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哀絶 惨めな父の姿に涙する

ガッツ石松

『神様ありがとう俺の人生』桜の花出版1999年刊行。第一章「悪童と呼ばれて」より抜粋。



第一章 悪童と呼ばれて

哀絶 惨めな父の姿に涙する(抜粋)

「やめろよ!父ちゃん」
「頼むから止めてくれ!!」
 私は心の中で叫んでいた。中学二年の春、家庭裁判所での出来事である。
当時私は近隣の中学を束ねる総番長という立場にあった。要するに悪ガキだったということである。
その関係から濡れ衣を着せられてショッぴかれ、家裁まで連れてこられたのだった。
私には、自分はやっていないという思いがあるから、納得がいかない。それどころかムカついていたというのが正直なところである。

 ところが家裁に入るなり、父は、自分よりうんと年の若い係官に、幾度となくこれでもか、
これでもかと言わんばかりに、腰を屈して頭を下げ続けたのだった。

 「この子は決してそんなことをする子じゃありません」
 「どうか許してやって下さい」
 「親思いのいい奴なんです」
 「お願いします」
 「お願いします」
 「お願いします」………。

 ふてくされている私の前で、父は何度も何度も何度も、深々と頭を下げ、その青二才の係官に懇願仕続けた。この俺の為に。

 確かに、この件については、濡れ衣である。俺は何も悪くない。しかし、いい年をした親父にここまで卑屈にさせなければならなかった「俺」という存在が、私には申し訳なく、父への猛烈なる哀絶が、私の魂を揺さ振り始めたのだった。

 憶えば、俺がここまで荒ぶれたのも「極貧」の二文字がその原点だった。小学校の間はまだ耐えられた。
しかし、中学入学を境に、一気に心がすさんでいったのである。

 俺にだってプライドがある。俺にだって、人間として人と同じ「生活」を許されたっていいじゃないかという強烈な思いがある。どうして周りのヤツらは、俺のことを白い眼でしか見ようとしないのか。哀しい程に、周りの大人たちが嫌いになっていた。
 果たして、俺が如何に切ない想いをしてきたか、誰に分かるというのか。俺には俺の人生哲学がある。俺は、弱い奴をいじめたことはない。俺は、余裕のない人の物を盗んだこともない。それどころか、俺は、毎日一所懸命働いているじゃないか。小学生の三年の時からすでに新聞配達をして家計を助けてきた。友人たちが、放課後、サツマイモやお菓子などを手に持って遊んでいた時に、俺は農家の手伝いをして日銭や一飯を得ていたのである。

 それがわが家であり、俺の人生そのものだった。
 どうして、物や金が余っている奴らからほんの少しばかり頂戴したからといって、悪人呼ばわりされなくちゃいけないんだ。ましてや俺は盗んだことなど一度もない。ただ、友だちに持ってきてもらっただけのことじゃないか。この程度は、貧乏人の俺には許されていい筈ではないか―そう思って、この年まで、好き勝手に生きて来た。それは、傍目には逞しいばかりの生活力であったに違いない。

 しかし、その本人に言わせるなら、それは単なる生まれつきの逞しさだけではなかった。どう仕様もない貧困からくる悲哀が、私自身を少年なりに逞しくさせていったということであった。その悲哀こそが、この私を、後にビッグへと変身させてくれる原動力となったのである。それは、私の生の美学そのものであった。

 当時の私を知る者は、一様に、俺がガキ大将だったという印象しか語らないだろう。しかし傍にはただの悪ガキに見えた私にも、誰とも変わらない「弱い」自分がいたのである。ただ、一般の子と違っていたのは、この弱さをバネにすることが出来たという所であるのだ。そう出来たばかりに、私のイメージは鈍感な田舎の悪ガキが先行していったのだが、本当は、あなたには信じてもらえまいが、私は繊細だった。

