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商業の本道

作者不詳



 近代都市で、商業界の王座を占めるものは、絢爛(かんらん)たる華やかさをほこるデパートであり、工業界は最新式の設備のある大工場であります。ゴウゴウたる動力のひびき、モウモウたる空のけむりは、あたかも産業再建、建設日本を象徴するかのような一大偉観を呈しております。しかし、その反面に経済界の不況、不振、金詰まりの声が、中小企業経営者を通して、深刻なる叫びとなって現われつつある現状を見逃すことは出来ないのであります。そして、その主な原因が資金の不足、競争の劇甚、立地条件、大商工業者の横暴等を挙げるのみで、自らはなすべきを知らない実状をも、見逃すことが出来ないのであります。

 「人生は神の演劇で、その主役は己れ自身である」。各種の事業はもちろん、一切の事象の興亡盛衰の演劇は己れ自身がする。倫理にのっとって現実を見ますと、まことに深く考えさせられるのであります。伸びるものを伸ばし、亡びるものを亡ぼしているのは、みな目に見えない神の演劇といわねばなりませんが、倫理(すじみち)をきき実践に精進する人は、その栄える倫理、伸びる倫理に歓喜勇躍して今日の商売に処する心がまえを学び、心から感謝して実験実証していただきたいのであります。

 人の周囲に起きる一切の事柄は、その人の心の反映であり、倫理実践の程度に正比例して現われるものでありまして、ことさらに商業倫理と称する別の倫理はないのであります。すなわち自然の法則(生活倫理)にかなった生活をつづけて、はじめてその為すことの総ての完成、成就、繁栄を得ることが出来るものであります。従って、ここに「商業倫理」について申し述べるとしましても、また移して以てその他一般の方々に適用され、応用されるものであることをご承知願いたいのであります。

 商売または事業を開始するとき、その商売を、自分にあたえられたこよなき尊き天職と思って、今日只今より世のため人のために大いにお役に立とうという固い決心、強い信念の下に着手するのが開業の心がまえであります。従って業績も順調にすすみ大いに利益を挙げることがあったとしても、有頂天になって喜び、度をすごしたり、またその反対に、連続赤字に意気沮喪(そそう)して悲観しすぎたり他人の商売を羨望(せんぼう)したり、もっと儲る商売に転業しよう等と考えたりすることは、大きな誤りで実に危険きわまりない考えであります。

 古来「商売」をあきないといい「飽きない」に通じ、「石の上にも三年」という言葉もあるように、いずれも初めの一念をかえず、終始一貫せよとの訓えであります。
 もし一つの事業を成就しようとか、一つの研究を完成しようと思うならば、今日はこの岸、明日はあの岸へと、永久に根をおろすことのない漂々たる浮草のような浮薄(ふはく)な信念の持ち主であってはなりません。

 人生は七転び八起きと申します。「失敗は必ず成功の基」、失敗はむしろ喜ぶべきであります。失敗をする程人間は悧巧になります。むしろ大いににこにこすべきであります。一時の失敗ぐらい何のかなしむところがありましょうか。それにつけても何事も受け入れが肝要であります。失敗の苦痛こそ幸福の門であります。
 一寸頭を上げてごらんなさい。太陽は起てよ起てよと、今昇るではありませんか。東の空を見れば勇気が生まれるでしょう。最後の瞬間に起き上がることが出来るならば、それは成功であり、勝利の喜びを感ずることが出来るのであります。これは、波乱と蹉跌(さてつ)と苦難とに直面しても、なお不動の信念を持ち続けることの出来る人のみが、獲得することが出来るのであります。

 元来、世の中には楽観もなければ、悲観する何ものもないのであります。おこったり、腹を立てたり、憂えたり、悲しんだり、羨んだり、急いだりする不自然な心を出すから、物事が崩れるのであります。すべて人は玲瓏の心境で終始一貫すべきであります。
 みなさんは終始一貫などというと、むずかしいというお顔をなさいますが、先はども申しました「石の上にも三年」、少なくとも三年間、石の上に坐ったつもりで辛抱すれば、たいていのことは成就いたします。都々逸の文句ではありませんが、「金という字を分析すれば、人ニハーが一(ひとにはしんぼうがだいいち)」と書きましょう。試みに、石の上に半日でも坐ってごらんなさい。足が痛くなってたまらないでしょう。それを三年間やるのだからよほどのことです。何事も出来ないことはない。誰もがやれないところに価値もあり、そこに妙味もあります。成功は苦痛苦難を通して自然の法則(生活倫理)の実践を経てはじめて得られるのであります。昔は「困難汝を玉にす」と申しました。実践倫理は苦難は幸福の門に入る目じるしだから、そのことによって不自然な生活をあらためて、幸福への軌道に乗ることを明らかにしたのであります。

 人は神によって働くように生かされております。どういう商売も、神のお命じになるところであり、世のため人のために便宜をはかる尊い仕事(しごと、為事)であるという信念に生きる商売人でなければ、決してどんな商策も努力も、本当の効果をあらわさないのであります。自分さえ儲ればよい、持て余しのストックが片づけばよいのだ---これではあまりに得手勝手な話で、商道の真髄にはずれた終戦後の盲めっぽうの商売人と何らかわることなく、また末路もそれと同様と申さねばなりません。

