。これも見方によって色々の説もありましょうが、大体こういう見当になります。

フランス革命から第一次欧州戦争までは明確に百二十五年です。

千年、三百年、百二十五年から推して、第一次欧州戦争の初めから次の最終戦争の時期までどのくらいと考えるべきであるか。千年、三百年、百二十五年の割合から言うと今度はどのくらいの見当だろうか。

多くの人に聞いて見ると大体の結論は五十年内外だろうということになったのであります。

これは余り短いから、なるべく長くしたい気分になり、最初は七十年とか言いましたけれども結局、極く長く見て五十年内だろうと判断せざるを得なくなったのです。

ところが第一次欧州戦争勃発の一九一四年から二十数年経過しております。今日から二十数年、まあ三十年内外で次の決戦戦争、即ち最終戦争の時期に入るだろう、ということになります。

余りに短いようでありますが、考えてご覧なさい。

飛行機が発明されて三十何年、本当の飛行機らしくなってから二十年内外、しかも飛躍的進歩は、ここ数年です。

文明の急激な進歩は全く未曽有の勢いであり、今日までの常識で将来を推しはかるべきでないことを深く考えなければなりません。

今年はアメリカの旅客機が亜成層圏を飛ぶというのであります。
成層圏の征服も間もなく実現することと信じます。

科学の進歩から、どんな恐ろしい新兵器が出ないとも言えません。
この見地から、この三十年は最大の緊張をもって挙国一致、いな東亜数億の人々が一団となって最大の能力を発揮しなければなりません。

この最終戦争の期間はどのくらい続くだろうか。これはまた更に空想が大きくなるのでありますが、例えば東亜と米州とで決戦をやると仮定すれば、始まったら極めて短期間で片付きます。

しかし準決勝で両集団が残ったのでありますが、他にまだ沢山の相当な国々があるのですから、本当に余震が鎮静して戦争がなくなり人類の前史が終るまで、即ち最終戦争の時代は二十年見当であろう。

言い換えれば今から三十年内外で人類の最後の決勝戦の時期に入り、五十年以内に世界が一つになるだろう。
こういうふうに私は算盤を弾いた次第であります。


■■第四章 昭和維新■■

フランス革命は持久戦争から決戦戦争、横隊戦術から散兵戦術に変る大きな変革でありました。
日本では、ちょうど明治維新時代がそれであります。

第一次欧州大戦によって決戦戦争から持久戦争、散兵戦術から戦闘群の戦術に変化し、今日はフランス革命以後最大の革新時代に入り、現に革新が進行中であります。
即ち昭和維新です。

第二次欧州大戦で新しい時代が来たように考える人が多いのですが、私は第一次欧州大戦によって展開された自由主義から統制主義への革新、即ち昭和維新の急進展と見る。

昭和維新は日本だけの問題ではありません。
本当に東亜の諸民族の力を総合的に発揮して、西洋文明の代表者と決勝戦を交える準備を完了するのです。

明治維新の眼目が王政復古にあったが如く、廃藩置県にあった如く、昭和維新の政治的眼目は東亜連盟の結成にある。

満州事変によってその原則は発見され、今日ようやく国家の方針となろうとしています。

東亜連盟の結成を中心問題とする昭和維新のためには二つのことが大事です。

第一は東洋民族の新しい道徳の創造であります。

ちょうど、われわれが明治維新で藩侯に対する忠誠から天皇に対する忠誠に立ち返った如く、東亜連盟を結成するためには民族の闘争、東亜諸国の対立から民族の協和、東亜の諸国家の本当の結合という新しい道徳を生み出して行かなければならない。

その中核の問題は満州建国の精神である民族協和の実現にあります。
この精神、この気持が最も大切です。

第二に、われわれの相手になるものに劣らぬ物質力を作り上げなければならないのです。

この立ち後れた東亜がヨーロッパまたは米州の生産力以上の生産力を持たなければならない。

以上の見地からすれば、現代の国策は東亜連盟の結成と生産力大拡充という二つが重要な問題をなします。

科学文明の後進者であるわれわれが、この偉大な生産力の大拡充を強行するためには、普通の通り一遍の方式ではダメです。

何とかして西洋人の及ばぬ大きな産業能力を発揮しなければならないのです。

このごろ亀井貫一郎氏の「ナチス国防経済論」という書物を読んで非常に心を打たれました。

ドイツは原料が足りない。

ドイツがベルサイユ体制でいじめられて、いじめ抜かれたことが、ドイツを本当に奮発させまして、二十年この方、特に十年この方、ドイツには第二産業革命が発生していると言うのです。