 繊細ではあった。だが、決してそれに陥ることなく「生きる」という生の原点に私は根付いていたということなのである。
 その証拠にといっては何だが、私には学校からたった一人で帰る特別な道があった。そこは山道であり畦道であり、河辺の石や土手のススキの群の中にあって、私をセンチメンタルな気分へと誘ってくれたものである。

 友だちの前では、強がってみせる私も、一人になるとしんみりしてくるものがあった。それは、人並に食事がしたいことだった。人並に遠足に行って、友だちと同じ話を共有できることだった。人並に体操服を着ることだった。人並に暖かい布団で眠ることだった。
 それら何もかもが私には与えられていなかったのである。私は、その一切から見捨てられていた。幼い私がそう考えたのは無理からぬ話である。

 そして、中学に入ると、恥じらいが生じるようになった。おしゃれもしたくなる。格好もつけたくなるのが当然だ。正に思春期まっただ中にいたのだから。ところが、私にだけは、その一切が与えられなかった。
 私は口惜しかった!それは、心いっぱいの切なくも辛い想いであったのだ。その怒りを、私はケンカという形で昇華しようとしたのである―。

 そしてこの日、来る所まで来た。
 父はまだ謝り続けていた。横目で見ると、その目にはうっすらと涙さえ光っていた。
「父ちゃん、すまない!」私も心の中で泣いていた。
 父の涙は、父自身に対する、父親としての責を全うしていないことへの怒りだったに違いない。
 私は心に滂沱の涙を流しながら、この日を境に、悪ガキから足を洗うことを、遂に、決意したのだった。

 そしてこの家裁からの帰りのことである。父は、何一つ、私を叱ることはなかった。父は昔からずっとそうだった。常に、子どもの味方だった。そして何よりとても優しい人だった。子どもの心が分かる人だった。そんな優しい父を、私は幼い頃から愛していた。しかし、同時に、ほとんど家にいて働こうとしない父に対して、激しい怒りを抱き続けていたことも事実である。

 

 その帰り、バス停近くのラーメン屋に立ち寄ることになった。実は、私の生まれて初めてのラーメン体験でもあった。

 父と私は無言のままのれんをくぐった。中からは美味しそうな香りが漂ってきた。値段を確認した後、椅子に座った父はおもむろにズボンや背広のポケットに両手を入れては、こっちのポケットから五円、こっちから十円といった具合にして、六十二円をかき出して見せた。

 当時の私には、あたかも手品師を見ているみたいで、皮肉なもので、そんな父に感心してしまっていた。今思うと失笑するばかりである。
 
 そして父は注文した。
「ラーメン一杯ね」

 何故か妙に明るい声であった。
 この頃になると現金なもので、さっきの裁判所のことはすっかりでもないが忘れて、頭の中は「ラーメン」という新メニューに支配されていた。どうこういってもまだ十四歳である。こんなものかもしれない。だから一部に鈍感と思われてしまったのだろう。確かにこの時は、単純なほどに食べ物へと心は動いていた。

 こう書くと、あなたは私がいかにめでたい人物か―と思うことだろう。しかし、そうではないのだ。当時の私にとって、いや、わが家族にとって、食べるということは、全ての行為に勝って重要なことだったのである。
 それは正に、生そのものを意味していたからである。余裕のある食生活を送ってきた一般の人たちに、この感覚を理解してもらうことは無理な話である。

 強いていえば、敗戦を体験した人たちだけは、この私の気持ちを理解してもらえるに違いない。ちょっと小賢しい人間は「生きることは?」という質問に「哲学すること」などと答えたりするが、「ふざけんじゃねえ!」と私などは言いたくなる。

 俺にとって、生きるとは、ズバリ「食べること」以外の何者でもなかったからである。食べるからこそ哲学も出来るというものだ。この厳しさを体験していない者に、何の哲学が存在するというのだろう。
 私は、初めて見るラーメンという食べ物に心が躍っていた。そんな私を見てか、父はさっきとは随分と違って、落ち着いて見えた。それでも、どこかに哀愁を漂わせた親父の目を、その時の私は充分に理解しようとはしていなかった。

