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沙門果経しゃもんかきょう

仏教

原始仏典。仏教の中心思想を述べる重要資料。



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章 |  第六章 |  第七章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

あるとき、仏陀は、千二百五十人の比丘と、
ラージャガハに住む、小児を専門とする医師、
ジーヴァカの持つ、マンゴー園に止まっていた。

そのとき、マガタ国王、アジャータサッツは、
布薩の日に、感興を催して、このように言った。

「ああ、今晩は、なんと麗しい月夜だろう。
わたしが、どのような沙門に奉仕するならば、
このような、喜びに溢れた心になるのだろうか。」

それを聞き、ジーヴァカは、このように言った。

「大王よ、それは、素晴らしいお考えです。
今、覚者ゴータマが、この近くにお越しです。
彼ならば、大王の心を喜ばせてくれるでしょう。」

「それでは、私の忠実な家臣、ジーヴァカよ。
五百の雌象を用意しなさい、仏陀の元に行こう。」

こうして、マンゴー園の近くに来てみると、
余りの静けさに、アジャータサッツは驚いた。
千を越える人が居るとは、とても思えなかった。

「ああ、我が息子、ウダーイ・バッダにも、
このような、静寂を身に付けて欲しいものだ。
沙門には、実に、このような果報があろうとは。」

国王は、仏陀に近づくと、仏陀の傍らに坐り、
静座する比丘衆を見渡して、このように言った。

「大徳よ、沙門の果報とは、何でしょうか。
この問いを、今まで、多くの方にしましたが、
確かな答えを、未だに、私は得られていません。」

「大王よ、それを、どのような方に尋ねて、
それに、どのような答えが返ってきましたか。
差し支えなければ、私に、すべて話して下さい。」

 

第二章

「大徳よ、これまで、六人の沙門を訪ねて、
彼らに、沙門の果報について、尋ねましたが、
勝手な答えが返って来て、納得しませんでした。」

「私は、プラーナ・カッサパを訪ねました。
私が尋ねると、彼は、非業論を説いたのです。
即ち、悪因を報いようと、悪果で酬われないと。」

「マッカリ・ゴーサーラを訪ねたときには、
私が尋ねると、彼は、宿命論を説いたのです。
即ち、終焉が訪れるまで、輪廻は終わらないと。」

「アジタ・ケーサカンバラを訪ねたときは、
私が尋ねると、彼は、唯物論を説いたのです。
即ち、地、水、火、風があり、転生などないと。」

「パグダ・カッチャーヤナを訪ねたときは、
私が尋ねると、彼は、七要素を説いたのです。
即ち、地、水、火、風、苦、楽、命だけあると。」

「ニガンタ・ナータプッタを訪ねたときは、
私が尋ねると、彼は、禁欲論を説いたのです。
即ち、苦行と禁欲と戒律より、解脱に至れると。」

「サンジャヤ・ベーラッティプッタを訪ね、
私が尋ねると、彼は、懐疑論を説いたのです。
即ち、有るとも言えない、無いとも言えないと。」

「大徳よ、こうして、六人の沙門を訪ねて、
彼らに、沙門の果報について、尋ねましたが、
勝手な答えが返って来て、納得しませんでした。」

 

第三章

「ゴータマよ、これと同じ質問を致します。
沙門は、来世の果報のために、出家しますが、
それでは、沙門の現世の果報は、何でしょうか。」

「大王よ、彼方の家臣が、出家をしたとき、
彼方は、彼を引き戻し、彼に命じるだろうか。」
「いいえ、彼を尊敬して、彼に仕えるでしょう。」

「大王よ、彼方の農夫が、出家をしたとき、
彼方は、彼を連れ戻し、税を取れるだろうか。」
「いいえ、彼を庇護して、彼に与えるでしょう。」

「大王よ、これらが、出家する果報である。
世間の価値を捨てると、沙門の価値が現れる。
沙門の果報を求めて、沙門は出家するのである。」

「大徳よ、目に見える果報は分かりました。
ゴータマよ、それならば、目に見えない果報
これより、殊勝なる果報は、有るのでしょうか。」

「大王よ、如来が現れると、価値が逆転し、
解脱の果報を知った人は、このように考える。
在家は不自由なことよ、出家は自由なことよと。」

「こうして、出家した者は、解脱に至るため、
戒を守り、諸根を守り、正念正智し、満足する。」

「それでは、どのように、戒を具足するのか。
大王よ、比丘が具足すべき、沙弥の十戒がある。

第一の戒は、生を殺めない、不殺生の戒である。
第二の戒は、他を盗まない、不偸盗の戒である。
第三の戒は、性に溺れない、不邪淫の戒である。
第四の戒は、嘘を言わない、不妄語の戒である。
第五の戒は、酒を飲まない、不飲酒の戒である。
第六の戒は、物を貯めない、不蓄金銀宝である。
第七の戒は、心が遊ばない、不歌舞観聴である。
第八の戒は、体を飾らない、不塗飾香鬘である。
第九の戒は、楽を止める、不坐高広大牀である。
第十の戒は、朝しか食べない、不非時食である。」

「それでは、どのように、諸根を保護するか。
大王よ、比丘が保護すべき、六つの感官がある。

第一の根は、眼により色を感じる、眼根である。
第二の根は、耳により声を感じる、耳根である。
第三の根は、鼻により香を感じる、鼻根である。
第四の根は、舌により味を感じる、舌根である。
第五の根は、身により触を感じる、身根である。
第六の根は、意により法を感じる、意根である。」

