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哺多利経(ポータリヤ・スッタ)

仏教

真の俗事の捨断



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、アンガ地方にある、
アーパナ村の樹の根元で、静かに座っていた。
そこに、ポータリヤが訪れ、このように言った。

「世尊よ、私は、世俗を捨断していますが、
それが、誤っていると、言われてしまいます。
どのように、捨断すれば、正しくなるのですか。」

「家主よ、俗世を離れた者が、比丘である。
比丘が、正しく守っている、八つの法がある。
それでは、この八つの法とは、如何なるものか。」

「第一の法は、殺生を捨て断つことである。
私が命を殺すならば、他も命を殺すだろうと、
殺生の戒を離れるなら、世俗の界も越えられる。」

「第二の法は、偸盗を捨て断つことである。
私が物を偸むならば、他も物を盗むだろうと、
偸盗の戒を離れるなら、世俗の界も越えられる。」

「第三の法は、妄語を捨て断つことである。
私が嘘を騙るならば、他も嘘を騙るだろうと、
妄語の戒を離れるなら、世俗の界も越えられる。」

「第四の法は、悪口を捨て断つことである。
私が他を罵るならば、他も私を罵るだろうと、
悪口の戒を離れるなら、世俗の界も越えられる。」

「第五の法は、強欲を捨て断つことである。
私が欲を貪るならば、他も欲を貪るだろうと、
強欲の戒を離れるなら、世俗の界も越えられる。」

「第六の法は、瞋恚を捨て断つことである。
私が怒り狂うならば、他も怒り狂うだろうと、
瞋恚の戒を離れるなら、世俗の界も越えられる。」

「第七の法は、煩悩を捨て断つことである。
私が煩い悩むならば、他も煩い悩むだろうと、
煩悩の戒を離れるなら、世俗の界も越えられる。」

「第八の法は、慢心を捨て断つことである。
私が慢に陥るならば、他も慢に陥るだろうと、
慢心の戒を離れるなら、世俗の界も越えられる。」

 

第二章

「家主よ、俗世を離れた者が、比丘である。
比丘が、正しく認めている、五つの譬がある。
それでは、この五つの喩えは、如何なるものか。」

「さながら、煩悩とは、肉の無い骨である。
肉を食べようとして、骨を齧じるだけになる。
無い肉を食べるために、骨を折るばかりになる。」

「さながら、煩悩とは、火を持つ手である。
持つほど熱くなるし、持たないと消えていく。
消えるのを恐れるため、手を焼くばかりになる。」

「さながら、煩悩とは、夢に見る宝である。
醒めないと夢のまま、覚めると消えてしまう。
消えるのを恐れるため、夢に見るばかりになる。」

「さながら、煩悩とは、借り物の金である。
使えば消えてしまい、使わないと借りのまま。
仮のまま使えないため、手に余るばかりになる。」

「さながら、煩悩とは、高い木の実である。
低い実が食べられて、高い実は食べられない。
味の劣る実だけ食べて、真の意味は分からない。」

「家主よ、賢い比丘は、このように考える。
このように見とめて、煩悩を越えるのである。
その時、彼の心は、無量の捨に満たされていく。」

「家主よ、俗世を離れた者が、比丘である。
比丘が、正しく修めている、三つの明がある。
それでは、この三つの明とは、如何なるものか。」

「第一に、賢い比丘は、過去の無明を破る。
この前は其処に生れ、その前は此処に生れた。
過去の明知が現われる、これが、宿命通である。」

「第二に、賢い比丘は、未来の無明を破る。
この後は其処に生れ、その後は此処に生れる。
未来の明知が現われる、これが、天眼通である。」

「第三に、賢い比丘は、現在の無明を破る。
あの煩悩から漏れて、この煩悩から漏れない。
現在の明知が現われる、これが、漏尽通である。」

法悦が湧き上がった、彼は、このように言った。

「ああ、これは、とても、妙なる教えです。
さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」

「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」


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