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因縁相応 第二章

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あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、汝らに、縁起を説き明かそう。
無明によって行があり、行によって識がある。
識により名色があり、名色によって六処がある。」

「六処により触があり、触により受がある。
受によって愛があり、愛著によって取がある。
取著によって有があり、存在によって生がある。」

「比丘達よ、出生とは、どのようなものか。
生とは、出生のことであり、三つの生がある。
それでは、この三つの生とは、如何なるものか。

第一の生は、生まれると必ず老いる、老である。
第二の生は、生まれると必ず病める、病である。
第三の生は、生まれると必ず滅する、死である。」

「比丘達よ、存在とは、どのようなものか。
有とは、存在のことであり、三つの有がある。
それでは、この三つの有とは、如何なるものか。

第一の有は、欲界に存在すること、欲有である。
第二の有は、色界に存在すること、色有である。
第三の有は、無色界に存在する、無色有である。」

「比丘達よ、取著とは、どのようなものか。
取とは、取著のことであり、四つの取がある。
それでは、この四つの取とは、如何なるものか。

第一の取は、欲望に執着すること、欲取である。
第二の取は、見解に執着すること、見取である。
第三の取は、戒誓に執着すること、戒取である。
第四の取は、自説に執着すること、我取である。」

「比丘達よ、渇愛とは、どのようなものか。
愛とは、渇愛のことであり、六つの愛がある。
それでは、この六つの愛とは、如何なるものか。

第一の愛は、色境に愛着すること、色愛である。
第二の愛は、声境に愛着すること、声愛である。
第三の愛は、香境に愛着すること、香愛である。
第四の愛は、味境に愛着すること、味愛である。
第五の愛は、触境に愛着すること、触愛である。
第六の愛は、法境に愛着すること、法愛である。」

「比丘達よ、感受とは、どのようなものか。
受とは、感受のことであり、六つの受がある。
それでは、この六つの受とは、如何なるものか。

第一の受は、色愛を感受すること、眼根である。
第二の受は、声愛を感受すること、耳根である。
第三の受は、香愛を感受すること、鼻根である。
第四の受は、味愛を感受すること、舌根である。
第五の受は、触愛を感受すること、身根である。
第六の受は、法愛を感受すること、意根である。」

「比丘達よ、接触とは、どのようなものか。
触とは、接触のことであり、六つの触がある。
それでは、この六つの触とは、如何なるものか。

第一の触は、眼根に接触すること、視覚である。
第二の触は、耳根に接触すること、聴覚である。
第三の触は、鼻根に接触すること、嗅覚である。
第四の触は、舌根に接触すること、味覚である。
第五の触は、身根に接触すること、触覚である。
第六の触は、意根に接触すること、法覚である。」

「比丘達よ、六処とは、どのようなものか。
処とは、器官のことであり、六つの処がある。
それでは、この六つの処とは、如何なるものか。

第一の処は、視覚を認識する器官、眼処である。
第二の処は、聴覚を認識する器官、耳処である。
第三の処は、嗅覚を認識する器官、鼻処である。
第四の処は、味覚を認識する器官、舌処である。
第五の処は、触覚を認識する器官、身処である。
第六の処は、法覚を認識する器官、意処である。」

「比丘達よ、名色とは、どのようなものか。
名色は、五蘊のことであり、五つの蘊がある。
それでは、この五つの蘊とは、如何なるものか。

第一の蘊は、物質の執着の集まり、色蘊である。
第二の蘊は、感受の執着の集まり、受蘊である。
第三の蘊は、想念の執着の集まり、想蘊である。
第四の蘊は、意志の執着の集まり、行蘊である。
第五の蘊は、認識の執着の集まり、識蘊である。」

「比丘達よ、識別とは、どのようなものか。
識とは、識別のことであり、六つの識がある。
それでは、この六つの識とは、如何なるものか。

第一の識は、眼処を識別すること、眼識である。
第二の識は、耳処を識別すること、耳識である。
第三の識は、鼻処を識別すること、鼻識である。
第四の識は、舌処を識別すること、舌識である。
第五の識は、身処を識別すること、身識である。
第六の識は、意処を識別すること、意識である。」

「比丘達よ、意志とは、どのようなものか。
行とは、意志のことであり、三つの行がある。
それでは、この三つの行とは、如何なるものか。

第一の行は、身を以って行うこと、身行である。
第二の行は、口を以って行うこと、語行である。
第三の行は、意を以って行うこと、心行である。」

「比丘達よ、無明とは、どのようなものか。
闇とは、無明のことであり、四つの闇がある。
それでは、この四つの闇とは、如何なるものか。

第一の闇は、苦諦を知らず、煩悩を漏らすこと。
第二の闇は、集諦を知らず、煩悩を漏らすこと。
第三の闇は、滅諦を知らず、煩悩を漏らすこと。
第四の闇は、道諦を知らず、煩悩を漏らすこと。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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