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商売の心がまえ

作者不詳



 商売が繁昌するようになると、世間では「あの人は腕がある」とか、「運の良い人だ」などといいたがるようですが、決してそんなものではありません。
 商人として成功するのも、不成功に終るのも、腕や運というものではなく、一口に申しますと、その人の実質如何によるといえるのであります。こう申しましても、なかなかお解りにくいと思いますので、商売とは如何なるものであるか、またこれを突き進めて商売と人間生活の関係について述べることに致します。

 まず商売そのものについて、これまでの観念の至らなかった点を申し上げてみたいと思います。商売をしておられる方から、
 「私の店はよくはやりお客様の筋もよく、売り上げの成績も他の同業者よりも、はるかに優れているのですが、どうしても金が残りません。別に無駄遣いをする訳でもないのですが、どうしたことでしょうか」
 「私の方は営業成績は申し分なく、お蔭様で儲けさせて頂いているのですが、少し余裕が出来たと思うと、思いもかけぬ損をして、折角残ったと思っていたのが一度になくなってしまいます。こんなことが、今日まで何度つづくかわかりません」 というような質問を受けることがあります。これらは極端な例かも知れませんが、これに似たようなことがあるという人は珍しくないと思います。すなわち、形の上では非常に繁昌しているが、結果においては、案外赤字になっているという例であります。具体的に申しますと、商売上の取り引きや売れ行きは順調にいくが、さて集金が出来なかったり思わぬ詐欺にかかったり、あるいは儲ける一方から病人が出来たり、突発的な事故のために思いがけぬ出費があったりして、実際的には赤字となっているというようなことであります。
 これでは商売が繁昌していても、事実上欠損しているのですから、本当の商売繁昌の状態とは申せません。何故こんな風になるのか、どうしてこんな結果を招かねばならないのか。
 すべては己れの生活の上に、その原因があるのです。知らず知らずのうちに、その原因をこしらえつつ、私どもは生活しているのであります。その原因は各人によって異なりますが、これを一般的に申し上げて見ましょう。

 商売が繁昌しているというのですから、その店の人が商売に熱心であることはわかります。ところが、その熱心というのが、例えば直接お客様に接する販売の面ではなかなか忠実であり、愛想もよく努力をするが、商品の整理や仕事の終った後片づけ、お金の計算や帳簿の整理等になると案外無頓着であったり、ずぼらであったりして、そうしたことをいい加減にする・・・・ということがあるのであります。自分では案外商売熱心のように思っているのでありますが、これでは悲しいかな、商道を弁(わきま)えぬ商売人であるといわねばなりません。

 取り引きばかりが商売ではない。販売ばかりが商売ではないのであります。朝起きて店の戸を開けて掃除をすることから、晩になって戸を閉め、後片づけを済まして帳簿の整理やお金の勘定をして終るまでの全部の仕事から、一つの商売が成り立っていることを知らねばなりません。すなわち、一日の全部の仕事が皆商売につながりを持つて、一連の態(すがた)をなしているのであります。
 だから、その一連の仕事の一部分をおろそかにすることは、一体の一部に欠陥をつくることでありまして、丁度網の目が破れているようなものであり、ひびの入った水がめのようなもので、その一部の欠陥のために網の用をなさなくなり、水がめもいくら水を入れても、一方から洩れて水を溜めることが出来ないのと同じことであります。

 この道理が解ったら、商売に関する一切の仕事の何一つおろそかにして構わぬということがない、という商売上の心構えがお解りでしょう。一切の仕事を喜んで熱心にやりとげるところに商売が成り立って、完全な実を結ぶのであります。
 さらに、この問題を進めて行きますと、商売を営んでいる人の家庭生活、社会生活にまで関連が生じてまいります。
 商売と家庭生活がどんな関連をもっているか。一見考えられぬことかもしれませんが、ここに絶対切り離すことの出来ない関連があるのであります。

