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三明経(テーヴッジャ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、五百人の比丘衆と、
コーサラ国を遊説し、マナサーカタに赴いた。
そして、アチラヴァティー川の岸辺に止まった。

ポッカラサーティの弟子、ヴァーセッタと
タールッカの弟子の、バーラドヴァージャが、
互いの師の教えを訴えながら、言い争っていた。

彼らは、言い争いの、決着が着かないため、
仏陀に裁いてもらおうと、仏陀の処を訪れた。
恭しく挨拶すると、仏陀に対して、こう尋ねた。

「ゴータマよ、どちらが梵天に至れますか。
ポッカラサーティの説いた、梵行でしょうか。
それとも、タールッカの説く、梵行でしょうか。」

「ヴァーセッタよ、ポッカラサーティ師は、
今までに、梵天に至ったことがあるだろうか。
梵天が、妻を持たないように、妻を持たないか。」

「妻を持つために、梵天に至っていません。」
「生きているときに、梵天に至れないものは、
たとえ、死んでからも、梵天に至ることはない。」

「バーラドヴァージャよ、タールッカ師は、
今までに、梵天に至ったことがあるだろうか。
梵天が、妻を持たないように、妻を持たないか。」

「妻を持つために、梵天に至っていません。」
「生きているときに、梵天に至れないものは、
たとえ、死んでからも、梵天に至ることはない。」

すると、彼らは口を揃えて、このように言った。

「果たして、梵天に至る道はあるのですか。
我が師の説いた梵行では、梵天に至れません。
ゴータマよ、真実の梵行を、説き示して下さい。」

 

第二章

「沙門よ、如来が現れると、価値が逆転し、
解脱の果報を知った人は、このように考える。
在家は不自由なことよ、出家は自由なことよと。」

「こうして、出家した者は、解脱に至るため、
戒を守り、諸根を守り、正念正智し、満足する。」

「それでは、どのように、戒を具足するのか。
沙門よ、比丘が具足すべき、出家の十戒がある。

第一の戒は、殺生を禁じる、不殺生の戒である。
第二の戒は、偸盗を禁じる、不偸盗の戒である。
第三の戒は、邪淫を禁じる、不邪淫の戒である。
第四の戒は、虚言を禁じる、不妄語の戒である。
第五の戒は、冗談を禁じる、不綺語の戒である。
第六の戒は、悪口を禁じる、不悪口の戒である。
第七の戒は、陰口を禁じる、不両舌の戒である。
第八の戒は、貪欲を禁じる、不慳貪の戒である。
第九の戒は、瞋恚を禁じる、不瞋恚の戒である。
第十の戒は、愚痴を禁じる、不邪見の戒である。」

「それでは、どのように、諸根を保護するか。
沙門よ、比丘が保護すべき、六つの感官がある。

第一の根は、眼により色を感じる、眼根である。
第二の根は、耳により声を感じる、耳根である。
第三の根は、鼻により香を感じる、鼻根である。
第四の根は、舌により味を感じる、舌根である。
第五の根は、身により触を感じる、身根である。
第六の根は、意により法を感じる、意根である。」

「それでは、どのように、正念正智するか。
沙門よ、比丘衆は、いつでも、どこにいても、
何を念じるのか、正しく智って、正しく念じる。」

「それでは、どのように、満足を得るのか。
沙門よ、喩えるなら、鳥が翼だけ持つように、
比丘衆は、衣鉢だけを持ち、満足するのである。」

「こうして、戒律、制感、正念正智、満足。
この四つの条件を得た者は、解脱に至るため、
世俗を離れて山奥に入り、深い禅定に安住する。」

 

第三章

「一方で、瞑想を妨げる、五つの条件がある。
沙門よ、禅定を妨げる、五つの蓋は何のことか。」

「第一に、貪りに囚われる、貪欲蓋である。
喩えるなら、金を返すために、金を借りると、
返しても、返しても、苦しくなるようなものだ。」

「第二に、瞋りに囚われる、瞋恚蓋である。
喩えるなら、嫌いなものでも、食べなければ、
病になり、好きなものも、食べられないようだ。」

「第三に、眠りに囚われる、昏眠蓋である。
喩えるなら、金を盗んで、牢に捕われた者が、
金が有っても、金を使えないようなものである。」

「第四に、焦りに囚われる、掉悔蓋である。
喩えるなら、奴隷が、自由を求めるあまりに、
ますます、不自由を感じてしまうようなものだ。」

「第五に、疑いに囚われる、愚痴蓋である。
喩えるなら、酔って、不安を忘れようとして、
ますます、覚めて、不安を覚えるようなものだ。」

 

第四章

「四つの条件を揃え、五つの蓋を越えると、
正しい禅定となり、四つの心三昧が現われる。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無欲の歓喜で満たされている。」

「喩えるなら、乾いた粉に水を含ませれば、
水を含んだ粉は、容易に崩れ落ちる事が無い。
彼らは、離欲の歓喜で、透き通らない事が無い。」

「その時、彼らの心は、慈愛に満たされる。
彼らは、自らを慈しむよう、他を愛するため、
色界の初禅天である、梵天界に止まるのである。」

「第二の禅とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無想の喜楽で満たされている。」

「喩えるなら、外から水は入り込まないが、
内から湧き出る水で、深泉は遍く広がり渡る。
彼らは、無想の歓喜で、透き通らない事が無い。」

「その時、彼らの心は、悲哀に満たされる。
彼らは、自らを悲しむよう、他を哀れむため、
色界の二禅天である、光天界に止まるのである。」

「第三の禅とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
その時、全身は、無喜の大楽で満たされている。」

「喩えるなら、泉に咲いている蓮華の花は、
下から上に至るまで、冷水で遍く広がり渡る。
彼らは、無喜の大楽で、透き通らない事が無い。」

「その時、彼らの心は、称賛に満たされる。
彼らは、自らを称えるよう、他を賛するため、
色界の三禅天である、浄天界に止まるのである。」

「第四の禅とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、空性を体験する禅である。
その時、全身は、無楽の空性で満たされている。」

「喩えるなら、白衣を頭から被ってしまい、
上から下に至るまで、白衣で覆い尽している。
彼らは、無楽の清浄で、透き通らない事が無い。」

「その時、彼らの心は、出離に満たされる。
彼らは、自らを超えるよう、他を越えるため、
色界の有頂天である、色究竟天に至るのである。」

法悦が湧き上った、彼らは、このように言った。

「ああ、これは、とても、妙なる教えです。
さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」

「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」


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