天理教教祖伝逸話篇(一) 第一話から第二十話



1 玉に分銅 |  2 お言葉のある毎に |  3 内蔵 |  4 一粒万倍にして返す |  5 流れる水も同じこと |  6 心を見て |  7 真心の御供 |  8 一寸身上に |  9 ふた親の心次第に |  10 えらい遠廻わりをして |  11 神が引き寄せた |  12 肥のさづけ |  13 種を蒔くのやで |  14 染物 |  15 この物種は |  16 子供が親のために |  17 天然自然 |  18 理の歌 |  19 子供が羽根を |  20 女児出産

 

一 玉に分銅

 教祖は、綿木の実から綿を集める時は、手に布を巻いてチュッチュ ッとお引きになったが、大層早かった。又、その綿から糸を紡ぎ機を 織るのが、とてもお上手であった。
 糸を括って紺屋へ持って行き、染めてから織ると模様が出るのであ るが、中でも最も得意とされたのは、玉に分銅、猫に小判などという 手の込んだ模様ものであった、という。

二 お言葉のある毎に

 天保九年十月の立教の時、当時十四才と八才であったおまさ、おき み(註、後のおはる)の二人は、後日この時の様子を述懐して、「私 達は、お言葉のある毎に、余りの怖さに、頭から布団をかぶり、互い に抱き付いてふるえていました。」 と述べている。

三 内蔵

 教祖は、天保九年十月二十六日、月日のやしろとお定まり下されて 後、親神様の思召しのまにまに内蔵にこもられる日が多かったが、こ の年、秀司の足、またまた激しく痛み、戸板に乗って動作する程にな った時、御みずからその足に息をかけ紙を貼って置かれたところ、十 日程で平癒した。
 内蔵にこもられる事は、その後もなお続き、およそ三年間にわたっ た、という。

四 一粒万倍にして返す

 『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。 水でも落ち切れば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。』

五 流れる水も同じこと

 教祖が、梅谷四郎兵衞にお聞かせ下されたお言葉に、
 「私は、夢中になっていましたら、『流れる水も同じこと、低い所へ 落ち込め、 落ち込め。表門構え玄関造りでは救けられん。貧乏せ、 貧乏せ。』と、仰っしゃりました。」 と。

六 心を見て

 嘉永五年、豊田村の辻忠作の姉おこよが、お屋敷へ通うて、教祖か らお針を教えて頂いていた頃のこと。教祖の三女おきみの人にすぐれ た人柄を見込んで、櫟本の梶本惣治郎の母が、辻家の出であったので、 梶本の家へ話したところ、話が進み、辻忠作を仲人として、縁談を申 し込んだ。教祖は、
 「惣治郎ならば、見合いも何もなくとも、心の美しいのを見て、や る。」
と、仰せられ、この縁談は、目出度く調うた。おきみは、結婚して、 おはると改名した。
 惣治郎は、幼少の頃から気立てがよく素直なため、村でも仏惣治郎 と言われていた、という。

七 真心の御供

 中山家が、谷底を通っておられた頃のこと。ある年の暮に、一人の 信者が立派な重箱に綺麗な小餅を入れて、「これを教祖にお上げして下 さい。」と言って持って来たので、こかんは、早速それを教祖のお目 にかけた。
 すると、教祖は、いつになく、
 「ああ、そうかえ。」
と、仰せられただけで、一向御満足の様子はなかった。
 それから二、三日して、又、一人の信者がやって来た。そして、粗 末な風呂敷包みを出して、「これを、教祖にお上げして頂きとうござ います。」と言って渡した。中には、竹の皮にほんの少しばかりの餡 餅が入っていた。
 例によって、こかんが教祖のお目にかけると、教祖は、
 「直ぐに、親神様にお供えしておくれ。」
と、非常に御満足の体であらせられた。
 これは、後になって分かったのであるが、先の人は相当な家の人で、 正月の餅を搗いて余ったので、とにかくお屋敷にお上げしようと言う て持参したのであった。後の人は、貧しい家の人であったが、やっと のことで正月の餅を搗くことが出来たので、「これも、親神様のお蔭だ。 何は措いてもお初を。」というので、その搗き立てのところを取って、 持って来たのであった。
 教祖には、二人の人の心が、それぞれちゃんとお分かりになってい たのである。
 こういう例は沢山あって、その後、多くの信者の人々が時々の珍し いものを、教祖に召し上がって頂きたい、と言うて持って詣るように なったが、教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるの が常であった。
 そして、中に高慢心で持って来たようなものがあると、側の者にす すめられて、たといそれをお召し上がりになっても、
 「要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない。」
と、仰せられた。

