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等誦経(サンギッチ・スッタンタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、五百人の比丘衆と、
マッラ族の住む、パーヴァーに止まっていた。
そこに、マッラ族が訪れて、このように言った。

「世尊よ、ウッバタカという、名を付けた、
建てて間もない、新しい集会堂を布施します。
世尊に使って頂けると、それは無上の喜びです。」

その申し出に対し、仏陀は黙って同意した。
そして、彼らが喜んで帰ったのを、見届けて、
長老のサーリプッタを呼び、このように言った。

「サーリプッタよ、比丘衆に説法しなさい。
彼らは、新しい集会堂で、眠気を離れている。
わたしは、背が痛んでいる、静かに横になろう。」

サーリプッタは、比丘衆に、このように言った。

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、一つで一組になる、真実の法である。
それでは、この一つの法とは、如何なるものか。

第一は、一切の衆生は、食で存えることである。
第二は、一切の衆生は、行で存えることである。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、二つで一組になる、真実の法である。
それでは、この二つの法とは、如何なるものか。

一とは、精神的存在の名、と、物質的存在の色。
二とは、分からない無明、と、捕らわれる渇愛。
三とは、輪廻が有る見解、と、輪廻が無い見解。
四とは、己に恥じない事、と、他に恥じない事。
五とは、自らに恥じる事、と、周りに恥じる事。
六とは、善い言を話す事、と、悪い言を話す事。
七とは、善い交わりの友、と、悪い交わりの友。
八とは、罪を弁えること、と、罪を離れること。
九とは、定を弁えること、と、定を離れること。
十とは、蘊を弁えること、と、蘊を考えること。
十一は、六処を知ること、と、縁起を知ること。
十二は、原因を知ること、と、果報を知ること。
十三は、恥辱を知ること、と、清廉を知ること。
十四は、我慢をすること、と、穏和であること。
十五は、正しく語ること、と、正しく行うこと。
十六は、慈しみ深いこと、と、哀れみ深いこと、
十七は、放逸であること、と、放逸でないこと。
十八は、曖昧であること、と、明瞭であること。
十九は、多く食べること、と、寡く食べること。
二十は、感官に囚われる、と、感官を捕らえる。
二一は、思索できること、と、修習できること。
二二は、注意できること、と、瞑想できること。
二三は、心が静止する止、と、心を正視する観。
二四は、止めていく原因、と、動いていく原因。
二五は、精進をすること、と、専念をすること。
二六は、戒律を破ること、と、戒律を守ること。
二七は、邪見を持つこと、と、正見を持つこと。
二八は、戒が清浄なこと、と、見が清浄なこと。
二九は、正しく見ること、と、正しく行うこと。
三十は、他に対する慈悲、と、己に対する慈悲。
三一は、慢心しないこと、と、中断しないこと。
三二は、明知を得ること、と、解脱を得ること。
三三は、煩悩を消す智慧、と、煩悩を越す智慧。」

 

第二章

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、三つで一組になる、真実の法である。
それでは、この三つの法とは、如何なるものか。

