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韓国誌

ロシア大蔵省

龍渓書舎復刻1996年『韓国誌』より。
ロシア大蔵省が調査した資料を日本の農商務省山林局が抄訳した物で、1905年日露戦争に勝利した年に東京書院から発行された物の復刻版。


【住居】
「貴顕紳士の家にありては通常瓦葺きの門ありて廣き邸宅の入り口をなし、門に対して主屋あり。主屋は南に向きて……。家屋の高さは人の身長よりやや高きのみにして……」

「平民の家は前に記すものと著しく相違し、憫なる小屋にして、粘土よりなり、低矮なるが故に注意せざれば頭天井に触撃せらるべし。家の広さは最も大なるもの約4坪余りにして、3坪を超えざる物甚だ多く、外面の高さは僅かに4尺7寸とす」

【道路】
「国民生活の動脈とも称すべき道路の不完全なること、韓国の如きは地球上他に之を見ることを得ざるべく、韓国の道路は昔日も今も只内地住民に必要なるだけのものにして、恐らくは数世紀を経由するも尚改良する所なかるべし。」

「韓国の道路は次の3等に公定する。
1.大街道 幅20フィート乃至30フィートにして両傍に溝渠あり
2.中街道 幅8フィート乃至10フィートにして溝渠なし
3.小街道 狭隘なる歩道
右の内大街道は国中僅かに6個にして、皆京城を基点として北は慶興(きょんふん)、義州(ういじゅ)、南は釜山(ぷさん)、康津(かんじん)に通ず。然れども1等道路にも処によりてはその幅準則に適合せざる部分あり、2等道路、3等道路は半島南部に多く、北部は概して甚だ少なし。」

【商業】
「住民は古来これらの谷地に小社会を形成し、舟楫を通すべき河川の不足と、僅かに駄獣の通行を許すのみなる断崖多き経路の外、殆ど便利なる道路の皆無なるとにより、相互の交通甚だ疎にして、惟り農耕に従事し、産物の販路を見いだすに由なく、その事業は幼稚の域を脱することなく、只一局部の住民の需要を目的として労働せり。然れども漢江、大同江、及び洛東江等の如く、僅少なる河川の舟行に堪ふるものありて、その沿岸地方に住居する人民は、山地の単調子なる生活状態とややその趣を異にして、河川の便を利用して生産の剰余を比較的大なる市場、特に開港場に輸出し得べき処は凡て耕地の面積迅速に増加し、商業も又盛んなり。然れどもこの如き土地は甚だ少なし。

天然の地勢既に商業に適せざるのみならず、古来人為の障害ありて亦之に加わり、その一部分は今も尚行わるるものあり。その尤も大なるものは官吏の暴貪に制限なき制度にして、為に労働の安全に保証なく、各人貧困に陥らざるもの殆ど之なきに至る。その外官吏が交通の便利を無視すること、盗賊公行して危険多きこと、貨幣制度の紊乱したること、金融機関の殆ど皆無なること、階級上の迷誤及びその他の事情によりて上級の人民に商業を禁じ、且つある種の実業を疎滞せしむること、工業の発達せざること、商人の階級夥多にして専売権の濫用行わるること、、是皆内外商業の発達の妨害ならざるはなし。」

「韓国の普通店舗は何れも一様に少量の雑貨を並べたるものにして、店舗には必ず土地産の煙草、長き吸い口を有する韓国式烟管、粗綿布、韓国産麻布、その他の織物、紙、アニリン染料、糸、燐寸、……等あり。韓国は稠密なる首府に於いてすら、売買の規模小さくして、日本産の燐寸は10個若しくは20個の包み、木炭は二三片の包みにて販売するが如き貧困なる状態なるが故に、この如き小店舗も猶十分に土地の需要を充たすに足るなり。然れども京城その他の大都会に於ける店舗中には一種属の商品をもって営業するものもあり。これらは皆商会に属するものにして皿、金だらい、茶碗、及びその他陶器並びに金属製器具等を販売するものあり。皮革及び履き物等を販売するものあり。又もっぱら食品を販売するものあり。……」