 まず、人は生きるために食事をしたり、寝たり衣類を身につけたりしなければなりません。これらの家庭生活があって、初めてそこから商売を営むことが出来るのでありますから、商売だけが人間生活の上に単独にあるように考えるのは、根本的な間違いであります。すなわち、人間としての生活の一切が、一連をなしているのでありますから、商売自体にはすべてに抜かりのないやり方をしていても、家庭生活の面において不自然な点があれば、やはり一人の人間の生活の一部に欠陥があることになりますから、その欠陥によって思わざる不幸が生ずることになります。そしてその不幸はいつ如何なるところに現われるか分からないのでありますから、よほど慎重に間違いのない生活を営まねばなりません。
 右のことがお解りになれば、商売にはこれほど一生懸命まことを尽くしているのに、何故うまくいかぬかと嘆く前に、自分自身の生活の一切を深く反省してみることです。
 例えば家庭では妻に不足を思い、子供をガミガミ叱りつけてはいないか。家族に対して不愉快な顔をしながら背中を向けて、お客に笑顔を見せても、これは落第であります。お客に笑顔を見せたところで、妻に対し子供に対する不足心をうちに持っているのでありますから、実際の結果は、表面だけの笑顔に対するものが現われてくるのでなく、その人の実質である、不足をもつ心に相応したものが現われるのであります。殊に商売は夫婦生活と密接な関係を持つており、夫婦仲の良し悪しは直ちに商売に影響してまいります。これが解らないから、夫婦喧嘩をしながら商売がうまくいかないといって気にする、気にするから子供が熱を出す、また子供の病気を苦にする、商売はますますうまくいかなくなる、という悪循環を繰り返す。こして商売はその営業者の心のままに展開されていくのであります。
 よく時代のせいにしたり、人のせいにして商売不振の責任を転嫁する人がありますが、ある人もまたこういってまいりましたので、そんなものではありませんといっていろいろ申し上げましたところ、敢然として夫婦和合の生活に目ざめて、全く不況の中をどんどん成功された方がありました。

 また、商売と子供についても面白い話があります。
 ある呉服屋の奥さんが、やんちゃ盛りの男の子を連れて来られました。
 「この子のきかないことといったら、どうにも手がつけられません。幼稚園にも行かないといって、家にいていたずらばかりするのです。先日も泥だらけの三輪車を上げて座敷を乗りまわすものですから、主人が怒って、車もろとも外へ投げ出したのですが、またまた入り込んで大変なことでした。主人は本気になって腹を立てますし、この子にもうんといってきかせたのですが、一向に親のいうことをきかないのです。一体どうしたらよいのでしょう」
 ということでした。そこであなたの家の商売はどうですかと聞くと、
 「近ごろは、同業者も随分増えましたし、品物も沢山出まわるようになりました関係ですか、一向にお客がまいりません」
 という。当然のことです。子供の躾一つ出来ないような家の商売が、繁昌する筈がありません。そこで私は申し上げました。
 「そのお子さんをよく眺めて、どこか賞めてお上げなさい。呉服を扱っておいでになるあなたは、よくご存じでしょうが、品物でもこれはいいと賞めたものは一番に売れていきます。子供も賞めてやれば必ず良くなるものですよ」
 するとその奥さんは、直ぐに、賞めてやるところなど爪の垢ほどもありません、といって私の言葉をうち消してしまいました。なかなか強い奥さんだと思って立ち上がると、私は先程から少しもじっとしていないで、階段をどんどん上がったり、降りたりして喧しい音をたてている男の子のそばへ行きました。
 「僕は偉いね。さっきからあれ程上がったり降りたりしても、一寸も転ばないじやないか。僕は上手だね」
 といって頭を撫でたところが、その子はニッコリ笑って、私の顔をしげしげと眺めておりました。これを見ていた奥さんが、賞めるとはそんなことまで賞めてやるのですかと申しますから、
 「そうですよ。一人でご飯を食べることも偉いことですし、一人で便所へ行くのも賞めてやるのですよ」
 と申しましたところ、よく解りましたといって帰っていかれました。
 それから数日後、その奥さんが来られて次のような話をして下さいました。あの日家へ帰ると、坊やが表からニコニコして入って来て、「僕、今日、母さんの先生にほめられたんだぞ」と主人に威張っていいました。
 それで私は、「僕は偉いわね、ほめられたんだもの。だから明日から一人で幼稚園へいかれるわね」といったら、喜んで翌朝一人で行きました。そして帰って来ると、幼稚園の先生に名前を呼ばれたから、ハイと返事をしたら、上手に返事が出来たといって賞められた、と大変喜んでおりました。それからというもの、本当に良い子になってくれました。主人も腹を立てなくなりましたし、家中が明るくなって、笑声が絶えないようになりました。商売もその後どんどん好転して、お蔭様で大変忙しくなりました。昔から、「笑う門には福が来る」と申しますが、このことかと喜んでおります、と話されましたが、これも当然のことなのであります。

 すなわち、人間には商売をする時の身体と、家庭生活をする時の身体と別々のものがあるのではなく、一つ身体でいろいろのことをしているように、心も同様で、家庭生活の時の心(人格)がやはり商売もしているのであります。よく二重人格等と申しますが、それは結局現われている形の面だけからいっているので、実質は一つであります。一つの中味を二通りに働かせているのに過ぎないのであります。