一とは、貪っている、怒っている、迷っている。
二とは、貪ってない、怒ってない、迷ってない。
三とは、身による悪、口による悪、心による悪。
四とは、身による善、口による善、心による善。
五とは、貪欲の思索、瞋恚の思索、愚痴の思索。
六とは、放棄の思索、慈愛の思索、智慧の思索。
七とは、貪欲の思惟、瞋恚の思惟、愚痴の思惟。
八とは、放棄の思惟、慈愛の思惟、智慧の思惟。
九とは、貪欲の表象、瞋恚の表象、愚痴の表象。
十とは、放棄の表象、慈愛の表象、智慧の表象。
十一は、貪欲の要素、瞋恚の要素、愚痴の要素。
十二は、放棄の要素、慈愛の要素、智慧の要素。
十三は、欲望の欲界、形状の色界、心の無色界。
十四は、粗なき世界、物なき世界、苦なき世界。
十五は、低級な世界、中級な世界、高級な世界。
十六は、欲望の渇愛、生存の渇愛、消滅の渇愛。
十七は、応身の渇愛、報身の渇愛、法身の渇愛。
十八は、粗なき渇愛、物なき渇愛、苦なき渇愛。
十九は、有身見の結、戒禁取の結、疑という結。
二十は、欲から漏れ、有から漏れ、無明の漏れ。
二一は、欲界の生存、色界の生存、無色の生存。
二二は、欲望の希求、生存の希求、正義の希求。
二三は、優越の慢心、闘争の慢心、卑屈の慢心。
二四は、過去の時間、現在の時間、未来の時間。
二五は、身体の自己、身体の原因、身体の消滅。
二六は、楽しいこと、苦しいこと、不苦で不楽。
二七は、原因の苦苦、条件の壊苦、結果の行苦。
二八は、邪の集まり、聖の集まり、他の集まり。
二九は、過去の疑い、現在の疑い、未来の疑い。
三十は、身業の清浄、口業の清浄、意業の清浄。
三一は、貪欲の障碍、瞋恚の障碍、愚痴の障碍。
三二は、貪欲の大火、瞋恚の大火、愚痴の大火。
三三は、尊者の大火、戸主の大火、施主の大火。
三四は、見えうる色、触れうる色、触れない色。
三五は、善に向う行、悪に向う行、徳に向う行。
三六は、凡夫の段階、有学の段階、無学の段階。
三七は、生来の長老、羅漢の長老、通称の長老。
三八は、布施の功徳、持戒の功徳、修行の功徳。
三九は、目撃の非難、伝聞の非難、疑惑の非難。
四十は、欲望の成就、自力の成就、他力の成就。
四一は、梵身天の楽、光音天の楽、遍浄天の楽。
四二は、凡夫の智慧、有学の智慧、無学の智慧。
四三は、思索の智慧、聴聞の智慧、修行の智慧。
四四は、学習の防御、利欲の防御、智慧の防御。
四五は、無知を知る、知るを知る、有知を知る。
四六は、肉眼で見る、天眼で見る、智慧で見る。
四七は、戒律の修学、菩提の修学、智慧の修学。
四八は、身体の修行、精神の修行、智慧の修行。
四九は、見解の無上、実践の無上、解脱の無上。
五十は、有尋有伺定、無尋有伺定、無尋無伺定。
五一は、虚空の三昧、無相の三昧、無願の三昧。
五二は、身体の清浄、言葉の清浄、精神の清浄。
五三は、身体の静止、言葉の静止、精神の静止。
五四は、増加の練達、減少の練達、方法の練達。
五五は、健康の慢心、若気の慢心、寿命の慢心。
五六は、自己の不善、世間の不善、真理の不善。
五七は、過去の話題、現在の話題、未来の話題。
五八は、宿命の明知、天眼の明知、漏尽の明知。
五九は、神々の住処、清浄な住処、神聖な住処。
六十は、神通の示導、説諭の示導、訓戒の示導。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、四つで一組になる、真実の法である。
それでは、この四つの法とは、如何なるものか。