 某化粧品本舗の社長さんの言に「私が化粧品で儲けた金は、また愛用者に返さねばならね金なのだ」とあり、これはサービスの真髄をつかんだ奉仕の尊さを訓える言葉であり、成功の反面に輝く、体験より惨み出た信念のほとばしりにほかならないのであります。倫理を知ると知らないとを問わず、現実は世のため人のために喜んで立ち働く商売人の上に恵まれている実例を、私どもはあまりにも多く見せられております。
 商売人はどんな時でも人を好き嫌いせず、物を好き嫌いしない。お客本位の精神をモットーに、お客様を差別するようなことなく、朗らかに身がる腰がるに客に接し、いつも変わらぬ心で交際しなければなりません。

 よく場所(店の位置)、構造等にとらわれる人がありますが、今の自分にとって、ただいまの場所が一ばん良いのだと信頼することです。これ以上よいところはないと信ずれば、ここが己れの死に場所となります。この心がしっかり立ってこそ、初めて一人前の商人です。自分から駄目な場所だときめるようなところに、どうして人が入って来ましょう。自らをいやしめる人を、人はいやしむのです。心から愛着を持ち、心から喜んでいるところには、人もおのずと集まって来るというものです。場所の不足もデパートの重圧を呪う必要もなく、同業者の多すぎることも何らさしさわりとはなりません。常に奉仕精神に生き、商品をわが子のように、大切に親切に取り扱う。陳列を美しく、手入れを十分に殊に日々掃除を丁寧にし、仕入れ商品の入荷の時は、わが子の帰りを迎えるように、売れて行く時はまた愛児の旅に出る心で当たり、何だかやっかい者が出ていったと思うような心では商品は売れるものではありません。
 もし、現在営業の振るわないことをかこつ人があるならば、主な原因は外になくて内にあるということを悟って、根本的にその心構えを一新する必要があります。

 更にまた開店は早朝にし、世間的な考えを以て隣家や同業者などと妥協しないで、夜はなるべく早く閉店することが倫理にかなった営業時間であることを申し添えておきます。自分は夜の商売である、朝は客を呼ぶことが出来ない業態であると慣習にとらわれ、浅薄な経験を土台にして、その実行をためらう商人がありますが、それはどういう理由にしても、倫理による商売道をはずれていると申さねばなりません。料理店、理髪業などを経営する方が、これを実行してすばらしい成績をあげつつある体験は、これを裏書きしております。人より優れた商売をしようとするならば、一歩進んだ一段とび越えた努力と勇気と決断を必要とするのであります。

 商売人の誤りの多くは、金を儲けることにのみ囚われ過ぎて、支払いに対し考え違いがあると思います。いいかえれば出し惜しみ心があまりにも強すぎることであります。一円でも多く取り入れ一円でも少なく出すというふうに出ししぶる。あたかも、それが金儲けの秘訣ででもあるかのようですが、それでは金の生きた使い方を知らぬことであまりにもこういう人の多いということに驚くのであります。
 金を生かして使うには、惜しみ心を出さず、払うべき金は遅滞なくさっさと払うべきであります。真の金持というのは、より多くの金を天下に流通させる人をいうのであります。従って、国のために使う税金は一円でも多く、喜んで進んで期日を違えず納めることは、まことの仕事に金を生かすということになります。由来、人は単に収入の多いことをねがい、計数に囚われ、心の問題を全然度外視するところに、危険な錯覚を伴うのであります。金に明け、金に暮れる生活をなさっておられる商売人は、この点について案外関心を持たないのであります。

 以上、商売の倫理、商売人の心がまえについて大略を申し述べましたが、もう一つここに根本的な重大要項があります。世間には智もあり商才にたけ、研究心に富み、経営熱心で取り引きが円滑で、同業者もうらやむほどの繁昌を続けておりながら、帳面合って銭足らずの業態を続けている人があります。これは家庭円満が一切の原動力となる真理をお気づきにならないからだと思います。

 一家の愛和は、縦と横との二つの結びが、十字形にガッチリと結び合って、花の咲く春の野のようにふんわりと暖かく、黄金の波打つ秋の実りの如く、豊かでないと商売はうまくまいりません。ここに縦というのは親子の睦み、横というのは夫婦の和合であります。親子がいつも意見がまちまちであったり、一家の者が心から思いやりがなかったら、一家の円満どころか病人が絶えないのであります。

 こんな話を思い出しました。ある嫁が奥の間で子供の着物を縫っている。姑は台所で子供の弁当をこしらえながら、あの縫いざまは何かと、しきりにその方へ白い眼を向けている。飯が弁当箱の外へこぼれているのも知らないで、ぶつぶつ小言をいっている。奥の間の嫁は嫁で、作業場の舅の方を見ながら、いい年をして、あの草履の作りようは、なんということだろうと思っているうちに、着物の袖口が縫いつぶされてしまう。舅はまた台所の釜のそばのめしつぶはなんじゃ、とそちらに気をとられているうちに、草履の長さが一尺以上の長さにもなってしまう。これでは愛和どころではない---。一例にすぎませんが、思いやりが欠けて、親切心がなくなって来ると、実にこうした恐ろしい結果となるのです。一家の繁栄も商売繁昌の秘訣も、金儲けの奥の手も、いいかえれば、水ももらさぬ親子、夫婦の和合がその根本であることは申すまでもありません。どうか皆様、いつ、いかなる危険信号があらわれるかも知れません。失敗あり、つまずきあり、行き詰まりがあるのが人生であります。われわれお互いは、これに善処し、打開し、更生の意気にもえなければなりません。


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