 そして、お待ちかねのラーメンが一杯やってきた。
「ヘイッお待ち!」威勢のいい声と共に、白い湯気を立ち上らせて、いかにも美味しそうな代物がやってきた。一瞬、とまどった私に、父の一声がとんできた。

「早く食べろッ」
 私は「やった!」と思った。

言われなくても食べるぞ。父は、横で体を斜めに傾けながら、肘をついてコップに注がれた水に口をやって、周囲を見わたした。昔とはいえ、大の男が二人並んで、ラーメン一杯しか頼まないなど、珍しいことであった。その事が、父には切なかったに違いない。

 私は、父の言葉に押されたせいもあって、空いた腹の中に、アッという間に、ろくに噛むこともなく、ラーメンを流し込んだ。果たして何分かかっただろう。多分、二、三分で残りのスープまで全部飲み干したように記憶している。

「何て旨いんだ!」私は興奮していた。
「これ旨かったよ父ちゃん!」
 その時だ。父は微笑しながら、コップを取るとその水を微かに残ったラーメンのスープに足して、すばやく人さし指でかきまぜ、一気に飲み干した。

 私は愕然とした。
 俺はどうして、こうも無神経な男なんだ。涙が出そうになった。そこには、何とも惨めな父の姿があった。
 父ちゃんも、ずっと腹を減らしてたんじゃないか。何で、そんな当たり前のことにも気付かず、こんな美味しい物を一人で食べてしまったんだ!

 自分で自分が嫌になる瞬間だった。いや、それは、大人になった今日まで私の心に刻まれた感傷となっている。
 それは余りに大きなキズとして、未だに私の心を支配している程である。

 あの時の父の思いとは一体何であっただろうか。今となっては、訊くことが出来なくなってしまったが、父は父なりの美学故に、父親としての不甲斐なさを痛感していたに違いない。父にしてみれば、目の前で腹一杯食べてくれたわが息子の姿こそが、喜びであったのかもしれない。今自分が父親になって初めて、その思いを一つとすることが出来る。

 親とは有難いものである。私の親父は確かに父親としては失格だった。それは口惜しい程に失格だった。私自身がイメージする父親像とは全く似ても似つかぬ人であった。その事が、私をぐれさせた大きな要因であったのだが、私は父を真から憎むことはなかった。
 それどころか厳しい母が父親役を演ずる中、父は優しい母親としての役割を果たしてくれていたのである。
 父は実に優しかった。すさんだ幼い私の心を、いつも癒してくれたのがこの父だった。だから私はこの父の優しさ故に生きていられる自分を、幼いなりにも自覚していたのである。

 この一杯のラーメンは、その味と共に、私の心に深く刻みこまれることになった。大成仕得ないどころか、人生の敗北者と言わざるを得ないこの父の哀れさに、私の胸は張り裂けんばかりであった。

「父ちゃん。俺は父ちゃんの為に、必ず、立派な人間になってみせるよ。そして、父ちゃんも母ちゃんも、この貧困から救ってやる。俺は、父ちゃんも母ちゃんも、みんな絶対に倖せにしてやるんだ!」
 私は泣いていた。父に悟られぬ様に、ジッと口唇を噛み締めながら。

「必ずやってやる! 父ちゃんを幸せにしてやる!」
「だって、たった一人の俺の父ちゃんじゃないか」
「父ちゃん、悪かったなあ」
「俺、父ちゃんがラーメンの残り汁を水でのばして飲んだその姿を、絶対に一生忘れない」
「苦労ばっかしかけて、本当に悪かったなあ父ちゃん」
「俺、頑張るよ」
「もうひねくれたりしない」
「俺はこんな父ちゃんの為にも、俺に人生を教えてくれた母ちゃんの為にも、不幸な人生を文句も言わず諦めて生きている兄弟たちの為にも、やってやる!」
「俺はビッグになる!」
「俺は誰にも負けない!」

 私は、心の中で誓っていた。

桜の花出版より http://sakuranohana.jp/book_kamisama_d1.html


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