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鋸喩経(カカチューパマ・スッタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、
ジェータ林にある、アナータピンディカ園に、
モーリヤパッグナを呼んで、このように言った。

「パッグナよ、出家した、身で在りながら、
女性と親しくしているのは、どういうことか。
汝の心を治める出家か、女の心を収める出家か。」

「尊師よ、まさしく、仏陀の仰る通りです。
しかし、女性を責める者が、存在しています。
私が、女性に関わるのは、女性を守るためです。」

「たとえ、目の前で、刀で切られようとも、
出家した限りは、女性に囚われてはならない。
パッグナよ、在家の時の、考え方は捨てなさい。」

「パッグナよ、出家した者が、気を付ける、
他に対して、気を配るべき、五つの法がある。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。

第一の法は、不適に接しず、適切に接すること。
第二の法は、虚偽に接しず、真実に接すること。
第三の法は、乱暴に接しず、柔和に接すること。
第四の法は、利己で接しず、利他で接すること。
第五の法は、憎悪で接しず、慈愛で接すること。」

「このように、他に対して、接する者には、
同じように、彼に対して、接することになる。
彼は、私を通して学び、他に接して確めていく。」

「このように、他に対して、接しない者は、
同じように、私に対して、接することになる。
彼は、私を通して省み、他に接して顧みていく。」

 

第二章

「パッグナよ、その昔、サーヴァッティに、
ヴェーデーヒカーという、主婦が住んでいた。
彼女は、穏和であるという、評判が立っていた。」

「彼女の家に、カーリーという召使が居た。
カーリーは、聡明であり、利発的な所があり、
主人の評判が、真実なのか、確かめようとした。」

『わたしの主人に、良い評判が立っている。
なるほど、他から見える、主人は穏和である。
しかし、隠したものが、中に有るのではないか。』

「ある日、いつもは、早く起きている所を、
わざと、ゆっくり、昼を過ぎて、起き出した。
その姿を見て、彼女は、カーリーを睨み付けた。」

『わたしの主人に、良い評判が立っている。
なるほど、他から見える、主人は穏和である。
しかし、隠したものが、未だ有るのではないか。』

「次の日、いつもは、早く起きている所を、
わざと、ゆっくり、昼を過ぎて、起き出した。
その姿を見て、彼女は、カーリーを叱り付けた。」

『わたしの主人に、良い評判が立っている。
なるほど、他から見える、主人は穏和である。
しかし、隠したものが、未だ有るのではないか。』

「次の日、いつもは、早く起きている所を、
わざと、ゆっくり、昼を過ぎて、起き出した。
その姿を見て、彼女は、カーリーを叩き付けた。」

『わたしの主人に、良い評判が立っている。
なるほど、他から見える、主人は穏和である。
しかし、それは、本性が隠れているだけだった。』

「パッグナよ、この話と、同じ事が言える。
条件が緩いときは、心の因果が隠れているが、
条件が厳しくなると、心の本性が現れてしまう。」

 

第三章

「たとえ、汝の目の前に、悪い輩が現れて、
汝が、愛する者の指を、鋸で落したとしても、
彼らに、怒りが生じれば、汝は修行者ではない。」

「たとえ、汝の目の前に、悪い輩が現れて、
汝が、愛する者の手を、鋸で落したとしても、
彼らに、怒りが生じれば、汝は修行者ではない。」

「たとえ、汝の目の前に、悪い輩が現れて、
汝が、愛する者の腕を、鋸で落したとしても、
彼らに、怒りが生じれば、汝は修行者ではない。」

「たとえ、汝の目の前に、悪い輩が現れて、
汝が、愛する者の脚を、鋸で落したとしても、
彼らに、怒りが生じれば、汝は修行者ではない。」

「たとえ、汝の目の前に、悪い輩が現れて、
汝が、愛する者の首を、鋸で落したとしても、
彼らに、怒りが生じれば、汝は修行者ではない。」

「他に叩かれてからが、本当の試練である。
厳しく諭とされてからが、本当の修行である。
比丘達よ、厳しく諭す、私の本心を知りなさい。」

「パッグナよ、出家した者が、気を付ける、
他に対して、気を配るべき、五つの法がある。
それでは、この五つの法とは、如何なるものか。

第一の法は、不適に接しず、適切に接すること。
第二の法は、虚偽に接しず、真実に接すること。
第三の法は、乱暴に接しず、柔和に接すること。
第四の法は、利己で接しず、利他で接すること。
第五の法は、憎悪で接しず、慈愛で接すること。」

「このように、他に対して、接する者には、
同じように、彼に対して、接することになる。
彼は、私を通して学び、他に接して確めていく。」

「このように、他に対して、接しない者は、
同じように、私に対して、接することになる。
彼は、私を通して省み、他に接して顧みていく。」

これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。


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