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有明大経(マハーヴェーダッラ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、尊者のマハーコッティタは、
祇園精舎にいる、長老サーリプッタを訪れた。
親しみを込めて挨拶すると、このように尋ねた。

「長老よ、智慧が無い人と、言われますが、
一体、智慧の無い人とは、如何なる者ですか。」
「尊者よ、智慧が無いとは、認めない者である。」

「では、長老よ、何を見とめないのですか。」
「尊者よ、四つの諦を、見とめないのである。
愚者は、苦諦、集諦、滅諦、道諦を見とめない。」

「長老よ、智慧が有る人と、言われますが、
一体、智慧の有る人とは、どういう者ですか。」
「尊者よ、智慧が有るとは、見とめる者である。」

「では、長老よ、何を認めているのですか。」
「尊者よ、四つの諦を、認めているのである。
賢者は、苦諦、集諦、滅諦、道諦を認めている。」

「長老よ、意識とは、如何なるものですか。」
「尊い者よ、意識とは、識別することである。
意識は、楽と苦を識別し、不苦不楽を識別する。」

「長老よ、智慧と意識の違いは、何ですか。」
「智慧とは、良く修められるべきものであり、
一方、意識は、良く治められるべきものである。」

「長老よ、感受とは、如何なるものですか。」
「尊い者よ、感受とは、実感することである。
意識は、楽と苦を実感し、不苦不楽を実感する。」

「長老よ、表象とは、如何なるものですか。」
「尊い者よ、表象とは、認識することである。
意識は、赤や青を認識し、色々な色を認識する。」

「長老よ、感受と表象の違いは、何ですか。」
「ある物を感受するとき、その物を表象する。
即ち、尊者よ、感受と表象は、同じものである。」

 

第二章

「長老よ、清浄な意識は、如何なるものか。」
「尊い者よ、五感を越えて、四つの処となる。
それでは、この四つの処とは、如何なるものか。

第一の処は、空間を超越する、空無辺処である。
第二の処は、識別を超越する、識無辺処である。
第三の処は、所有を超越する、無所有処である。
第四の処は、認識を越える、非想非非想である。」

「それらは、何により、見とめるのですか。」
「尊者よ、智慧によって、見とめるのである。
治めるために見とめて、捨てるために見とめる。」

「長老よ、正しい見は、何から生じるのか。」
「尊い者よ、第一に、正しく教えられること。
第二には、正しく考えること、この二つである。」

「長老よ、心慧の解脱に、何が必要ですか。」
「尊い者よ、解脱のために、五つの支がいる。
それでは、この五つの支とは、如何なるものか。

第一の支は、持戒によって、支えることである。
第二の支は、多聞によって、支えることである。
第三の支は、討論によって、支えることである。
第四の支は、寂止によって、支えることである。
第五の支は、正観によって、支えることである。」

「長老よ、どれだけの、生存がありますか。」
「尊い者よ、存在する場所、三つの有がある。
それでは、この三つの有とは、如何なるものか。

第一の有は、欲界に存在すること、欲有である。
第二の有は、色界に存在すること、色有である。
第三の有は、無色界に存在する、無色有である。」

「長老よ、どのように、転生するのですか。
「尊い者よ、渇愛を抱き、生存を求めていく。
煩悩を渇愛する者は、輪廻の無明に捕えられる。」

「長老よ、どのように、解脱するのですか。
「尊い者よ、渇愛を超え、生存を越えていく。
菩提を渇愛する者は、涅槃の明智を捉えられる。」

 

第三章

「長老よ、初禅とは、如何なるものですか。」
「尊い者よ、初禅では、五つのものを捨てて、
尋と伺の結果、代わりに、五つのものを具える。」

「尊者よ、初禅に於いて、捨てられるべき、
吟味の結果、捨断するべき、五つの蓋がある。
それでは、この五つの蓋とは、如何なるものか。

第一の蓋は、貪りに捕らわれる、貪欲蓋である。
第二の蓋は、瞋りに捕らわれる、瞋恚蓋である。
第三の蓋は、眠りに捕らわれる、昏眠蓋である。
第四の蓋は、焦りに捕らわれる、掉悔蓋である。
第五の蓋は、疑いに捕らわれる、愚痴蓋である。」