 また、病気にかかっている人が、私の病気は今急にどうなるということはないからといって、商売をつづけているのを見受けますが、こういう人が商売を成功させることは絶対にあり得ません。何故なら、その人の生活の誤りが病気として現われているのでありますから、そういう誤った心で商売を押しすすめたところで、支障は来たしましても、決して好結果を得られるものではないのであります。

 更に、各家庭は社会制度の基礎の上に立っているのでありますから、人間生活の視野をもう一歩拡めて行きますと、人が生きていく上に社会と切りはなすことの出来ない関係のあることがお解りでしょう。それで、その人の社会生活における態度も、やはり商売に影響することを免れないのであります。

 この道理がよく解らないので、商売の繁昌を、商売する時だけの気持で解決出来るものかのように思っておられる人が多いのであります。倫理を求められるのにも、
 「どんな気持で商売をしたらよいでしょうか」
 とお尋ねになるその気持が、いわゆる商売繁栄の秘訣とか妙策とでもいうようなものを知りたい、というようなことになっているのであります。これでは手段であって、倫理を実践することとは違いますので、そこに根本的な心構えの差異があることを、充分知って頂きたいのであります。
 これはもちろん、商売に限られたことではなく、各人の仕事---職業というものがその人の人間生活と切りはなして別にあるのではなく、その仕事なり職業なりは、人の生活の一部なのであります。何某という人の生活一部面に商売があり、農耕があり、職場における勤労があり、役所における事務があり、勉学があり、研究があり、芸術制作があるのであります。芸術作品などに、よくその人の家庭生活がにじみ出ているのを見ますが、生活の一部面にその端片が窺(うかが)われるのは当然のことでありましょう。何某が会社に勤務しているのでなく、何某の働きが商売とか、勤務とか、農耕とか、という形になって現われているということになるのであります。
 形だけから見れば、どちらも同じことのように見えるのでありますが、その根本の心構えにおいては全く相違しております。
 このことを心の底から解って頂かないと、商売や仕事に対する「心得」や個人指導の意味が本当に解るものではないのであります。

 要するに、以上のことは万象一体ということを、抽象的な観念として理解するだけでなく、私たちの実生活の問題として体得して頂くことになるのであって、ここから倫理の真髄が悟れるのであります。
 簡単に申せば、人として守らねばならぬ生活のすじみちにかなえば、商道のみならず、あらゆる道に通ずることが出来る、ということになるのでありまして、これを逆に申せば、古くから商傑とたたえられた人々は、人間としてもまた出来物であったのであります。大倉喜八郎や渋沢栄一にしろ、ロックフェラー、フォードといった、今も世に伝えられている商傑の人間生活は、常に目先の私利私欲に迷わず、真に人世のためにつくしてまいりました。微細な点まで細心の注意を怠らず、物を大切に生かした面において、人を尊んだ面において、多くの逸話が残されている点は、謹も一様であります。
 そこで最後に、商人として殊に心掛けねばならぬ箇条を申し上げましょう。

一、税金を納めること
 国家の一切の費用を喜んで出そう。否一番たくさん出そうという大きな積極的な心、立派な心掛けで働く時に、すべての良い条件が吸いよせられるように集まって来て、人や、物や、いろいろの事情が都合の良いようにぐんぐん好転して来ない筈は絶対ないのであります。
二、家庭は明朗に
 夫がいい出したことに、妻は心から賛成して従っていく。
 妻が気づいたことは、自分の進んでいくべき指針と思って、夫は素直に聞き入れる。
 こうして夫婦が心から打ちとけ、互いに尊敬するとき、本当に明朗な家庭が生まれる。勿論、夫は妻より他に女はない、妻は夫より他に男はないという清々しい心になって、夫のすることに深い信頼をよせていく。この夫婦の愛和が、商売、事業を栄えさせる原動力になるのであります。
三、物に対して
 生きものを取り扱うように鄭重に、わが子に対する如く愛情をかける。
 朝は「おはよう。今日一日、世のため人のためお役に立つてくれ」と挨拶し、一日が終れば「今日は一日ご苦労だった」と心から感謝する。
四、朝起きをすること
 品物を販売するにも、取り引きの交渉にいくときも、集全に出かけるとき、手形を落とすときも、一番大切なことは朝早く起きる、ということであります。特に同業者の中に群をぬいて成績をあげようとするには、同業者の誰よりも必ず朝早く起きることであります。
五、商売はアキナイという
 「あきないでやりとおす」という意味だという人があります。それはともかく、いったんやり始めたら、あくまでもやり通す、孫子の代まで譲っていくという心でやるのであります。


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