My Library Home

蘊相応 第五十八章

目次   1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  32  33  34  35  36  37  38  39  40  41  42  43  44  45  46  47  48  49  50  51  52  53  54  55  56  57  58  59  60  61  62  63  64  65  66  67  68  69  70  71  72  73  74  75  76  77  78  79  80 

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、カピラヴァッツの、
ニグローダ樹の園の中に、止まっておられた。
そして、独りで座りながら、このように考えた。

「比丘の中には、まだ、日の浅い者もいる。
果たして、私が居なくて、大丈夫であろうか。
子牛が、母牛を探すように、迷わないだろうか。」

その時、梵天は、仏陀の慈悲の心を察して、
たちまち、梵天界から、仏陀の前に現われて、
一肩の衣を脱ぎ、仏陀に合掌し、仏陀に言った。

「水を与えられないと、芽が枯れるように、
法が与えられないならば、道に迷うでしょう。
世尊よ、どうか、日の浅い比丘を慈しみ下さい。」

梵天の頼み事に、仏陀が黙って承諾すると、
右回りに礼拝して、梵天は、忽ち消え去った。
その日の夕方、仏陀は、比丘衆を呼んで言った。

「世間は、乞食に対して、悪い心象がある。
しかし、汝らは、乞食の道を選んで出家した。
なぜなら、そこに、確かな理があるからである。」

「世の人は誰でも、苦しみに囲まれている。
生老病死、これら苦しみを越える道を尋ねて、
真の理を求めて、この道に辿り着いたのである。」

「真の理を求めた者が、他の利を求めるか。
この道に至って、他の利に目が向かうならば、
彼は、決して、真の利を得ることはないだろう。」

「比丘達よ、不善である思いが、三つある。
それは、貪り、怒り、他を害する思いである。
この思いは、四念処や、無相三昧で滅尽できる。」

「比丘達よ、誤まった見方に、二つがある。
第一は、有ると囚われて捉える、有見であり、
第二には、無いと捕われて捉える、無見である。」

「しかし、仏の法を聞いた、聖なる弟子は、
いかなる法も囚われたら、業になると知って、
色と受と想と行と識に関し、我が物と考えない。」

「比丘達よ、色とは、無常のものだろうか。」
「尊師よ、無常であるがゆえに、苦しみです。」
「比丘達よ、それ故、色は無我であると考えよ。」

「比丘達よ、受とは、無常のものだろうか。」
「尊師よ、無常であるがゆえに、苦しみです。」
「比丘達よ、それ故、受は無我であると考えよ。」

「比丘達よ、想とは、無常のものだろうか。」
「尊師よ、無常であるがゆえに、苦しみです。」
「比丘達よ、それ故、想は無我であると考えよ。」

「比丘達よ、行とは、無常のものだろうか。」
「尊師よ、無常であるがゆえに、苦しみです。」
「比丘達よ、それ故、行は無我であると考えよ。」

「比丘達よ、識とは、無常のものだろうか。」
「尊師よ、無常であるがゆえに、苦しみです。」
「比丘達よ、それ故、識は無我であると考えよ。」

「こうして、我が弟子は、五蘊を厭離する。
厭離するなら離貪して、離貪すれば解脱する。
そして、解脱を果した者は、解脱智見に達する。」

『ああ、我が迷いの生涯は、既に終わった。
為すべきことを為して、清浄なる行を修めた。
もはや、私は、迷いの輪廻に嵌まることはない。』


Page Top | My Library Home