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蘊相応 第三十八章

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あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「たとえ、種が、植え付けられたとしても、
畑に土や水が足りないと、どうなるだろうか。
比丘達よ、種から芽が出ることはないのである。」

「たとえ、畑に、土や水があったとしても、
種を植えつけられないと、どうなるだろうか。
比丘達よ、畑から芽が出ることはないのである。」

「ここで、畑とは、色と受と想と行であり、
種とは、識のことであると、当て嵌めなさい。
水という喜びを掛けられ、識から芽が出て来る。」

「比丘達よ、色に近づけば、心が囚われる。
色を楽しんで、色に基づいて、色に捕われる。
色の喜びを、追求するため、色が増えてしまう。」

「比丘達よ、受に近づけば、心が囚われる。
受を楽しんで、受に基づいて、受に捕われる。
受の喜びを、追求するため、受が増えてしまう。」

「比丘達よ、想に近づけば、心が囚われる。
想を楽しんで、想に基づいて、想に捕われる。
想の喜びを、追求するため、想が増えてしまう。」

「比丘達よ、行に近づけば、心が囚われる。
行を楽しんで、行に基づいて、行に捕われる。
行の喜びを、追求するため、行が増えてしまう。」

「比丘達よ、識に近づけば、心が囚われる。
識を楽しんで、識に基づいて、識に捕われる。
識の喜びを、追求するため、識が増えてしまう。」

「比丘達よ、たとえ、こうした識の増大を、
色や受や想や行と別に、説明しようとしても、
それは不可能であり、それらは、不可分である。」

「比丘達よ、もし、色の貪欲を放棄すれば、
貪欲の放棄によって、色の足場は崩壊しよう。
色を貪らなければ、色に囚われることなどない。」

「比丘達よ、もし、受の貪欲を放棄すれば、
貪欲の放棄によって、受の足場は崩壊しよう。
受を貪らなければ、受に囚われることなどない。」

「比丘達よ、もし、想の貪欲を放棄すれば、
貪欲の放棄によって、想の足場は崩壊しよう。
想を貪らなければ、想に囚われることなどない。」

「比丘達よ、もし、行の貪欲を放棄すれば、
貪欲の放棄によって、行の足場は崩壊しよう。
行を貪らなければ、行に囚われることなどない。」

「比丘達よ、もし、識の貪欲を放棄すれば、
貪欲の放棄によって、識の足場は崩壊しよう。
識を貪らなければ、識に囚われることなどない。」

「比丘達よ、識に対して、囚われなければ、
もはや、識は育つことなく、心は自由である。
こうして、解脱した者は、こうした見解に至る。」

『ああ、我が迷いの生涯は、既に終わった。
為すべきことを為して、清浄なる行を修めた。
もはや、私は、迷いの輪廻に嵌まることはない。』


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