貸しもの借りものの話し



 人間は神の子なり。人間身の内は神の貸物、銘々にとりては、借物なり。人間を守護下さる神は、くにとこたちの命様、おもたりの命様、この二柱は元の神、後の八柱の神は人間を拵えるに付き、使うた道具衆に神名を授け給う。この十柱の神様は、この世の元の神様なり。

 くにとこたちの命様は、天にては、月様なり。この神様は男神にして、御姿は、頭一つ、尾一筋の大竜なり。人間を造ろうと、泥海の中よりお立ち上がりになり、国床をお立て下された故、くにとこたちの命と云う。又、国床を見定めた故、国みさだめの命とも云う。月様が先に立つ故に、日月とは云わず月日と云う。三十日も、一月と云う。

 人間身の内に於いては、眼、胴、潤いの守護をする神様なり。潤いは、この神様の借物なり。世界では水の守護。即ち、水が一の神と云うは、世界中何によらず、水分無くば、何に於いても出来るものはさらに無し。火も何も、その元は水なり。故に、水は世界一の神なり。 

 この神様の守護が欠けてくると、眼の煩いになる。これは、人間が、欲しい心を使うて通る故なり。

 欲しいと云うても、値を以て欲しいはいいけれど、値も出さずに欲しがる故、埃となる。

 裏守護に於いては、釈迦如来と現れ、仏法を授け給う。又、先に出て法を始めたゆえ、千手様と云う。

 方角に於いては、北、子とも云う。時は、子の刻、午前十二時から二時。季節は冬の守護。 

 

 おもたりの命様は、天にては、日様なり。この神様は、女神にして、御姿は、頭十二、尾は三筋、その尾に三つの剣ある大蛇なり。人間を造ろうと云う思いがたった故、おもたりの命と云う。又、日々に理を増すゆえに日輪様と云う。

 尾に三つ剣ある故に、この理を以て、悪戯なる女は、邪険と今にても云うなり。又、十二とうの頭が、一時間、一と月、一年ごとに替りて、この世界を守護し給う理を以て、一日を十二時に定め、一年も十二月と定めた。十二支と云うのは、この神様の十二とうの頭の名前なり。この世界を取り巻いて、一とうずつ替り替りに守護し給う理を以て、十二支と云うなり。

 人間身の内に於いては、温みの守護をする神様なり。又、温みはこの神様の借物なり。世界では火一切の守護なり。

 この神様の守護が欠けてくると、熱の病に掛かる。これは、惜しい心を使うて通る故なり。惜しいと云うても、廃れ物や、人のいらんと云う様な物を惜しむのならいいけれど、出し惜しみ、身惜しみが埃となる。

 裏守護に於いては、三尊の阿弥陀如来、勢至菩薩、観音、三社託宣はこの神様の守護なり。

 方角に於いては、南、午とも云う。時は、午の刻、午後十二時から二時。季節は、夏の守護なり。

 この二柱の神様は、この世の人間の実の親神なり。人間に、この世を照らす月日の如く入込んで、守護下される故に、自由用自在が叶う事なり。後なる八柱の神様は、この神様の守護によってお働き下される事なり。

 

 くにさづちの命様は、天にては、源助星となって現れ、女神なり。お姿は、亀なり。亀と云う者は、皮強く、地につけても、踏ん張り強く、倒れぬ者で、土色になる故、くにさづちの命と名付け給う。又、女一の道具に仕込んだ故、亀の甲の理を以て、おめこと云うなり。又、おなごと云うも同じ理なり。

 人間身の内に於いては、皮繋ぎの守護なり。又、世界では、金銭、縁談、その他よろず一切の繋ぎの守護なり。

 この神様の守護が欠けてくると、皮膚の上に現れてくる病になる。これは、恨みの心を使うて通る故なり。恨むと云うても、我が身の至らぬのを恨むならいいけれど、無闇に人を恨むのが埃となる。

 裏守護に於いては、普賢菩薩、達磨大師、弁財天、結びの神、黄檗山はこの神様の守護なり。又、宗門に於いては禅宗なり。

 方角に於いては、辰巳。時は、辰巳の刻、午前八時から午後十二時。季節は春の守護なり。

 

 月よみの命は、天にては、破軍星となって現れ、男神なり。お姿は、鯱ほこなり。又、鯉の肥たるものと同じ事なり。鯱ほこと云うものは、勢い強く、偏にしゃく張るもの故、男一の道具に仕込み給う。男一の道具はこの理を以て勢の子と云う。又、男の道具と云うものは、宿仕込みの時、突くもの故に、つきよみの命と神名を授け給う。

 人間身の内に於いては、骨突張りの守護なり。世界では、立木、草類一切の突張りの守護。又、大工もこの神様の守護なり。

 この神様の守護が欠けてくると、骨の患いになる。これは、腹立ちの心を使うて通る故なり。腹を立てると云うても、理非が立っているならいいけれど、勝手、癇癪から腹を立てるのが埃となる。

