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観察経(ヴィーマンサカ・スッタ)

仏教



第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、この人物が、如来であるのか、
如来でないか、確めるのに、六つの法がある。
それでは、この六つの法とは、如何なるものか。」

「第一の法は、彼の眼が、汚れてないのか、
或いは、彼の眼が、穢れているのか、考える。
彼が、如来であれば、眼が澄んでいる筈である。」

「第二の法は、彼の耳が、汚れてないのか、
或いは、彼の耳が、穢れているのか、考える。
彼が、如来であれば、耳が澄んでいる筈である。」

「第三の法は、彼が善に、慣れているのか、
或いは、彼が善に、成れてないのか、考える。
彼が、如来であれば、善に為れている筈である。」

「第四の法は、彼が慢に、堕ちてないのか、
或いは、彼が慢に、落ちているのか、考える。
彼が、如来であれば、慢に陥ってない筈である。」

「第五の法は、彼が欲を、畏れてないのか、
或いは、彼が欲を、恐れているのか、考える。
彼が、如来であれば、欲を越えている筈である。」

「第六の法は、彼が自ら、認めているのか、
或いは、彼は自ら、認めてないのか、考える。
彼が、如来であれば、自ら吼えている筈である。」

「このように、如来を信じて確かめる者は、
如来に近づいて、如来を見とめるようになる。
見とめられるから、更に認められるようになる。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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