私には、よくは理屈が判りませんが、要するに常温常圧の工業から高温高圧工業に、電気化学工業に変遷をして来る、そうして今までの原料の束縛からまぬがれてあらゆる物が容易に生産されるに至る驚くべき第二産業革命が今、進行しているのです。

それに対する確信があってこそ今度ドイツが大戦争に突進できたのであろうと思います。

われわれは非常に科学文明で遅れております。

しかし頭は良いのです。

皆さんを見ると、みな秀才のような顔をしております。
断然われわれの全知能を総動員してドイツの科学の進歩、産業の発達を追い越して最新の科学、最優秀の産業力を迅速に獲得しなくてはならない。

これが、われわれの国策の最重要条件でなけれはなりません。
ドイツに先んじて、むろんアメリカに先んじて、われわれの産業大革命を強行するのであります。

この産業大革命は二つの方向に作用を及ぼすと思う。

一つは破壊的です。
一つは建設的です。

破壊的とは何かと言うと、われわれはもう既に三十年後の世界最後の決勝戦に向っているのでありますが、今持っているピーピーの飛行機では問題にならない。

自由に成層圏にも行動し得るすばらしい航空機が速やかに造られなけれはなりません。

また一挙に敵に殲滅的打撃を与える決戦兵器ができなければなりません。

この産業革命によって、ドイツの今度の新兵器なんか比較にならない驚くべき決戦兵器が生産されるべきで、それによって初めて三十年後の決勝戦に必勝の態勢を整え得るのであります。

ドイツが本当に戦争の準備をして数年にしかなりません。
皆さんに二十年の時間を与えます。
十分でしょう、いや余り過ぎて困るではありませんか。

もう一つは建設方面であります。
破壊も単純な破壊ではありません。最後の大決勝戦で世界の人口は半分になるかも知れないが、世界は政治的に一つになる。

これは大きく見ると建設的であります。
同時に産業革命の美しい建設の方面は、原料の束縛から離れて必要資材をどんどん造ることであります。

われわれにとって最も大事な水や空気は喧嘩の種になりません。
ふんだんにありますから。

水喧嘩は時々ありますが、空気喧嘩をしてなぐり合ったということは、まず無いのです。

必要なものは何でも、驚くべき産業革命でどしどし造ります。
持たざる国と持てる国の区別がなくなり、必要なものは何でもできることになるのです。

しかしこの大事業を貫くものは建国の精神、日本国体の精神による信仰の統一であります。

政治的に世界が一つになり、思想信仰が統一され、この和やかな正しい精神生活をするための必要な物資を、喧嘩してまで争わなければならないことがなくなります。

そこで真の世界の統一、即ち八紘一宇が初めて実現するであろうと考える次第です。

もう病気はなくなります。
今の医術はまだ極めて能力が低いのですが、本当の科学の進歩は病気をなくして不老不死の夢を実現するでしょう。

それで東亜連盟協会の「昭和維新論」には、昭和維新の目標として、約三十年内外に決勝戦が起きる予想の下に、二十年を目標にして東亜連盟の生産能力を西洋文明を代表するものに匹敵するものにしなければならないと言って、これを経済建設の目標にしているのです。

その見地から、ある権威者が米州の二十年後の生産能力の検討をして見たところによりますと、それは驚くべき数量に達するのであります。

詳しい数は記憶しておりませんが、大体の見当は鋼や油は年額数億トン、石炭に至っては数十億トンを必要とすることとなり、とても今のような地下資源を使ってやるところの文明の方式では、二十年後には完全に行き詰まります。

この見地からも産業革命は間もなく不可避であり、「人類の前史将に終らんとす」るという観察は極めて合理的であると思われるのであります。


■■第五章 仏教の予言■■

今度は少し方面を変えまして宗教上から見た見解を一つお話したいと思います。

非科学的な予言への、われわれのあこがれが宗教の大きな問題であります。
しかし人間は科学的判断、つまり理性のみを以てしては満足安心のできないものがあって、そこに予言や見通しに対する強いあこがれがあるのです。

