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闍尼沙経(ジャナヴァサバ・スッタンタ)

仏教



目次

第一章 |  第二章 |  第三章 |  第四章

 

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

あるとき、仏陀は、ナーディカの煉瓦堂で、
マガタ国の、在俗信者の転生先を探していた。
そのとき、独り夜叉が、仏陀の目の前に現れた。

「久し振りです、ビンビサーラであります。
ジャナヴァサバという、夜叉に生まれました。
今は、毘沙門天の側近として、仕えております。」

「尊師よ、まことに、仏の法は偉大でした。
仏陀の教えにより、私は、天に生まれました。
次は、預流から、一来を得たいと願っています。」

「尊師よ、その昔、十五夜の布薩に於いて、
すべての三十三天が、善法堂に集まりました。
そこに、我が主である、毘沙門天も集いました。

東方には、持国天王の一群が、西を向いて坐り、
南方には、増長天王の一群が、北を向いて坐り、
西方には、広目天王の一群が、東を向いて坐り、
北方には、多聞天王の一群が、南を向いて坐り、
中央には、三十三天の主、帝釈天が坐りました。」

「尊師よ、そこに、大きな光が現れました。
それは、梵天、サナンクマーラの威光でした。
三十三天に現れる時、彼は、光を弱めるのです。」

「サナンクマーラは、神々が恐れないよう、
粗なる姿を作り出して、空中で止まりながら、
神々と共に歓び、このような詩句を唱えました。」

『修羅は減っているが、天人は増えている。
仏陀の弟子として、天界の神々が増えている。
帝釈天が率いる、三十三天の神々は歓んでいる。』

「尊師よ、梵天の声は、梵音と言われます。
明瞭であり、明快であり、美麗にして、優麗、
簡潔であって、簡略であり、深遠にして、深大。」

 

第二章

「尊師よ、梵天は、帝釈天の席に坐りながら、
姿を変えて、三十三天の神々に話し掛けました。」

『神々よ、尊き者は、このように説かれた。
神に通じる力の修習に、四つの段階があると。
それでは、この四つの段とは、如何なるものか。

第一に、欲求を以って修める、欲如意足である。
第二に、精進を以って修める、勤如意足である。
第三に、集中を以って修める、心如意足である。
第四に、思索を以って修める、観如意足である。』

『神々よ、尊き者は、このように説かれた。
真理の道の入り方には、三つの分類があると。
それでは、この三つの道とは、如何なるものか。』

『第一の道とは、自ら楽しみ続けることで、
善業を減らしていた者が、真の法に巡り合い、
それからは、善業を増やすようになる道である。』

『第二の道とは、他を苦しめ続けることで、
悪業を増やしていた者が、真の法に巡り合い、
それからは、悪業を減らすようになる道である。』

『第三の道とは、何が善で何が悪であるか、
善悪を弁えなかった者が、真の法に巡り合い、
それからは、善悪を弁えるようになる道である。』

 

第三章

「尊師よ、梵天は、帝釈天の席に坐りながら、
姿を変えて、三十三天の神々に話し掛けました。」

『神々よ、尊き者は、このように説かれた。
正しい念を持つべき処、四つの念処があると。
それでは、この四つの念処は、如何なるものか。』

『第一に、身は浄ではなく、不浄であると、
身に関して、正しく念じる処、身念処である。
正しく、身を捉えるとき、体に囚われなくなる。』

『第二に、受は快ではなく、不快であると、
受に関して、正しく念じる処、受念処である。
正しく、楽を捉えるとき、苦に囚われなくなる。』

『第三に、心は常ではなく、無常であると、
心に関して、正しく念じる処、心念処である。
正しく、善を捉えるとき、悪に囚われなくなる。』

『第四に、法は我ではなく、無我であると、
法に関して、正しく念じる処、法念処である。
正しく、法を捉えるとき、業に囚われなくなる。』

 

第四章

「尊師よ、梵天は、帝釈天の席に坐りながら、
姿を変えて、三十三天の神々に話し掛けました。」

『神々よ、尊き者は、このように説かれた。
正しい禅定を至る教え、八つの正道があると。
それでは、この八つの道とは、如何なるものか。』

『第一の正道とは、正しい真理に基づいて、
邪なる見解を離れて、正しい見解に至ること。
何が正しい見解なのか、正見を修める道である。』

『第二の正道とは、正しい見解に基づいて、
邪なる思惟を離れて、正しい思惟に至ること。
何が正しい思惟なのか、正思を修める道である。』

『第三の正道とは、正しい思惟に基づいて、
邪なる言葉を離れて、正しい言葉に至ること。
何が正しい言葉なのか、正語を修める道である。』

『第四の正道とは、正しい言葉に基づいて、
邪なる行為を離れて、正しい行為に至ること。
何が正しい行為なのか、正業を修める道である。』

『第五の正道とは、正しい行為に基づいて、
邪なる生活を離れて、正しい生活に至ること。
何が正しい生活なのか、正命を修める道である。』

『第六の正道とは、正しい生活に基づいて、
邪なる精進を離れて、正しい精進に至ること。
何が正しい精進なのか、正進を修める道である。』

『第七の正道とは、正しい精進に基づいて、
邪なる集中を離れて、正しい集中に至ること。
何が正しい集中なのか、正念を修める道である。』

『第八の正道とは、正しい集中に基づいて、
邪なる禅定を離れて、正しい禅定に至ること。
何が正しい禅定なのか、正定を修める道である。』

『神々よ、以上のものが、仏陀の法である。
このように、法は、実に利となるものであり、
辿る者は、必ず、現実に確められるものである。』

『マガタ国に住む、四十万人の在俗信者は、
完全に三つの束縛を滅して、預流者となった。
さらに、その中には、一来者になった者も居る。』

以上のことを、梵天は、三十三天に説いて、
そこに居合せた、毘沙門天が、夜叉に説いた。
夜叉が仏陀に語り、仏陀が皆に説いたのである。


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