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鉄道ファンだったドヴォルザークのエピソード

Wikipediaより



・鉄道ファンとしても知られている。1877年以降住んだプラハのアパートはプラハの本駅からほど近く、作曲に行き詰まると散歩に出かけ汽車を眺めて帰ってきたと伝えられる。また、招聘に応じアメリカに滞在したのもアメリカ大陸の鉄道に乗ることができると言う理由が一つにあったと言われている。ニューヨークにいたころには、毎日グランド・セントラル駅へ出掛けてシカゴ特急の機関車の車両番号を記録しており、用事があって駅まで行けない日には弟子に見に行かせていたという。これには、ドヴォルザークの幼少期、1845年にウィーンからプラハ、ドレスデンを結ぶ鉄道が開通し、この列車が故郷ネラホゼヴェスを経由していて近隣の話題となったことが影響していると指摘する研究者もいる。

・彼の鉄道好きについては、次のような逸話まである。ドヴォルザークは毎日同じ鉄道を利用しており、その列車が奏でる走行音を楽しんでいた。しかしある日、いつもと微妙に違う走行音が聞こえたため、ドヴォルザークが車掌にその旨を伝えたところ、車両から故障個所が見つかった。彼が鉄道ファンであることと、鋭い聴力を持つことが列車事故を防いだ。

・また彼は友人に「本物の機関車が手に入るなら自分が今まで作ったすべての曲と取り換えてもいいのに……」とつぶやいたことがあったという。

・2007年現在、「アントニン・ドヴォルザーク」号という特急列車が存在する(オーストリアのウィーンと、チェコのプラハを結ぶ)。


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