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摩訶梨経(マハーリ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ヴェーサーリーの、
マハーヴァナという塔に、止まっておられた。

そのころ、コーサラ国のバラモンの使者と、
マガダ国のバラモンの使者が、集まっていた。
彼らは、仏陀に関する十の称号を、噂で聞いた。

第一に、尊敬と供養に値する者、阿羅漢であり、
第二に、完全に悟りを開いた者、等正覚であり、
第三に、完全に明行を具えた者、明行足であり、
第四に、最上の世界に到達した者、善逝であり、
第五に、一切の世間を解する者、世間解であり、
第六に、世界で最高に優れた者、無上士であり、
第七に、衆生を統御し得る者、調御丈夫であり、
第八に、天人の師と成り得る者、天人師であり、
第九に、完全に真理に目覚めた者、仏陀であり、
第十に、世界で最も尊敬される者、世尊である。

こう聞いた、リッチャヴィ族のマハーリは、
他のバラモン達と、仏陀の居る高楼を訪ねた。
恭しく挨拶した後で、仏陀に対し、こう尋ねた。

「世尊よ、天の世界が、有ると聞きました。
どのような因があり、どのような縁があって、
天界に存在する神々の、声を聴くのでしょうか。」

「マハーリよ、修行僧は、解脱に至るため、
精神を統一して、その過程で天界を体験する。
確かに天界は存在するが、修行の目的ではない。」

「マハーリよ、比丘は、預流者と為るため、
三悪趣に結び付ける、三つの束縛を滅尽する。
それでは、この三つの束縛は、如何なるものか。」

「第一に、身体に囚われる、有身見である。
身に囚われるため、繰り返し、体が生滅する。
比丘は、有身見を滅尽して、地獄界を超越する。」

「第二に、怨念に囚われる、戒禁取である。
戒に囚われるため、繰り返し、念が生滅する。
比丘は、戒禁取を滅尽して、餓鬼界を超越する。」

「第三に、迷信に囚われる、邪見解である。
俗に囚われるため、繰り返し、世が生滅する。
比丘は、邪見解を滅尽して、畜生界を超越する。」

「マハーリよ、比丘は、一来者と為るため、
欲六界に結び付ける、三つの束縛を滅尽する。
それでは、この三つの束縛は、如何なるものか。」

「第一に、憎悪に捕らわれる、瞋恚である。
修羅で怒って楽しむと、地獄で怒って苦しむ。
比丘は、瞋恚を離れ、修羅と地獄を越えていく。」

「第二に、愛着に捕らわれる、貪欲である。
人間で貪って楽しむと、餓鬼で貪って苦しむ。
比丘は、貪欲を離れ、人間と餓鬼を越えていく。」

「第三に、迷妄に捕らわれる、愚痴である。
天人で耽って楽しむと、畜生で耽って苦しむ。
比丘は、愚痴を離れ、天人と畜生を越えていく。」

「マハーリよ、比丘は、不還者と為るため、
下方向に結び付ける、五つの分結を滅尽する。
即ち、欲貪、瞋恚、有身見、戒禁取、疑である。」

「マハーリよ、比丘は、阿羅漢と為るため、
諸々の煩悩を滅尽し、心解脱と慧解脱を得る。
マハーリよ、以上のものが、修行の目的である。」

 

第二章

「世尊よ、これらの教えを、体得するため、
比丘は、いかなる教えを、修習するのですか。
その道はあるのですか、その法はあるのですか。」

「マハーリよ、煩悩の滅尽に至るための道、
四諦の中の道諦、八つ段階の正しい道がある。
それでは、この八つの道とは、如何なるものか。

第一に、真理に基き、見解を正す、正見である。
第二に、正見に基き、思索を正す、正思である。
第三に、正思に基き、発言を正す、正語である。
第四に、正語に基き、行為を正す、正業である。
第五に、正業に基き、生活を正す、正命である。
第六に、正命に基き、精進を正す、正進である。
第七に、正進に基き、集中を正す、正念である。
第八に、正念に基き、合一を正す、正定である。」

「婆羅門よ、八つの道を修める者は、先ず、
小と中と大の、三つの戒により、正見を得る。
それでは、十の小なる戒とは、如何なるものか。

第一の戒は、殺生を禁じる、不殺生の戒である。
第二の戒は、偸盗を禁じる、不偸盗の戒である。
第三の戒は、邪淫を禁じる、不邪淫の戒である。
第四の戒は、虚言を禁じる、不妄語の戒である。
第五の戒は、冗談を禁じる、不綺語の戒である。
第六の戒は、悪口を禁じる、不悪口の戒である。
第七の戒は、陰口を禁じる、不両舌の戒である。
第八の戒は、貪欲を禁じる、不慳貪の戒である。
第九の戒は、瞋恚を禁じる、不瞋恚の戒である。
第十の戒は、愚痴を禁じる、不邪見の戒である。」

「婆羅門よ、八つの道を修める者は、次に、
小と中と大の、三つの戒で、身口意を改める。
それでは、十の中なる戒とは、如何なるものか。

第一の戒は、生を殺めない、不殺生の戒である。
第二の戒は、他を盗まない、不偸盗の戒である。
第三の戒は、性に溺れない、不邪淫の戒である。
第四の戒は、嘘を言わない、不妄語の戒である。
第五の戒は、酒を飲まない、不飲酒の戒である。
第六の戒は、物を貯めない、不蓄金銀宝である。
第七の戒は、心が遊ばない、不歌舞観聴である。
第八の戒は、体を飾らない、不塗飾香鬘である。
第九の戒は、楽を止める、不坐高広大牀である。
第十の戒は、朝しか食べない、不非時食である。」

