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自歓喜経(サンパサーダニーヤ・スッタンタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ナーランダにある、
パーヴァーリカの、マンゴー林を訪れていた。
そこに、サーリプッタが合流して、こう言った。

「私は、世尊に対して、浄信を抱いてます。
過去に於ても、現在に於ても、未来に於ても、
世尊より、勝れた者は無く、優る者は居ません。」

「サーリプッタよ、汝は確信を抱いた余り、
尊大な言葉を語って、ここに獅子吼を為した。
それは、過去の覚者の心を知った上でのことか。」

「過去の覚者方は、このような戒があった。
過去の覚者方には、このような智慧があった。
過去の覚者方には、このような離解脱があった。」

「このように、すべて知った上で言ったのか。」
「いいえ、尊師よ、確かめた訳ではありません。」

「サーリプッタよ、汝は確信を抱いた余り、
尊大な言葉を語って、ここに獅子吼を為した。
それは、現在の覚者の心を知った上でのことか。」

「現在の覚者方は、このような戒があろう。
現在の覚者方には、このような智慧があろう。
現在の覚者方には、このような離解脱があろう。」

「このように、すべて知った上で言ったのか。」
「いいえ、尊師よ、確かめた訳ではありません。」

「サーリプッタよ、汝は確信を抱いた余り、
尊大な言葉を語って、ここに獅子吼を為した。
それは、未来の覚者の心を知った上でのことか。」

「未来の覚者方は、このような戒があろう。
未来の覚者方には、このような智慧があろう。
未来の覚者方には、このような離解脱があろう。」

「このように、すべて知った上で言ったのか。」
「いいえ、尊師よ、確かめた訳ではありません。」

「このように、汝は、他心通を得ていない。
それならば、どうして、獅子吼を為したのか。
どうして、分かったようなことを、言えるのか。」

「尊師よ、私は、他人の心は読めませんが、
全ての時に通じる、法の帰結を読めるのです。
これを、譬えるなら、このように言えましょう。」

「堅固な城壁には、ひとつしか城門がない。
城壁を越えるときは、城門を過ぎるしかない。
門だけ良く見ていれば、通るものが全て見える。」

「尊師よ、過去でも、現在でも、未来でも、
煩悩を滅尽しなければ、覚者とは言えません。
覚者ならば、七科三十七道品を修めるものです。」

 

第二章

「私は法を学ぶため、尊師の元に来ました。
尊師が、絶妙な教えを、次々に説かれたため、
わたしは、真理の教えに、正しく安立しました。」

「時を通じて、仏陀が説かれる、真理の法。
苦悩の滅尽に至る道諦とは、如何なるものか。
尊師よ、その道こそが、七科三十七道品でした。」

「七科三十七道品、第一の科は、四念処です。
それでは、この四つの念処は、如何なるものか。

第一に、身に対して、不浄であると念じること。
第二に、受に対して、不快であると念じること。
第三に、心に対して、無常であると念じること。
第四に、法に対して、無我であると念じること。」

「七科三十七道品、第二の科は、四正断です。
それでは、この四つの正断は、如何なるものか。

第一に、積んでいる悪業を断じる、断断である。
第二に、積んでない悪業を断じる、修断である。
第三に、積んでいる善業を積む、随護断である。
第四に、積めてない善業を積む、律儀断である。」

「七科三十七道品、第三の科とは、五根です。
それでは、この五つの根とは、如何なるものか。

第一に、帰依に関する隠された力、信根である。
第二に、精進に関する隠された力、進根である。
第三に、集中に関する隠された力、念根である。
第四に、禅定に関する隠された力、定根である。
第五に、智慧に関する隠された力、慧根である。」

「七科三十七道品、第四の科とは、五力です。
それでは、この五つの力とは、如何なるものか。

第一に、帰依に関する現われた根、信力である。
第二に、精進に関する現われた根、進力である。
第三に、集中に関する現われた根、念力である。
第四に、禅定に関する現われた根、定力である。
第五に、智慧に関する現われた根、慧力である。」

