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東洋のリヒトホーフェン

Wikipediaより

帝国陸軍のトップ・エースの一人、篠原 弘道(しのはら ひろみち、1913年(大正2年)8月15日 - 1939年(昭和14年)8月27日)。
総撃墜数58機を誇る(これは1939年5月27日の初陣から同年8月27日に戦死するまでのわずか3か月の間に達成された)。また、1日で11機の敵機を撃墜した記録をもつ。
通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」



1939年5月27日、初めての敵戦闘機との交戦で九七式戦闘機に搭乗した篠原はソ連軍のI-16単葉戦闘機4機を撃墜、翌28日にはRZ複葉偵察機1機とI-15複葉戦闘機5機を撃墜し、たった1日でエース・パイロットとなった。史上初陣から1日で10機の撃墜を記録したパイロットは篠原の他にいない。特筆すべきは同年6月27日、日本軍がモンゴルの後方基地タムスクに大規模な空襲を行った際に、11機の敵機を撃墜したことである。この記録を上回るのはドイツ空軍のエーリヒ・ハルトマン(1日に12機を撃墜)だけである。篠原は撃墜マークとして愛機の操縦席側面に星を描いていた。

しかし武運は長くは続かず、1939年8月27日、爆撃機護衛の際に交戦となり敵機3機を撃墜したがI-16戦闘機に撃墜され戦死した。死後、その功績によって准尉から少尉に特進した。その活躍から「東洋のリヒトホーフェン」と呼ばれ、またノモンハン航空戦における操縦者達の活躍は「ホロンバイルの荒鷲」としてマスメディア上でも大々的に取り上げられており、中でも篠原は屈指のエースとして国民の知るところとなった。また敵編隊に殴りこみをかけ撃墜するという、迫力ある空戦模様を記録した日記を残していたことでも知られる。


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