八 一寸身上に

 文久元年、西田コトは、五月六日の日に、歯が痛いので、千束の稲 荷さんへ詣ろうと思って家を出た。千束なら、斜に北へ行かねばなら ぬのに、何気なく東の方へ行くと、別所の奥田という家へ嫁入ってい る同年輩の人に、道路上でパッタリと出会った。そこで、「どこへ行き なさる。」という話から、「庄屋敷へ詣ったら、どんな病気でも皆、救 けて下さる。」という事を聞き、早速お詣りした。すると、夕方であ ったが、教祖は、
 「よう帰って来たな。待っていたで。」
と、仰せられ、更に、
 「一寸身上に知らせた。」
とて、神様のお話をお聞かせ下され、ハッタイ粉の御供を下された。 お話を承って家へかえる頃には、歯痛はもう全く治っていた。が、そ のまま四、五日詣らずにいると、今度は、目が悪くなって来た。激し く疼いて来たのである。それで、早速お詣りして伺うと、
 「身上に知らせたのやで。」
とて、有難いお話を、だんだんと聞かせて頂き、拝んで頂くと、かえ る頃には、治っていた。
 それから、三日間程、弁当持ちでお屋敷のお掃除に通わせて頂いた。 こうして信心させて頂くようになった。この年コトは三十二才であっ た。

九 ふた親の心次第に

 文久三年七月の中頃、辻忠作の長男由松は、当年四才であったが、 顔が青くなり、もう難しいという程になったので、忠作の母おりうが 背負うて参拝したところ、教祖は、
 「親と代わりて来い。」
と、仰せられた。それで、妻ますが、背負うて参拝したところ、
 「ふた親の心次第に救けてやろう。」
と、お諭し頂き、四、五日程で、すっきりお救け頂いた。

一〇 えらい遠廻わりをして

 文久三年、桝井キク三十九才の時のことである。夫の伊三郎が、ふ とした風邪から喘息になり、それがなかなか治らない。キクは、それ までから、神信心の好きな方であったから、近くはもとより、二里三 里の所にある詣り所、願い所で、足を運ばない所は、ほとんどないく らいであった。けれども、どうしても治らない。
 その時、隣家の矢追仙助から、「オキクさん、あんたそんなにあっ ちこっちと信心が好きやったら、あの庄屋敷の神さんに一遍詣って来 なさったら、どうやね。」と、すすめられた。目に見えない綱ででも、 引き寄せられるような気がして、その足で、おぢばへ駆け付けた。旬 が来ていたのである。
 キクは、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、
 「待っていた、待っていた。」
と、可愛い我が子がはるばると帰って来たのを迎える、やさしい温か なお言葉を下された。それで、キクは、「今日まで、あっちこっちと、 詣り信心をしておりました。」と、申し上げると、教祖は、
 「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。 おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」
と、仰せられて、やさしくお笑いになった。このお言葉を聞いて、「ほ んに成る程、これこそ本当の親や。」と、何んとも言えぬ慕わしさが、 キクの胸の底まで沁みわたり、強い感激に打たれたのであった。

