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五三経(パンカッタヤ・スッタ)

仏教

外教の種々の見解とその超克



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、世界に関し、様々な説があり、
未来に関して、大きく分け、三つの論がある。
それでは、この三つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、死後に我を有する、有我論である。
第二の論は、死後に我は滅する、断滅論である。
第三の論は、現世で我を滅する、涅槃論である。」

「比丘達よ、死後に、我が有ると説かれる、
有我論に関し、小さく分け、三つの論がある。
それでは、この三つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、有想の我を有する、有想論である。
第二の論は、無想の我を有する、無想論である。
第三の論は、非想の我を有する、非想論である。」

「比丘達よ、このように、未来に関しては、
大きく分けて、有我を合せ、三つの論があり、
小さく分けると、有我を分け、五つの論がある。」

 

第二章

「比丘達よ、死後の我に、想が有ると説く、
有想論に関し、細かく分け、八つの論がある。
それでは、この八つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、無色の想を有する、有想論である。
第二の論は、色界の想を有する、有想論である。
第三の論は、両界の想を有する、有想論である。
第四の論は、一つの想を有する、有想論である。
第五の論は、多くの想を有する、有想論である。
第四の論は、有限の想を有する、有想論である。
第四の論は、無限の想を有する、有想論である。」

「比丘達よ、死後の我に、想が無いと説く、
無想論に関し、細かく分け、四つの論がある。
それでは、この四つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、無色の想を滅する、無想論である。
第二の論は、色界の想を滅する、無想論である。
第三の論は、両界の想を滅する、無想論である。
第四の論は、以外の想を滅する、無想論である。」

「想が有るでもないし、想が無いでもない、
非想論に関し、細かく分け、四つの論がある。
それでは、この四つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、無色の想を越える、非想論である。
第二の論は、色界の想を越える、非想論である。
第三の論は、両界の想を越える、非想論である。
第四の論は、以外の想を越える、非想論である。」

 

第三章

「比丘達よ、世界に関し、様々な説があり、
過去に関して、大きく分け、四つの論がある。
それでは、この四つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、時間について説く、時間論である。
第二の論は、空間について説く、空間論である。
第三の論は、有想について説く、有想論である。
第四の論は、苦楽について説く、苦楽論である。」

「比丘達よ、常であるか、無常であるのか、
時間論に関し、小さく分け、四つの論がある。
それでは、この四つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、すべて常住である、時間論である。
第二の論は、すべて無常である、時間論である。
第三の論は、常かつ無常である、時間論である。
第四の論は、常かつ無常でない、時間論である。」

「比丘達よ、限であるか、無限であるのか、
空間論に関し、小さく分け、四つの論がある。
それでは、この四つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、すべて有限である、空間論である。
第二の論は、すべて無限である、空間論である。
第三の論は、限かつ無限である、空間論である。
第四の論は、限かつ無限でない、空間論である。」

「比丘達よ、想が多いか、想は少ないのか、
有想論に関し、小さく分け、四つの論がある。
それでは、この四つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、一つの想を有する、有想論である。
第二の論は、多くの想を有する、有想論である。
第三の論は、有限の想を有する、有想論である。
第四の論は、無限の想を有する、有想論である。」

「比丘達よ、楽であるか、苦しみであるか。
苦楽論に関し、小さく分け、四つの論がある。
それでは、この四つの論とは、如何なるものか。

第一の論は、楽しかないと説く、苦楽論である。
第二の論は、苦しかないと説く、苦楽論である。
第三の論は、苦楽があると説く、苦楽論である。
第四の論は、苦楽がないと説く、苦楽論である。」

 

第四章

「すべて、常住であると説く、時間論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「すべて、無常であると説く、時間論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「常かつ、無常であると説く、時間論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「常かつ、無常でないと説く、時間論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「すべて、有限であると説く、空間論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「すべて、無限であると説く、空間論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「限かつ、無限であると説く、空間論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「限かつ、無限でないと説く、空間論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「一つの、想を有すると説く、有想論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「多くの、想を有すると説く、有想論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「有限の、想を有すると説く、有想論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「無限の、想を有すると説く、有想論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「楽しか、存在しないと説く、苦楽論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「苦しか、存在しないと説く、苦楽論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「苦楽が、存在しうると説く、苦楽論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

「苦楽が、存在しないと説く、苦楽論では、
智慧の、一部は洗われても、全部は現れない。
在りのままを認める者は、この見解を超越する。」

 

第五章

「未来の見解を離れ、過去の見解を離れて、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅がある。
その時、全身は、無欲の歓喜で満たされている。」

「未来の見解を離れ、過去の見解を離れて、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅がある。
その時、全身は、無想の喜楽で満たされている。」

「未来の見解を離れ、過去の見解を離れて、
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅がある。
その時、全身は、無喜の大楽で満たされている。」

「未来の見解を離れ、過去の見解を離れて、
楽を捨てて生じる、空性を体験する禅がある。
その時、全身は、無楽の空性で満たされている。」

「比丘達よ、こうして、生起と滅尽を知り、
味著と禍患を知って、解脱に至る最高の道は、
如来の導きにより、明らかに示されたのである。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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