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露遮経(ローヒッチャ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章 |  第五章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、五百人の比丘衆と、
コーサラの、サーラヴァティカ村に向かった。
そこには、婆羅門のローヒッチャが住んでいた。

真理を悟っても、真理を語るべきではない。
彼は、このような、誤った考えを持っていた。
そんな彼の処に、仏陀に関する十の噂が届いた。

第一に、尊敬と供養に値する者、阿羅漢であり、
第二に、完全に悟りを開いた者、等正覚であり、
第三に、完全に明行を具えた者、明行足であり、
第四に、最上の世界に到達した者、善逝であり、
第五に、一切の世間を解する者、世間解であり、
第六に、世界で最高に優れた者、無上士であり、
第七に、衆生を統御し得る者、調御丈夫であり、
第八に、天人の師と成り得る者、天人師であり、
第九に、完全に真理に目覚めた者、仏陀であり、
第十に、世界で最も尊敬される者、世尊である。

これを聞いた、ローヒッチャは、こう考えた。

“私が聞く処に拠るなら、沙門ゴータマは、
完全に真理を悟り、衆生に真理を説くらしい。
ひとつ、私から彼を訪ねて、この事を尋ねよう”

そして、ローヒッチャは、仏陀を訪れると、
恭しく挨拶を交わして、仏陀の傍らに坐った。
そして、仏陀に対し、考えていたことを尋ねた。

「ゴータマよ、わたしが、聞く処に拠れば、
彼方は、真理を悟って、真理を語るようです。
己を縛る物を解き、他を縛る物を説くのですか。」

「バラモンよ、わたしが、聞く処に拠れば、
彼方は、サーラヴァティカを治めるそうです。
己が収め得た物を、他に分け与えないのですか。」

「いえ、そんな事すれば、他に恨まれます。
私は、この地で取り得た物を、分け与えます。
独り占めすれば、地獄や畜生に落ちるでしょう。」

「それゆえ、婆羅門の徒、ローヒッチャよ、
非難を受けるべき、三つの師弟の関係がある。
それでは、この三つの関係は、如何なるものか。」

「第一に、まだ、真理を悟っていないのに、
師が法則を説いて、弟子が信じない時である。
言わば、逃げる女を、男が追い駆ける様である。」

「第二に、まだ、真理を悟っていないのに、
師が法則を説いて、弟子が信じる場合である。
言わば、妻を捨てて、別の女と溺れる様である。」

「第三に、すでに、真理を悟っているのに、
師が法則を説き、弟子が信じない場合である。
言わば、夫を捨てて、別の男を信じる様である。」

「ゴータマよ、それでは、真理を説ける師、
非難を受けない、師弟の関係が有り得るのか。
もし、あるならば、如何なる法が説かれるのか。」

 

第二章

「沙門よ、如来が現れると、価値が逆転し、
解脱の果報を知った人は、このように考える。
在家は不自由なことよ、出家は自由なことよと。」

「こうして、出家した者は、解脱に至るため、
戒を守り、諸根を守り、正念正智し、満足する。」

「それでは、どのように、戒を具足するのか。
沙門よ、比丘が具足すべき、出家の十戒がある。

第一の戒は、殺生を禁じる、不殺生の戒である。
第二の戒は、偸盗を禁じる、不偸盗の戒である。
第三の戒は、邪淫を禁じる、不邪淫の戒である。
第四の戒は、虚言を禁じる、不妄語の戒である。
第五の戒は、冗談を禁じる、不綺語の戒である。
第六の戒は、悪口を禁じる、不悪口の戒である。
第七の戒は、陰口を禁じる、不両舌の戒である。
第八の戒は、貪欲を禁じる、不慳貪の戒である。
第九の戒は、瞋恚を禁じる、不瞋恚の戒である。
第十の戒は、愚痴を禁じる、不邪見の戒である。」

「それでは、どのように、諸根を保護するか。
沙門よ、比丘が保護すべき、六つの感官がある。

第一の根は、眼により色を感じる、眼根である。
第二の根は、耳により声を感じる、耳根である。
第三の根は、鼻により香を感じる、鼻根である。
第四の根は、舌により味を感じる、舌根である。
第五の根は、身により触を感じる、身根である。
第六の根は、意により法を感じる、意根である。」

「それでは、どのように、正念正智するか。
沙門よ、比丘衆は、いつでも、どこにいても、
何を念じるのか、正しく智って、正しく念じる。」

「それでは、どのように、満足を得るのか。
沙門よ、喩えるなら、鳥が翼だけ持つように、
比丘衆は、衣鉢だけを持ち、満足するのである。」

「こうして、戒律、制感、正念正智、満足。
この四つの条件を得た者は、解脱に至るため、
世俗を離れて山奥に入り、深い禅定に安住する。」

 