「婆羅門よ、八つの道を修める者は、更に、
小と中と大の、三つの戒により、正命を得る。
それでは、十の大なる戒とは、如何なるものか。

第一の戒は、生を殺めない、不殺生の戒である。
第二の戒は、他を盗まない、不偸盗の戒である。
第三の戒は、性に溺れない、不邪淫の戒である。
第四の戒は、嘘を言わない、不妄語の戒である。
第五の戒は、酒を飲まない、不飲酒の戒である。
第六の戒は、他を責めない、不説過罪戒である。
第七の戒は、慢心しない、不自讃毀他戒である。
第八の戒は、貪欲を離れる、不慳法財戒である。
第九の戒は、瞋恚を離れる、不瞋恚の戒である。
第十の戒は、三宝を称える、不謗三宝戒である。」

「こうして、戒律を守る者は、感官を守る。
それでは、どのように、諸根を保護するのか。
マハーリよ、比丘が制すべき、六つの根がある。

第一の根は、眼により色を感じる、眼根である。
第二の根は、耳により声を感じる、耳根である。
第三の根は、鼻により香を感じる、鼻根である。
第四の根は、舌により味を感じる、舌根である。
第五の根は、身により触を感じる、身根である。
第六の根は、意により法を感じる、意根である。」

「こうして、感官を守る者は、正念を知る。
それでは、どのように、正念を正智するのか。
彼らは、いつでも、どこでも、正念を正智する。」

「こうして、正念を知る者は、満足を得る。
それでは、どのように、満足を具足するのか。
彼らは、衣鉢だけを持ち、満足を得るのである。」

「こうして、戒律、制感、正念正智、満足。
この四つの条件を得た者は、正定に至るため、
世俗を離れて山奥に入り、深い禅定に安住する。」

 

第三章

「一方で、瞑想を妨げる、五つの条件がある。
マハーリよ、禅定を妨げる、五つの蓋とは何か。」

「第一に、貪りに囚われる、貪欲蓋である。
喩えるなら、金を返すために、金を借りると、
返しても、返しても、苦しくなるようなものだ。」

「第二に、瞋りに囚われる、瞋恚蓋である。
喩えるなら、嫌いなものでも、食べなければ、
病になり、好きなものも、食べられないようだ。」

「第三に、眠りに囚われる、昏眠蓋である。
喩えるなら、金を盗んで、牢に捕われた者が、
金が有っても、金を使えないようなものである。」

「第四に、焦りに囚われる、掉悔蓋である。
喩えるなら、奴隷が、自由を求めるあまりに、
ますます、不自由を感じてしまうようなものだ。」

「第五に、疑いに囚われる、愚痴蓋である。
喩えるなら、酔って、不安を忘れようとして、
ますます、覚めて、不安を覚えるようなものだ。」

 

第四章

「賢い婆羅門よ、これらの蓋を越えた者は、
戒により護られて、恐れが無くなるのである。
そして、それにより、念が集中するようになる。」

「第一の禅とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無欲の歓喜で満たされている。」

「第二の禅とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無想の喜楽で満たされている。」

「第三の禅とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
その時、全身は、無喜の大楽で満たされている。」

「第四の禅とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、空性を体験する禅である。
その時、全身は、無楽の空性で満たされている。」

「賢い婆羅門よ、これらの禅を守った者は、
禅により護られて、正しい知を得るのである。
彼らは、在りのままに見て、在りのままに知る。」

『この身体は、地水火風の四大種からなり、
生み養われ、衰えて死ぬ、無常のものである。
そして、私の意識は、この身体に依存している。』

「こうして、如実知見の段を通過した者は、
その次に、遠離と離貪の段階に向うのである。
彼らは、心から作られた、別の身体を化作する。」

『さながら、刀が、鞘から抜かれるように、
あたかも、蛇が、蛇の皮から抜かれたように、
この化身は、身体から生じた、別の身体である。』

「こうして、遠離離貪の段を通過した者は、
解脱を遂げて、六つの神通力を得るのである。
それでは、この六つの力とは、如何なるものか。」

「一身が多身となれば、多身が一身となる。
消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
全ての世界に出現する、これが、神足通である。」

「近くの音を聴こえて、遠くの音が聞える。
人の声が聞えて来て、神の声が聴こえて来る。
聞えない音が聴こえる、これが、天耳通である。」

「貪りを貪りと知れば、怒りを怒りと知る。
疑いを疑いと知れば、善き心を善き心と知る。
他の人の心を理解する、これが、他心通である。」

「あの時の姓はこうで、あの生の名はこう。
あの生の糧はこうで、あの時の世の中はこう。
前の時の世を理解する、これが、宿命通である。」

「近くの物を見とめて、遠くの者を認める。
この世が見えて来て、あの世が現われて来る。
見えない物を観とめる、これが、天眼通である。」

「この人は漏れていて、あの人は漏れない。
あの煩悩から漏れて、この煩悩から漏れない。
煩悩の漏れを滅尽する、これが、漏尽通である。」

法悦が湧き上がった、彼は、このように言った。

「ああ、これは、とても、妙なる教えです。
さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」

「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」


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