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放牛大経(マハーゴーパーラカ・スッタ)

仏教



目次

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第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、十一の項目を具足した牛飼は、
牛の群れを治め、牛を殖やすことが出来ない。
それでは、この十一の項目は、如何なるものか。

第一の項目は、容姿を認識できないことである。
第二の項目は、特徴を把握できないことである。
第三の項目は、障害を除去できないことである。
第四の項目は、傷口を介抱できないことである。
第五の項目は、進路を指示できないことである。
第六の項目は、渡河を指示できないことである。
第七の項目は、飲水を指示できないことである。
第八の項目は、道筋を把握できないことである。
第九の項目は、牧草を指示できないことである。
第十の項目は、牛乳を保全できないことである。
十一の項目は、長老を尊重できないことである。」

「比丘達よ、十一の項目を具足した比丘は、
仏の教えを修め、法を活かすことが出来ない。
それでは、この十一の項目は、如何なるものか。

第一の項目は、容色を認識できないことである。
第二の項目は、特徴を把握できないことである。
第三の項目は、障害を除去できないことである。
第四の項目は、傷口を介抱できないことである。
第五の項目は、進路を指示できないことである。
第六の項目は、渡河を指示できないことである。
第七の項目は、飲水を指示できないことである。
第八の項目は、道筋を把握できないことである。
第九の項目は、牧草を指示できないことである。
第十の項目は、牛乳を保全できないことである。
十一の項目は、長老を尊重できないことである。」

「比丘達よ、容色を認識できないこととは、
あらゆる物が、四つの元素から作られていて、
四つの元素に還ることを、知らないことである。」

「比丘達よ、特徴を把握できないこととは、
賢い者の特徴が、良く分っていない事であり、
愚かな者の特徴が、良く解っていない事である。」

「比丘達よ、障害を除去できないこととは、
三毒の煩悩に、流されて囚われることであり、
貪瞋痴の煩悩を、愉しんで捕らえることである。」

「比丘達よ、傷口を介抱できないこととは、
眼耳鼻舌身心が、良く守られてない事であり、
色声香味触法から、良く護られてない事である。」

「比丘達よ、進路を指示できないこととは、
自ら修めた法で、周りを治めないことであり、
自らが解いた法を、周りに説かないことである。」

「比丘達よ、渡河を指示できないこととは、
自ら修めた戒で、他を治めてないことであり、
自らが説いた律で、己を律してないことである。」

「比丘達よ、飲水を指示できないこととは、
自ら収めた利を、他に与えてないことであり、
自らが育んだ理で、他を育ててないことである。」

「比丘達よ、道筋を把握できないこととは、
自ら進めた道を、他に勧めてないことであり、
八つの正しい道を、自ら歩んでないことである。」

「比丘達よ、牧草を指示できないこととは、
身は不浄なり、受は不楽なり、心は無常なり、
法は無我なりと、四念処を修めてない事である。」

「比丘達よ、牛乳を保全できないこととは、
供えるに値する者に、供えてないことであり、
具えるに値する物から、具えてないことである。」

「比丘達よ、長老を尊重できないこととは、
先を進む者を、心から敬ってないことであり、
道を修める者に、心から従ってないことである。」

 

第二章

「比丘達よ、十一の項目を具足した牛飼は、
牛の群れを治めて、牛を殖やすことが出来る。
それでは、この十一の項目は、如何なるものか。

第一の項目は、容姿を認識していることである。
第二の項目は、特徴を把握していることである。
第三の項目は、障害を除去していることである。
第四の項目は、傷口を介抱していることである。
第五の項目は、進路を指示していることである。
第六の項目は、渡河を指示していることである。
第七の項目は、飲水を指示していることである。
第八の項目は、道筋を把握していることである。
第九の項目は、牧草を指示していることである。
第十の項目は、牛乳を保全していることである。
十一の項目は、長老を尊重していることである。」

「比丘達よ、十一の項目を具足した比丘は、
仏の教えを修めて、法を活かすことが出来る。
それでは、この十一の項目は、如何なるものか。

第一の項目は、容姿を認識していることである。
第二の項目は、特徴を把握していることである。
第三の項目は、障害を除去していることである。
第四の項目は、傷口を介抱していることである。
第五の項目は、進路を指示していることである。
第六の項目は、渡河を指示していることである。
第七の項目は、飲水を指示していることである。
第八の項目は、道筋を把握していることである。
第九の項目は、牧草を指示していることである。
第十の項目は、牛乳を保全していることである。
十一の項目は、長老を尊重していることである。」

「比丘達よ、容色を認識していることとは、
あらゆる物が、四つの元素から作られていて、
四つの元素に還ることを、見とめることである。」

「比丘達よ、特徴を把握していることとは、
賢い者の特徴を、良く分かっている事であり、
愚かな者の特徴を、良く解かっている事である。」

「比丘達よ、障害を除去していることとは、
三毒の煩悩に、決して囚われないことであり、
貪瞋痴の煩悩を、断じて捕らえないことである。」

「比丘達よ、傷口を介抱していることとは、
眼耳鼻舌身心が、良く守られている事であり、
色声香味触法から、良く護られてない事である。」

「比丘達よ、進路を指示していることとは、
自ら修めた法で、他を治めていることであり、
自らが解いた法を、他に説いていることである。」

「比丘達よ、渡河を指示していることとは、
自ら修めた戒で、他を治めていることであり、
自らが説いた律で、己を律していることである。」

「比丘達よ、飲水を指示していることとは、
自ら収めた利を、他に与えていることであり、
自らが育んだ理で、他を育てていることである。」

「比丘達よ、道筋を把握していることとは、
自ら進めた道を、他に勧めていることであり、
八つの正しい道を、自ら歩んでいることである。」

「比丘達よ、牧草を指示していることとは、
身は不浄なり、受は不楽なり、心は無常なり、
法は無我なりと、四念処を修めている事である。」

「比丘達よ、牛乳を保全していることとは、
供えるに値する者に、供えていることであり、
具えるに値する物から、具えていることである。」

「比丘達よ、長老を尊重していることとは、
先を進む者を、心から敬っていることであり、
道を修める者に、心から従っていることである。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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