My Library Home

室伏広治の身体能力

Wikipedia

Wikipedia 2012年



100m10秒台、立ち幅跳びでは360cm以上を飛ぶ人間離れした瞬発力を持つ。高校2年生のときには既に体力測定で立ち幅跳び327cm、30m走は3秒79、立三段跳10m10、立五段跳17m06を記録している。

高校3年生時、やり投で宮崎インターハイ7位、べにばな国体では68m16を投げ2位になる。この記録はやり投の 千葉県高校記録 である。実はこの大会に出るまでほとんどやり投の経験はなく、小石を数回投げ勘をつかんで本番に挑み、圧倒的な記録を出してその大会で入賞してしまったとジャンクスポーツで照英が語っていた。他にも砲丸投げで千葉県大会を突破し南関東大会に出場。

ハンマー投の日本ジュニア記録(68m00)保持者である。この時使用されたハンマーの重さはシニア規格の7.26kgであり現在ではジュニア規格の6kgが主に使用されている。

長野オリンピック前、東京ボブスレー・リュージュ連盟が選手発掘のために行った運動能力テストに参加し、ずば抜けた成績を叩き出して日本代表候補に選ばれる。これは後に、ハンマー投へ集中するために辞退している。

2002年、TBS系列放送のスポーツマンNo.1決定戦で総合No.1に輝いた。競技の1つ、砲丸投やハンマー投の五輪メダリスト達も参加した『ザ・ガロンスロー』では世界記録8m25cmを持つ。また彼はこの2002年大会で、パワーだけでなく抜群のスピードを発揮。スピード系競技であるビーチフラッグスでは、上位経験者のスピード自慢が揃う中でダイブもせずに種目No.1を勝ち取り、ショットガンタッチでは12m90cmという記録を作る。パワーフォースでは、競技開始時の構えが手を腰におき仁王立ちというプレー(この種目もNo.1)、ザ・タッグオブウォーでも1回戦から決勝まで対戦相手がパワー系アスリートだったにも関わらず全員秒殺してみせた。モンスターボックス(跳び箱)でもタイミングが合わなかったにも関わらず18段を越えるなどの活躍をし周囲を驚かせた。

2004年11月12日の日米野球の始球式では129km/hを計測。2005年4月5日のプロ野球横浜-巨人戦でも始球式を行い131km/hを計測した。この時の打者は室伏と交友関係のある仁志敏久(当時巨人)だった。元々野球経験はなく、未経験者や女性に多い不適切なフォームでありながら、球筋は二回ともストライクでコントロールも抜群だった。

100kgの握力計を一瞬で振り切るほどの握力を持つため計測不能となっているが、日本陸上連盟が行ったメディカルチェックでは120kgを記録。ちなみに握力98kgというのは、愛知小学校へ「握力を鍛える方法」の講演で招かれた際に100kgのアナログ式握力計を使い子供たちへのデモンストレーションで行ったものである。

2008年、北京五輪の数か月前、バートン・ソリン(握力王といわれるリチャード・ソリンの息子)と共にトレーニングをしているとき、なんのウォームアップもなしにハンドグリッパーのCOC/No.3をクラッシュしたことがある(ちなみにクラッシュに必要な握力は280 lb = 約127kg)。「あれっていいの?」と室伏がソリンに尋ねると、「あれね、君は閉じちゃったから、世界クラスの握力王の仲間入りしたんだよ」とソリン。 ちなみにCOC/No.3を初握りでしかも何のウォームアップもセットアップもなしでの達成は前代未聞である。

ストラップなしで指先をバーを引っかけただけの状態で190kgのクリーン(地面にあるバーベルを引き上げて肩にのせること)を行なえる。

ただし、マラソンなどの長距離走は苦手で、学校のマラソン大会でもスタート直後は断トツだったが、いつもゴールする頃には殆どビリだった。またそれを父の重信に語ったところ、「お前は速筋比率が高いから、そういうのには向いていない」と言われたとテレビ番組『NANDA!?』にて語った。


Page Top | My Library Home