「尊者よ、初禅に於いて、具えられるべき、
吟味の結果、具足するべき、五つの支がある。
それでは、この五つの支とは、如何なるものか。

第一の支は、粗雑に考えていること、尋である。
第二の支は、微細に考えていること、伺である。
第三の支は、心が悦こんでいること、喜である。
第四の支は、心が安らいでいること、楽である。
第五の支は、心が定まっていること、定である。」

「長老よ、意識は、何を識別するのですか。」
「尊い者よ、意識が捉える、五つの識がある。
それでは、この五つの識とは、如何なるものか。

第一の識は、眼根と色境で生じる、眼識である。
第二の識は、耳根と声境で生じる、耳識である。
第三の識は、鼻根と香境で生じる、鼻識である。
第四の識は、舌根と味境で生じる、舌識である。
第五の識は、身根と触境で生じる、身識である。」

「長老よ、命が保たれるのは、何故ですか。」
「尊い者よ、生命は、天が与える意思である。
そこに、熱が有る限り、天から命が与えられる。」

「長老よ、熱を保たれるのは、何故ですか。」
「尊い者よ、体温は、自ら発する意志である。
そこに、命が有る限り、自から熱が発せられる。」

「長老よ、生命に依って、体温が保たれて、
一方で、体温に依って、生命が保たれている。
賢い者よ、一体、これは、どういうことですか。」

「例えば、火に依って、光が見とめられて、
一方で、光に依って、火が見とめられている。
尊い者よ、命と熱の関係は、火と光の関係です。」

「尊者よ、生命が無いところ、体温は無く、
同様に、意思が無いところ、意志は現れない。
生命の無い体温はなく、意思の無い意志はない。」

「尊者よ、体温が無いところ、生命は無く、
同様に、意志が無いところ、意思は現れない。
体温の無い生命はなく、意志の無い意思はない。」

 

第四章

「長老よ、それでは、想と受が無い比丘と、
想と受が無い死者では、何が異なるのですか。」
「尊者よ、それは、生と熱の有無の違いである。」

「尊者よ、それは、第四禅の有無でもある。
第四禅にて、比丘が修める、四つの縁がある。
それでは、この四つの縁とは、如何なるものか。

第一の縁は、比丘が、楽を捨て去ることである。
第二の縁は、比丘が、苦を捨て去ることである。
第三の縁は、比丘が、喜を捨て去ることである。
第四の縁は、比丘が、憂を捨て去ることである。」

「想受滅には、直接、無色界から入れない。
一旦、初禅から第四禅を経て、色界から入る。
生命の証である、四つの無量心を培うのである。」

「第一の心は、瞋恚を滅する、慈愛である。
彼らは、己を慈しむように、他を愛するため、
色界の初禅天である、梵天界に至れるのである。」

「第二の心は、愚痴を滅する、悲哀である。
彼らは、己を悲しむように、他を哀するため、
色界の二禅天である、光天界に至れるのである。」

「第三の心は、憂苦を滅する、歓喜である。
彼らは、自らを歓ぶように、周りを喜ぶため、
色界の三禅天である、浄天界に至れるのである。」

「第四の心は、貪欲を滅する、超越である。
彼らは、己を超えるように、他を越えるため、
色界の有頂天である、色究竟天に至るのである。」

「想受滅には、直接、無色界から入れない。
長老よ、どうして、色界から入るのでしょう。
この無色界と色界の差は、如何なるものですか。」

「尊者よ、色の世界は、二元の世界である。
一方で、無色界と涅槃は、一元の世界である。
一元から一元は入れず、二元から一元は入れる。」

これを聞いた、コッティタは、歓喜し実践した。


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