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満月大経(マハープンナマ・スッタ)

仏教

満月の晩の大きな教え



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある満月の晩、仏陀は、サーヴァッティの、
ミガーラマーター講堂に、止まっておられた。
そこに、ある比丘が訪れて、このように尋ねた。

「尊師よ、五つの取蘊は、如何なるものか。」
「取蘊とは、囚われている、その集積である。
それでは、この五つの蘊とは、如何なるものか。

第一の蘊は、物質の執着の集積、色取蘊である。
第二の蘊は、感受の執着の集積、受取蘊である。
第三の蘊は、想念の執着の集積、想取蘊である。
第四の蘊は、意志の執着の集積、行取蘊である。
第五の蘊は、認識の執着の集積、識取蘊である。」

「尊師よ、その根底には、何がありますか。」
「修行者よ、その根底には、関心が存在する。
それでは、この五つの味とは、如何なるものか。

第一の味は、自らが考える、物質を求めること。
第二の味は、自らが考える、感受を求めること。
第三の味は、自らが考える、想念を求めること。
第四の味は、自らが考える、意志を求めること。
第五の味は、自らが考える、認識を求めること。」

「尊師よ、その範囲とは、如何ほどですか。」
「優れたものにしても、劣ったものにしても、
ありとあらゆる、すべてのものが含まれている。」

「尊師よ、その原因とは、何になりますか。」
「修行者よ、その原因には、五つの因がある。
それでは、この五つの因とは、如何なるものか。

第一の因は、物質の因として、元素があること。
第二の因は、感受の因として、接触があること。
第三の因は、想念の因として、接触があること。
第四の因は、意志の因として、接触があること。
第五の因は、認識の因として、名色があること。」

 

第二章

「尊師よ、有身見は、如何なるものですか。」
「修行者よ、我を有すると、考えていること。
すなわち、我が身を有すると、見ることである。」

「尊師よ、有身見を断つには、どうするか。」
「修行者よ、我は無常であると、考えること。
すなわち、我が身は滅すると、見ることである。」

「尊師よ、五蘊の魅力は、如何なるものか。」
「修行者よ、五蘊に纏わる、五つの善がある。
それでは、この五つの善とは、如何なるものか。

第一の善は、物質を楽しむ、味著のことである。
第二の善は、感受を楽しむ、味著のことである。
第三の善は、想念を楽しむ、味著のことである。
第四の善は、意志を楽しむ、味著のことである。
第五の善は、認識を楽しむ、味著のことである。」

「尊師よ、五蘊の問題は、如何なるものか。」
「修行者よ、五蘊に纏わる、五つの悪がある。
それでは、この五つの悪とは、如何なるものか。

第一の悪は、物質に苦しむ、禍患のことである。
第二の悪は、感受に苦しむ、禍患のことである。
第三の悪は、想念に苦しむ、禍患のことである。
第四の悪は、意志に苦しむ、禍患のことである。
第五の悪は、認識に苦しむ、禍患のことである。」

「尊師よ、五蘊の解放は、如何なるものか。」
「修行者よ、五蘊に纏わる、五つの離がある。
それでは、この五つの離とは、如何なるものか。

第一の離は、物質を越える、出離のことである。
第二の離は、感受を越える、出離のことである。
第三の離は、想念を越える、出離のことである。
第四の離は、意志を越える、出離のことである。
第五の離は、認識を越える、出離のことである。」

 

第三章

「尊師よ、我見とは、如何なるものですか。」
「修行者よ、自我の見解に、捕らわれること。
すなわち、我は誤まらないと、見ることである。」

「尊師よ、我所見は、如何なるものですか。」
「修行者よ、自我の所有と、考えていること。
すなわち、我に属するものと、見ることである。」

「尊師よ、慢随眠は、如何なるものですか。」
「修行者よ、潜在の見解に、捕らわれること。
すなわち、慢に囚われて、眠り込むことである。」

「尊師よ、以上を越えるには、如何するか。」
「修行者よ、五蘊について、無常と見ること。
苦であるから、非我であると、見ることである。」

「尊師よ、それでは、自我ではないものが、
自我に与える影響とは、如何なるものですか。
自我ではないものが、自我に与えるでしょうか。」

「修行者よ、そう考えても、おかしくない。
自我と捕えるならば、自我に値するだろうし、
自我と捉えないならば、自我に与えないだろう。」

この説法において、六十人の比丘衆が解脱した。


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