今の日本国民は、この時局をどういうふうにして解決するか、見通しが欲しいのです。
予言が欲しいのです。

ヒットラーが天下を取りました。
それを可能にしたのはヒットラーの見通しです。

第一次欧州戦争の結果、全く行き詰まってしまったドイツでは、何ぴともあの苦境を脱する着想が考えられなかったときに、彼はベルサイユ条約を打倒して必ず民族の復興を果し得る信念を懐いたのです。

大切なのはヒットラーの見通しであります。
最初は狂人扱いをされましたが、その見通しが数年の間に、どうも本当でありそうだと国民が考えたときに、ヒットラーに対する信頼が生まれ、今日の状態に持って来たのであります。

私は宗教の最も大切なことは予言であると思います。

仏教、特に日蓮聖人の宗教が、予言の点から見て最も雄大で精密を極めたものであろうと考えます。

空を見ると、たくさんの星があります。

仏教から言えは、あれがみんな一つの世界であります。

その中には、どれか知れませんが西方極楽浄土というよい世界があります。
もっとよいのがあるかも知れません。

その世界には必ず仏様が一人おられて、その世界を支配しております。
その仏様には支配の年代があるのです。

例えば地球では今は、お釈迦様の時代です。
しかしお釈迦様は未来永劫この世界を支配するのではありません。

次の後継者をちゃんと予定している。
弥勒菩薩という御方が出て来るのだそうです。

そうして仏様の時代を正法・像法・末法の三つに分けます。

正法と申しますのは仏の教えが最も純粋に行なわれる時代で、像法は大体それに似通った時代です。
末法というのは読んで字の通りです。

それで、お釈迦様の年代は、いろいろ異論もあるそうですが、多く信ぜられているのは正法千年、像法千年、末法万年、合計一万二千年です。

ところが大集経(だいしっきょう)というお経には、更にその最初の二千五百年の詳細な予言があるのです。

仏滅後(お釈迦様が亡くなってから後)の最初の五百年が解脱(げだつ)の時代で、仏様の教えを守ると神通力が得られて、霊界の事柄がよくわかるようになる時代です。
人間が純朴で直感力が鋭い、よい時代であります。

大乗経典はお釈迦様が書いたものでない。
お釈迦様が亡くなられてから最初の五百年、即ち解脱の時代にいろいろな人によって書かれたものです。

私はそれを不思議に思うのです。
長い年月かかって多くの人が書いたお経に大きな矛盾がなく、一つの体系を持っているということは、霊界に於て相通ずるものがあるから可能になったのだろうと思います。

大乗仏教は仏の説でないとて大乗経を軽視する人もありますが、大乗経典が仏説でないことが却(かえ)って仏教の霊妙不可思議を示すものと考えられます。

その次の五百年は禅定(ぜんじょう)の時代で、解脱の時代ほど人間が素直でなくなりますから、座禅によって悟りを開く時代であります。

以上の千年が正法です。

正法千年には、仏教が冥想の国インドで普及し、インドの人間を救ったのであります。

その次の像法の最初の五百年は読誦多聞(どくじゅたもん)の時代であります。
教学の時代であります。

仏典を研究し仏教の理論を研究して安心を得ようとしたのであります。

瞑想の国インドから組織の国、理論の国、支那に来たのはこの像法の初め、教学時代の初めなのです。

インドで雑然と説かれた万巻のお経を、支那人の大陸的な根気によって何回も何回も読みこなして、それに一つの体系を与えました。

その最高の仕事をしたのが天台大師であります。

天台大師はこの教学の時代に生まれた人です。
天台大師が立てた仏教の組織は、現在でも多くの宗派の間で余り大きな異存はないのです。

その次の像法の後の五百年は多造塔寺(たぞうとうじ)の時代、即ちお寺をたくさん造った時代、つまり立派なお寺を建て、すばらしい仏像を本尊とし、名香を薫じ、それに綺麗な声でお経を読む。