第三章

「一方で、瞑想を妨げる、五つの条件がある。
沙門よ、禅定を妨げる、五つの蓋は何のことか。」

「第一に、貪りに囚われる、貪欲蓋である。
喩えるなら、金を返すために、金を借りると、
返しても、返しても、苦しくなるようなものだ。」

「第二に、瞋りに囚われる、瞋恚蓋である。
喩えるなら、嫌いなものでも、食べなければ、
病になり、好きなものも、食べられないようだ。」

「第三に、眠りに囚われる、昏眠蓋である。
喩えるなら、金を盗んで、牢に捕われた者が、
金が有っても、金を使えないようなものである。」

「第四に、焦りに囚われる、掉悔蓋である。
喩えるなら、奴隷が、自由を求めるあまりに、
ますます、不自由を感じてしまうようなものだ。」

「第五に、疑いに囚われる、愚痴蓋である。
喩えるなら、酔って、不安を忘れようとして、
ますます、覚めて、不安を覚えるようなものだ。」

 

第四章

「四つの条件を揃え、五つの蓋を越えると、
正しい禅定となり、四つの心三昧が現われる。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」

「第一の禅とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無欲の歓喜で満たされている。」

「喩えるなら、乾いた粉に水を含ませれば、
水を含んだ粉は、容易に崩れ落ちる事が無い。
彼らは、離欲の歓喜で、透き通らない事が無い。」

「第二の禅とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無想の喜楽で満たされている。」

「喩えるなら、外から水は入り込まないが、
内から湧き出る水で、深泉は遍く広がり渡る。
彼らは、無想の歓喜で、透き通らない事が無い。」

「第三の禅とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
その時、全身は、無喜の大楽で満たされている。」

「喩えるなら、泉に咲いている蓮華の花は、
下から上に至るまで、冷水で遍く広がり渡る。
彼らは、無喜の大楽で、透き通らない事が無い。」

「第四の禅とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、空性を体験する禅である。
その時、全身は、無楽の空性で満たされている。」

「喩えるなら、白衣を頭から被ってしまい、
上から下に至るまで、白衣で覆い尽している。
彼らは、無楽の清浄で、透き通らない事が無い。」

第五章

「こうして、四つの心三昧を通過した者は、
その次に、如実知見の段階に向かうのである。
彼らは、在りのままに見て、在りのままに知る。」

『この身体は、地水火風の四大種からなり、
生み養われ、衰えて死ぬ、無常のものである。
そして、私の意識は、この身体に依存している。』

「こうして、如実知見の段を通過した者は、
その次に、遠離と離貪の段階に向うのである。
彼らは、心から作られた、別の身体を化作する。」

『さながら、刀が、鞘から抜かれるように、
あたかも、蛇が、蛇の皮から抜かれたように、
この化身は、身体から生じた、別の身体である。』

「こうして、遠離離貪の段を通過した者は、
解脱を遂げて、六つの神通力を得るのである。
それでは、この六つの力とは、如何なるものか。」

「一身が多身となれば、多身が一身となる。
消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
全ての世界に出現する、これが、神足通である。」

「近くの音を聴こえて、遠くの音が聞える。
人の声が聞えて来て、神の声が聴こえて来る。
聞えない音が聴こえる、これが、天耳通である。」

「貪りを貪りと知れば、怒りを怒りと知る。
疑いを疑いと知れば、善き心を善き心と知る。
他の人の心を理解する、これが、他心通である。」

「あの時の姓はこうで、あの生の名はこう。
あの生の糧はこうで、あの時の世の中はこう。
前の時の世を理解する、これが、宿命通である。」

「近くの物を見とめて、遠くの者を認める。
この世が見えて来て、あの世が現われて来る。
見えない物を観とめる、これが、天眼通である。」

「この人は漏れていて、あの人は漏れない。
あの煩悩から漏れて、この煩悩から漏れない。
煩悩の漏れを滅尽する、これが、漏尽通である。」

法悦が湧き上がった、彼は、このように言った。

「ああ、これは、とても、妙なる教えです。
さながら、暗闇の中で、灯火を掲げるように、
仏陀は、私の見えない目に、見せてくれました。」

「仏陀よ、これより、この命が尽きるまで、
私は、心から、仏と法と僧に帰依し奉ります。
三宝の帰依者として、どうか受け容れて下さい。」


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