一、身念処観、受念処観、心念処観、法念処観。
二、現在善勤、現在悪断、未来善勤、未来悪断。
三、欲如意足、勤如意足、心如意足、観如意足。
四、第一禅定、第二禅定、第三禅定、第四禅定。
五、離欲得楽、離楽得喜、離喜得静、離静入空。
六、慈無量心、悲無量心、喜無量心、捨無量心。
七、識無辺処、空無辺処、無所有処、非非想処。
八、使用する、忍耐する、厭離する、滅尽する。
九、衣の満足、食の満足、住の満足、捨の満足。
十、守護の勤、除去の勤、修行の勤、保全の勤。
一、教義の智、敷衍の智、他心の智、世間の智。
二、苦諦の智、集諦の智、滅諦の智、道諦の智。
三、帰依の因、多学の因、思索の因、実践の因。
四、帰依の果、多学の果、思索の果、実践の果。
五、預流者果、一来者果、不還者果、阿羅漢果。
六、地の元素、水の元素、火の元素、風の元素。
七、物質の食、接触の食、意欲の食、意識の食。
八、色の意識、受の意識、想の意識、行の意識。
九、貪欲の悪、瞋恚の悪、愚痴の悪、恐怖の悪。
十、衣の渇愛、食の渇愛、住の渇愛、美の渇愛。
一、苦で遅い、苦で早い、楽で遅い、楽で早い。
二、怠惰な行、忍耐の行、制御の行、寂静の行。
三、無欲の法、無瞋の法、正念の法、正定の法。
四、今苦後苦、今苦後楽、今楽後苦、今楽後楽。
五、戒律の本、禅定の本、智慧の本、解脱の本。
六、精勤の力、正念の力、禅定の力、智慧の力。
七、智慧の処、真実の処、放棄の処、寂静の処。
八、肯定の答、分析の答、否定の答、留保の答。
九、白色の業、黒色の業、白黒の業、非白非黒。
十、宿命の力、天眼の力、漏尽の力、解脱の力。
一、欲望の嵐、生存の嵐、見解の嵐、無明の嵐。
二、欲望の軛、生存の軛、見解の軛、無明の軛。
三、欲望の脱、生存の脱、見解の脱、無明の脱。
四、欲望の結、瞋恚の結、戒誓の結、有身の結。
五、欲望の取、見解の取、戒誓の取、有身の取。
六、卵生の命、胎生の命、湿生の命、化生の命。
七、心が入胎に無く、住胎に無く、出胎に無い。
  心が入胎に有り、住胎に無く、出胎に無い。
  心が入胎に有り、住胎に有り、出胎に無い。
  心が入胎に有り、住胎に有り、出胎に有る。
八、自分の意志が働いて、身体を獲得すること。
  他人の意志が働いて、身体を獲得すること。
  自他の意志が働いて、身体を獲得すること。
  自他の意志が働かず、身体を獲得すること。
九 与えた者が上向して、受けた者が下向する。
  与えた者が下向して、受けた者が上向する。
  与えた者も上向して、受けた者も上向する。
  与えた者も下向して、受けた者も下向する。
十、布施の礎、善言の礎、善行の礎、公正の礎。
一、妄語の言、綺語の言、悪口の言、両舌の言。
二、正直な言、誠実な言、親切な言、丁寧な言。
三、認めてないことを、認めていると言うこと。
  聞いてないことを、聞いていると言うこと。
  考えてないことを、考えていると言うこと。
  知ってないことを、知っていると言うこと。
四、認めてないことを、認めてないと言うこと。
  聞いてないことを、聞いてないと言うこと。
  考えてないことを、考えてないと言うこと。
  知ってないことを、知ってないと言うこと。
五、認めていることを、認めてないと言うこと。
  聞いていることを、聞いてないと言うこと。
  考えていることを、考えてないと言うこと。
  知っていることを、知ってないと言うこと。
六、認めていることを、認めていると言うこと。
  聞いていることを、聞いていると言うこと。
  考えていることを、考えていると言うこと。
  知っていることを、知っていると言うこと。
七、自らを苦しめるため、自らを悩ませるもの。
  周りを苦しめるため、周りを悩ませるもの。
  自らを苦しめて、かつ、他を苦しめるもの。
  自らを苦しめず、かつ、他を苦しめぬもの。
八、自らを利するため、周りを害しているもの。
  周りを利するため、自らを害しているもの。
  自らを害するため、周りを害しているもの。
  自らを利するため、周りを利しているもの。
九、暗闇の中から、暗闇の中に進んでいるもの。
  暗闇の中から、光明の中に進んでいるもの。
  光明の中から、暗闇の中に進んでいるもの。
  光明の中から、光明の中に進んでいるもの。
十、不動の者、青蓮華者、白蓮華者、優美の者。」

 

第三章

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、五つで一組になる、真実の法である。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。

