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空大経(マハースンヤ・スッタ)

仏教

空についての長い経



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、カピラヴァッツの、
ニグローダ樹の園の中に、止まっておられた。
そして、アーナンダに対し、このように説いた。

「修行者たる者は、独りで居るべきである。
独りで居る時は、思いのまま、離れられるが、
独りで居ない時は、思いのまま、離れられない。」

「社交を喜び、一時の解脱を得られようか。
交際を楽しんで、不時の解脱を得られようか。
時愛心解脱も、不時不動心解脱も、具わらない。」

「社交を憂い、一時の解脱が与えられよう。
交際を悲しんで、不時の解脱が与えられよう。
時愛心解脱も、不時不動心解脱も、授けられる。」

「アーナンダよ、色を愛して、楽しむ者は、
色が変ることから、悲しみ嘆き、苦しみ悩む。
わたしは、それについて、何の例外も認めない。」

「アーナンダよ、如来は、空に達している。
外に囚われず、内に捕われず、ただ空である。
心は、内に治まり、内に定まり、安定している。」

 

第二章

「心を治め、心を定めるには、如何するか。
比丘が、心を集中していく、四つの禅がある。
それでは、この四つの定とか、如何なるものか。

第一の定は、有尋有伺である、第一禅定である。
第二の定は、無尋無伺である、第二禅定である。
第三の定は、正念楽住である、第三禅定である。
第四の定は、捨念清浄である、第四禅定である。」

「彼は、空である状態に、心を向かわせる。
心を内側に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして、心が治まり、そのように、自覚をする。」

「彼は、空である状態に、心を向かわせる。
心を外側に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして、心が治まり、そのように、自覚をする。」

「彼は、空である状態に、心を向かわせる。
心を内外に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして、心が治まり、そのように、自覚をする。」

「彼は、空である状態に、心を向かわせる。
心を不動に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして、心が治まり、そのように、自覚をする。」

「そして、この状態の心で、経行する者は、
もはや、欲に巻かされず、悪に負かされない。
彼は、そのように心を見て、心を見とめている。」

「そして、この状態の心で、瞑想する者は、
もはや、欲に巻かされず、悪に負かされない。
彼は、そのように心を見て、心を見とめている。」

「そして、この状態の心で、会話する者は、
もはや、欲に巻かされず、悪に負かされない。
彼は、そのように心を見て、心を見とめている。」

「そして、この状態の心で、思考する者は、
もはや、欲に巻かされず、悪に負かされない。
彼は、そのように心を見て、心を見とめている。」

 

第三章

「比丘が、いつも、観察しないとならない、
いつも、監視すべきである、五つの欲がある。
それでは、この五つの欲とは、如何なるものか。

第一の欲は、眼に於いて明らめる、色欲である。
第二の欲は、耳に於いて明らめる、声欲である。
第三の欲は、鼻に於いて明らめる、香欲である。
第四の欲は、舌に於いて明らめる、味欲である。
第五の欲は、身に於いて明らめる、触欲である。」

「これら、五つの欲に、心が躍らない時に、
もはや、五つの欲に、心が囚われないと知る。
そうして、比丘は、自ら悟り、自ら覚めている。」

「比丘が、いつも、観察しないとならない、
生滅を、監視すべきである、五つの蘊がある。
それでは、この五つの蘊とは、如何なるものか。

第一の蘊は、物質の執着の集まり、色蘊である。
第二の蘊は、感受の執着の集まり、受蘊である。
第三の蘊は、想念の執着の集まり、想蘊である。
第四の蘊は、意志の執着の集まり、行蘊である。
第五の蘊は、認識の執着の集まり、識蘊である。」

「これら、五つの蘊に、心が躍らない時に、
もはや、五つの蘊に、心が囚われないと知る。
そうして、比丘は、自ら悟り、自ら覚めている。」

 

第四章

「それでは、如何なる導師に、従うべきか。
避けられても、求めるべき、九つの師がいる。
それでは、この九つの師とは、如何なるものか。

第一の師は、少欲の法を説く、優れた師である。
第二の師は、満足の法を説く、優れた師である。
第三の師は、遠離の法を説く、優れた師である。
第四の師は、独居の法を説く、優れた師である。
第五の師は、精進の法を説く、優れた師である。
第六の師は、戒律の法を説く、優れた師である。
第七の師は、禅定の法を説く、優れた師である。
第八の師は、智慧の法を説く、優れた師である。
第九の師は、解脱の法を説く、優れた師である。」

「それでは、師匠の禍患とは、何のことか。
それは、子と接しながら、業に呑まれていき、
法を歪がめてしまって、業に変えることである。」

「それでは、弟子の禍患とは、何のことか。
それは、師と接しながら、法に呑まれていき、
法に囚われてしまって、業に変わることである。」

「それでは、梵行者の禍患は、何のことか。
それは、俗と接しながら、欲に塗れてしまい、
出家を諦めてしまって、現世に戻ることである。」

「法を求め家を出て、業に負けて家に戻る。
アーナンダよ、これが、最も悪しき業となる。
抜け出したくても、抜け出せない、地獄に導く。」

「よって、師の教えに、心から倣いなさい。
それは、汝のためになり、汝の幸せになろう。
真の師匠は厳しく育て、真の弟子は着いて来る。」

これを聞いた、アーナンダは、歓喜し実践した。


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