 裏守護に於いては、八幡大菩薩、聖徳太子、地蔵尊はこの神様の守護なり。

 方角に於いては、戌亥。時は戌亥の刻、午後八時から午後十時。季節は、秋の守護なり。

 

 くもよみの命様は、天にては、明けの明星となって現れ、女神なり。お姿は、鰻なり。鰻と云うものは、頭の方からも、尾の方からも出入りするもので、つるつくものである故に、人間飲食い出入りに使こうた道具なり。又、くう物の守護故、くもよみの命と神名を授け給う。

 人間身の内では、飲食い出入りはこの神様の守護なり。世界では水気上げ下げの守護なり。

 この神様の守護が欠けてくると、食べ物の通る道筋の煩いになる。これは、可愛い心を使こて通る故なり。可愛いと云うても、隔ての無い可愛いはいいけれども、隔てある可愛い、愛に溺れる様な事が埃となる。

 裏守護に於いては、文殊菩薩、竜王、神農、薬師如来、水神様はこの神様の守護。医者、薬、知恵、書き物もこの神様の御守護なり。

 方角に於いては、東、卯とも云う。時は、卯の刻、午前六時から午前八時。季節は春の守護なり。

 以上、くにとこたちの命様、おもたりの命様、くにさづちの命様、つきよみの命様、くもよみの命様この五柱の神様により、人間の元が造られた故、この五柱の神様を五倫五体と云うなり。また、五行では、木、火、土、金、水、と云い、仏法では、なむあみだ と云う。

 

 かしこねの命様は、天にては、未申の方に集まる星となって現れ、男神なり。お姿は、鰈と云う魚なり。この者は、身薄きものなり。丸い者や、四角な者では風が出ないけれども、身薄いもので扇げば風が出るものである故、これを人間の息吹分け、物言い分け、言葉の道具雛形として使うた。又、物の云う事解る者を、かしこきと云い、賢き根ゆえ、かしこねの命と神名を授け給う。

 人間身の内に於いては、息吹分けの守護なり。息は風、風で吹分けて物を云わすなり。世界では、風一切の守護なり。

 この神様の守護が欠けてくると、息切れする病、喘息、胸、鼻の病、唖(おし)、聾(つんぼ)になる。これは、憎いと云う心を使うて通る故なり。憎いと云うても罪を憎むのならいいけれども、無闇に人を憎むのが埃となる。

 裏守護に於いては、大日如来、円光大師、善導大師は、この神様の守護なり。宗門にては、浄土宗なり。

 方角に於いては、未申。時は未申の刻、午後二時から午後六時。季節は夏の守護なり。

 

 この世界と云うは、火と水とはこれ一の神。又、風より他に神はなし。息は風なり、風はかしこねの命なり、いかなる悪しきも吹き払うなり。

 人間の身の内は、くにとこたちの命様から、かしこねの命様までの六柱の神様が入り込み給うて、守護下さる故に、自由用自在が叶う事なり。これ全く、この神様の借り物なり。

 この六柱の神様は、仏法では、なむあみだぶと云うなり。南無とは、目に、温み。あみ、とは、皮繋ぎに、芯の骨。だぶ、とは、飲食い出入りに、息の事なり。なむあみだぶ と云うは、人間身の内の事なり。これを身の内六台と云うなり。

 

 たいしょく天の命は、天にては、丑寅の方へ集まる星となって現れ、女神なり。お姿は、ふぐと云う魚なり。このものは、食べればあたるものである故に、人間生き死にの時の縁を切る道具に使うた。ふぐと云うものは、大食して、腹の大きなもの。人間も大食すれば、寿命が縮まると云う。又、このものを食べると、あたって命を縮める理にて、この理を以て、たいしょく天の命と神名を授け給う。

 人間身の内では、生まれる時の親と子の縁を切り、又、死ぬ時のこの世の縁切りは、この神様の守護。世界では、切れもの、刃物一切の守護なり。

 この神様の守護が欠けてくると、難産、流産となり、又、胃腸、痔の患いになる。これは、欲の心を使うて通る故なり。欲と云うても、当たり前の欲ならいいけれど、強欲、貪欲が埃となる。

 裏守護に於いては、虚空蔵菩薩、妙見菩薩、鬼子母神、儒来様、橋姫様、宇治の縣神、丑寅の鬼門の神、伝教大師、日蓮上人、聖天、毘沙門天はこの神様の守護なり。宗門に於いては、法華宗なり。

 方角に於いては、丑寅。時は、丑寅の刻。午前二時から午前六時。 季節は冬の御守護。

 以上あげたる、くにとこたちの命様、おもたりの命様、くにさづちの命様、月よみの命様、くもよみの命様、かしこねの命様、たいしょく天の命様までの神様を天神七代と云うなり。また、仏法ではこの七柱の神様を、な む あ み だ ぶ つ と云うなり。