「七科三十七道品、第五の科は、七覚支です。
それでは、この七つの覚支は、如何なるものか。

第一に、繰り返して法を修める、念覚支である。
第二に、条件に合う法を選ぶ、択法覚支である。
第三に、一心不乱に修行する、精進覚支である。
第四に、法を修めることを喜ぶ、喜覚支である。
第五に、心や体が軽快になる、軽安覚支である。
第六に、瞑想により三昧に至る、定覚支である。
第七に、無為となり自然になる、捨覚支である。」

「七科三十七道品、第六の科は、八正道です。
それでは、この八つの正道は、如何なるものか。

第一に、真理に基き、見解を正す、正見である。
第二に、正見に基き、思索を正す、正思である。
第三に、正思に基き、発言を正す、正語である。
第四に、正語に基き、行為を正す、正業である。
第五に、正業に基き、生活を正す、正命である。
第六に、正命に基き、精進を正す、正進である。
第七に、正進に基き、集中を正す、正念である。
第八に、正念に基き、合一を正す、正定である。」

「七科三十七道品、第七の科は、四神足です。
それでは、この四つの如意は、如何なるものか。

第一に、欲求を以って修める、欲如意足である。
第二に、精進を以って修める、勤如意足である。
第三に、集中を以って修める、心如意足である。
第四に、思索を以って修める、観如意足である。」

 

第三章

「尊い師よ、仏陀は、五つの障害について、
瞑想を妨げる、五つの蓋について説きました。
それでは、この五つの蓋とは、如何なるものか。

第一の蓋は、貪りに捕らわれる、貪欲蓋である。
第二の蓋は、瞋りに捕らわれる、瞋恚蓋である。
第三の蓋は、眠りに捕らわれる、昏眠蓋である。
第四の蓋は、焦りに捕らわれる、掉悔蓋である。
第五の蓋は、疑いに捕らわれる、愚痴蓋である。」

「尊い師よ、仏陀は、十二の領域について、
六つの根と六つの境を、合わせて説きました。
それでは、この十二の処とは、如何なるものか。

第一の根は、眼識の根となるもの、眼根である。
第二の根は、耳識の根となるもの、耳根である。
第三の根は、鼻識の根となるもの、鼻根である。
第四の根は、舌識の根となるもの、舌根である。
第五の根は、身識の根となるもの、身根である。
第六の根は、意識の根となるもの、意根である。
第一の境は、眼識の境となるもの、色境である。
第二の境は、耳識の境となるもの、声境である。
第三の境は、鼻識の境となるもの、香境である。
第四の境は、舌識の境となるもの、味境である。
第五の境は、身識の境となるもの、触境である。
第六の境は、意識の境となるもの、法境である。」

「尊い師よ、仏陀は、四つの出生について、
入胎と出胎を、意識の有無から、説きました。
それでは、この四つの生とは、如何なるものか。

第一は、母胎に、意識せず入り、意識せず出る。
第二は、母胎に、意識して入り、意識せず出る。
第三は、母胎に、意識せず入り、意識して出る。
第四は、母胎に、意識して入り、意識して出る。」

「尊い師よ、仏陀は、四つの読心について、
他の心を読む、四つの読み方を、説きました。
それでは、この四つの読心は、如何なるものか。

第一は、外の姿を見て取り、心を読み取るもの。
第二は、天の声を聴き取り、心を読み取るもの。
第三は、他の心を考え取り、心を読み取るもの。
第四は、他の心を感じ取り、心を読み取るもの。」

「尊い師よ、仏陀は、四つの観察について、
正しく観察する、四つの段階を、説きました。
それでは、この四つの観察は、如何なるものか。

第一は、心、肝、脾、肺、腎が存在すると見る。
第二は、骨、血、肉、皮、毛が存在すると見る。
第三は、此の世と彼の世に、意識があると見る。
第四は、此の世も彼の世も、意識がないと見る。」

