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七車経(ラタヴィニータ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ラージャグリハの、
カランダカニヴァーパに、止まっておられた。
そこに、比丘衆が集まると、このように説いた。

「比丘達よ、尊敬すべき者が、具えている、
汝らが、修めて広めるべき、十の条件がある。
それでは、この十の条件とは、如何なるものか。

第一は、少欲を修めて、少欲を広める者である。
第二は、知足を修めて、知足を広める者である。
第三は、遠離を修めて、遠離を広める者である。
第四は、独居を修めて、独居を広める者である。
第五は、精進を修めて、精進を広める者である。
第六は、持戒を修めて、持戒を広げる者である。
第七は、禅定を修めて、禅定を広げる者である。
第八は、智慧を修めて、智慧を広げる者である。
第九は、解脱を修めて、解脱を広げる者である。
第十は、解脱知を具え、解脱知を語る者である。」

「この地、カランダカニヴァーパに於いて、
汝らに、最も尊敬されている、比丘とは誰か。
比丘達よ、汝らは、誰を最も尊敬しているのか。」

「尊師よ、この地に生まれている者の中で、
この十の条件を修めた者が、独りだけ居ます。
その彼の名は、プンナ・マンターニプッタです。」

これを見ていた、サーリプッタは、こう思った。

「比丘が、仏陀の前で、比丘を誉めている。
それを見て、仏陀は、大いに、喜ばれている。
これは、実に妙なることだ、実に稀なることだ。」

「尊敬すべき、プンナ・マンターニプッタ。
いつか、わたしも、彼に会ってみたいものだ。
望んでいれば、いずれ、臨むことになるだろう。」

 

第二章

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
アナータピンディカの園に、止まられていた。
それを機に、サーリプッタは、プンナを訪れた。

「尊者よ、あなたは、戒を浄化するために、
仏陀の元に出家し、行を修められたのですか。」
「いえ、賢者よ、戒の清浄の為ではありません。」

「尊者よ、あなたは、心を浄化するために、
仏陀の元に出家し、行を修められたのですか。」
「いえ、賢者よ、心の清浄の為ではありません。」

「尊者よ、あなたは、疑を浄化するために、
仏陀の元に出家し、行を修められたのですか。」
「いえ、賢者よ、疑の清浄の為ではありません。」

「尊者よ、あなたは、道を浄化するために、
仏陀の元に出家し、行を修められたのですか。」
「いえ、賢者よ、道の清浄の為ではありません。」

「尊者よ、あなたは、行を浄化するために、
仏陀の元に出家し、行を修められたのですか。」
「いえ、賢者よ、行の清浄の為ではありません。」

「尊者よ、あなたは、智を浄化するために、
仏陀の元に出家し、行を修められたのですか。」
「いえ、賢者よ、智の清浄の為ではありません。」

「尊者よ、あなたが、清らかな行を修めた、
清浄の行を修めたのは、一体、何の為ですか。」
「賢者よ、執着を越えた、完全な平安の為です。」

「尊者よ、執着を越えた、完全なる安らぎ、
煩悩を越えた平安とは、戒が清いことですか。」
「いえ、賢者よ、戒が浄いことではありません。」

「尊者よ、執着を越えた、完全なる安らぎ、
煩悩を越えた平安とは、心が清いことですか。」
「いえ、賢者よ、心が浄いことではありません。」

「尊者よ、執着を越えた、完全なる安らぎ、
煩悩を越えた平安とは、見が清いことですか。」
「いえ、賢者よ、見が浄いことではありません。」

「尊者よ、執着を越えた、完全なる安らぎ、
煩悩を越えた平安とは、疑が清いことですか。」
「いえ、賢者よ、疑が浄いことではありません。」

「尊者よ、執着を越えた、完全なる安らぎ、
煩悩を越えた平安とは、道が清いことですか。」
「いえ、賢者よ、道が浄いことではありません。」

「尊者よ、執着を越えた、完全なる安らぎ、
煩悩を越えた平安とは、行が清いことですか。」
「いえ、賢者よ、行が浄いことではありません。」

「尊者よ、執着を越えた、完全なる安らぎ、
煩悩を越えた平安とは、智が清いことですか。」
「いえ、賢者よ、智が浄いことではありません。」

「尊者よ、執着を越えた、完全なる安らぎ、
煩悩を越えた平安とは、他が清いことですか。」
「いえ、賢者よ、他が浄いことではありません。」

 

第三章

困惑した、サーリプッタは、このように尋ねた。

「尊者よ、あなたは、七つの清浄の為でも、
一方で、他の清浄の為でもない、と言われる。
一体、このことは、何を意味しているのですか。」

「何か一つの為ではない、ということです。
喩えれば、七つの車に、譬えられるでしょう。
賢者よ、遠くの地に行くことを、考えて下さい。

山の道には、山に適した車に、乗るべきであり、
谷の道には、谷に適した車に、乗るべきであり、
村の道には、村に適した車に、乗るべきであり、
町の道には、町に適した車に、乗るべきであり、
野の道には、野に適した車に、乗るべきであり、
河の道には、河に適した車に、乗るべきであり、
海の道には、海に適した車に、乗るべきである。」

「賢者よ、もし、山から谷に進むべき時に、
山の車を降りずに、谷の車に乗らないならば、
彼は、山と谷の境で、それ以上は進めなくなる。」

「賢者よ、もし、谷から村に進むべき時に、
谷の車を降りずに、村の車に乗らないならば、
彼は、谷と村の境で、それ以上は進めなくなる。」

「賢者よ、もし、村から町に進むべき時に、
村の車を降りずに、町の車に乗らないならば、
彼は、村と町の境で、それ以上は進めなくなる。」

「賢者よ、もし、町から野に進むべき時に、
町の車を降りずに、野の車に乗らないならば、
彼は、町と野の境で、それ以上は進めなくなる。」

「賢者よ、もし、野から河に進むべき時に、
野の車を降りずに、河の車に乗らないならば、
彼は、野と河の境で、それ以上は進めなくなる。」

「賢者よ、もし、河から海に進むべき時に、
河の車を降りずに、海の車に乗らないならば、
彼は、河と海の境で、それ以上は進めなくなる。」

得心した、サーリプッタは、このように尋ねた。

「尊者よ、ということは、こういうことか。
即ち、車とは、手段であり、目的ではないし、
同様に、法とは、手段であり、目的ではないと。」

「どれかを、目的として、言ってしまえば、
それだけ、目的となり、本当の地を見失なう。
地に縛られるのは痴、地を進めるのが智ですか。」

「いやはや、賢き者よ、お見逸れしました。
賢き者に、いささか、足手纏いな比喩でした。
しかし、まさしく、目的が果せれば良いのです。」

このように、仏陀の高弟、二人の偉大な龍は、
互いに法則を交し合い、互いに法悦を生じ得た。


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