一、色の蘊、受の蘊、想の蘊、行の蘊、識の蘊。
二、色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊。
三、眼識身、耳識身、鼻識身、舌識身、身識身。
四、地獄界、畜生界、餓鬼界、人間界、天人界。
五、住居慳、家屋慳、利益慳、称賛慳、法則慳。
六、貪欲蓋、瞋恚蓋、昏眠蓋、掉悔蓋、愚痴蓋。
七、欲貪結、瞋恚結、有身結、戒取結、愚痴結。
八、色貪結、無色結、掉挙結、慢心結、無明結。
九、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒。
十、五の不能、殺生、偸盗、邪淫、妄語、貯蓄。
一、五の損失、親族、財産、病気、戒律、見解。
二、五の繁栄、親族、財産、健康、戒律、見解。
三、五の禍患、貧乏、悪評、不安、迷妄、悪趣。
四、五の味著、裕福、好評、安心、智慧、善趣。
五、時機を見て、条件を考え、相手を叱ること。
  虚偽を避け、真実を以て、相手を叱ること。
  不実を避け、誠実を以て、相手を叱ること。
  利益を見て、道理を以て、相手を叱ること。
  瞋恚を避け、慈愛を以て、相手を叱ること。
六、信心を心掛けていると、精進が出来ること。
  健康を心掛けていると、精進が出来ること。
  誠実を心掛けていると、精進が出来ること。
  善行を心掛けていると、精進が出来ること。
  智慧を心掛けていると、精進が出来ること。
七、無煩天、無熱天、善現天、善見天、無劣天。
八、色界に生まれ、完全な涅槃に入る、不還者。
  色界を没して、完全な涅槃に入る、不還者。
  苦労を重ねて、完全な涅槃に入る、不還者。
  苦労を重ねず、完全な涅槃に入る、不還者。
  色界を昇り続け、色究竟天に入る、不還者。
九、五の不信、仏陀、法則、僧伽、修学、法友。
十、五の束縛、欲望、身体、物質、食欲、天界。
一、五の感覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
二、五の実感、快楽、苦悩、喜悦、憂患、中庸。
三、五の機根、信根、進根、念根、定根、慧根。
四、五の解放、欲望、瞋恚、暴力、物質、身体。
五、仏陀が法則を説いて、解脱に導かれること。
  高弟が法則を説いて、解脱に導かれること。
  経典の法則を聞いて、解脱に導かれること。
  経典の法則を読んで、解脱に導かれること。
  経典の法則を解して、解脱に導かれること。
六、五の法則、無常、皆苦、無我、放棄、離欲。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、六つで一組になる、真実の法である。
それでは、この六つの法とは、如何なるものか。

一、六つの根である、眼、耳、鼻、舌、身、意。
二、六つの境である、色、声、香、味、触、法。
三、六つの識である、眼、耳、鼻、舌、身、意。
四、六つの触である、眼、耳、鼻、舌、身、意。
五、六つの受である、眼、耳、鼻、舌、身、意。
六、六つの想である、色、声、香、味、触、法。
七、六つの行である、色、声、香、味、触、法。
八、六つの愛である、色、声、香、味、触、法。
九、六つの不敬、仏、法、僧、学、不放逸、礼。
十、六つの尊敬、仏、法、僧、学、不放逸、礼。
一、六つの喜となる、眼、耳、鼻、舌、身、意。
二、六つの憂となる、眼、耳、鼻、舌、身、意。
三、六つの捨となる、眼、耳、鼻、舌、身、意。
四、比丘達に対して、慈愛を込めた行為をする。
  比丘達に対して、慈愛を込めた発言をする。
  比丘達に対して、慈愛を込めた思念をする。
  比丘達に対して、公平に分けて和合をする。
  比丘達に対して、戒律を守って和合をする。
  比丘達に対して、真理を学んで和合をする。
五、瞋恚を抱くため、互いに和合できなくなる。
  嫉妬を抱くため、互いに和合できなくなる。
  慳貪を抱くため、互いに和合できなくなる。
  高慢を抱くため、互いに和合できなくなる。
  邪欲を抱くため、互いに和合できなくなる。
  我見を抱くため、互いに和合できなくなる。
六、六の元素となる、地、水、火、風、空、意。
七、慈に満ち足りるため、心が解放されること。
  悲に満ち足りるため、心が解放されること。
  喜に満ち足りるため、心が解放されること。
  捨に満ち足りるため、心が解放されること。
  煩悩を出離するため、心が解放されること。
  自我を捨断するため、心が解放されること。
八、視覚の中で、無上のものを、見とめること。
  聴覚の中で、無上のものを、見とめること。
  利益の中で、無上のものを、見とめること。
  修学の中で、無上のものを、見とめること。
  奉仕の中で、無上のものを、見とめること。
  顧念の中で、無上のものを、見とめること。
九、六の顧念となる、仏、法、僧、戒、施、天。
十、眼に囚われないよう、心を常住とすること。
  耳に囚われないよう、心を常住とすること。
  鼻に囚われないよう、心を常住とすること。
  舌に囚われないよう、心を常住とすること。
  身に囚われないよう、心を常住とすること。
  意に囚われないよう、心を常住とすること。
一、悪い生まれを持ち、悪い世界を求めている。
  悪い生まれを持ち、善い世界を求めている。
  悪い生まれを持ち、涅槃の地を求めている。
  善い生まれを持ち、悪い世界を求めている。
  善い生まれを持ち、善い世界を求めている。
  善い生まれを持ち、涅槃の地を求めている。
二、無常の想念を抱き、涅槃の地を求めている。
  皆苦の想念を抱き、涅槃の地を求めている。
  無我の想念を抱き、涅槃の地を求めている。
  捨棄の想念を抱き、涅槃の地を求めている。
  離貪の想念を抱き、涅槃の地を求めている。
  消滅の想念を抱き、涅槃の地を求めている。」

