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因縁相応 第十八章

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あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ラージャグリハの、
カランダカニヴァーパに、止まっておられた。
そこに、アーナンダが訪れ、このように言った。

「世尊よ、今朝、私が、町に托鉢に出ると、
遊行者達が、サーリプッタ長老の所を訪れて、
以下のように尋ねているのを、私は聞きました。」

『尊者よ、苦しみは、自ら作るものですか。
そうでなく、苦しみは、他が作るものですか。
それとも、苦しみは、自作であり、他作ですか。』

『友よ、苦は触によると、仏陀は説かれた。
接触が有るから、苦しみが生まれるのであり、
接触が無いならば、苦しみは生じないのである。』

『全ての苦しみが、自作である訳もでなく、
全ての苦しみの因が、他作である訳でもない。
苦しみの因は、接触であると、仏陀は説かれる。』

この報告を聞いた、仏陀は、このように言った。

「まさに、私が説いたように、彼は解いた。
因縁により、苦悩は生起すると、私は説いた。
苦悩は、触により生起して、離により滅尽する。」

「あるとき、わたしが、ラージャグリハの、
カランダカニヴァーパに、止まっていたとき、
私は、同じことを尋ねられ、同じように答えた。」

『仏陀よ、老死の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、老死の因とは、生に他ならない。
生があるから死があり、生がなければ死はない。』

『仏陀よ、出生の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、出生の因とは、有に他ならない。
有があるから生があり、有がなければ生はない。』

『仏陀よ、存在の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、存在の因とは、取に他ならない。
取があるから有があり、取がなければ有はない。』

『仏陀よ、取著の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、取著の因とは、愛に他ならない。
愛があるから取があり、愛がなければ取はない。』

『仏陀よ、渇愛の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、渇愛の因とは、受に他ならない。
受があるから愛があり、受がなければ愛はない。』

『仏陀よ、感受の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、感受の因とは、触に他ならない。
触があるから受があり、触がなければ受はない。』

『仏陀よ、接触の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、接触の因とは、処に他ならない。
処があるから触があり、処がなければ触はない。』

『仏陀よ、六処の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、六処の因とは、蘊に他ならない。
蘊があるから処があり、蘊がなければ処はない。』

『仏陀よ、名色の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、名色の因とは、識に他ならない。
識があるから蘊があり、識がなければ蘊はない。』

『仏陀よ、識別の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、識別の因とは、行に他ならない。
行があるから識があり、行がなければ識はない。』

『仏陀よ、意志の因とは、如何なるものか。』
『遊行者よ、意志の因とは、痴に他ならない。
痴があるから行があり、痴がなければ行はない。』

アーナンダは感激して、自らも説こうと誓った。


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