【通貨】
「韓国の重量多き銅銭はその転送甚だ不便なるに拘わらず、前にも記せし如く、この国には送金の方法なく、為替の如きは之を用ゆるもの極めて稀にして、しかもその範囲は京城、義州、釜山及び大邱の如き主要なる商業地に限られ、そこにては時に他の商業地に支店もしくは特約者を有する商店に就き、3分の手数料を払いて為替券を買うことを得。又韓国には銀貨及び紙幣少なく、且つ是等の金銭は殆ど凡て開港場にて使用さるるが故に、屡々所要額全部を銅貨にて送らざるべからざることあり。而して銅貨は凡ての貨物と同じく、擔夫若しくは駄獣にて之を運び、之が為大なる困難を生ず。カールス氏その事情を説きて曰く「旅人あり。ある時24,000文即ちその時の相場で約30ドルの貨幣を京城より内地に送る必要にあいたるが、是等の金銭2頭の馬に駄載し、一包みの重量約6ポンドとなりたり。而してこの貨物は2人の兵士之を護衛したるが、行くこと幾ばくもならずして、兵士等は京城に引還りて尚支那人1人を付せんことを乞い、遂には人員6,馬4より成立する隊商を編成して護衛する事となれり。支那人は騎乗のために1頭、荷物のために1頭を使用せり。この如き多人数の護衛あるに拘わらず、其の旅人は尚貨物の安全に関し始終警戒を要するの境遇を経たり。この如く困難なる事情あるにより、その不便を除くの目的を以て一種の旅客取扱組合起こり、あらかじめ旅費を預かり、旅客をして現金を携帯することなく、途中の必要を充たさしむるの方法を取るに至りたり。」

「貸金業者の利息は之を欧人より見れば甚だ高率にして、利子計算期間は時に一年とする事あるも、10ヶ月を通例とす。只完全なる信用を有するものの借り得べき最低利息は10ヶ月2割にして、その他は3割、4割甚だしきは5割を貪らるること屡々にして、カトリック教宣教師の言によれば10割の高利に及ぶこともあり。

【両班】
「1894年の改革前には5箇の階級存在したり。即ち貴族(両班)、地方両班、中等民、平民、奴隷是なり。……然れどもこの条例は今日まで多くは死文に属し、……奴隷の1897年に至も猶公然存在するは其の一例なり。」

「強請を為すの方式は驚くべき簡単にして、彼らはその助手を伴い、昼間もしくは夜間に富裕なる商業或いは工業家に侵入し、その主人を捕獲して顕官の家もしくはその他危険なき場所に引致して、従順にして要求を承認する物は遅滞なく放免し、もし要求せらるる額を払わざる者ある時は、笞杖もしくは絶食の苦を与え、之を払うまではその苦痛を免れざらしむ。多少廉恥心ある両班はこの如き略奪を借用の名義において行うと雖も、之を返済したる例なきにより、一人として之に信おく者なし。両班平民より土地家屋等を買い入れたるときは、多くはその代価を払うことなく、又物件を借りたるときも多くは之を返す事なきも平民は一人として決然之に抗する者なし」

【奴隷】
「又個人的随意契約により若しくは父母に売られて奴隷となるもありて、世襲奴隷と一時的奴隷とはその間厳重なる差違を存し、世襲奴隷の子女は常に奴隷となり、主人の承諾を得るにあらざれば絶対的にその自由を回贖するを得ざるも、一時的奴隷の子女は多くの場合において解放せられ、その奴隷自身も犯罪により奴隷と為りたるものを除くの外は、主人の意に反すとも一定の金額を納めて自由の身となることを得るなり。世襲奴隷は常に全く主人の専有物と見なされ、主人は之を売買し、貸与し、贈与しその他すべて随意に之を処分することを得。」


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