「尊い師よ、仏陀は、七つの聖者について、
正しく到達する、七つの段階を、説きました。
それでは、この七つの聖とは、如何なるものか。

第一の聖は、名と色を解脱した、倶解脱である。
第二の聖は、名だけを解脱した、慧解脱である。
第三の聖は、身を以って体現した、身証である。
第四の聖は、見を以って到達した、見到である。
第五の聖は、信に拠り解脱する、信解脱である。
第六の聖は、法に従い実践する、随法行である。
第七の聖は、信に従い実践する、随信行である。」

「尊い師よ、仏陀は、四つの進展について、
理解と実践を、その難易に分け、説きました。
それでは、この四つの進展は、如何なるものか。

第一は、理解が困難であり、実践が困難である。
第二は、理解が容易であり、実践が困難である。
第三は、理解が困難であり、実践が容易である。
第四は、理解が容易であり、実践が容易である。」

 

第四章

「尊い師よ、仏陀は、四つの正語について、
智慧を具えた、正しい話し方を、説きました。
それでは、この四つの正語は、如何なるものか。

第一の正語は、虚偽を話さない、不妄語である。
第二の正語は、冗談を話さない、不綺語である。
第三の正語は、悪口を話さない、不悪口である。
第四の正語は、陰口を話さない、不両舌である。」

「尊い師よ、仏陀は、三つの正命について、
智慧を具えた、正しい生き方を、説きました。
それでは、この三つの正命は、如何なるものか。

第一の正命は、正思に従い、正しく生きること。
第二の正命は、正語に従い、正しく生きること。
第三の正命は、正業に従い、正しく生きること。」

「尊い師よ、仏陀は、四つの段階について、
上流に至った、修行者の分類を、説きました。
それでは、この四つの段とは、如何なるものか。

第一に、涅槃から還って来ない、阿羅漢である。
第二に、色界から還って来ない、不還者である。
第三に、二度まで還って来ない、一来者である。
第四に、悪趣まで落ちて来ない、預流者である。」

「尊い師よ、仏陀は、四つの段階について、
上流に至った、修行者の分類を、説きました。
それでは、この四つの段とは、如何なるものか。

第一に、心解脱と慧解脱を果す、阿羅漢である。
第二に、五下分結を断ち切った、不還者である。
第三に、貪と瞋と痴を断ち切る、一来者である。
第四に、見と疑と戒取を越えた、預流者である。」

 

第五章

「尊い師よ、仏陀は、三つの根拠に基いて、
この世を不滅と捉える、常住論を説きました。
それでは、この三つの根拠は、如何なるものか。」

「第一とは、何生も思い起こす場合である。
この私は、現在も生存する、過去も生存する。
こう考えると、不滅に見えると、説かれました。」

「第二とは、何劫も思い起こす場合である。
この世は、現在も存在する、過去も存在する。
こう考えると、不滅に見えると、説かれました。」

「第三とは、何十劫も思い出す場合である。
この世は、何十劫も存在し、永遠に存在する。
こう考えると、不滅に見えると、説かれました。」

「尊い師よ、仏陀は、二つの神通について、
神通における、二つの在り方を、説きました。
それでは、この二つの神通は、如何なるものか。」

「第一の邪なる神通は、煩悩の汚れが有り、
思いのままに、この世を捕えようとするため、
使えば使うほど、この世に塗れていく力である。」

「第二の聖なる神通は、煩悩の汚れが無く、
在りのままに、この世を捉えようとするため、
使えば使うほど、この世を越えていく力である。」

このように聴いて、仏陀は、このように答えた。

「サーリプッタよ、実に、その通りである。
汝の獅子吼は、我が教説に適ったものであり、
慢心に拠るものでなく、法則に拠るものである。」

これを、傍で聞いていた、ウダーイは歓喜した。

「ああ、妙なることです、稀なることです。
このように優れていて、このように遜るとは。
尊師よ、如来は、少欲知足で、実に、謙虚です。」


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