そういう仏教芸術の力によって満足を得て行こうとした時代であります。

この時代になると仏教は実行の国日本に入って来ました。

奈良朝・平安朝初期の優れた仏教芸術は、この時に生まれたのであります。

次の五百年、即ち末法最初の五百年は闘諍(とうじょう)時代であります。

この時代になると闘争が盛んになって普通の仏教の力はもうなくなってしまうと、お釈迦様が予言しています。

末法に入ると、叡山の坊さんは、ねじり鉢巻で山を降りて来て三井寺を焼打ちにし、遂には山王様のお神輿をかついで都に乱入するまでになりました。

説教すべき坊さんが拳骨を振るう時代になって来たのです。
予言の通りです。

仏教では仏は自分の時代に現われる、あらゆる思想を説き、その教えの広まって行く経過を予言していなければならないのですが、一万年のお釈迦様が二千五百年でゴマ化しているのです。

自分の教えは、この二千五百年でもうダメになってしまうという無責任なことを言って、大集経の予言は終っているのです。

ところで、天台大師が仏教の最高経典であると言う法華経では、仏はその闘争の時代に自分の使を出す、節刀将軍を出す、その使者はこれこれのことを履(ふ)み行ない、こうこういう教えを広めて、それが末法の長い時代を指導するのだ、と予言しているのです。

言い換えれば仏滅から数えて二千年前後の末法では世の中がひどく複雑になるので、今から一々言っておいても分からないから、その時になったら自分が節刀将軍を出すから、その命令に服従しろ、と言って、お釈迦様は亡くなっているのです。

末法に入ってから二百二十年ばかり過ぎたときに仏の予言によって日本に、しかもそれが承久の乱、即ち日本が未曽有の国体の大難に際会したときに、お母さんの胎内に受胎された日蓮聖人が、承久の乱に疑問を懐きまして仏道に入り、ご自分が法華経で予言された本化上行(ほんげじょうぎょう)菩薩であるという自覚に達し、法華経に従ってその行動を律せられ、お経に述べてある予言を全部自分の身に現わされた。

そして内乱と外患があるという、ご自身の予言が日本の内乱と蒙古の襲来によって的中したのであります。

それで、その予言が実現するに従って逐次、ご自分の仏教上に於ける位置を明らかにし、予言の的中が全部終った後、みずから末法に遣わされた釈尊の使者本化上行だという自覚を公表せられ、日本の大国難である弘安の役の終った翌年に亡くなられました。

そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。

日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る。

そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。

こういう予言をして亡くなられたのであります。

ここで、仏教教学について素人の身としては甚だ僭越でありますが、私の信ずるところを述べさせていただきたいと存じます。

日蓮聖人の教義は本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇の三つであります。

題目は真っ先に現わされ、本尊は佐渡に流されて現わし、戒壇のことは身延でちょっと言われたが、時がまだ来ていない、時を待つべきであると言って亡くなられました。

と申しますのは、戒壇は日本が世界的な地位を占めるときになって初めて必要な問題でありまして、足利時代や徳川時代には、まだ時が来ていなかったのです。

それで明治時代になりまして日本の国体が世界的意義を持ちだしたときに、昨年亡くなられた田中智学先生が生まれて来まして、日蓮聖人の宗教の組織を完成し、特に本門戒壇論、即ち日本国体論を明らかにしました。

それで日蓮聖人の教え即ち仏教は、明治の御代になって田中智学先生によって初めて全面的に、組織的に明らかにされたのであります。

ところが不思議なことには、日蓮聖人の教義が全面的に明らかになったときに大きな問題が起きて来たのです。

仏教徒の中に仏滅の年代に対する疑問が出て来たのであります。

これは大変なことで、日蓮聖人は末法の初めに生まれて来なければならないのに、最近の歴史的研究では像法に生まれたらしい。

そうすると日蓮聖人は予言された人でないということになります。

日蓮聖人の宗教が成り立つか否かという大問題が出現したというのに、日蓮聖人の門下は、歴史が曖昧で判らない、どれが本当か判らないと言って、みずから慰めています。

そういう信者は結構でしょう。
そうでない人は信用しない。

一天四海皆帰妙法は夢となります。

この重大問題を日蓮聖人の信者は曖昧にして過ごしているのです。

観心本尊鈔に「当ニ知ルベシ此ノ四菩薩、折伏(シャクブク)ヲ現ズル時ハ賢王ト成ツテ愚王ヲ誠責(カイシャク)シ、摂受(ショウジュ)ヲ行ズル時ハ僧ト成ツテ正法ヲ弘持(グジ)ス」とあります。

