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因縁相応 第十六章

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あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、私は、既に、十力を具足して、
何ら畏れることなく、導師として獅子吼して、
法輪を転じながら、すべての生き物を済度する。」

「比丘達よ、十力者は、五蘊について説く。
色は何か、色の生起は何か、色の滅尽は何か。
色が生じて色が生じる、色が滅して色が滅する。」

「比丘達よ、十力者は、五蘊について説く。
受は何か、受の生起は何か、受の滅尽は何か。
受が生じて受が生じる、受が滅して受が滅する。」

「比丘達よ、十力者は、五蘊について説く。
想は何か、想の生起は何か、想の滅尽は何か。
想が生じて想が生じる、想が滅して想が滅する。」

「比丘達よ、十力者は、五蘊について説く。
行は何か、行の生起は何か、行の滅尽は何か。
行が生じて行が生じる、行が滅して行が滅する。」

「比丘達よ、十力者は、五蘊について説く。
識は何か、識の生起は何か、識の滅尽は何か。
識が生じて識が生じる、識が滅して識が滅する。」

「如来が説く、縁起とは、如何なるものか。
無明によって行があり、行によって識がある。
識により名色があり、名色によって六処がある。」

「六処により触があり、触により受がある。
受によって愛があり、愛著によって取がある。
取著によって有があり、存在によって生がある。」

「出生が有るから、老死愁悲苦憂悩が有る。
この縁起こそが、すべての苦悩の生起であり、
比丘達よ、順じて観ること、縁起の順観である。」

「如来が説く、縁起とは、如何なるものか。
無明なしには行はなく、行なしには識はない。
識なしに名色はなく、名色なしには六処はない。」

「六処なしに触はなく、触なしに受はない。
受なしには愛はなく、愛著なしには取はない。
取著なしには有はなく、存在なしには生はない。」

「出生が無ければ、老死愁悲苦憂悩も無い。
この縁起こそが、すべての苦悩の滅尽であり、
比丘達よ、逆さに観ること、縁起の逆観である。」

「比丘達よ、このように、私が説いた法は、
たとえ、身体が衰えようと、気力が有る限り、
信により出家して、精進により行じるに値する。」

「比丘達よ、怠惰である者は、不幸である。
如来の教えを知っても、縁起の教えを認めず、
悪業を重ねることにより、苦悩が増えるからだ。」

「比丘達よ、精勤である者は、幸福である。
如来の教えを知るとき、縁起の教えを見とめ、
悪業を離れることにより、苦悩を越えるからだ。」

「劣った者から、優れた物は与えられない。
最高の者から、最高の物が得られるのである。
比丘達よ、最高の師が、最高の法を説いている。」

「比丘達よ、汝らは、何の為に家を出たか。
まだ、得ていない法を、得るために精進せよ。
出家の生活は、実り多く、決して虚しくはない。」

「もし、己のためと認めれば、実りが多い。
また、他人のためと見とめても、実りが多い。
さらに、自他のためと見とめても、実りが多い。」


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