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阿湿貝経(キータギリ・スッタ)

仏教

キーター山での教説



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、カーシの国にある、
キータギリという地方に、止まっておられた。
そこに、プナバスカと、アッサジを呼び出した。

「汝らは、朝以外にも、食べていると聞く。
昼にも、夜にも、食べるというのは、本当か。」
「尊師よ、我々は、朝と昼と夜に食べています。」

「楽しみ食べると、苦しみを食べてしまう。
汝らは、この教えを、聞いたことがないのか。」
「尊師よ、その教えを、受けたことがあります。」

「楽しんでしまうと、苦しむことになると、
私は、認めているから、説いているのであり、
決して、見とめずに、解いているわけではない。」

「楽しまないならば、苦しまなくてすむと、
私は、認めているから、説いているのであり、
決して、見とめずに、解いているわけではない。」

 

第二章

「比丘達よ、もはや、為すべきことがなく、
煩悩の漏れを尽くした、無学の者に対しては、
敢えて、不放逸であれと、私は説くことがない。」

「というのも、彼らは、煩悩を越えており、
ほっておいても、他に流されず、上に向かい、
弛むことなく、不断の精進に、励むからである。」

「比丘達よ、いまだ、為すべきことがあり、
煩悩の漏れを尽さない、有学の者に対しては、
強いて、不放逸であれと、私が説くことがある。」

「というのも、彼らは、煩悩に塗れており、
ほっておくなら、周りに流され、下に向かい、
励むことなく、不断の精進に、怯むからである。」

「比丘達よ、煩悩を越え、漏れを尽くして、
有学が、無学に至っていく、七つの段がある。
それでは、この七つの段とは、如何なるものか。」

「第一の段は、信に従がう、随信行である。
彼らには、仏陀に対する、信心と親愛があり、
仏陀を信じて、彼らは、法に従い行う者になる。」

「第二の段は、法に従がう、随法行である。
彼らには、法則に対する、信心と理解があり、
法則を修めて、彼らは、信で解脱する者になる。」

「第三の段は、信で越える、信解脱である。
彼らには、仏陀を信じる、煩悩の減少があり、
煩悩を落とし、彼らは、法で到達する者になる。」

「第四の段は、見をして到る、見到である。
彼らには、法則を解する、煩悩の減少があり、
煩悩を落とし、彼らは、身で体現する者になる。」

「第五の段は、身をして現す、身証である。
彼らには、実践に於ける、煩悩の減少があり、
煩悩を落とし、彼らは、名を解脱する者になる。」

「第六の段は、名を越える、慧解脱である。
彼らには、智慧を用いる、煩悩の滅尽があり、
もはや、不放逸が説かれる、要がないのである。」

「第七の段は、色も越える、倶解脱である。
彼らには、身体を用いる、煩悩の滅尽があり、
もはや、不放逸が説かれる、要がないのである。」

 

第三章

「初めから完成している、智慧などはない。
順に修めて、順に行なって、智慧は完成する。
それでは、如何なる順で、智慧は完成するのか。」

「比丘達よ、信が生じると、師の元へ赴く。
師の傍に座り、師の法を聞き、師の法を解す。
法を考えて、法を修めて、法を喜び、繰り返す。」

「しかし、汝らには、これらが欠けていた。
師の教えを、聞くことなく、解すもことなく、
考えることもなければ、修めることもなかった。」

「これには従えても、これには従えないと、
師の教えに値を付けるような、真似をするな。
上からは下は見えても、下からは上は見えない。」

「智慧を完成するか、不還を達成するのか。
比丘たる者、二つの内の一つを、期待される。
比丘達よ、信心を以って、師の教えに専心せよ。」

これを聞いた、二人の比丘は、歓喜し実践した。


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