この二回の出現は経文の示すところによるも、共に末法の最初の五百年であると考えられます。

そして摂受を行ずる場合の闘争は主として仏教内の争いと解すべきであります。

明治の時代までは仏教徒全部が、日蓮聖人の生まれた時代は末法の初めの五百年だと信じていました。

その時代に日蓮聖人が、いまだ像法だと言ったって通用しない。
末法の初めとして行動されたのは当然であります。

仏教徒が信じていた年代の計算によりますと、末法の最初の五百年は大体、叡山の坊さんが乱暴し始めた頃から信長の頃までであります。

信長が法華や門徒を虐殺しましたが、あの時代は坊さん連中が暴力を揮った最後ですから、大体、仏の予言が的中したわけであります。

折伏を現ずる場合の闘争は、世界の全面的戦争であるべきだと思います。

この問題に関連して、今は仏滅後何年であるかを考えて見なけれはなりません。

歴史学者の間ではむずかしい議論もあるらしいのですが、まず常識的に信じられている仏滅後二千四百三十年見当という見解をとって見ます。

そうすると末法の初めは、西洋人がアメリカを発見しインドにやって来たとき、即ち東西両文明の争いが始まりかけたときです。

その後、東西両文明の争いがだんだん深刻化して、正にそれが最後の世界的決勝戦になろうとしているのであります。

明治の御世、即ち日蓮聖人の教義の全部が現われ了ったときに、初めて年代の疑問が起きて来たことは、仏様の神通力だろうと信じます。

末法の最初の五百年を巧みに二つに使い分けをされたので、世界の統一は本当の歴史上の仏滅後二千五百年に終了すべきものであろうと私は信ずるのであります。

そうなって参りますと、仏教の考える世界統一までは約六、七十年を残されているわけであります。

私は戦争の方では今から五十年と申しましたが、不思議に大体、似たことになっております。

あれだけ予言を重んじた日蓮聖人が、世界の大戦争があって世界は統一され本門戒壇が建つという予言をしておられるのに、それが何時来るという予言はやっていないのです。

それでは無責任と申さねばなりません。

けれども、これは予言の必要がなかったのです。
ちゃんと判っているのです。
仏の神通力によって現われるときを待っていたのです。

そうでなかったら、日蓮聖人は何時だという予言をしておられるべきものだと信ずるのであります。

この見解に対して法華の専門家は、それは素人のいい加減なこじつけだと言われるだろうかと存じますが、私の最も力強く感ずることは、日蓮聖人以後の第一人老である田中智学先生が、大正七年のある講演で
「一天四海皆帰妙法は四十八年間に成就し得るという算盤を弾いている」(師子王全集・教義篇第一輯三六七頁)と述べていることです。

大正八年から四十八年くらいで世界が統一されると言っております。

どういう算盤を弾かれたか述べてありませんが、天台大師が日蓮聖人の教えを準備された如く、田中先生は時来たって日蓮聖人の教義を全面的に発表した――即ち日蓮聖人の教えを完成したところの予定された人でありますから、この一語は非常な力を持っていると信じます。

また日蓮聖人は、インドから渡来して来た日本の仏法はインドに帰って行き、永く末法の闇を照らすべきものだと予言しています。

日本山妙法寺の藤井行勝師がこの予言を実現すべくインドに行って太鼓をたたいているところに支那事変が勃発しました。

英国の宣伝が盛んで、日本が苦戦して危いという印象をインド人が受けたのです。

そこで藤井行勝師と親交のあったインドの「耶羅陀耶」という坊さんが「日本が負けると大変だ。自分が感得している仏舎利があるから、それを日本に納めて貰いたい」と行勝師に頼みました。

行勝師は一昨年帰って来てそれを陸海軍に納めたのです。

行勝師の話によると、セイロン島の仏教徒は、やはり仏滅後二千五百年に仏教国の王者によって世界が統一されるという予言を堅く信じているそうで、その年代はセイロンの計算では間もなく来るのです。



