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因縁相応 第六章

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あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、生きとし生ける者を養うもの。
生き物を養い、生を繋げる、四つの食がある。
それでは、この四つの食とは、如何なるものか。

第一の食は、物質を食べ物とする、段食である。
第二の食は、感覚を食べ物とする、触食である。
第三の食は、思考を食べ物とする、思食である。
第四の食は、識別を食べ物とする、識食である。」

「ならば、どうして、食があるのだろうか。
それは、渇愛するから、愛があるからである。
すなわち、愛が生じると、取が生じるのである。」

「ならば、どうして、愛があるのだろうか。
それは、感受するから、受があるからである。
すなわち、受が生じると、愛が生じるのである。」

「ならば、どうして、受があるのだろうか。
それは、接触するから、触があるからである。
すなわち、触が生じると、受が生じるのである。」

「ならば、どうして、触があるのだろうか。
それは、眼耳鼻舌身意、処があるからである。
すなわち、処が生じると、触が生じるのである。」

「ならば、どうして、六つの処があるのか。
それは、名と色、心と物が生じるからである。
すなわち、名色が生じて、処が生じるのである。」

「ならば、どうして、名と色が生じるのか。
それは、識別するから、識があるからである。
即ち、識が生じると、名と色が生じるのである。」

「ならば、どうして、識があるのだろうか。
それは、蓄積するから、行があるからである。
すなわち、行が生じると、識が生じるのである。」

「ならば、どうして、行があるのだろうか。
それは、智が無いから、明が無いからである。
すなわち、無明が生じて、行が生じるのである。」

「比丘達よ、このように、邪なる道がある。
無明によって行があり、行によって識がある。
識により名色があり、名色によって六処がある。」

「六処により触があり、触により受がある。
受によって愛があり、愛著によって取がある。
取著によって有があり、存在によって生がある。」

「比丘達よ、このように、正しい道がある。
無明なしには行はなく、行なしには識はない。
識なしに名色はなく、名色なしには六処はない。」

「六処なしに触はなく、触なしに受はない。
受なしには愛はなく、愛著なしには取はない。
取著なしには有はなく、存在なしには生はない。」


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