一一 神が引き寄せた

 それは、文久四年正月なかば頃、山中忠七三十八才の時であった。 忠七の妻そのは、二年越しの痔の病が悪化して危篤の状態となり、既 に数日間、流動物さえ喉を通らず、医者が二人まで、「見込みなし。」 と、匙を投げてしまった。この時、芝村の清兵衞からにをいがかかっ た。そこで、忠七は、早速お屋敷へ帰らせて頂いて、教祖にお目通り させて頂いたところ、お言葉があった。
 「おまえは、神に深きいんねんあるを以て、神が引き寄せたのであ る程に。病気は案じる事は要らん。直ぐ救けてやる程に。その代わ り、おまえは、神の御用を聞かんならんで。」 と。

一二 肥のさづけ

 教祖は、山中忠七に、
 「神の道について来るには、百姓すれば十分に肥も置き難くかろ う。」
とて、忠七に、肥のさづけをお渡し下され、
 「肥のさづけと言うても、何も法が効くのやない。めんめんの心の 誠真実が効くのやで。」
と、お諭しになり、
 「嘘か真か、試してみなされ。」
と、仰せになった。
 忠七は、早速、二枚の田で、一方は十分に肥料を置き、他方は肥の さづけの肥だけをして、その結果を待つ事にした。
 やがて八月が過ぎ九月も終りとなった。肥料を置いた田は、青々と 稲穂が茂って、十分、秋の稔りの豊かさを思わしめた。が、これに反 して、肥のさづけの肥だけの田の方は、稲穂の背が低く、色も何んだ か少々赤味を帯びて、元気がないように見えた。
 忠七は、「やっぱりさづけよりは、肥料の方が効くようだ。」と、疑 わざるを得なかった。
 ところが、秋の収穫時になってみると、肥料をした方の田の稲穂に は、蟲が付いたり空穂があったりしているのに反し、さづけの方の田 の稲穂は、背こそ少々低く思われたが、蟲穂や空穂は少しもなく、結 局実収の上からみれば、確かに、前者よりもすぐれていることが発見 された。

一三 種を蒔くのやで

 摂津国安立村に、「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、 タツという夫婦があった。二人の間には、次々と子供が出来た。もう、 これぐらいで結構と思っていると、慶応元年、また子供が生まれるこ とになった。それで、タツは、大和国に、願うと子供をおろして下さ る神様があると聞いて、大和へ来た。しかし、そこへは行かず、不思 議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。する と、教祖は、
 「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで。」
と、仰せになった。タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか。」と、 尋ねた。すると、教祖は、
 「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わる のやで。」
と、お教えになった。更に、お腹の子供について、
 「子供はおろしてはならんで。今年生まれる子は、男や。あんたの 家の後取りや。」
と、仰せられた。このお言葉が胸にこたえて、タツは、子供をおろす ことは思いとどまった。のみならず、夫の藤助にも話をして、それか らは、夫婦ともおぢばへ帰り、教祖から度々お仕込み頂いた。子供は、 その年六月十八日安産させて頂き、藤次郎と名付けた。
 こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の 胸に伝えて廻わった。そして、病人があると、二人のうち一人が、お ぢばへ帰ってお願いした。すると、どんな病人でも次々と救かった。

一四 染物

 ある時、教祖が、
 「明朝、染物をせよ。」
と、仰せになって、こかんが、早速、その用意に取りかかっていた。 すると、ちょうど同じ夜、大豆越でも、山中忠七が、扇の伺によって このことを知ったので、早速、妻女のそのがその用意をして、翌朝未 明に起き、泥や布地を背負うてお屋敷へ帰って来た。そして、その趣 きを申し上げると、教祖は、
 「ああそうか。不思議な事やな。ゆうべ、こかんと話をしていたと ころやった。」
と、言って、お喜び下された。こういう事が度々あった。
 染物は、後にかんろだいのぢばと定められた場所の艮(註、東北)にあっ た井戸の水で、お染めになった。教祖が、
 「井戸水を汲み置け。」
と、仰せになると、井戸水を汲んで置く。そして、布に泥土を塗って、 その水に浸し、浸しては乾かし、乾かしては浸す。二、三回そうして いるうちに、綺麗なビンロージ色に染まった。この井戸の水は、金気 水であった。