 

第四章

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、七つで一組になる、真実の法である。
それでは、この七つの法とは、如何なるものか。

一、七つの財産、信、戒、慙、愧、学、施、慧。
二、七つの覚支、念、択、進、喜、軽、定、捨。
三、七つの禅定、見、思、語、業、命、進、念。
四、疑念に塗れていると、破滅に導かれること。
  他に対し恥じないと、破滅に導かれること。
  己に対し恥じないと、破滅に導かれること。
  不学に塗れていると、破滅に導かれること。
  怠惰に塗れていると、破滅に導かれること。
  放逸に塗れていると、破滅に導かれること。
  無智に塗れていると、破滅に導かれること。
五、疑念を離れていると、繁栄に導かれること。
  他に対して恥じると、繁栄に導かれること。
  己に対して恥じると、繁栄に導かれること。
  不学を離れていると、繁栄に導かれること。
  怠惰を離れていると、繁栄に導かれること。
  放逸を離れていると、繁栄に導かれること。
  無智を離れていると、繁栄に導かれること。
六、法則を知っている、比丘の善い性質のこと。
  意味を知っている、比丘の善い性質のこと。
  自己を知っている、比丘の善い性質のこと。
  適量を知っている、比丘の善い性質のこと。
  適時を知っている、比丘の善い性質のこと。
  集団を知っている、比丘の善い性質のこと。
  個々を知っている、比丘の善い性質のこと。
七、修学を完成するという、羅漢の基礎のこと。
  法則を完成するという、羅漢の基礎のこと。
  欲望を制御するという、羅漢の基礎のこと。
  世間を厭離するという、羅漢の基礎のこと。
  不断に精進するという、羅漢の基礎のこと。
  正念を正知するという、羅漢の基礎のこと。
  正見を考察するという、羅漢の基礎のこと。
八、無常を想念するという、解脱の基礎のこと。
  無我を想念するという、解脱の基礎のこと。
  不浄を想念するという、解脱の基礎のこと。
  禍患を想念するという、解脱の基礎のこと。
  捨棄を想念するという、解脱の基礎のこと。
  離貪を想念するという、解脱の基礎のこと。
  消滅を想念するという、解脱の基礎のこと。
九、七つの能力、信、勤、慙、愧、念、定、慧。
十、異なる心が異なる体に宿る、人間界である。
  等しい心が異なる体に宿る、梵衆天である。
  異なる心が等しい体に宿る、光音天である。
  等しい心が等しい体に宿る、遍浄天である。
  空間は無限であると悟る、空無辺処である。
  識別は無限であると悟る、識無辺処である。
  何物も存在しないと悟る、無所有処である。
一、名と色の解脱を果している、倶解脱である。
  名だけの解脱を果している、慧解脱である。
  色だけの解脱を果たしている、身証である。
  法を解して名の解脱に向かう、見到である。
  仏を信じて名の解脱に向う、信解脱である。
  法を解して五つの根を培う、随法行である。
  仏を信じて五つの根を培う、随信行である。
二、貪欲を繰り返し、貪欲に巻き込まれること。
  瞋恚を繰り返し、瞋恚に巻き込まれること。
  愚痴を繰り返し、愚痴に巻き込まれること。
  疑念を繰り返し、疑念に巻き込まれること。
  慢心を繰り返し、慢心に巻き込まれること。
  生存を繰り返し、生存に巻き込まれること。
  無知を繰り返し、無知に巻き込まれること。
三、貪欲を楽しみ、貪欲に縛り付けられること。
  瞋恚を楽しみ、瞋恚に縛り付けられること。
  愚痴を楽しみ、愚痴に縛り付けられること。
  疑念を楽しみ、疑念に縛り付けられること。
  慢心を楽しみ、慢心に縛り付けられること。
  生存を楽しみ、生存に縛り付けられること。
  無知を楽しみ、無知に縛り付けられること。
四、紛争の解決には、全員の出席を求めること。
  紛争の解決には、記憶の有無を尋ねること。
  紛争の解決には、心身の喪失を尋ねること。
  紛争の解決には、真実の告白を求めること。
  紛争の解決には、多数の意見を尋ねること。
  紛争の解決には、罪過の追求を求めること。
  紛争の解決には、過剰な追求を避けること。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、八つで一組になる、真実の法である。
それでは、この八つの法とは、如何なるものか。

