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五下分結経(マハーマールンキャー・スッタ)

仏教

五つの束縛



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、
集まって来た、比丘衆に、このように説かれた。

「比丘達よ、欲の世界に、結び付けるもの。
人々を、下位の世界に結ぶ、五つの結がある。
それでは、この五つの結とは、如何なるものか。

第一の結は、地獄に結び付ける、有身結である。
第二の結は、畜生に結び付ける、愚痴結である。
第三の結は、餓鬼に結び付ける、戒取結である。
第四の結は、人間に結び付ける、欲貪結である。
第五の結は、修羅に結び付ける、瞋恚結である。」

「幼児には、体があるという、見解がない。
どうして、自分の体という、見解が生じよう。
幼児は、有見結を、潜在的に有するだけである。」

「幼児には、法があるという、見解がない。
どうして、法の否定という、見解が生じよう。
幼児は、愚痴結を、潜在的に有するだけである。」

「幼児には、戒があるという、見解がない。
どうして、戒の執着という、見解が生じよう。
幼児は、戒取結を、潜在的に有するだけである。」

「幼児には、欲があるという、見解がない。
どうして、欲の欲求という、見解が生じよう。
幼児は、欲貪結を、潜在的に有するだけである。」

「幼児には、他がいるという、見解がない。
どうして、他の害心という、見解が生じよう。
幼児は、瞋恚結を、潜在的に有するだけである。」

 

第二章

「比丘達よ、身体を、自分と錯覚する者は、
切られても突かれても、身体を得ようとして、
殺されても、生まれてしまう、地獄に転生する。」

「比丘達よ、疑念を、自分と錯覚する者は、
危なくても険しくても、快楽に耽ろうとして、
屠られても、飼われてしまう、畜生に転生する。」

「比丘達よ、戒誓を、自分と錯覚する者は、
取られても盗まれても、邪教に縋ろうとして、
騙されても、信んじてしまう、餓鬼に転生する。」

「比丘達よ、貪欲を、自分と錯覚する者は、
憎まれても悪まれても、恋路を進もうとして、
嫌われても、追かけてしまう、人間に転生する。」

「比丘達よ、闘争を、自分と錯覚する者は、
泣かしても負かしても、勝利を掴もうとして、
一人だけ笑い、他の者が泣く、修羅に転生する。」

「比丘達よ、身体に、心が囚われない者は、
先ず、既に生じている、有身結を超えていき、
一緒に、未だ埋れている、有身結を越えていく。」

「比丘達よ、疑念に、心が囚われない者は、
先ず、既に生じている、愚痴結を超えていき、
一緒に、未だ埋れている、愚痴結を越えていく。」

「比丘達よ、戒誓に、心が囚われない者は、
先ず、既に生じている、戒取結を超えていき、
一緒に、未だ埋れている、戒取結を越えていく。」

「比丘達よ、貪欲に、心が囚われない者は、
先ず、既に生じている、欲貪結を超えていき、
一緒に、未だ埋れている、欲貪結を越えていく。」

「比丘達よ、闘争に、心が囚われない者は、
先ず、既に生じている、瞋恚結を超えていき、
一緒に、未だ埋れている、瞋恚結を越えていく。」

「さながら、木の中心の材を得るためには、
その周囲の材を、切らないとならないように、
隠れた結を取るには、現れた道を取るしかない。」

「結を越えようと、心から思わない限りは、
心の深奥に隠された、心の結を越えられない。
この川を渡り切ろうと、思う者だけが川を渡る。」

 

第三章

「比丘達よ、五下分結を、断ち切ることで、
欲界を越えて、色界に至る、四つの禅がある。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無欲の歓喜で満たされている。」

「その世に存在する、色と受と想と行と識。
それら、すべてが、無我であり、無常であり、
空虚であると認めて、心が五蘊から解放される。」

「第二の禅とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無想の喜楽で満たされている。」

「その世に存在する、色と受と想と行と識。
それら、すべてが、無我であり、無常であり、
空虚であると認めて、心が五蘊から解放される。」

「第三の禅とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
その時、全身は、無喜の大楽で満たされている。」

「その世に存在する、色と受と想と行と識。
それら、すべてが、無我であり、無常であり、
空虚であると認めて、心が五蘊から解放される。」

「第四の禅とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、空性を体験する禅である。
その時、全身は、無楽の空性で満たされている。」

「その世に存在する、色と受と想と行と識。
それら、すべてが、無我であり、無常であり、
空虚であると認めて、心が五蘊から解放される。」

 

第四章

「比丘達よ、五上分結を、断ち切ることで、
色界を越えて、無色に至る、四つの禅がある。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、有辺であり、無辺である、
有辺と無辺の対立を越えた、無色の界である。
彼は、色究竟天の世を越えて、空無辺処に至る。」

「その世に存在する、色と受と想と行と識。
それら、すべてが、無我であり、無常であり、
空虚であると認めて、心が五蘊から解放される。」

「第二の禅とは、有識であり、無識である、
有識と無識の対立を越えた、無色の界である。
彼は、空無辺処の世を越えて、識無辺処に至る。」

「その世に存在する、色と受と想と行と識。
それら、すべてが、無我であり、無常であり、
空虚であると認めて、心が五蘊から解放される。」

「第三の禅とは、有我であり、無我である、
有我と無我の対立を超えた、無色の界である。
彼は、識無辺処の世を越えて、無所有処に至る。」

「その世に存在する、色と受と想と行と識。
それら、すべてが、無我であり、無常であり、
空虚であると認めて、心が五蘊から解放される。」

「第四の禅は、非想であり、非非想である、
非想と非非想の対立を越えた、無色界である。
彼は、無所有処を越えて、非想非非想処に至る。」

「その世に存在する、色と受と想と行と識。
それら、すべてが、無我であり、無常であり、
空虚であると認めて、心が五蘊から解放される。」

これを聞き、アーナンダは、このように尋ねた。

「尊師よ、もし、これが、出離の道ならば、
心が解脱した者と、智慧によって解脱した者。
その両者の違いとは、如何なるものでしょうか。」

「アーナンダよ、能力の違いと、私は解く。
禅定に優れた者は、心による、解脱を果たし、
智慧に優れた者とは、慧による、解脱を果たす。」

これを聞いた、アーナンダは、歓喜し実践した。


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