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蘊相応 第三十二章

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あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、道を外れた、婆羅門の中には、
我が中に色があり、色の中に我があると見て、
色を我が物であると、邪まに考える者達が居る。」

「比丘達よ、道を外れた、婆羅門の中には、
我が中に受があり、受の中に我があると見て、
受を我が物であると、邪まに考える者達が居る。」

「比丘達よ、道を外れた、婆羅門の中には、
我が中に想があり、想の中に我があると見て、
想を我が物であると、邪まに考える者達が居る。」

「比丘達よ、道を外れた、婆羅門の中には、
我が中に行があり、行の中に我があると見て、
行を我が物であると、邪まに考える者達が居る。」

「比丘達よ、道を外れた、婆羅門の中には、
我が中に識があり、識の中に我があると見て、
識を我が物であると、邪まに考える者達が居る。」

「こうして、道を外れた、婆羅門の心には、
嵌まり込んで、捕らわれる、六つの根がある。
それでは、この六つの根とは、如何なるものか。

第一の根は、眼により色を感じる、眼根である。
第二の根は、耳により声を感じる、耳根である。
第三の根は、鼻により香を感じる、鼻根である。
第四の根は、舌により味を感じる、舌根である。
第五の根は、身により触を感じる、身根である。
第六の根は、意により法を感じる、意根である。」

「心が生じて、対象が生じて、識が生じる。
無明が対象に触れることで、感覚が生まれる。
そして、感覚に養われて、様々な見解が生じる。」

『これが私であり、これは私のものである。
未来はあるだろうか、未来はないのだろうか。
知覚はあるのだろうか、知覚はないのだろうか。』

「心が滅して、対象が滅して、識が滅する。
無明が対象を離れることで、感覚が失われる。
そして、感覚が撤退して、様々な見解が滅する。」

『これは私でない、これは私のものでない。
未来があると断じず、未来はないと談じない。
知覚があると囚われず、知覚がないと捕えない。』


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