一、邪なる見解を有していること、邪見である。
  邪なる思惟を為していること、邪思である。
  邪なる言葉を語っていること、邪語である。
  邪なる行為を為していること、邪業である。
  邪なる生活を送っていること、邪命である。
  邪なる精進を為していること、邪進である。
  邪なる集中を為していること、邪念である。
  邪なる瞑想を行っていること、邪定である。
二、正しい見解を有していること、正見である。
  正しい思惟を為していること、正思である。
  正しい言葉を語っていること、正語である。
  正しい行為を為していること、正業である。
  正しい生活を送っていること、正命である。
  正しい精進を為していること、正進である。
  正しい集中を為していること、正念である。
  正しい瞑想を行っていること、正定である。
三、悟りの流れに向かっている、預流向である。
  悟りの流れを果たしている、預流果である。
  一度の欲界の転生に向かう、一来向である。
  一度の欲界の転生を果たす、一来果である。
  色界の境地の安住に向かう、不還向である。
  色界の境地の安住を果たす、不還果である。
  涅槃の境地の安住に向かう、羅漢向である。
  涅槃の境地の安住を果たす、羅漢果である。
四、仕事を行なう前に、怠惰になることである。
  仕事を行った後に、怠惰になることである。
  目的に達する前に、怠惰になることである。
  目的を達した後に、怠惰になることである。
  食事を食べる前に、怠惰になることである。
  食事を食べた後に、怠惰になることである。
  病気に罹った時に、怠惰になることである。
  病気が治った時に、怠惰になることである。
五、仕事を行なう前に、精勤になることである。
  仕事を行った後に、精勤になることである。
  目的に達する前に、精勤になることである。
  目的を達した後に、精勤になることである。
  食事を食べる前に、精勤になることである。
  食事を食べた後に、精勤になることである。
  病気に罹った時に、精勤になることである。
  病気が治った時に、精勤になることである。
六、機会が生じたため、布施を行うことである。
  恐怖が生じたため、布施を行うことである。
  果報を求めながら、布施を行うことである。
  善行を欲するため、布施を行うことである。
  悪行を避けるため、布施を行うことである。
  評判を求めながら、布施を行うことである。
  心魂を高めるため、布施を行うことである。
七、布施の果報により、人の王族に生れ変わる。
  布施の果報により、四天王天に生れ変わる。
  布施の果報により、三十三天に生れ変わる。
  布施の果報により、夜摩天に生まれ変わる。
  布施の果報により、兜卒天に生まれ変わる。
  布施の果報により、楽変化天に生れ変わる。
  布施の果報により、他化自在天に生れ変る。
  布施の果報により、梵身天に生まれ変わる。
八、八つの集合、王族、婆羅門、戸主、修行者。
  四天王天、三十三天、他化自在天、梵衆天。
九.世間に於いて、人は利益に関心があること。
  世間に於いて、人は害悪に関心があること。
  世間に於いて、人は名声に関心があること。
  世間に於いて、人は悪声に関心があること。
  世間に於いて、人は賞賛に関心があること。
  世間に於いて、人は誹謗に関心があること。
  世間に於いて、人は幸福に関心があること。
  世間に於いて、人は不幸に関心があること。
十、内に想が有り、少に囚われない、第一勝処。
  内に想が有り、大に囚われない、第二勝処。
  内に想が無く、少に囚われない、第三勝処。
  内に想が無く、大に囚われない、第四勝処。
  内に想が無く、青に輝いている、第五勝処。
  内に想が無く、黄に輝いている、第六勝処。
  内に想が無く、赤に輝いている、第七勝処。
  内に想が無く、白に輝いている、第八勝処。
一、内に想が有り、外に色を認める、第一解脱。
  内に想が無く、外に色を認める、第二解脱。
  内と外に色が無く、清浄に至る、第三解脱。
  空無辺処を具足して、静止する、第四解脱。
  識無辺処を具足して、静止する、第五解脱。
  無所有処を具足して、静止する、第六解脱。
  非想非非想処に至り、静止する、第七解脱。
  想受滅定を具足して、静止する、第八解脱。」

