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コーサンビヤ経(コーサンビヤ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ヴァンサ国の首都、
コーサンビーの、ゴーシタ園に止まっていた。
そこで、言い争う比丘衆に、このように言った。

「比丘達よ、この教えを、良く修めるなら、
僧伽に、和合を生じさせる、六つの法がある。
それでは、この六つの法とは、如何なるものか。

第一の法は、身に於いて、愛を為すことである。
第二の法は、口に於いて、愛を為すことである。
第三の法は、意に於いて、愛を為すことである。
第四の法は、物に関して、分け合うことである。
第五の法は、戒に関して、守り合うことである。
第六の法は、法に関して、学び合うことである。」

「比丘達よ、独り離れて、木の下に座って、
自分が、煩悩に塗れていないか、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

「例えば、自分が、貪りに覆われていれば、
自分が、貪りに蓋われていると、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

「例えば、自分が、瞋りに覆われていれば、
自分が、瞋りに蓋われていると、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

「例えば、自分が、疑いに覆われていれば、
自分が、疑いに蓋われていると、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

「例えば、自分が、眠りに覆われていれば、
自分が、眠りに蓋われていると、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

「例えば、自分が、焦りに覆われていれば、
自分が、焦りに蓋われていると、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

「例えば、自分が、迷いに覆われていれば、
自分が、迷いに蓋われていると、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

「例えば、自分が、考えに覆われていれば、
自分が、考えに蓋われていると、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

「例えば、自分が、争いに覆われていれば、
自分が、争いに蓋われていると、省みなさい。
見とめられない煩悩は、越えることが出来ない。」

 

第二章

「比丘達よ、世俗を出離した者が見とめる、
煩悩を滅尽した者が認める、七つの智がある。
それでは、この七つの智とは、如何なるものか。」

「煩悩という物は、思いのままに見とめて、
煩悩がある限り、在りのままに見れなくなる。
四諦を見とめること、これが、第一の智である。」

「四諦を認めると、心は静かになっていき、
四諦を認めない、心は静かになることはない。
寂静を見とめること、これが、第二の智である。」

「覚めていると、心が内に向かっていくが、
覚めていないとき、道が外に向かってしまう。
仏道を見とめること、これが、第三の智である。」

「心が浄いほど、罪を明かす法に向かうが、
心が清くないほど、罪を隠す方に向いていく。
懺悔を見とめること、これが、第四の智である。」

「戒を守る者は、定を修めて、智を開くが、
戒を護らない者は、定を修めず、智を閉ざす。
三学を見とめること、これが、第五の智である。」

「良く聞く者は、良く説けるようになるが、
何も説かない者は、何も解けないようになる。
多聞を見とめること、これが、第六の智である。」

「良く学ぶ者は、良く考えるようになるが、
何も考えない者は、何も喜べないようになる。
多学を見とめること、これが、第七の智である。」

「このように、七つの智を、見とめた者は、
預流果に至る為の条件を、充分に具えている。
彼は、上流に預り、決して、落ちることがない。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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