註一 大和には、金気井戸が多いが、他の井戸では、このように綺麗 には染まらなかった。泥は、教祖が、慶応元年八月、山中家にお入り 込みの時、家の東側を流れている小川に、染物によい泥がある、とお 気付きになり、所望なさったので、その後、度々お屋敷へ運ばせて頂 いた。この泥は、竹の葉が、竹薮などで堆積して出来たもの、という。
二  ビンロージ色 ビンローは、インド、マライシア等に育つ植物で、 ヤシの一種である。その実をビンロージ(檳榔子)と言い、鶏卵大で、 黄赤色に熟する。原産地では、口中でかんで嗜好品とするが、日本で は、その乾かしたものを染料に使って、暗黒色を染めた。それから、 暗黒色をビンロージ色という。   (平凡社「世界大百科辞典」)

一五 この物種は

 慶応二年二月七日の夜遅くに、教祖は、既にお寝みになっていたが、
 「神床の下に納めてある壷を、取り出せ。」
と、仰せになって、壷を取り出させ、それから、山中忠七をお呼びに なった。そして、お聞かせ下されたのに、
 「これまで、おまえに、いろいろ許しを渡した。なれど、口で言う ただけでは分かろうまい。神の道について来るのに、物に不自由に なると思い、心配するであろう。何んにも心配する事は要らん。不 自由したいと思うても不自由しない、確かな確かな証拠を渡そう。」
と、仰せになって、その壷を下された。そして、更に、
 「この物種は、一粒万倍になりてふえて来る程に。これは、大豆越 村の忠七の屋敷に伏せ込むのやで。」
と、お言葉を下された。
 そして、その翌日、このお礼を申し上げると、
 「これは家の宝や。道の宝やで。結構やったなあ。」
と、お喜び下された。
 これは、永代の物種として、麦六升、米一斗二升、小遣銭六十貫、 酒六升の目録と共に、四つの物種をお授け下されたのであった。それ は、縦横とも二寸の白い紙包みであって、縦横に数条の白糸を通して、 綴じてあり、その表にそれぞれ、
 「麦種」 「米種」 「いやく代」「酒代 油種」
というように、教祖御みずからの筆でお誌し下されてある。教祖が、 この紙包みに糸をお通しになる時には、
 なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと
と、唱えながらお通しになった。お唱えにならぬと、糸が通らなかっ た、という。これは、お道を通って不自由するということは、決して ない、という証拠をお授け下されたのである。

 註 六十貫は、当時の米二石七斗、昭和五十年現在の貨幣 九四五〇〇円にあたる。

一六 子供が親のために

 桝井伊三郎の母キクが病気になり、次第に重く、危篤の容態になっ て来たので、伊三郎は夜の明けるのを待ちかねて、伊豆七条村を出発 し、五十町の道のりを歩いてお屋敷へ帰り、教祖にお目通りさせて頂 いて、「母親の身上の患いを、どうかお救け下さいませ。」と、お願い すると、教祖は、
 「伊三郎さん、せっかくやけれども、身上救からんで。」
と、仰せになった。これを承って、他ならぬ教祖の仰せであるから、 伊三郎は、「さようでございますか。」と言って、そのまま御前を引き 下がって、家へかえって来た。が、家へ着いて、目の前に、病気で苦 しんでいる母親の姿を見ていると、心が変わって来て、「ああ、どうで も救けてもらいたいなあ。」という気持で一杯になって来た。
 それで、再びお屋敷へ帰って、「どうかお願いです。ならん中を救け て頂きとうございます。」 と願うと、教祖は、重ねて、
 「伊三郎さん、気の毒やけれども、救からん。」
と、仰せになった。教祖に、こう仰せ頂くと、伊三郎は、「ああやむを えない。」と、その時は得心した。が、家にもどって、苦しみ悩んで いる母親の姿を見た時、子供としてジッとしていられなくなった。
 又、トボトボと五十町の道のりを歩いて、お屋敷へ着いた時には、 もう、夜になっていた。教祖は、もう、お寝みになった、と聞いたの に、更にお願いした。「ならん中でございましょうが、何んとか、お 救け頂きとうございます。」と。すると、教祖は、
 「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、 これ真実やがな。真実なら神が受け取る。」
と、仰せ下された。
 この有難いお言葉を頂戴して、キクは、救からん命を救けて頂き、 八十八才まで長命させて頂いた。

