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象跡喩大経(マハーハッティパドーパマ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
アナータピンディカの園に、止まられていた。
サーリプッタは、比丘衆に対して、こう言った。

「比丘達よ、象より大きい、生物は居ない。
あらゆる足跡は、象の足跡に、飲み込まれる。
いかなる時も、象の足跡だけは、絶対に分かる。」

「これと同じことが、法に就いても言える。
他の法に踏み荒らされない、四つの諦がある。
それでは、この四つの諦とは、如何なるものか。

第一の諦は、全ては苦しみである、苦諦である。
第二の諦は、苦しみは必ず生じる、集諦である。
第三の諦は、苦しみは必ず滅する、滅諦である。
第四の諦は、苦を越える道がある、道諦である。」

「比丘達よ、全ての楽しみは、苦に変わる。
苦しみという、聖なる真理、三つの苦がある。
それでは、この三つの苦とは、如何なるものか。

第一の苦は、楽の裏に苦が生じる、苦苦である。
第二の苦は、楽を求め苦が生じる、行苦である。
第三の苦は、楽が壊れ苦が生じる、壊苦である。」

「比丘達よ、全ての囚われは、苦に変わる。
囚われという、苦の集まり、五つの蘊がある。
それでは、この五つの蘊とは、如何なるものか。

第一の蘊は、物質の執着の集まり、色蘊である。
第二の蘊は、感受の執着の集まり、受蘊である。
第三の蘊は、想念の執着の集まり、想蘊である。
第四の蘊は、意志の執着の集まり、行蘊である。
第五の蘊は、認識の執着の集まり、識蘊である。」

 

第二章

「比丘達よ、色蘊を構成する、要素がある。
つまり、この身を構成する、四つの元がある。
それでは、この四つの素とは、如何なるものか。

第一の素は、固体の要素である、地元素である。
第二の素は、液体の要素である、水元素である。
第三の素は、温度の要素である、火元素である。
第四の素は、気体の要素である、風元素である。」

「比丘達よ、地の元素には、内と外がある。
内の地元素は、骨、肉、臓器、皮膚等であり、
外なる地元素は、土、石、金属、鉱物等である。」

「内の地元素にせよ、外なる地元素にせよ、
地というものは、水が怒ると、壊れてしまう。
それ故、比丘達よ、地に捕らわれてはならない。」

「比丘達よ、水の元素には、内と外がある。
内の水元素は、血、汗、唾液、胃液等であり、
外なる水元素は、雨、霧、淡水、海水等である。」

「内の水元素にせよ、外なる水元素にせよ、
水というものは、火が怒ると、消えてしまう。
それ故、比丘達よ、水に捕らわれてはならない。」

「比丘達よ、火の元素には、内と外がある。
内の火元素は、熱、目、消化、免疫等であり、
外なる火元素は、火、炎、地熱、炎熱等である。」

「内の火元素にせよ、外なる火元素にせよ、
火というものは、風が怒ると、消えてしまう。
それ故、比丘達よ、火に捕らわれてはならない。」

「比丘達よ、風の元素には、内と外がある。
内の風元素は、息、耳、呼気、吸気等であり、
外なる風元素は、風、嵐、旋風、暴風等である。」

「内の風元素にせよ、外なる風元素にせよ、
風というものは、地が怒ると、消えてしまう。
それ故、比丘達よ、風に捕らわれてはならない。」

 

第三章

「比丘達よ、たとえ、眼根を残していても、
色境に囚われなければ、眼識に捕らわれない。
彼は、色を捉えても、眼に囚われることがない。」

「比丘達よ、たとえ、耳根を残していても、
声境に囚われなければ、耳識に捕らわれない。
彼は、声を捉えても、耳に囚われることがない。」

「比丘達よ、たとえ、鼻根を残していても、
香境に囚われなければ、鼻識に捕らわれない。
彼は、香を捉えても、鼻に囚われることがない。」

「比丘達よ、たとえ、舌根を残していても、
味境に囚われなければ、舌識に捕らわれない。
彼は、味を捉えても、舌に囚われることがない。」

「比丘達よ、たとえ、身根を残していても、
触境に囚われなければ、身識に捕らわれない。
彼は、触を捉えても、身に囚われることがない。」

「比丘達よ、たとえ、意根を残していても、
法境に囚われなければ、意識に捕らわれない。
彼は、法を捉えても、意に囚われることがない。」

「比丘達よ、縁起を知る者は、真理を知る。
真理を知る者は、縁起を知ると、知りなさい。
これこそ、仏陀が説かれた、最高の真理である。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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