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一切漏経(サッバアーサヴァ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、正しい、七つの専念によって、
七つの法によって、諸々の煩悩を捨断できる。
それでは、この七つの法とは、如何なるものか。

第一に、観察により、煩悩の漏れを捨断できる。
第二に、防護により、煩悩の漏れを捨断できる。
第三に、受用により、煩悩の漏れを捨断できる。
第四に、忍辱により、煩悩の漏れを捨断できる。
第五に、回避により、煩悩の漏れを捨断できる。
第六に、除去により、煩悩の漏れを捨断できる。
第七に、修習により、煩悩の漏れを捨断できる。」

「比丘達よ、観察により、煩悩を捨断する。
彼は、四つの法により、煩悩の漏れが尽きる。
それでは、この四つの法とは、如何なるものか。」

「第一に、欲漏に関して、正しく観察する。
眼耳鼻舌身という、五根の囚われを諦らめて、
色声香味触という、五境の捕らわれを諦らめる。

「第二に、有漏に関して、正しく観察する。
我が存在するという、常恒の囚われを諦めて、
我が存在しないという、断滅の捕われを諦める。」

「第三に、見漏に関して、正しく観察する。
私が正しいという、我見の囚われを諦らめて、
真理が誤まりという、邪見の捕われを諦らめる。」

「第四は、無明漏に関し、正しく観察する。
全て苦であるという、苦諦と集諦を明らめて、
統べて空であるという、滅諦と道諦を明らめる。」

 

第二章

「比丘達よ、防護により、煩悩を捨断する。
彼は、六つの法により、煩悩の漏れが尽きる。
それでは、この六つの法とは、如何なるものか。」

「第一に、眼根に就いて、正しく防護する。
眼から入る楽の裏には、眼から入る苦が有る。
それゆえ、眼に囚われず、正しく眼を防護する。」

「第二に、耳根に就いて、正しく防護する。
耳から入る楽の裏には、耳から入る苦が有る。
それゆえ、耳に囚われず、正しく耳を防護する。」

「第三に、鼻根に就いて、正しく防護する。
鼻から入る楽の裏には、鼻から入る苦が有る。
それゆえ、鼻に囚われず、正しく鼻を防護する。」

「第四に、舌根に就いて、正しく防護する。
舌から入る楽の裏には、舌から入る苦が有る。
それゆえ、舌に囚われず、正しく舌を防護する。」

「第五に、身根に就いて、正しく防護する。
身から入る楽の裏には、身から入る苦が有る。
それゆえ、身に囚われず、正しく身を防護する。」

「第六に、意根に就いて、正しく防護する。
意から入る楽の裏には、意から入る苦が有る。
それゆえ、意に囚われず、正しく意を防護する。」

「比丘達よ、受用により、煩悩を捨断する。
彼は、三つの法により、煩悩の漏れが尽きる。
それでは、この三つの法とは、如何なるものか。」

「第一に、衣服に就いて、正しく受用する。
ただ、寒暑を防ぐためだけに、衣服を用いて、
飾り立てて、驕り昂ぶるために、衣を用いない。」

「第二に、食事に就いて、正しく受用する。
ただ、身体を保つためだけに、食事を用いて、
貪り食べて、味を楽しむために、食を用いない。」

「第三に、住居に就いて、正しく受用する。
ただ、危険を除くためだけに、住居を用いて、
寝て暮して、楽を味わうために、家を用いない。」

「比丘達よ、忍辱により、煩悩を捨断する。
彼は、三つの法により、煩悩の漏れが尽きる。
それでは、この三つの法とは、如何なるものか。」

「第一に、身業に就いて、正しく忍辱する。
身に於ける、悪果に対して、正しく忍辱して、
新たな悪因を積まず、積んだ悪業を落していく。」

「第二に、口業に就いて、正しく忍辱する。
口に於ける、悪果に対して、正しく忍辱して、
新たな悪因を積まず、積んだ悪業を落していく。」

「第三に、心業に就いて、正しく忍辱する。
意に於ける、悪果に対して、正しく忍辱して、
新たな悪因を積まず、積んだ悪業を落していく。」

 

第三章

「比丘達よ、回避により、煩悩を捨断する。
彼は、三つの法により、煩悩の漏れが尽きる。
それでは、この三つの法とは、如何なるものか。」

「第一に、過去に就いて、正しく回避する。
過去に積んでいた、悪業を、正しく懺悔して、
過去に積んでいない、善業を、正しく蓄積する。」

「第二に、現在に就いて、正しく回避する。
現在に積んでいる、悪業を、正しく懺悔して、
現在に積んでいない、善業を、正しく蓄積する。」

「第三に、未来に就いて、正しく回避する。
未来に積みそうな、悪業を、正しく懺悔して、
未来に積めていない、善業を、正しく蓄積する。」

「比丘達よ、除去により、煩悩を捨断する。
彼は、三つの法により、煩悩の漏れが尽きる。
それでは、この三つの法とは、如何なるものか。」

「第一に、貪欲に就いて、正しく除去する。
自他を奪っていく、煩悩を、正しく撤去して、
自と他に与えていく、菩提を、正しく徹底する。」

「第二に、瞋恚に就いて、正しく除去する。
自他を憎んでいく、煩悩を、正しく撤去して、
自と他を愛していく、菩提を、正しく徹底する。」

「第三に、愚痴に就いて、正しく除去する。
自他が躓いていく、煩悩を、正しく撤去して、
自と他を導いていく、菩提を、正しく発願する。」

「比丘達よ、修習により、煩悩を捨断する。
彼は、七つの法により、煩悩の漏れが尽きる。
それでは、この七つの法とは、如何なるものか。」

「第一に、思念の覚支を、正しく修習する。
思念を持っていると、善悪が分かって来るが、
思念を以っていないと、善悪が分かれて来ない。」

「第二に、択法の覚支を、正しく修習する。
時が変わると、縁が変わり、善と悪が変わる。
縁に合った、法を選ぶことで、善と悪を確める。」

「第三に、精進の覚支を、正しく修習する。
善業に於いて、さらに、善業を積もうとして、
悪業に於いては、さらに、悪業を落そうとする。」

「第四に、歓喜の覚支を、正しく修習する。
精進する前に喜び、精進した後に喜ぶことで、
精進することを喜び、精進を楽しめる様になる。」

「第五に、軽安の覚支を、正しく修習する。
善き業が満ちて来ると、身と心が歓喜になり、
悪しき業が落ちて行くと、身と心が軽快になる。」

「第六に、禅定の覚支を、正しく修習する。
身心の軽安が深くなるほど、瞑想が長くなり、
心身の歓喜に囚われないほど、瞑想が深くなる。」

「第七に、中庸の覚支を、正しく修習する。
他に対して、囚われなくなり、平等に捉えて、
自らに対して、捕われなくなり、無頓着になる。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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