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因縁相応 第八章

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あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、死を見ず、死の生起を認めず、
死の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、生を見ず、生の生起を認めず、
生の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、有を見ず、有の生起を認めず、
有の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、取を見ず、取の生起を認めず、
取の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、愛を見ず、愛の生起を認めず、
愛の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、受を見ず、受の生起を認めず、
受の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、触を見ず、触の生起を認めず、
触の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、処を見ず、処の生起を認めず、
処の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、蘊を見ず、蘊の生起を認めず、
蘊の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、識を見ず、識の生起を認めず、
識の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、行を見ず、行の生起を認めず、
行の滅尽を認めず、滅尽の道を認めない者は、
たとえ、婆羅門であろうと、婆羅門と言えない。」

「比丘達よ、死を見て、死の生起を認めて、
死の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、生を見て、生の生起を認めて、
生の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、有を見て、有の生起を認めて、
有の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、取を見て、取の生起を認めて、
取の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、愛を見て、愛の生起を認めて、
愛の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、受を見て、受の生起を認めて、
受の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、触を見て、触の生起を認めて、
触の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、処を見て、処の生起を認めて、
処の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、蘊を見て、蘊の生起を認めて、
蘊の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、識を見て、識の生起を認めて、
識の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」

「比丘達よ、行を見て、行の生起を認めて、
行の滅尽を認めて、滅尽の道を見とめる者は、
たとえ、婆羅門でなかろうと、婆羅門と言える。」


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