 

第五章

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、九つで一組になる、真実の法である。
それでは、この九つの法とは、如何なるものか。

一、自分自身に害悪を与えていたと、怒ること。
  自分自身に害悪を与えていると、怒ること。
  自分自身に害悪を与えるはずと、怒ること。
  好きな者に害悪を与えていたと、怒ること。
  好きな者に害悪を与えていると、怒ること。
  好きな者に害悪を与えるはずと、怒ること。
  嫌いな者に利益を与えていたと、怒ること。
  嫌いな者に利益を与えていると、怒ること。
  嫌いな者に利益を与えるはずと、怒ること。
二、自分自身に害悪を与えていたが、許すこと。
  自分自身に害悪を与えているが、許すこと。
  自分自身に害悪を与えようとも、許すこと。
  好きな者に害悪を与えていたが、許すこと。
  好きな者に害悪を与えているが、許すこと。
  好きな者に害悪を与えようとも、許すこと。
  嫌いな者に利益を与えていたが、許すこと。
  嫌いな者に利益を与えているが、許すこと。
  嫌いな者に利益を与えようとも、許すこと。
三、異なる心が異なる体に宿る、人間界である。
  等しい心が異なる体に宿る、梵衆天である。
  異なる心が等しい体に宿る、光音天である。
  等しい心が等しい体に宿る、遍浄天である。
  空間は無限であると悟る、空無辺処である。
  識別は無限であると悟る、識無辺処である。
  何物も存在しないと悟る、無所有処である。
  精神が活動していない、無想有情処である。
  認識を超越している、非想非非想処である。
四、地獄界に生まれると、修行が出来ないこと。
  畜生界に生まれると、修行が出来ないこと。
  餓鬼界に生まれると、修行が出来ないこと。
  修羅界に生まれると、修行が出来ないこと。
  天人界に生まれると、修行が出来ないこと。
  未開地に生まれると、修行が出来ないこと。
  外の道に生まれると、修行が出来ないこと。
  愚か者に生まれると、修行が出来ないこと。
  如来が生まれないと、修行が出来ないこと。
五、有尋有伺にして離欲得楽、第一禅定である。
  無尋無伺にして離楽得喜、第二禅定である。
  正念楽住にして離喜得静、第三禅定である。
  不苦不楽にして離静入空、第四禅定である。
  空間は無限であると悟る、空無辺処である。
  識別は無限であると悟る、識無辺処である。
  何物も存在しないと悟る、無所有処である。
  認識を超越している、非想非非想処である。
  一切の認識を越えている、想受滅定である。
六、第一の禅定までには、欲望が消滅している。
  第二の禅定までには、考察が消滅している。
  第三の禅定までには、喜悦が消滅している。
  第四の禅定までには、呼吸が消滅している。
  第五の禅定は、形状の世界が消滅している。
  第六の禅定は、空間の概念が消滅している。
  第七の禅定は、識別の概念が消滅している。
  第八の禅定は、虚空の概念が消滅している。
  第九の禅定は、一切の概念が消滅している。」

