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蘊相応 第四十一章

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あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、蘊に関して、認めるべきもの、
比丘たる者が、熟練すべき、七つの点がある。
それでは、この七つの点とは、如何なるものか。

第一の点は、五つの蘊を、見とめることである。
第二の点は、蘊の生起を、見とめることである。
第三の点は、蘊の滅尽を、見とめることである。
第四の点は、滅尽の道を、見とめることである。
第五の点は、蘊の味著を、見とめることである。
第六の点は、蘊の禍患を、見とめることである。
第七の点は、蘊の出離を、見とめることである。」

「比丘達よ、色蘊を構成する、要素がある。
つまり、身体を作り上げる、四つの元がある。
それでは、この四つの素とは、如何なるものか。

第一の素は、固体の要素である、地元素である。
第二の素は、液体の要素である、水元素である。
第三の素は、温度の要素である、火元素である。
第四の素は、気体の要素である、風元素である。」

「比丘達よ、受蘊を構成する、要素がある。
つまり、感覚を作り上げる、六つの根がある。
それでは、この六つの根とは、如何なるものか。

第一の根は、眼が色を感じている、眼根である。
第二の根は、耳が音を感じている、耳根である。
第三の根は、鼻が香を感じている、鼻根である。
第四の根は、舌が味を感じている、舌根である。
第五の根は、身が触を感じている、身根である。
第六の根は、意が法を感じている、意根である。」

「比丘達よ、想蘊を構成する、要素がある。
つまり、表象を作り上げる、六つの境がある。
それでは、この六つの境とは、如何なるものか。

第一の境は、眼で色を想っている、色境である。
第二の境は、耳で声を想っている、声境である。
第三の境は、鼻で香を想っている、香境である。
第四の境は、舌で味を想っている、味境である。
第五の境は、身で触を想っている、触境である。
第六の境は、意で法を想っている、法境である。」

「比丘達よ、行蘊を構成する、要素がある。
つまり、意志を作り上げる、三つの行がある。
それでは、この三つの行とは、如何なるものか。

第一の行は、身を以って行うこと、身行である。
第二の行は、口を以って行うこと、語行である。
第三の行は、意を以って行うこと、心行である。」

「比丘達よ、識蘊を構成する、要素がある。
つまり、識別を作り上げる、六つの識がある。
それでは、この六つの識とは、如何なるものか。

第一の識は、眼根と色境で生じる、眼識である。
第二の識は、耳根と声境で生じる、耳識である。
第三の識は、鼻根と香境で生じる、鼻識である。
第四の識は、舌根と味境で生じる、舌識である。
第五の識は、身根と触境で生じる、身識である。
第六の識は、意根と法境で生じる、意識である。」

「比丘達よ、五蘊を滅尽する、道諦がある。
つまり、五蘊の滅尽に導く、八つの道がある。
それでは、この八つの道とは、如何なるものか。

第一の道は、正しい見解に基づく、正見である。
第二の道は、正しい思惟に基づく、正思である。
第三の道は、正しい言葉に基づく、正語である。
第四の道は、正しい行為に基づく、正業である。
第五の道は、正しい生活に基づく、正命である。
第六の道は、正しい精進に基づく、正進である。
第七の道は、正しい集中に基づく、正念である。
第八の道は、正しい禅定に基づく、正定である。」

「このように、七つの点を、見とめた者は、
法と律において、すでに、完成の域に達して、
彼のことを、達人と呼ぶことが出来るのである。」

「比丘達よ、世に関して、考えるべきもの、
比丘たる者が、熟慮すべき、三つの点がある。
それでは、この三つの点とは、如何なるものか。

第一の点は、客観の世界を、考えることである。
第二の点は、対象の認識を、考えることである。
第三の点は、因縁の生起を、考えることである。」

「このように、三つの点を、見とめた者は、
法と律において、すでに、完成の域に達して、
彼のことを、達人と呼ぶことが出来るのである。」


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