■■第六章 結 び■■

今までお話して来たことを総合的に考えますと、軍事的に見ましても、政治史の大勢から見ましても、また科学、産業の進歩から見ましても、信仰の上から見ましても、人類の前史は将に終ろうとしていることは確実であり、その年代は数十年後に切迫していると見なければならないと思うのです。

今は人類の歴史で空前絶後の重大な時期です。

世の中には、この支那事変を非常時と思って、これが終れは和やかな時代が来ると考えている人が今日もまだ相当にあるようです。

そんな小っぽけな変革ではありません。

昔は革命と革命との間には相当に長い非非常時、即ち常時があったのです。

フランス革命から第一次欧州大戦の間も、一時はかなり世の中が和やかでありました。

第一次欧州大戦以後の革命時は、まだ安定しておりません。

しかしこの革命が終ると引きつづき次の大変局、即ち人類の最後の大決勝戦が来る。

今日の非常時は次の超非常時と隣り合わせであります。

今後数十年の間は人類の歴史が根本的に変化するところの最も重大な時期であります。

この事を国民が認識すれば、余りむずかしい方法を用いなくても自然に精神総動員はできると私は考えます。

東亜が仮に準決勝に残り得るとして誰と戦うか。

私は先に米州じゃないかと想像しました。

しかし、よく皆さんに了解して戴きたいことがあるのです。

今は国と国との戦争は多く自分の国の利益のために戦うものと思っております。

今日、日本とアメリカは睨み合いです。
あるいは戦争になるかも知れません。

かれらから見れば蘭印を日本に独占されては困ると考え、日本から言えば何だアメリカは自分勝手のモンロー主義を振り廻しながら東亜の安定に口を入れるとは怪しからぬというわけで、多くは利害関係の戦争でありましょう。

私はそんな戦争を、かれこれ言っているのでありません。

世界の決勝戦というのは、そんな利害だけの問題ではないのです。

世界人類の本当に長い間の共通のあこがれであった世界の統一、永遠の平和を達成するには、なるべく戦争などという乱暴な、残忍なことをしないで、刃(やいば)に血塗らずして、そういう時代の招来されることを熱望するのであり、それが、われわれの日夜の祈りであります。

しかしどうも遺憾ながら人間は、あまりに不完全です。

理屈のやり合いや道徳談義だけでは、この大事業は、やれないらしいのです。

世界に残された最後の選手権を持つ者が、最も真面目に最も真剣に戦って、その勝負によって初めて世界統一の指導原理が確立されるでしょう。

だから数十年後に迎えなければならないと私たちが考えている戦争は、全人類の永遠の平和を実現するための、やむを得ない大犠牲であります。


われわれが仮にヨーロッパの組とか、あるいは米州の組と決勝戦をやることになっても、断じて、かれらを憎み、かれらと利害を争うのでありません。

恐るべき惨虐行為が行なわれるのですが、根本の精神は武道大会に両方の選士が出て来て一生懸命にやるのと同じことです。

人類文明の帰着点は、われわれが全能力を発揮して正しく堂々と争うことによって、神の審判を受けるのです。

東洋人、特に日本人としては絶えずこの気持を正しく持ち、いやしくも敵を侮辱するとか、敵を憎むとかいうことは絶対にやるべからざることで、敵を十分に尊敬し敬意を持って堂々と戦わなけれはなりません。


ある人がこう言うのです。

君の言うことは本当らしい、本当らしいから余り言いふらすな、向こうが準備するからコッソリやれと。

これでは東亜の男子、日本男子ではない。
東方道義ではない。
断じて皇道ではありません。

よろしい、準備をさせよう、向こうも十分に準備をやれ、こっちも準備をやり、堂々たる戦いをやらなければならぬ。
こう思うのであります。

しかし断わって置かなければならないのは、こういう時代の大きな意義を一日でも早く達観し得る聡明な民族、聡明な国民が結局、世界の優者たるべき本質を持っているということです。

その見地から私は、昭和維新の大目的を達成するために、この大きな時代の精神を一日も速やかに全日本国民と全東亜民族に了解させることが、私たちの最も大事な仕事であると確信するものであります。

『ねずきちのひとりごと』より http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1072.html


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