一七 天然自然

 教祖は、
 「この道は、人間心でいける道やない。天然自然に成り立つ道や。」
と、慶応二、三年頃、いつもお話しになっていた。

一八 理の歌

 十二下りのお歌が出来た時に、教祖は、
 「これが、つとめの歌や。どんな節を付けたらよいか、皆めいめい に、思うように歌うてみよ。」
と、仰せられた。そこで、皆の者が、めいめいに歌うたところ、それ を聞いておられた教祖は、
 「皆、歌うてくれたが、そういうふうに歌うのではない。こういう ふうに歌うのや。」
と、みずから声を張り上げて、お歌い下された。次に、
 「この歌は、理の歌やから、理に合わして踊るのや。どういうふう に踊ったらよいか、皆めいめいに、よいと思うように踊ってみよ。」
と、仰せられた。そこで、皆の者が、それぞれに工夫して踊ったとこ ろ、教祖は、それをごらんになっていたが、
 「皆、踊ってくれたが、誰も理に合うように踊った者はない。こう いうふうに踊るのや。ただ踊るのではない。理を振るのや。」
と、仰せられ、みずから立って手振りをして、皆の者に見せてお教え 下された。
 こうして、節も手振りも、一応皆の者にやらせてみた上、御みずか ら手本を示して、お教え下されたのである。
 これは、松尾市兵衞の妻ハルが、語り伝えた話である。

註 松尾ハルは、天保六年九月十五日生まれ。入信は慶応二年。慶応 三年から明治二年には三十三才から三十五才。大正十二年五月一日、 八十九才で出直した。

一九 子供が羽根を

「みかぐらうたのうち、てをどりの歌は、慶応三年正月にはじまり、 同八月に到る八ヵ月の間に、神様が刻限々々に、お教え下されたもの です。これが、世界へ一番最初はじめ出したのであります。お手振り は、満三年かかりました。教祖は、三度まで教えて下さるので、六人 のうち三人立つ、三人は見てる。教祖は、お手振りして教えて下され ました。そうして、こちらが違うても、言うて下さりません。
 『恥かかすようなものや。』
と、仰っしゃったそうです。そうして、三度ずつお教え下されまして、 三年かかりました。教祖は、
 『正月、一つや、二つやと、子供が羽根をつくようなものや。』
と、言うて、お教え下されました。」
 これは、梅谷四郎兵衞が、先輩者に聞かせてもらった話である。

二〇 女児出産

 慶応四年三月初旬、山中忠七がお屋敷で泊めて頂いて、その翌朝、 教祖に朝の御挨拶を申し上げに出ると、教祖は、
 「忠七さん、昨晩あんたの宅で女の児が出産て、皆、あんたのかえ りを待っているから、早よう去んでおやり。」
と、仰せになった。
 忠七は、未だそんなに早く生まれるとは思っていなかったので、昨 夜もお屋敷で泊めてもらった程であったが、このお言葉を頂いて、「さ ようでございますか。」 と、申し上げたものの、半信半疑でいた。が、 出産の知らせに来た息子の彦七に会うて、初めてその真実なることを 知ると共に、尚その産児が女子であったので、今更の如く教祖のお言 葉に恐れ入った。


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