「比丘達よ、仏陀が説く、偉大な法がある。
それは、十つで一組になる、真実の法である。
それでは、この十つの法とは、如何なるものか。

一、戒律を守ることは、保護すべき対象となる。
  教義を解すことは、保護すべき対象となる。
  法友を思うことは、保護すべき対象となる。
  忍耐を培うことは、保護すべき対象となる。
  奉仕に励むことは、保護すべき対象となる。
  法則を望むことは、保護すべき対象となる。
  満足を知ることは、保護すべき対象となる。
  精進に励むことは、保護すべき対象となる。
  集中を保つことは、保護すべき対象となる。
  智慧を磨くことは、保護すべき対象となる。
二、地遍を広大無辺に観じる、第一遍処である。
  水遍を広大無辺に観じる、第二遍処である。
  火遍を広大無辺に観じる、第三遍処である。
  風遍を広大無辺に観じる、第四遍処である。
  青遍を広大無辺に観じる、第五遍処である。
  黄遍を広大無辺に観じる、第六遍処である。
  赤遍を広大無辺に観じる、第七遍処である。
  白遍を広大無辺に観じる、第八遍処である。
  空遍を広大無辺に観じる、第九遍処である。
  識遍を広大無辺に観じる、第十遍処である。
三、第一の戒、殺生を禁じる、不殺生戒である。
  第二の戒、偸盗を禁じる、不偸盗戒である。
  第三の戒、邪淫を禁じる、不邪淫戒である。
  第四の戒、虚言を禁じる、不妄語戒である。
  第五の戒、冗談を禁じる、不綺語戒である。
  第六の戒、悪口を禁じる、不悪口戒である。
  第七の戒、陰口を禁じる、不両舌戒である。
  第八の戒、貪欲を禁じる、不慳貪戒である。
  第九の戒、瞋恚を禁じる、不瞋恚戒である。
  第十の戒、愚痴を禁じる、不邪見戒である。
四、殺生を禁じて、生命を慈しむ、第一の善行。
  偸盗を禁じて、財貨を与える、第二の善行。
  邪淫を禁じて、誠実に接する、第三の善行。
  妄語を禁じて、法則を広める、第四の善行。
  綺語を禁じて、真剣に考える、第五の善行。
  悪口を禁じて、称賛を与える、第六の善行。
  両舌を禁じて、和合を与える、第七の善行。
  慳貪を禁じて、布施を与える、第八の善行。
  瞋恚を禁じて、慈愛で接する、第九の善行。
  愚痴を禁じて、智慧を鍛える、第十の善行。
五、貪欲、瞋恚、昏眠、掉悔、愚痴を捨断する。
  眼、耳、鼻、舌、身、意、六根を保護する。
  身の業、口の業、意の業、三業に集中する。
  使用、忍耐、厭離、滅尽、四処に依拠する。
  あらゆる外道を厭離して、正しく生活する。
  欲望、生存、正義の拘りを離れ、生活する。
  欲望、瞋恚、暴力の思いを離れ、生活する。
  第四禅定まで至り、身体の形成力が静まる。
  渇愛を滅尽することによって、心解脱する。
  無明を滅尽することによって、慧解脱する。
六、無学の阿羅漢は、正しい見解を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい思惟を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい言葉を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい行為を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい生活を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい精進を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい集中を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい禅定を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい智慧を具えている。
  無学の阿羅漢は、正しい解脱を具えている。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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