My Library Home

鸚鵡経(スバ・スッタ)

仏教

梵天と共住する四つの方法



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
アナータピンディカ園に、止まっておられた。
そこに、スバ青年が訪れて、このように言った。

「在家は法を修めて、出家は法を修めない。
多くのバラモンは、このように考えています。
ゴータマよ、これを、どのように考えてますか。」

「彼が、在家であろうと、出家であろうと、
行ないが正しいならば、法を修めるだろうし、
行ないが正しくなければ、法を修めないだろう。」

「在家の仕事には、意義があると考えるが、
出家の仕事には、意義がないと考えています。
ゴータマよ、これを、どのように考えてますか。」

「彼が、在家であろうと、出家であろうと、
正しい仕事であるなら、意義は大きいだろう。
邪なる仕事であるならば、意義は小さいだろう。」

「婆羅門よ、耕作にしても、商売にしても、
ダルマに従っていれば、果報は大きいだろう。
ダルマに逆らっていれば、果報は小さいだろう。」

 

第二章

「ゴータマよ、善を積み、善に至るために、
バラモンが、好んで立てる、五つの柱がある。
それでは、この五つの柱とは、如何なるものか。

第一の柱は、善に至るため、真実を立てること。
第二の柱は、善に至るため、苦行を立てること。
第三の柱は、善に至るため、梵行を立てること。
第四の柱は、善に至るため、読誦を立てること。
第五の柱は、善に至るため、布施を立てること。」

「バラモンよ、自分自身で、確かめたのか。
善を積むために、五つの柱を、立てるべきと。」
「いいえ、確めていません、書いてあるのです。」

「バラモンよ、汝の師匠が、確かめたのか。
善を積むために、五つの柱を、立てるべきと。」
「いいえ、確めていません、書いてあるのです。」

「バラモンよ、師の師匠が、確かめたのか。
善を積むために、五つの柱を、立てるべきと。」
「いいえ、確めていません、書いてあるのです。」

「即ち、自らも確かめず、誰も確かめない。
汝は、信じ込んでいて、思い込んでいるのみ。
汝らは、法を修めず、法に治められているのみ。」

「あたかも、目が見えない人が、列に並び、
前の人は見えていると、思い込む様なものだ。
前の人も見えていないと、思い知る時がこよう。」

 

第三章

憤慨している彼に、仏陀は、このように言った。

「例えば、生まれつき、目が見えない人は、
赤色もなく、青色もないと、訴えるであろう。
婆羅門よ、彼の訴えることは、正しいだろうか。」

「目が見えない、彼が見えていないだけで、
他の人々には、赤色も見えて、青色も見える。
彼に正しくても、絶対に正しいとは言えません。」

「自ら確かめず、師の教えを信じ込むこと。
それは、同意が有るか、同意が無いだろうか。」
「ゴータマよ、同意が無いと言わざる得ません。」

「自ら確かめず、師の教えを信じ込むこと。
それは、考慮が有るか、考慮が無いだろうか。」
「ゴータマよ、考慮が無いと言わざる得ません。」

「自ら確かめず、師の教えを信じ込むこと。
それは、思慮が有るか、思慮が無いだろうか。」
「ゴータマよ、思慮が無いと言わざる得ません。」

「自ら確かめず、師の教えを信じ込むこと。
それは、意義が有るか、意義が無いだろうか。」
「ゴータマよ、意義が無いと言わざる得ません。」

 

第四章

「スバよ、汝の信仰する、高名なる婆羅門。
彼らが、陥っているところ、五つの蓋がある。
それでは、この五つの蓋とは、如何なるものか。

第一の蓋は、貪りに捕らわれる、貪欲蓋である。
第二の蓋は、瞋りに捕らわれる、瞋恚蓋である。
第三の蓋は、眠りに捕らわれる、昏眠蓋である。
第四の蓋は、焦りに捕らわれる、掉悔蓋である。
第五の蓋は、疑いに捕らわれる、愚痴蓋である。」

「スバよ、汝の信仰する、高名なる婆羅門。
彼らが、囚われているもの、五つの欲がある。
それでは、この五つの欲とは、如何なるものか。

第一の欲は、眼に於いて明らめる、色欲である。
第二の欲は、耳に於いて明らめる、声欲である。
第三の欲は、鼻に於いて明らめる、香欲である。
第四の欲は、舌に於いて明らめる、味欲である。
第五の欲は、身に於いて明らめる、触欲である。」

「スバよ、欲に囚われた、高名なる婆羅門。
彼らが、修めるべきである、四つの禅がある。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。

第一の禅は、有尋有伺である、第一禅定である。
第二の禅は、無尋無伺である、第二禅定である。
第三の禅は、正念楽住である、第三禅定である。
第四の禅は、捨念清浄である、第四禅定である。」

「スバよ、どちらが、優れているだろうか。
善に至る道として、五つの柱を立てることか。
徳に達する道として、四つの禅を修めることか。」

「ゴータマよ、一概には、言い切れません。
善を重ねる時は、五つの柱を立てる方が良く
徳を重ねる時には、四つの禅を修める法が良い。」

「スバよ、どちらが、優れているだろうか。
善を重ねるために、家に暮らすことだろうか。
善を離れるためにも、家を捨てることだろうか。」

「ゴータマよ、一概には、言い切れません。
善を重ねる時は、家に在り業を重ねるが良く、
善を離れる時には、家を捨て法を修めるが良い。」

 

第五章

「あなたが、梵天に至る道を知っていると、
わたしは、婆羅門から聞いたことがあります。
ゴータマよ、どうか、梵天の道を説いて下さい。」

「スバよ、梵天が修める、無辺に広がる心。
すべて越え、広がって行く、四つの心がある。
それでは、この四つの心とは、如何なるものか。

第一の心は、慈に満ちている、慈無量心である。
第二の心は、悲に満ちている、悲無量心である。
第三の心は、喜に満ちている、喜無量心である。
第四の心は、捨に満ちている、捨無量心である。」

法悦が湧き上がった、彼は、このように言った。

「ああ、これは、とても、妙なる教えです。
さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」

「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」

帰り道、ジャーヌッソーニと会った、彼は、
ゴータマのことを、最高の賛辞で褒め称えた。
ジャーヌッソーニは、仏陀の方を向き礼拝した。

私は、世尊、応供、正等覚者に帰依し奉ります。
私は、世尊、応供、正等覚者に帰依し奉ります。
私は、世尊、応供、正等覚者に帰依し奉ります。


Page Top | My Library Home