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大縁方便経(マハーニダーナ・スッタンタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

あるとき、仏陀は、クル国に止まっていた。
カンマーサ・ダンマという、市場に訪れると、
アーナンダは、仏陀に挨拶をして、こう言った。

「尊師よ、縁起は、実に奥が深いものです。
まだ、わたしは、因縁の生起が分かりません。
どうか、わたしに、縁起の教えを説いて下さい。」

「アーナンダよ、この世は、苦しみである。
生まれてしまうから、老い病み死んでしまう。
すべての苦しみの因は、生まれ出ることにある。」

「ならば、どうして、生があるのだろうか。
それは、存在するから、有があるからである。
すなわち、有が生じると、生が生じるのである。」

「ならば、どうして、有があるのだろうか。
それは、執着するから、取があるからである。
すなわち、取が生じると、有が生じるのである。」

「ならば、どうして、取があるのだろうか。
それは、渇愛するから、愛があるからである。
すなわち、愛が生じると、取が生じるのである。」

「ならば、どうして、愛があるのだろうか。
それは、感受するから、受があるからである。
すなわち、受が生じると、愛が生じるのである。」

「ならば、どうして、受があるのだろうか。
それは、接触するから、触があるからである。
すなわち、触が生じると、受が生じるのである。」

「ならば、どうして、触があるのだろうか。
それは、眼耳鼻舌身意、処があるからである。
すなわち、処が生じると、触が生じるのである。」

「ならば、どうして、六つの処があるのか。
それは、名と色、心と物が生じるからである。
すなわち、名色が生じて、処が生じるのである。」

「ならば、どうして、名と色が生じるのか。
それは、識別するから、識があるからである。
即ち、識が生じると、名と色が生じるのである。」

「ならば、どうして、識があるのだろうか。
それは、蓄積するから、行があるからである。
すなわち、行が生じると、識が生じるのである。」

「ならば、どうして、行があるのだろうか。
それは、識別するから、識があるからである。
すなわち、識が生じると、行が生じるのである。」

「まさに、こうして、因果を遡ることなく、
繰り返してしまうこと、それが、無明である。
すなわち、無明が生じて、行が生じるのである。」

 

第二章

「アーナンダよ、この世は、苦しみである。
生まれてしまうから、老い病み死んでしまう。
すべての苦しみの因は、生まれ出ることにある。」

「ならば、どうして、生があるのだろうか。
それは、存在するから、有があるからである。
すなわち、有が滅すると、生が滅するのである。」

「ならば、どうして、有があるのだろうか。
それは、執着するから、取があるからである。
すなわち、取が滅すると、有が滅するのである。」

「ならば、どうして、取があるのだろうか。
それは、渇愛するから、愛があるからである。
すなわち、愛が滅すると、取が滅するのである。」

「ならば、どうして、愛があるのだろうか。
それは、感受するから、受があるからである。
すなわち、受が滅すると、愛が滅するのである。」

「ならば、どうして、受があるのだろうか。
それは、接触するから、触があるからである。
すなわち、触が滅すると、受が滅するのである。」

「ならば、どうして、触があるのだろうか。
それは、眼耳鼻舌身意、処があるからである。
すなわち、処が生じると、触が滅するのである。」

「ならば、どうして、六つの処があるのか。
それは、名と色、心と物が生じるからである。
すなわち、名色が滅して、処が滅するのである。」

「ならば、どうして、名と色が生じるのか。
それは、識別するから、識があるからである。
即ち、識が滅すると、名と色が滅するのである。」

「ならば、どうして、識があるのだろうか。
それは、蓄積するから、行があるからである。
すなわち、行が滅すると、識が滅するのである。」

「ならば、どうして、行があるのだろうか。
それは、識別するから、識があるからである。
すなわち、識が滅すると、行が滅するのである。」

「まさに、こうして、因果を遡ることなく、
繰り返してしまうこと、それが、無明である。
すなわち、無明が滅して、明が生じるのである。」

 

第三章

「アーナンダよ、存在する、有に三つがある。
それでは、この三つの有とは、如何なるものか。

第一に、欲界に存在していること、欲有である。
第二に、色界に存在していること、色有である。
第三に、無色界に存在すること、無色有である。」

「たとえば、偸盗という、悪い行為がある。
アーナンダよ、所有しないで、偸盗があるか。」
「尊師よ、所有が無ければ、偸盗は有りません。」

「アーナンダよ、執着する、取に四つがある。
それでは、この四つの取とは、如何なるものか。

第一に、欲求に執着していること、欲取である。
第二に、見解に執着していること、見取である。
第三に、戒誓に執着していること、戒取である。
第四に、自我に執着していること、我取である。」

「たとえば、吝嗇という、悪い習性がある。
アーナンダよ、執着しないで、吝嗇があるか。」
「尊師よ、執着が無ければ、吝嗇は有りません。」

「アーナンダよ、渇愛する、愛に六つがある。
それでは、この六つの愛とは、如何なるものか。

第一に、視覚に渇愛していること、色愛である。
第二に、聴覚に渇愛していること、声愛である。
第三に、嗅覚に渇愛していること、香愛である。
第四に、味覚に渇愛していること、味愛である。
第五に、触覚に渇愛していること、触愛である。
第六に、思考に渇愛していること、法愛である。」