 

 をふとのべの命様は、天にては、宵の明星となって現れ、男神なり。お姿は黒ぐつな(黒蛇)なり。この者は、勢いつよく、引いても切れぬ故に、人間の食物立毛、万物引き出しの道具に使うた神様なり。又、物を引き出すには、お綱が要り、且つ おお手でのべん事には引き出されん。故にをふとのべの命と神名を授け給う。

 また、なに事も先にたって、引き出すものを玄人と今にても云うのは、この黒ぐつなの理から来るなり。

 人間身の内では、生まれる時の引き出し、五尺の引伸ばし、五尺の身体への引伸ばし、又、知恵、工夫の引き出しはこの神様の守護。世界では、立毛、立木一切の引伸ばしの守護。

 この神様の守護が、欠けてくると、逆子、難産になり、又、脳、筋の患いになる。これは、高慢の心を使うて通る故なり。高慢と云うても、自分の知っている事を人に教えてあげるならいいけれども、知らない事を知ったかぶりする心使いが埃となる。

 裏守護に於いては、不動明王、役の行者、弘法大師は、この神様の守護なり。宗門にては、真言宗なり。

 方角に於いては、西、酉とも云う。時は酉の刻、午後六時から午後八時。季節は、秋の守護なり。

 以上、くにとこたちの命様から、おおとのべの命様までを、八方八柱の神様と云い、仏法では、な む あ み だ ぶ つ う と云うなり。

 

 いざなぎの命様は、天にては、天の川を隔てて出る、七夕様に現れ、男神なり。お姿は、岐魚、又は、人魚と云う魚なり。この者は、今の人間の顔にて、鱗なし。肌合いは人間の肌。心真直ぐなるもので、これを雛型として、人間の種に使うたもの。又、鱗無きぎぎょ故、いざなぎの命と云う。

 人間身の内では、子種の守護。世界では種もの一切の守護なり。

 この神様は人間の父様なり。この証拠に、伊勢の内宮の天照皇大神宮は、この神様の事なり。

 

 いざなみの命様は、天にては、天の川を隔てて出る、七夕様に現れ、女神なり。お姿は白ぐつな(白蛇)なり。この者も今の人間の顔にて、鱗なし。肌は人間の肌。心真直ぐなるもので、これを雛型として、人間の苗代に使うたもの。又、鱗無き み故、いざなみの命と云う。

 人間身の内では、苗代の守護、世界では苗代一切の守護なり。

 この神様は、人間の母様なり。この証拠に、伊勢の外宮の天照皇大神宮は、この神様なり。

 この天照皇大神宮の理は、昼、夜にお働きなされるのが、天の証拠なり。

 また、大層なる苦をした所の功なる故、 大神ぐう なり。これ、天しょうこの大神ぐうと云うなり。人間始める時の道具に使うた神の理なり。

 また、男の方は、宿し込みの時は、内ないの心のく故、ないぐう、と云い。又、女の方は、宿る時は、く、無けれども、産む時の く、後の く 故、げぐう と云うなり。

 以上十柱の神様を、南無天理王命と云う。

 

 これを類別すると

 な   くにとこたちの命様

 む   おもたりの命様

 あ   くにさづちの命様

 み   月よみの命様

 だ   くもよみの命様

 この五柱の神様を五倫五体と云う

 ぶ   かしこねの命様

 この六柱の神様を、身の内六台と云う

 つ   たいしょく天の命様

 この七柱の神様を天神七代と云う

 う    おおとのべの命様

 この八柱の神様を八方八柱の神様と云う

  いざなぎの命様

  いざなみの命様

以上、この十柱の神様の総名を 南 無 天 理 王 命 と云う。

 

 南無天理王命は、この十柱の神様の総名なり。月日二神が元の神様。実の神様。

 いざなぎの命様、いざなみの命様が親の神様、

 後の六神は道具の神様。このものを神となして、人間身の内は、これらの神様の守護なり。

 この他に何をとっても、身の内より他に神はなし。故に、人間の手、足の指十本あるのは、これが証拠なり。つまり、親指は月様、日様、後の八本は、八柱の神様の如く、親指があるので、後の指が役に立つなり。これは、月日様が八柱の神様を道具に使うて、この世を始め下され、今に変わらず守護下さる故なり。

 即ち、神の道とは、十柱の神の道を云うなり。この神様が人間を拵え、世界を拵えて来た理によって神道と云うなり。又、仏法は、人間悪しき心になるゆえ、その悪しき心を戒める為に仏法を広め給うなり。

 この世に神や、仏やと云うて拝ましていたけれど、皆人間が、紙や金や木を以て拵えた物ばかりなり。紙や金や木の中へは、神が入込む事は出来ぬが、人間には皆神が入込み、どんな守護もする故、人間に勝れた神はない事なり。


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