「それでは、どのように、正念正智するか。
大王よ、比丘衆は、いつでも、どこにいても、
何を念じるのか、正しく智って、正しく念じる。」

「それでは、どのように、満足を得るのか。
大王よ、喩えるなら、鳥が翼だけ持つように、
比丘衆は、衣鉢だけを持ち、満足するのである。」

「こうして、戒律、制感、正念正智、満足。
この四つの条件を得た者は、解脱に至るため、
世俗を離れて山奥に入り、深い禅定に安住する。」

 

第四章

「一方で、瞑想を妨げる、五つの条件がある。
大王よ、禅定を妨げる、五つの蓋は何のことか。」

「第一に、貪りに囚われる、貪欲蓋である。
喩えるなら、金を返すために、金を借りると、
返しても、返しても、苦しくなるようなものだ。」

「第二に、瞋りに囚われる、瞋恚蓋である。
喩えるなら、嫌いなものでも、食べなければ、
病になり、好きなものも、食べられないようだ。」

「第三に、眠りに囚われる、昏眠蓋である。
喩えるなら、金を盗んで、牢に捕われた者が、
金が有っても、金を使えないようなものである。」

「第四に、焦りに囚われる、掉悔蓋である。
喩えるなら、奴隷が、自由を求めるあまりに、
ますます、不自由を感じてしまうようなものだ。」

「第五に、疑いに囚われる、愚痴蓋である。
喩えるなら、酔って、不安を忘れようとして、
ますます、覚めて、不安を覚えるようなものだ。」

第五章

「四つの条件を揃え、五つの蓋を越えると、
正しい禅定となり、四つの心三昧が現われる。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無欲の歓喜で満たされている。」

「喩えるなら、乾いた粉に水を含ませれば、
水を含んだ粉は、容易に崩れ落ちる事が無い。
彼らは、離欲の歓喜で、透き通らない事が無い。」

「第二の禅とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無想の喜楽で満たされている。」

「喩えるなら、外から水は入り込まないが、
内から湧き出る水で、深泉は遍く広がり渡る。
彼らは、無想の歓喜で、透き通らない事が無い。」

「第三の禅とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
その時、全身は、無喜の大楽で満たされている。」

「喩えるなら、泉に咲いている蓮華の花は、
下から上に至るまで、冷水で遍く広がり渡る。
彼らは、無喜の大楽で、透き通らない事が無い。」

「第四の禅とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、空性を体験する禅である。
その時、全身は、無楽の空性で満たされている。」

「喩えるなら、白衣を頭から被ってしまい、
上から下に至るまで、白衣で覆い尽している。
彼らは、無楽の清浄で、透き通らない事が無い。」

 

第六章

「こうして、四つの心三昧を通過した者は、
その次に、如実知見の段階に向かうのである。
彼らは、在りのままに見て、在りのままに知る。」

『この身体は、地水火風の四大種からなり、
生み養われ、衰えて死ぬ、無常のものである。
そして、私の意識は、この身体に依存している。』

「こうして、如実知見の段を通過した者は、
その次に、遠離と離貪の段階に向うのである。
彼らは、心から作られた、別の身体を化作する。」

『さながら、刀が、鞘から抜かれるように、
あたかも、蛇が、蛇の皮から抜かれたように、
この化身は、身体から生じた、別の身体である。』

「こうして、遠離離貪の段を通過した者は、
解脱を遂げて、六つの神通力を得るのである。
それでは、この六つの力とは、如何なるものか。」

「一身が多身となれば、多身が一身となる。
消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
全ての世界に出現する、これが、神足通である。」

「近くの音を聴こえて、遠くの音が聞える。
人の声が聞えて来て、神の声が聴こえて来る。
聞えない音が聴こえる、これが、天耳通である。」

「貪りを貪りと知れば、怒りを怒りと知る。
疑いを疑いと知れば、善き心を善き心と知る。
他の人の心を理解する、これが、他心通である。」

「あの時の姓はこうで、あの生の名はこう。
あの生の糧はこうで、あの時の世の中はこう。
前の時の世を理解する、これが、宿命通である。」

「近くの物を見とめて、遠くの者を認める。
この世が見えて来て、あの世が現われて来る。
見えない物を観とめる、これが、天眼通である。」

「この人は漏れていて、あの人は漏れない。
あの煩悩から漏れて、この煩悩から漏れない。
煩悩の漏れを滅尽する、これが、漏尽通である。」

 

第七章

「以上のもの、すべて、比丘の果報である。
これらのものは、後になるほど、優れている。
より優れた果報を求めて、出家をするのである。」

さて、このように、仏陀が説き示された時、
マガタ国の王であり、ヴェデヒーの子である、
アジャータサッツ王は、このように申し上げた。

「ああ、これは、とても、妙なる教えです。
さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
大徳は、私の見えない目に、見せてくれました。」

「過去の愚かな私は、無明の闇に覆われて、
王権を得るために、父を殺してしまいました。
ここに懺悔します故、どうか受け容れて下さい。」

「大徳よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」

すると、仏陀は、国王に、このように言った。

「大王よ、彼方の、心からの懺悔を受けて、
彼方の、心からの懇願を容れようではないか。
安心せよ、悪業が無いないなら、善業とて無い。」

そして、仏陀は、比丘衆に、このように言った。

「父を殺したから、今、法の芽が開かれた。
殺さなかったら、今、法の眼が開いただろう。
王は、今、この席において、煩悩を越えていた。」


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