「たとえば、溺愛という、悪い感情がある。
アーナンダよ、渇愛しないで、溺愛があるか。」
「尊師よ、渇愛が無ければ、溺愛は有りません。」

「アーナンダよ、感受する、受に六つがある。
それでは、この六つの受とは、如何なるものか。

第一には、視覚を感受する、眼触所生受である。
第二には、聴覚を感受する、耳触所生受である。
第三には、嗅覚を感受する、鼻触所生受である。
第四には、味覚を感受する、舌触所生受である。
第五には、触覚を感受する、身触所生受である。
第六には、思考を感受する、意触所生受である。」

「たとえば、不快という、悪い感覚がある。
アーナンダよ、感受しないで、不快があるか。」
「尊師よ、感受が無ければ、不快は有りません。」

「アーナンダよ、接触する、触に六つがある。
それでは、この六つの触とは、如何なるものか。

第一に、眼識で接触していること、眼触である。
第二に、耳識で接触していること、耳触である。
第三に、鼻識で接触していること、鼻触である。
第四に、舌識で接触していること、舌触である。
第五に、身識で接触していること、身触である。
第六に、意識で接触していること、意触である。」

「たとえば、不幸という、悪い識別がある。
アーナンダよ、識別しないで、不幸があるか。」
「尊師よ、識別が無ければ、不幸は有りません。」

「アーナンダよ、作用する、者に二つがある。
それでは、この二つの者とは、如何なるものか。

第一に、概念を作り出す、心の働き、名である。
第二に、形状を描き出す、物の働き、色である。」

「アーナンダよ、名が現れて、色が現れる。
主体が現れるから、客体が現われるのである。
すべての起源は、二つに分かれたこと、である。」

「アーナンダよ、唯一にして、絶対のもの、
アートマンを想定すると、如何なるだろうか。」
「尊師よ、非アートマンも、想定するでしょう。」

「即ち、真我が生まれて、非我が埋まれる。
アーナンダよ、有ると思えば、無いのであり、
アートマンなど、無いと思えば、有るのである。」

 

第四章

「九有情居、すなわち、九つの世界がある。
それは、二つの処であり、七つの識住である。
それでは、この七つの界とは、如何なるものか。」

「第一は、例えば、人間界に見られるよう、
異なる心を持つ者が、異なる体に宿りながら、
多様に別れて、多様に分かる、識別の界である。」

「第二に、例えば、梵衆天に見られるよう、
等しい心を持つ者が、異なる体に宿りながら、
多様に別れて、一様に分かる、識別の界である。」

「第三に、例えば、光音天に見られるよう、
異なる心を持つ者が、等しい体に宿りながら、
一堂に会して、多様に解する、識別の界である。」

「第四に、例えば、遍浄天に見られるよう、
等しい心を持つ者が、等しい体に宿りながら、
一堂に会して、一様に解する、識別の界である。」

「第五に、例えば、空無辺処に見るように、
もはや、主体と客体、二元に別れることなく、
空間は無限であると見とめる、無色の界である。」

「第六に、例えば、識無辺処に見るように、
もはや、主体と客体、二元に別れることなく、
識別は無限であると見とめる、無色の界である。」

「第七に、例えば、無所有処に見るように、
もはや、主体と客体、二元に別れることなく、
何物も存在しないと見とめる、無色の界である。」

「九有情居、すなわち、九つの世界がある。
それは、二つの処であり、七つの識住である。
それでは、この二つの界とは、如何なるものか。」

「第一に、例えば、無想有情処に見るよう、
思いが無いがゆえに、心が別れることがない。
何も思わない、何も悟らない、無色の界である。」

「第二に、例えば、非想非非想処のように、
思いが有ろうが無かろうが、心が別かれない。
全て分かって、何も別れない、無色の界である。」

「アーナンダよ、これら、九つの界を越え、
その間に、すべてを解して、すべてを悟った、
彼のことを、智慧で解脱した者と呼ぶのである。」

第五章

「アーナンダよ、解脱に、八つの境地がある。
それでは、この八つの解脱は、如何なるものか。」

「第一の解脱は、自らの内に、色を見とめて、
自らの外に、色を見とめる、境地のことである。」

「第二の解脱は、自らの内に、色を見とめず、
自らの外に、色を見とめる、境地のことである。」

「第三の解脱は、自らの内に、色を見とめず、
自らの外に、色を認めない、境地のことである。」

「第四の解脱は、形なき、無色の世界に入り、
空間が無限に広がっている、境地のことである。」

「第五の解脱は、形なき、無色の世界に入り、
意識が無限に広がっている、境地のことである。」

「第六の解脱は、形なき、無色の世界に入り、
完全に存在が消えてしまう、境地のことである。」

「第七の解脱は、形なき、無色の世界に入り、
完全に認識を越えてしまう、境地のことである。」

「第八の解脱は、形なき、無色の世界を越え、
完全に一元を止まっている、境地のことである。」

「有るから有るという、順の序に従っても、
滅するから滅するという、逆の序に従っても、
八の解脱を果した者は、順逆に縁起を超越する。」

「このように、心に於いて、縁起を越えて、
同じように、智に於いて、縁起を越えた者を、
アーナンダよ、至上のもの、倶分解脱者と呼ぶ。」

まさに、このように、尊師は説いたのである。
感激したアーナンダは、これを喜び受け容れた。


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